救世主
「私のニセモノ騙ろうなんざ、いい度胸してんじゃねえか。悪魔風情が」
ティカ―――
霞みかけた視界に光が差した。肩は痛いけど、全身がこの白い救世主の登場に歓喜していた。細い背中は自分だけでなく仲間さえ背負えるほどに逞しいのだ。私達を支えて、叱咤して、喜ばせてくれるこの子が大好きだ。
「待ってなポポ。」
ティカは振り返りもせずに、私に羽織っていた上着をバサリと掛けた。ふわりと花の匂いが鼻を覆う。ティカの匂いだ。ティカの後姿がグニャリと歪んだので、目をゴシゴシ擦った。ここで泣くわけにはいかない。
ティカは既に戦闘態勢に入っているらしく、独特の構えで腰の武器が仕込まれたポーチに手を伸ばしている。
「パウル」
「あ?」
「手伝え」
「当たりめぇよ」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべる二人は、紛れもない『悪党』で私の『家族』。そして、社会にとっての不都合の塊。私もそうだ。
「ブチ殺してやるよ」
本物の悪魔が踊りだす――――
ティカが勢い良く何処からか取り出したナイフを投擲する。それは妖精悪魔の足に突き刺さり、醜い色の肉を引き裂く。べしゃりと緑色の血が噴出した。さっきとは段違いの恐ろしい匂いがする。
続けてパウルが、縄に括りつけていたサーベルを解いて、よろめく妖精悪魔の腹をかっく捌く。ぐりょ、と内臓が飛び出してきて顔を顰めた。
パウルが妖精悪魔を捌く間、ティカはクナイを恐ろしい速さでティカもどき悪魔に投げつけた。甲高い悲鳴が森に木霊する。
しかしそんな事を気にも留めず、ティカは容赦なくサーベルで首を跳ね飛ばした。べちゃりと落ちた生首は、もうとっくに切り離されたというのに、ゲハゲハと荒い息をしている。不意にそれと眼が合った。
「ねえ、ティカ。」
「あ?」
今度は短剣を振り下ろそうとしていたティカに声を掛けた。頬に飛び散った緑色の血を鬱陶しそうに拭いながら、ティカは顔を上げた。私を碧くて冷たい眼で見下ろしながら、ティカは何時も通りの考えの読めない顔で尋ねた。
「それ、私に殺らせて。」
自分でも、なんでそんな事をティカに頼んだのかわからない。ただ、肩の痛みさえ忘れてしまうほど、心の底から冷たいものが湧き上がって来た。
私がそんなこと頼むと思っていなかったのか、パウルが肩眉を跳ね上げてこっちを見ていた。もう既に始末は済んだのか、サーベルを腰のベルトにしまっている。
そりゃあそうだろう。いつも弱虫で、のろまで、臆病な私がこんな事を言い出すんだから。だけどそんな私はもう居ないのだと思える程に冷たかった。私の中で、何かがガラガラと音を立てて崩れ落ちたのだ。私は『海賊』であるということを理解していながら、周りの皆に甘えて、ぬるま湯に漬かっていたのだ。そして結果的にこんな面倒事に巻き込まれている。集団であるが故、こんな仲間は切り離されるべきだったのに、セレスティンの皆は温かく見守ってくれている。だけど、守られるだけじゃなくて、私も誰かを守りたいんだ。変わらなくちゃ、いけないんだ。
ティカは何も言わず、何も訊かずにサーベルを渡してくれた。もしかしたら、何かを察してくれたのかも知れない。私はなんとか体を起こし、それを受け取る。太くて、ずっしりと重いそれは、私なんかよりずっと冷たくて無慈悲だった。ティカはこんな物を使って命を刈り取っているのだ。
ティカの構えを思い出しながら、よろよろとサーベルを構える私の姿は酷く滑稽なことだろう。いいや、どんなに無様でも、私は生き抜いてやる。
「死んじゃえ」
ぐちゃり。ぶよぶよした頭頂部にサーベルを突き立てると、肉の裂ける感覚と共に、緑色の血が迸った。生暖かいソレは、私の手首を伝い、ポタリと地面に染みを作った。
悪魔はビクビク痙攣したあと、ガクリと動かなくなった。また一層、生臭さが増した。
胸が苦しい。戦いの中でも、私はアル姉さんの手伝いをして医務室にいることの方が多かったから、『殺す』のは初めてだった。私はいつも、『生かす』方に回っていたのだ。もしかしたら私は逃げていたのかも知れない。奪うことが怖かったのだろう。だけど今、初めて『私』が略奪者になったのだ―――
「帰るぞ。」
ティカが私の手からサーベルを抜き取り、腰のベルトに収めた。それから私の肩の傷口にハンカチを押し当てて止血してくれた。大分痛いけど、浅いしそんなに出血していないので大丈夫そうだ。それより服が裂けてしまったことのほうが惜しい。気に入っていたのに。
ホルスターに銃を収めて、先導しはじめたパウルの後をティカと一緒に追う。パウルは周りの木々に赤い、造船作業に使う縄を目印にして私を探してくれていたのだ。ティカもそれを目印にやってきたらしい。
「なぁ。」
前を向いたまま、パウルが訊ねてきた。何?と返すと、パウルは小さくため息を吐いて足を止めた。ティカと私も足を止めた。どうした?とでもいうようにティカは首を傾げている。
「なんで、お前はあの時アレを殺した?」
アレ、とは悪魔の事だろう。何でと聞かれても、私だって何であんな事したのかわからない。けれど確かに感じたのだ。体を一瞬、乗っ取られたような感覚に陥り、まるで自分が自分じゃないみたいに勝手に体が動いて、あの悪魔を殺した。
怖かった。ただただ怖かった。
逡巡する私を見かねたのか、パウルはゆっくりと首を振った。
「いいよ、無理して答えなくて。俺も変なこときいたな。すまんかった。」
それからパウルは明るい笑みを浮かべながら今日の晩御飯について話し始めた。「おばちゃんが獅子肉を買ってきたから楽しみだ」とか「船の部品の手入れで褒められた」とか他愛もない話。ティカはまだ回りを警戒しているらしく、口数は少なかった。(もともとそんなに喋らないけど)だけどたまにパウルの会話に辛辣なツッコミを入れたりしていた。
いつも通りに見えるこの空間に、言いようのないぎこちなさが垣間見える。いや、それは恐らく私だけだろう。私だけが言いようのない居心地の悪さを感じていた。
それは私達が船に戻るまでずっと続いていたのだった。




