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ジフ編、その3

 一定の間隔で響いていた蹄音が硬質な反響音に変わる。

 石畳の敷き詰められた街道。主要交易路に入ったのだ。

 馬上で意識を休めていたジフは兜の面頬を開き、大きく息を吸った。

 土と森の匂いのするラーケルタ男爵領とは違う、多くの人と物が醸し出す雑多な匂い。

 視界の先には古い城壁が見える。

 城壁の古さは都市の年齢そのもの。そして、その都市が長らく侵されなかったことを示す。


 それが10年ぶりに訪れた王都の姿であった。




「ラーケルタ男爵領? どこの田舎だそれは?」

「たまにいるんだよ。アンタみたいに昔の武功を笠に着るおいぼれ。大方、若い頃に徴兵されて槍働きのひとつでもしたんだろうが、それをもって陛下にお目通り願うのは不敬に過ぎるぞ。恥を知れ」


 嘆かわしい。

 ジフは簀巻きにした門番たちを城門に吊るしながら嘆息した。

 精強さにおいて王の近衛に次ぐとすら言われるラーケルタ騎士を知らぬとは不勉強もいいところである。

 あるいは時代が変わったのか。かつてはその獰猛さを指して「酒場でラーケルタ騎士を罵ると剣が飛んでくる」と、場末の酔漢にすら恐れられていたほどだったのに。

 ……投げたのは槍だ失礼な。当時を思い出しながらジフは城門をくぐった。


 途端に、喧騒が兜を叩いて震わせた。

 王都の大通りである。盛況さにおいては他都市の追随を許さないだろう。

 絶えず行き交う人馬の海。道なりに連なった露店の数々。ラーケルタ男爵領の全人口を集めても及ばないであろう数の力。

 ジフはかすかに目を細めた。

 王都に懐かしさを覚えるほどの思い出はない。ジフは陣列の騎士であったからだ。

 ただ、10年前、バーサとこの門をくぐった時は一切の希望を捨てていた。

 魔王討伐の勅命とは、そういうものだったからだ。



「止まれ、何者だ!?」

「ラーケルタ男爵領? どこだそれは?」

「……うむ」

「お待ちください」


 いそいそと簀巻きの準備を始めたジフを止めたのは王城から出てきた少女だった。

 とん、と軽やかな靴音がジフの間合いの僅かに外を打つ。

 すらりと伸びた手足はよく鍛えられ、体にぴたりと張り付いた赤い袍服は白蓮華の模様に彩られている。

 背に長剣を背負っていることから見て、おそらくは近衛であろう。城内で帯剣を許される者は限られる。

 歳は十代半ばか。燃えるような赤毛を高い位置で結い上げた、美しい少女だ。


 ジフは、我知らず声を漏らしていた。


「……バーサ?」

「リーファンと申します。その誤解は甚だ不快です、オールセン卿」


 一瞬本気で嫌そうな顔をしたリーファンは膝をつき、見事な包拳の礼をとった。

 正しい礼は生まれと立場を示す。近衛の中でも上官であろうことがわかる。

 少女は優雅な所作で立ち上がると門番に向き直った。


「彼は陛下が招いた賓客です。誰何は不要」

「で、ですが、自分は職責として……」

「……彼はジフ・オールセン卿。現存する唯ふたりの“殺人許し”です。まだ命があることをオールセン卿に感謝するとよいでしょう。あなたは慈悲によってのみ生かされたのですよ」

