バーサ編、その1
――女がいる、と思っていただきたい。
齢60と3つ。
褐色の肌に腰まで届く真白い髪。
巨人族との混血ながらその体はひどく小柄で華奢。
しかし、混血ゆえに薄い袍服から覗く手足は怪力無双。
そして、笑い声はこうだ。
「――げーはっはっはっ!!」
……女がいる、と思っていただきたい。
両手を腰に、大剣“巨人のナイフ”を背に負って、
絶望と恐怖を上から下から漏らす悪徳商人を傍らに転がし、そいつの屋敷に火付けしてげははと笑う女だ。
「あ……あ、ああ……」
「どうした。笑えよ商人。アンタほどの大店でもここまで金のかかった焚火は一生に一度できるかどうかじゃぁないか。笑わにゃ損さね。それとも――」
笑みを消した真顔の女がぐりん、と首を回して悪徳商人と目を合わせる。
燃えるような赤い瞳に真正面から見据えられ、悪徳商人の心臓が恐怖に跳ねる。
「今になってワシに粗悪品を売りつけたことを後悔してるのか、うん?」
女の名をバーサ――バアルサファル・ファイレシアという。
“流星”、“灰被り”、“百人斬り”、“年齢詐欺”……。
数多のふたつ名で呼ばれるこの女こそ、困ったことに王国最強を謳われる冒険者なのだ。
まあ、王国最高額の賞金首であったこともあるのだが、功績も大きいため何度も恩赦を受けており、驚くべきことにさっきまでは無罪の身だった。
……彼女の来歴を辿れば、なんとバーサは王国の武の頂点たる“七星”がひとつ、火のファイレシアの先々代当主にあたる。
そも、魔獣の跋扈するこの大陸に於いて、武とは権力と同義である。
“剣匠”リーゼライトの直弟子を祖とする七星は武門であると同時に貴族家である。遠縁であるが王家の血すらその身に流れている。
しかし、当主であったはずのバーサは貴族位を持たない。
あまりにも突出した武才ゆえ、叙勲を待たずにファイレシアの当主となった歴代ただひとり。
それほどの武才がありながら貴族になれなかった問題児。
それがバーサだ。
「いやぁ、すっきりした」
一通り焼き尽くしたバーサが手を振ると、屋敷の残骸を舐めていた火がひとりでに消えた。
剣を執れば“剣祖”カミュロケシスに並び、杖を握れば“賢者”アーケロンに並ぶと称されるバーサにとって、呼吸と祝福の間に違いはない。
息をするように火を操る。剣とマナ。精霊はバーサに二物を与えた代わりに倫理観を与えなかったのだ。
「……ん?」
そのとき、バーサは遠巻きに窺う群衆の向こうに鎧が擦れる音を聞き取った。
遅かったな、と女はひとりごちた。ラーケルタ騎士なら斬首ものの遅さだとも。
王都へ続く主要街道の宿場町でこの体たらく。“金枝王”は随分と平和な治世を敷いているらしい。
「御免!! これは一体なんの騒ぎだ!?」
「やぁやぁお役人よく来たね。いま人の食いモンに粗悪品を混ぜた商人にヤキいれてるんでさぁ」
「げえっ、“流星”のバアルサファル!?」
「さんをつけろよぉ、お兄サン」
しゃがれた声に乗って叩きつけられるマナの圧。
運悪く当番であった騎士は鎧の裡に冷や汗をかいた。遺書を書いてこなかったことを後悔していた。
「と、都市内での火付けは重罪だ!! いかな英雄、いかな“殺人許し”とて法は法だ!!」
「……そうかい? ワシはちょいと息を吐いただけなんだがねぇ。それとも、お兄サンはワシが息することに文句をつける気かい?」
バーサから発せられる圧力が増す。
ああ、と騎士は嘆息した。タイミングよく厠に行った後でよかったと安堵した。
己が死を覚悟するほどのマナですら、バーサにとっては垂れ流していたものだったのだ。
達人は戦う前から勝敗がわかると聞くが、なるほど今なら自分も達人になれそうだった。
命知らずめ、と騎士はバーサの隣で蹲る悪徳商人に目を向けた。
恐怖で失禁した男は、それでも縋るように騎士へと喚きたてた。
「う、うまくいくはずだった。竜さえ昏倒する眠り薬だ!! それを腹いっぱい喰らってあくびもしないこの女がおかしいのだ!!」
