剣術考察
要望があったので、削っていた設定語りを差し込んでいます。
剣譜というものがある。
いわゆるところの流派の秘伝書のことだ。
昨今では印刷技術の発達とともに、剣譜にも廉価版……流派の教本のようなものも生まれつつあるが、それも王都のような一部の地域に限られているのが現状だ。
つまり今、庵の前でジフが読んでいるのはラーケルタ流剣術の秘伝書である。
時刻は夕の頃。焚火で暖はとっているものの、老骨には堪える寒さであろう。
ふむ、とジフは白髭の奥で唸った。
騎士団長となった際に写しを許された剣譜は幾度となく読み返され、ページの端々が擦り切れている。
ジフとて内容は暗記している。なんなら目を閉じたまま寸分違わぬ写しを書きつけることもできる。
それでも読み返すたびに新たな発見があるのだ。己の愚鈍さを自覚する瞬間であった。
……そも、ラーケルタ騎士剣術という名は俗称でしかない。
この剣術はラーケルタ男爵領やその周辺地域の騎士たちが学ぶ当代の慣習のようなものであり、その集合――合戦術や礼法その他の口伝から抽出された剣術編である。
それがジフという稀代の剣士を輩出したことで、まるでラーケルタ男爵領発祥のように扱われるようになったのだ。因果が逆なのである。
ラーケルタ騎士剣術は今となっては王都でも学ぶ者がいる人気流派であるが、その骨子は一貫している。
すなわち、守護と迎撃。
合戦ならば合戦術で対応する以上、剣術編は街中や屋内といった不意の遭遇戦を想定する。
人混みや閉所で襲われ、逃げる場所も剣を抜く暇もない。
どうするか――素手で応じるしかあるまい。
……ラーケルタ騎士剣術は、そういう流派である。
脳味噌まで筋肉になっている騎士階級にも学ばせる場合があるため、単純明快で覚えることも少ないのが特徴である。
技にしても大抵の者は3つか4つ覚えていればいい方だ。殴るか、斬るか、極めるかだ。剣術とはいったい。
また、ジフのように“剃刀”……正確にはその原型たる“四方護剣”のみを修めた者は稀有であるが、皆無ではない。
この技は、受け流す、打つ、極める、斬るというラーケルタ騎士剣術の基礎四型の集合なのだ。
理論上、この技が極まれば、ラーケルタ騎士剣術を極めたに等しい。ゆえ、ひとまずこれだけは学んでおく、という忙しない騎士もいるにはいるのだ。
無論、他の技も学んで流派全体の空気を感じた方が上達は早い。当然の話である。ジフとてできるならばそうしたかった。「他の技がバーサに通じない」という切実な理由がなければ、であるが。
ジフの剣とはつまり“剃刀”を軸としてバーサを撃墜するための剣である。
そのための守りの堅さと迎撃の鋭さに終始していると言っていい。
端から「はやさ」は捨てている。人間がどれだけ鍛えたところで空を自在に飛ぶ竜に機動力で敵わないからだ。
バーサを相手に先手は取れない。二撃は耐えられない。
ゆえに、一撃を凌ぎ、後の先をとり、一手で切り落とす。
それがジフ・オールセンの全てである。
それ以外――本職である騎士として求められる諸々はジフにとっては余技でしかなかったし、剃刀を練る過程で得た経験で事足りた。バーサに追いつかんとすることの方がはるかに困難であったからだ。
そうして鍛え続けた守りの剣がいつの間にか有名になり、魔王に通じるほどのものとなっていたのは本人にとっても意外であったのだが。
そんな男を騎士団長になんぞしてよかったのか、と余人は思うだろう。
だが、ジフの剣が優れていたことは事実であり、またその忠誠心に一片の疑いもなかったこと、そして同世代の騎士たちが次々と死んでいく中でジフだけがしぶとく生き残ったことが認められたのだ。
男爵領とはいえ、精強なるラーケルタ騎士団の団長に孤児から成りあがったのは歴代を振り返ってもジフしかない。
地を這う者たちの中から生まれ、研がれ磨かれた刹那の鋭さ。