「“剃刀”のジフ・オールセン!? し、失礼しました!!」

「うむ、お役目ご苦労」


 哀れに思えるほど畏まった門番の肩を叩き、ジフは入城を果たした。

 途端にすっと喧騒が遠のいていく。音の反響まで計算して設計されているのだろう。

 この一事をもっても、王城の完成度が推して知れた。

 灰色の聖なる城。

 王の住まう地は掃き清められ病的に清潔である。行き交う官もどこかよそよそしく、寒々しい。

 紅毛の少女は表情ひとつ変えぬまま、目線で向かう先を示し、肩を並べて歩き出す。


「……門番にはああは言いましたが。今時、名のある騎士が伴のひとりもつけていないのは非常識ですよ、オールセン卿。騎士爵にも格式というものがありましょう」

「ご忠告痛み入る。活かす機会のないこの身を許されよ、リーファン殿」

「……成程。大叔母様が気に入るわけです」


 ふぅ、と悩まし気なため息を吐いたリーファンは気を取り直して心持ち足を早めた。


「行きましょう。陛下がお待ちです」

「先触れはだしていなかったはずであるが?」

「“ラーケルタ騎士は馬よりも早い”と。今日あたりに来られるであろうと陛下は予測していらっしゃいました」

「そうであったか」


 その一瞬、リーファンの薄い表情に隠しようもなく皮肉気な色がよぎった。


「さすがは元一党(パーティ)。同士のことはよく理解されていますね」



 ◇



 おそらくは手順が十段ほど飛んだな、とジフは心中で判じた。

 十歩先、隣に金の騎士像を侍らせ、玉座に王が腰かけている。

 あり得ない。騎士爵に許される間合いはとうに超えている。

 しかも身内にしか許されないはずの御簾も上げられている。

 そもそもジフはいまだ帯剣したままだ。

 なにもかもがあり得ない。

 厚遇などという域にない。この待遇は異常だ。


「10年ぶりであったな、ジフよ」


 天上の鈴を天女がそっと鳴らすような澄んだ声であった。

 はっ、と応えを返して顔を上げる。

 ジフは小さく息を呑んだ。

 相貌もまた声にふさわしい美しさであった。

 いまだ精霊が地上に存在するのなら、このような姿だろう。

 少女とも少年ともつかぬ透明さ。細く白く繊細な手足。完璧な滑らかさを描く彫像が命を得たよう。

 齢十三。“金枝王”の名にふさわしく、金枝の簪を挿した黄金の髪がマナを纏い、羽衣の如く肩から腰へとゆるやかに流れる。

 人の美ではなく明らかに魔性のそれ。脈々と受け継がれ、高められてきた貴種の血統がそこにある。


「陛下には格別のご高配を賜り、お礼申し上げます」

「そう畏まるな。我らは同士ではないか」

「……当時の陛下はまだみっつでした」

「正直者め」


 くつくつと笑う“金枝王”。その笑い声は音としては美しく、しかしどこか陰鬱さを孕んでいる。


「予は今度の精霊供儀へおぬしを選んだ。おぬしに死ねと命じる。異論ないか?」

「ありませぬ」

「おろかもの。理由くらい聞かぬか」

「“魔王”を殺した……()()()()()()()()()、その復讐であると存じます」

「それもある。が、おぬしの口から聞きたくはなかったな」


 “金枝王”はこれ見よがしに不貞腐れた。

 その瞬間だけは年相応の童のようで、ジフは少しだけ安堵した。


 王は即位した瞬間から個人としての名を喪う。王であることが全てとなる。

 目の前の少年であれば“金枝王”。

 先王であれば“鋼王”――狂った後は“魔王”と呼ばれるのみ。

 ――代々の王は死ぬ前にそのふたつ名を魔王と改める。

 次代の王に殺され、その糧となるために。そうしなければ死ぬことができない。王たちはそういう祝福の下に在る。


「必要なことだった。予も理解し、納得している。そのためにおぬしと“流星”には“殺人許し”が与えられた。おぬしの罪ではなかろう……だが、そうだと言う方がおぬしは楽になるようだな」

「……お恥ずかしながら。親殺しを強いたあの日の過ちを僅かでも償えるなら、これに勝るものはございません」

「ならば我が復讐のために死ね、“剃刀”。明日の精霊供儀に参加し“流星”と殺し合え。生き残れば精霊の生贄としよう」


 “金枝王”は小さく嘆息した。吐く息すらも宝石となるような幻想の美が少年を彩る。


「だが“流星”と異なり、おぬしはこの10年何の功績も残しておらぬ。“剃刀”はすでに錆びついたと思う者も少なくない。故、試金石を用意した」


 王がパチンと指を鳴らすと、隣に鎮座していた黄金の騎士像がゆっくりと動き出した。

 ジフは眉をひそめた。


「呼吸している……?」

「これが魔王より祝福を奪い辿り着いた、予の“黄金(アウラ)の祝福”。金気を操り、あらゆる物質を金属に変え、支配する」

「あらゆる物質」

「うむ、()()()()()()()()()()()()()()()()()