「言いたいことはそれだけか?」
「ひぃっ!!」
悪徳商人が禁制品の密輸や人身売買に関与しているという“噂”は騎士も聞いたことがあった。
それが噂以上にならぬよう上層部に鼻薬が効かされていることも実感していた。
己が騎士でなければ、諸手を挙げてバーサを讃えていただろう。エールの一杯でも奢ったかもしれない。
ままならぬは宮仕えの身であった。
「ほう、ヤル気だねぇ。気骨は認めてやらんでもないが、ワシは弱い者いじめも大好きだぞ?」
「大人げなさすぎるだろ英雄!?」
「心も体も若いままでいるのが長生きの秘訣さ。さあ喧嘩だ。先に売ったのはそっちさね」
「――ならばその喧嘩、私が売り直そう」
そのとき、群衆の中からひとりの少年が進み出た。
よく鍛えられた体を旅装に包み、腰に剣を佩き、橙色の髪を後ろで括った若武者。
お世辞にも垢ぬけているとは言えないが、溌溂とした気配は夏の太陽を思わせる。
「弱者と嘲ったな、“流星”。であれば、私の代行を認められよ。泉下で己の軽口を悔やむといい」
「……」
じろりとバーサが睨み上げても若武者が退く様子はない。
怯えの気配は、ある。纏うマナが緊張で乱れている。
だが、よく練られている。進み出る前に呼吸法は終えていたようだ。
喧嘩の作法は心得ている。それだけでもノコノコやって来た騎士の何倍もマシだった。
(だが、惜しいねぇ。あと50年もあれば良い勝負ができたろうに……)
若い芽を摘む感触は、寝かしていた秘蔵の酒を乾かしてしまう惜しさに似る。
容赦する気は、もちろんないが。
若武者がゆっくりと近づいてくる。
視線は真っすぐにバーサを捉え、慎重に間合いを図っている。
少年は自らの未熟を理解している。ゆえに警戒も敵意も隠す気はない。
ただ戦い、ただ抗う。その一点に向けて己を研ぎ澄ましていく。
「――我が名は“ジフの勝利”!! この名に懸けて非道は見逃さぬ!!」
「ッ!! 吼えたな小僧ッ!! その名を出して生きて帰れると思うなっ!!」
ジークが剣を抜くのに合わせてバーサも背の大剣を抜く。
巨人のナイフ。魔王の左腕を粉砕した威力は今なお衰えず。
「いざ尋常に――」
「――勝負しようかぁ!!」
瞬間、ふたりは同時に火のマナを吐き出して飛び出した。
姿勢を低く、滑るように駆けるジーク。
対するバーサは炎を噴き上げて宙を舞う。
「な――」
「隙有りぃ!!」
虚を衝かれたジークが僅かに足捌きを乱す。
瞬間、その顔面を丈の短い袍服から飛び出した細い足が蹴り飛ばした。
踵を潰して履いた布靴が破城槌の如き音を立てる。
寸前で防御が間に合った若武者は勢いに逆らわず背後に跳躍、とんぼを切って着地。
即座に追撃してきたバーサと二度三度と切り結ぶ。
火花が散り、宙に無数の剣閃が刻まれる。
強い、とジークは感じた。高所と間合いの優位を取られているから、だけではない。
見た目に反した剛力。一撃で胴体がもぎとられかねない。
大剣は木枝の如く軽やかに振るわれ、長大な斬撃は急所を殺す角度を嗅ぎつけて離れない。
全てが高水準。全てが必中。全てが必殺。
事ここに至ればもはや理由などないに等しい。
これは、ただひたすらに強いのだ。
「“流星”よ、貴様は宙を駆けるのだな!!」
「空も飛べずにどうやって竜と戦うのさぁ!!」
この世で最強の生物は竜だ。竜は空を飛ぶ。
だからバーサも飛ぶのだ、縦横無尽に理不尽に。
「さあさあさあ!! 喧嘩だ喧嘩!! デカイのいくよ。気張れよお坊ちゃん!!」
バーサが吼える。
袍服の背を突き破って炎の翼が産まれる。
羽ばたくたびに放たれる高温の熱波がジークの髪をちりちりと焦がしていく。
その姿はふたつ名の如く。炎の尾を曳いて瞬く間に遥か上空へと昇っていく。
バーサはジーク相手に長期戦を挑む気はなかった。
その愚をよく知っている。
如何に最強たる己とて、この流派を相手に長期戦を仕掛ければ万が一がある。
