あの泉は
「ゴホッ、ゲホゲホッ」
どういうわけか、見えない何かに泉に引き込まれた私は、今度はどういうわけか泉から引っ張り上げられた。一体どうなってるんだとも思ったけど、水の中では働かなかった感覚がしっかり機能している。せり上がってきた大量の水を吐き出していく。生理的な涙がこみ上げてくる。鼻の奥がツンと痛むし、服が水を吸って肌にくっつき気持ち悪い。
とりあえず水を吐き出し終わると呼吸を整え辺りを見回す。来た時と何も変わっていない。まるで此処だけ時間が止まってしまったみたいだ。
ポタリと何かが落ちた。屈んで拾い上げてみる。それは手のひらに乗るくらいの小ぶりな宝石だった。
澄みきった海のように蒼いそれは、木漏れ日を反射してキラキラと淡く輝き、自分の存在を主張する。
あまりにも綺麗なその宝石は何か特別な物を秘めているような妖しささえも讃えている。
もっとよく見てみようと、顔がくっつきそうな程に宝石を近づける。
「へっ?」
顔を近づけたとたんに、宝石が自ら発光した。思わず宝石を顔から引き離す。
ポトッと草原に落ちても尚、宝石は輝きを途絶えない。むしろ輝きを増したようにさえ思える。
「もう、一体何?!」
本日何回目かも分からない叫びを誰に向けるわけでもなく口走る。じりじりと近づいてみる。何も起こらない。胸の奥から焦りが湧いてくる。
つんつんと指先でつついてから拾い上げる。するとその宝石はぱちんと二つに分かれた。え、宝石って割れる物だっけ?っていうか、割れたって言うより二つになったっていう方が正しいんじゃないだろうか。
手の中で蒼く、キラキラ輝く宝石をつんともう一度つついた。さほど強くつついた訳ではないけれど、宝石はコロコロ転がってポチャンと泉に落ちた。私は何故か動く事ができず、その光景を見ていた。指先さえピクリとも動かせない状況に困惑しつつも、頭は霞がかったようにボンヤリしている。
ポチャン
涼やかな音が響くと同時にグンと体が軽くなった。
ザアアアアアアア!!
泉の水が、まるで意思を持ったかのように持ち上がって、大きな柱になった。透き通った水は、ザアザアと音を立ててその背丈を伸ばしている。水滴が霧雨のようにサラサラ降ってくる。顔や腕がひんやりして気持ちいい。
やがて泉の水が無くなり、底がチラチラ見えてきた。魚とかはどうしたんだろうと思っていると、水製の柱の中を悠々と泳いでいたので安心した。
「いたっ!」
水飛沫に混じって、何かがコツンコツンと頭に当たった。小石が水に捲かれて飛んで来たのかと思って拾い上げてみると、それはさっき泉に転がり落ちた宝石だった。表面についた水滴を服の裾で拭って日に透かして見る。宝石の蒼い色と空の青い色が混じって溶け合い、何とも言えない微妙な輝きを放っている。
「ポポ!!」
私を呼ぶ声がした―――――――と思った途端にふわりと二人の人が私の横に降り立った。
「ティカ!パウル!」
どうやらパウルの縄を、ターザンロープのように木に引っ掛けて移動してきたらしい。二人とも凄い身体能力だ。
「オイオイ・・・んだよコレは・・・」
パウルが水の柱を見上げて、口を空けながらポカンとしている。そりゃあそうだろう。私にも分からない。ティカも同じく何だコレはと眠そうな眼を何時もより開いている。
「ん?なあオイ、アレ何だよ?!」
パウルがほぼ水の無くなった泉の底を指差した。落ち葉や腐った木の枝が沢山ある。しかしその間から全くこの場に似つかわしく無いものがあるのが眼についた。
「像・・・・?」
ティカが泉を覗き込みながら不思議そうに呟いた。水の柱は、湧いてくる水を上回るスピードで質量を増していく。泉の底に沈んでいたのは、大きな女神の像だった。きっと想像もできないほど長いことこの場所にあったのだろうけど、傷一つついておらず美しい。・・・女神像?
「ああああああああ!!」
思わず大きな声を出してしまった。ティカとパウルがビクッと身を震わせた。女神像、そう、女神像!