 それこそは鋼の祝福を破った最々新の祝福。

 “剣匠”リーゼライトが呼吸法を見出してより、王侯貴族が血族を挙げて求めたもの。

 “不老不死”に最も近づいた祝福。

 肉体すらも金属に変え、そして支配下に置くことで無限の生命を得ることができる。

 ……ただひとつ、自らの血を分けた子によってのみ死を許される王殺しの不死。


「七星がひとつ“門のガンドルフ”が先代当主だ。ふたつ名は……なんであったかな?」

「“巨門(メラク)”でございます、陛下」

「ああ、うむ。“巨門”よ、“剃刀”を試せ。殺す気でやれ。これなるは救国の英雄ぞ」

「黄金となったこの身の全てを懸けましょう」


 “巨門”が傍らに立てかけられた宝剣を引っ掴んで玉座を飛び降りる。

 ドン、と音を立てて老騎士の間合いを侵す。

 黄金というのは比喩ではないのだろう。見た目通りの大質量の着地にジフの身が僅かに浮いた。


「成程」

「なにを納得したのだ“剃刀”よ?」

「だから帯剣したままだったのか、と」

「……つまらぬ奴だな、おぬしは。だが、そのつまらなさは佞臣どもの百万言よりも、よほど予の無聊を慰める。10年前からずっとな」


 金枝王が艶めかしい指使いで簪を撫でる。

 破るものなき絶対最硬を破った王の祝福。触れた者を金に変える他者支配の祝福。

 魔王が操るは鋼。ゆえに、その身を金に変えられては祝福は機能しえない。

 そうして魔王は生きながらに死んだ。

 不死のまま、最硬のまま、その身を無数の金貨に変えられた。

 残ったのはただひとつ。ジフが断った右腕のみ。それを金の枝に変え、少年王は簪とした。ただひとつ遺った遺骨であるからだ。


「あとは任せたぞ“巨門”」

「はっ。……さて、オールセン卿よ。死合う前にひとつ告げておこう」

「うむ」

「卿の秘剣“剃刀”は私には効かない」


 鼻息も荒く“巨門”は断言した。自慢げな気配は探らずとも鼻についた。

 ジフは悟られぬよう静かに呼吸(ブレス)を練り始めた。


「そも“剃刀”は主君を守護し、暗殺者を捕らえるための殺さずの技。殺さぬための工夫が殺技としての純度を落としている」

「……」

「敵の攻撃を受け流し、点穴を突き、関節を()め、テコの原理をもって剣を振るう……あまりにも行程が多すぎる。

 魔王相手に成功した卿の技量は見事であるが、それも相手が正気を喪っていたから可能であったこと。尋常な剣士相手では悠長に技をかけている間に斬られるが道理」

「……」


 もう斬っていいのだろうか。ジフは全身にマナを巡らせながら迷った。

 今さらなことばかり言われて、正直暇を持て余していた。


「竜骨短剣を抜け、オールセン卿。でなければ勝負にもならぬ」

「今、陛下の御前で竜骨短剣(マヌス)を抜くわけには参りません」

「何故?」

「陛下を弑してしまうかもしれないからです」

「なにっ」

「王の不死は王族累代の血と祝福の積み重ねによるもの。しかし、告死竜カミュロケシス様は単騎でそれ以上の時を積んでおります。“もしも”があるかもしれない」


 この場にいるのがバーサならそんなことは言ってられないだろうが、とジフは心中で付け加えた。

 憤っているコレは王の近衛だ。強いのだろう。堅いのだろう。

 だが、無思慮に老騎士の間合いに踏み込む警戒心の無さは万才を以っても贖えない――


「だから自分は王の不死を破れると? 不敬も大概にせよ、田舎騎士が!!」


 ジフは抜き打ちの勢いで剣をぶん投げた。

 先代ラーケルタ男爵より賜った業物は真っすぐに“巨門”の喉を突く――寸前にこちらも抜き打った宝剣によって真上に弾かれた。