ゆえに最短最速、最も得意な技で葬ると決めた。
「化け物め……!!」
一方のジークは歯噛みした。
ファイレシア流合戦術奥義“流星”。
本来これは自らを隕石と化して上空から強襲、衝撃波で周囲を一掃する対軍技だ。
飛行ではなく落下。技として重視されているのは威力と間合い。
つまりは高威力、広範囲、そして大雑把。そういう技の筈なのだ。
決して人ひとりを狙い撃てるような対人技ではないのだ。
その根本原則を圧倒的な才能がねじ伏せる。
宙を自在に舞うバーサであれば、技の威力をそのままに、狙った場所へと当てられる。
あるいは、威力を一点へ収束させることもできる。
バアルサファル・ファイレシアというただひとりの天才だけが、この奥義を本来以上の性能で使いこなすことができる。
ジークは今こそ“流星”のふたつ名の意味を理解した。
(跳ぶだけならば私もできる。が、慣れぬ空中戦で“流星”に勝るとは思えない)
無造作に宙を舞う。ただそれだけの動きに、どれだけ高度な技術が用いられているのか想像すら及ばない。
同じ火の祝福の使い手であっても、欠片も再現できる気がしない。
つまりはそれが、厳然たる彼我の実力差であった。
空に描かれる炎の轍がジークに墜ちるまであと僅か。
相対すればわかる。バーサは無頼であれど、その身は紛うことなき戦士。未熟な騎士が相手でも手を抜くことはない。
ゆえに、ジークが採るべき戦術はただひとつ。
腰裏からマインゴーシュを引き抜き、構える。
片足を引き、地面を確と踏みしめる。
狙うべきはただ一点。
恐怖すらも火に焚べて、ジークは“流星”に挑む。
「――来い!!」
刹那、上空から飛来する火の玉の中心で、バーサが童女のように笑うのを見た、気がした。
そして、激突。
ジークの意識はそこで途切れた。
◇
次にジークが目覚めたのはベッドの上であった。
「気が付きましたか?」
ベッドの傍らに直立していたのはバーサに向かって行った騎士だ。
名前を聞いていなかったな、とジークはぼんやりと思った。
「あの後、どうなった?」
「ジファイク様が気を失ったあと、“流星”は去って行きました」
「何か言っていたか?」
「“悪くない腕だ”と。それから“十年経ったらもう一度挑んで来い”と」
「何歳まで生きる気なのだ、あの方は……っと」
上体を起こそうとして傾いだ体を騎士が支え、やんわりとベッドに戻される。
「まだ薬が効いております。しばらくは安静にしてください」
「ああ、すまん」
麻酔を使われたからか、痛みを感じない。
というより、全身の感覚がない。それほどの傷を負っているということだろう。
“流星”を迎え撃つ瞬間、その覚悟は済ませていた。
「私はどこを喪った?」
端的な問いに、騎士から息を呑む気配がした。
同じ騎士の情けだ。その顔を見上げることをジークはしなかった。
「…………左腕の、肘から先を」
「そうか」
しばらくして、騎士が絞り出した言葉をジークはただ受け止めた。
数秒して、脳髄にじわりと理解が広がってくる。
そうか、とジークはもう一度呟いた。
「左腕、左腕か……」
「ジファイク様、申し訳ございません。私が不甲斐ないばかりに……!!」
その場で腹を切らんばかりの勢いで膝をつく騎士を横目に、ジークは苦笑するばかりだった。
十は上の相手にそうして畏まられるのはいまだに慣れなかった。
「私が勝手にやったことだ。気にしないでくれ」
「ですが……!!」
「ああ、うむ。贖いもなしでは気が済まぬか。なら、私がラーケルタ領に戻るまで片腕となってくれ。隻腕になったのは初めてだ。不便もあるかもしれん」
「はっ!! この身に替えても!!」
「ありがとう。それから……少しひとりにしてくれ」
「っ!!」
騎士は何も言わずに部屋を出ていった。
「……うう、ぐうううっ!!」
背後から漏れる嗚咽に振り返ることはなかった。それは騎士の情けだった。
◆