ゆえにジフのふたつ名は“剃刀”である。
足りなかった守護の力。彼は答えを得た。
10年を経て、その真価が発揮される時は間近に迫っていた。
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剣譜というものがある。
いわゆるところの流派の秘伝書のことだ。
昨今では印刷技術の発達とともに、剣譜にも廉価版……流派の教本のようなものも生まれつつあるが、それも王都のような一部の地域に限られているのが現状だ。
しかして今、実家が所有する森の中でバーサが読んでいるのはファイレシア流合戦術の教本である。
時刻は夕の頃。焚火で暖はとっているものの、そもそもバーサは「寒い」という感覚を経験したことがなかった。焚火も光源と……串を打った肉を焼く以上の意味を持っていない。
けっ、とバーサは昏い感情を吐き捨てた。
ファイレシアの当主となった際に秘蔵された「原典」にも触れていたバーサにとって、初心者向けの教本など、長い夜の暇つぶしに屋敷から拝借しなければ触れることもなかったであろう。
内容については散々であった。思わず燃やしてしまうほどに。
おそらくは現当主のイグナが故意に行ったことだ。政治的な気配がする。
無意味だ。流派の根本を見失っている。今のファイレシア家を表しているようだ。
そも、ファイレシア流合戦術は中身を知られて困るような流派ではないのだ。
なぜなら、王国に数多ある騎士団全ての合戦術はファイレシア流を基礎に置いているからだ。
古い騎士団の書庫を探れば、ファイレシア流の剣譜の写しが必ず見つかるものだ。
戦場における統一教義。それがファイレシア流合戦術の骨子である。
すなわち、陣列と戦術。
数千人の騎士たちを効率的に動かすために指揮官が学ぶべき常識と、数千人の騎士たちを効率的に殺戮する対軍技。
指揮官がファイレシア流を知らねば戦争はできない。ファイレシア流への対策をしていなければ全滅する。その域まで戦争に食い込んだ軍需流派なのだ。
もっとも、それゆえに他の七星家と比べるとファイレシアの技は必然的に大雑把で、消耗が大きく短期決戦に偏った技が多い。当たれば軍が壊滅するのだ。威力については人間が用いてよい範囲を超えている。
だが、七星同士で戦えば、守護に秀でた門のガンドルフ、回避に秀でた音のカガセル相手では不利となる。同じ程度の錬度ならば一対一では必ず負ける。国家において絶対的な立ち位置を確保していながらファイレシアは長らく下風に甘んじていた。
バアルサファル・ファイレシアという竜の製造に成功するまでは。
バーサは基本的に“流星”とその派生技しか使うことはない。
使えないのではなく、使わない。もっと言えば使う必要がない。そういう存在だ。
たとえば一流の剣士がバーサに斬りかかるとする。
バーサはこれに対し、大剣を槍のように使って瞬時に刺し殺すこともできるし、瞬く間に剣として斬り伏せることもできる。あるいは槌の如く用いて叩き潰すこともできる。
生まれついての完成形。あらゆる動作が完成している以上、技という状況を限定した反射に頼る必要がない。
自身に載せる勝率は最大値。であればあとは有利な状況を掴むのみ。ゆえに彼女は空を飛ぶ。
絶対先制からの精密誘導対軍技という常識外れの必殺方程式。
これを破ることができたのはジフ・オールセン唯一人である。
もっともその後、改良して破壊力を増した“流星”には耐え切れず50年ほど吹き飛ばされ続けているのだが。
バーサの手の中で白い灰となった教本が夜風に舞う。
天より生れ落ち、あらゆる武を喰らう竜として生きる。
ゆえにバーサのふたつ名は“流星”である。
すでに最強である女。彼女はしかしまだ本気ではない。
10年を経て、その真価が発揮される時は間近に迫っていた。