 だが、投げつけられた剣を迎撃する、誘導されたその動きは「受け流された」ときと同じ体勢である。


 この時点で“巨門”の敗北は決した。



 ――秘剣“剃刀”の最も恐るべき点はその対応力にある。



 元よりこの技は主君が襲撃を受けた際にいかなる状況であっても襲撃者に応ずる為の技である。

 攻められたなら守り、詰められたなら打ち、捕らえたなら極め、斬ると決めたら斬る。

 必要なのは才能ではなく、思考であり、工夫である。

 そうして、この技を極めた剣士にとって、秘剣とは衣服の如く常に纏うものとなる。



 気付いたときには懐に潜り込んだジフの指が点穴を打ち貫いていた。

 黄金の体とはいえ、生きている以上はマナが流れている。

 マナが流れている以上は点穴が存在する。

 そして、点穴を突くジフの動きはそのまま()()()、関節を極める動きとなる。

 何千何万、ひょっとしたら何億回も繰り返した動作。御前だからとしくじることはない。


「ぎさ、ま……」


 また、ごく当然の話であるが、人体は全身の部位が繋がっている。

 言い換えれば、指の一本でも掴んで制御下に置けば、他のあらゆる部位を動かすことも可能ということ。

 関節を極める究極の意味とは、相手の肉体を支配することにある。


 ジフは“巨門”の肘肩を極めたまま軽く腕を引き、彼が生み出していた運動エネルギーを()()

 落ちてきた剣を掴み、たたらを踏んだ黄金像の脇に刃を押し当てる。

 真っすぐに引いた後足は床を確と踏みしめる。

 星をも動かすテコはすでに、対手を捉えている。


 すなわち――


「――“剃刀(レイザー)”!!」


 ――秘剣の完成である。



 ◇



「……まだ続けるか、“巨門”殿」

「くっ」


 生身であった頃の名残か、血も流れぬ鏡のような断面を残った腕で押さえたまま“巨門”が歯噛みする。

 ジフとしても、首を落としても生きているのか気になるところであった。


「そこまで。ご苦労であった、“巨門”」

「はっ――」


 声の途中で黄金像は無数の金貨に変わり、床にぶち撒けられた。

 それが不老不死を下賜された者の最期であった。


「陛下」

「いかに肉体を黄金に化えようと、性根までは成らぬか。心の臓も黄金になっているのだがな」

「……僭越ながら、鋼の祝福が鋼の精神を作るのなら、先王陛下は狂われたりはしなかったかと」

「なるほど、道理である。人類皆不老不死への道は遠いな」


 “金枝王”は億劫そうに玉座から立ち上がると、まっすぐに“剃刀”を見下ろした。


「ではな“剃刀”。予はおぬしを恨んでおらぬ。その力量と忠心は敬意に値しよう」

「……もったいなきお言葉です」

「惜しむらくは、その命の使いどころをすでに定めていることか。天の星を見上げ続けることは辛くはないのか?」


 その言葉はあるいは、不老不死を追い続けることを宿命づけられた王自身のことであったのやもしれない。


「届かぬからこそ挑むのです。いつかは天の星をも掴めると」


 だが、老騎士の返答は決まっていた。おそらくはずっと昔に。



 ◇



『アンタなぁ、いい加減一勝くらいしたらどうなんだい? ワシの方が心が折れそうさね』

『だからって手加減なんてしないがね。それじゃぁ意味がないからさ』

『そうだ。もしアンタが勝ったら……く、くちづけてやるよ』

『約束だ。それがたとえ戦場でだって、必ず』


 騎士は約束を違えない。それがたとえ苔むした過去のものであっても。



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