焚火から立ち上る煙が厚く雲の垂れこめた夜空へと昇っていく。
街道を吹き抜ける秋風が砂を巻き上げる。バーサは勢いあまって袍服の背を破ったことをちょっとだけ後悔した。
寒さは感じないが、直に晒した肌に砂粒が当たる不快感はあるのだ。
バーサは息も吐かず体を覆う火のマナの温度を上げる。
さすれば、周囲との気温差で風が自ずと己を避けるようになる。
並の使い手なら脳が焼き切れる繊細な制御だが、バーサに特別な呼吸法は必要ない。
“ちょいと息を吐いただけ”、その言葉に偽りはない。
バーサという規格外はむしろ、呼吸に火のマナを載せないようにするのに日々気を遣っているのだ。
ゆえに、バーサは常に野宿をしている。眠りについたとき、漏れ出す火が他者を焼かないように。
今日とて薬の効き目がもう少し強ければ、被害は悪徳商人の屋敷ひとつでは済まなかっただろう。
彼女が前にベッドで寝たのは10年前。傍らに“剃刀”がいた頃まで遡るのだ。
「――――」
揺らめく火に照らされたバーサの横顔を複雑な感情がよぎる。
(お坊ちゃんはジフの直弟子だろう。爺らしいカタブツの技だった)
(あの偏屈モンがあれほどの使い手を育てるとは。年は食ってみるモンだ。思わず生かして帰しちまった)
(十年に一度、仕上がり具合を試すってのは我ながら悪くない。まさか折れたりはしないだろう)
(ああ、けど、食い足りないな……)
己の飢えを慰めんと、バーサは閉じたまぶたの裏側に対手を思い浮かべる。
ジークの技、構え、呼吸法から逆算した今の“剃刀”の技、構え、呼吸法、その全てを更新する――
「……くくっ」
思わず漏れた笑声に、目の前の焚火が呼応して激しく燃え上がる。
少し気を緩めただけでこれだ。バーサは意識の手綱を引き戻しつつ、口元に自嘲の紅を引いた。
「“声とはすなわち風なれば、呼吸もまた声の一種なり”。貴女を見たら始祖リーゼライトはなんと言うのでしょうね」
声と共に、焚火の生み出した影の向こうから、ゆらりと少女が現れた。
歳は十代半ばか。燃えるような赤毛を高い位置で結い上げた、美しい少女だ。
すらりと伸びた手足はよく鍛えられ、体にぴたりと張り付いた赤い袍服は白蓮華の模様に彩られている。
整った鼻梁に鋭い目元、背に負った長剣。少女はどこかバーサに似ていた。
「リーファンか」
「お久しゅうございます、大叔母様。お元気そうでなによりです」
「世辞はいい。サブいぼが立つさね。要件をお言い」
「本家にお戻りください。兄様……当主がお呼びです」
「お断りだ」
冷たく平坦なリーファンの物言いに、ぞんざいな言葉を返すバーサ。
彼女は己が出自であるファイレシア家を好いていなかった。
王国の武の頂点、七星を謳いながら、彼ら彼女らは一度としてバーサの飢えを満たしたことがなかったのだから――。
「王家からの命です。“剃刀”様にも関係することだとか」
「ほう?」
「私を拷問しても無駄ですよ、大叔母様。兄様からはそれしか聞かされておりません」
圧を増したバーサの威をこともなげに受け流し、リーファンは淡々と述べる。
ちっ、とバーサは思わず舌打ちした。少女の人間味のなさが、今のファイレシアを物語っていた。
よく誤解されるが、バーサは人間が好きだった。どれだけ人外扱いされても彼らを滅ぼさない理由の半分がそれだ。女は人間の感情を愛しているのだ。
まあ、あとの半分は酒と飯なのだが。
「馬はあるんだろうね?」
「……大叔母様の背丈で乗るとなると、仔馬か驢馬になりますよ?」
「アンタの背中に乗ってやろうかい?」
「大叔母様でも乗れて、見た目にも問題ない馬を見繕って参ります」
「頼んだよ」
「かしこまりました」
寒々しいほど恭しく一礼したリーファンが闇に消え……数秒して戻ってきた。
「新しいお召し物です」
「おお、気が利くね。なんだい、やればできるじゃぁないか。見直したよ!!」
「露出は見た目を考えてください。犯罪ですよ」
「一言多いよ!?」