「泉に沈んでいる女神像!これって!」
ティカが大きな猫目を更に見開いた。そしてああっと声を上げた。食堂での話を聞いていなかったパウルがえ?え?なんの事だ?と鋭い切れ長の眼をパチパチさせている。そんなパウルにティカが短く説明する。
「この泉の底に沈んでるのは恐らくこの島の『第二の出口』を開ける鍵になるんだ。兄様と私は、何処か別の場所に出られるんじゃないかと思ってる。」
「この・・・女神の像が・・・」
パウルはじっと女神像を見つめている。不思議で仕方無いのだろう。私も不思議だと思う。もしかしたら、私をこの場所に導いたのはこの女神像なのかも知れない。
「なあ、女神像の眼に石を填めなきゃいけないだろう?石はあるか?」
ティカがきょろきょろ辺りを見渡す。・・・・石?!
「ねえ!ティカ、これ!」
握り締めたまま忘れていた宝石をティカとパウルに見せる。キラキラしたその宝石は、覗き込む二人の顔を映している。
「填めて・・・みるか?」
「そうだな!」
「うん!」
全員合意のもと、パウルの縄を使って、ティカがするすると泉の底に降りる。濡れてグチャグチャした足場に一瞬足元を取られかけたが、持ち前の運動神経であっさりと体制を立て直した。女神像はティカより少し大きいくらいで、ティカが台座のところに手を掛けて持ち上げられないか試している。しかし流石にティカでも持ち上げられなかったらしい。カイが居れば何とかなったんだろうが、どうしようもない。
「しゃーねえ。ポポ、石貸してくれ。」
作戦変更。その場で女神像に石を填める事になった。ティカに石を渡す。ティカはしっかりと握り締めて、女神像に向き直った。
顔にそっと手を掛け、左目にカチリと石を填めた。ぴったりと、あるべき場所に戻ったようだった。心なしか、私たちが持っていたときとは違う輝きが灯った気がしたけれど、眼を擦ると消えていた。次にティカが左目を填めた―――――
「ウアッ?!」
突然物凄い勢いで水の柱が解けた。ティカの姿が水に呑まれ、一瞬見えなくなったけれどパウルが渾身の力を込めて命綱を引っ張ったお陰で激流に攫われる前にティカは草地に降り立った。ビショビショになったティカの姿・・・レアだ。なんて呑気に考えていた私は一気に後悔することになる。
「っぎゃぁあああああああ!!」
水製の手が現れて私たちを突き落とした。
「何すんだこのクソぉぉおおおおおお!」
ティカの恐ろしい声が聞こえてきた。いや、それどころじゃない。ズブズブ体が沈んでいく―――と思ったら、
「今度は何だよこんチクショウッ!」
謎の発光体が私達を包んで引っ張り上げた。首がもげて落ちるのではないかと思う衝撃。ドスンと音を立てて草地に落下する。一瞬息が止まった。
「ってえ・・・」
肩を強打したらしいティカがビショビショになった体を引きずりながら起き上がった。パウルは既に起き上がって縄を巻き取っている。一体どんな頑丈な体をしてるんだ・・・ていうかティカも痛いとか言いながらフツーに立ち上がってる・・・けど問題はそこじゃない。
「なななななにあれ?!」
本日何回目かも分からない叫び声を上げる。私が見たもの―――――謎の発光体。
「どわあああああ!!」
パウルがカッと眼を見開き、縄の武器を構える。ティカもクナイを構え、何時でも戦える状態にしている。私もたいして戦力にはならないけれど銃を構える。キルアに特訓してもらったお陰で大分様になってきた。ティカがジリジリと距離を詰めて攻撃の隙を伺っている。
<そんなに威嚇しないでください>
突如聞こえたソプラノの声に、3人揃って慄く。どう考えても今、この発光体から声が聞こえたよね?
「警戒するなという方が無理な話だろう」
ティカがクナイを握り直す。発光体はふるりと震えたかと思うと徐々に形を変え始めた。口から自然と驚きの声が漏れる。パウルも同じらしく、小さく口を開けている。ティカだけが発光体を睨めつけるように見続けている。ティカのメンタルはどんな鉄より固いと思う。
しかし流石にソレには驚いたらしい。ソレは―――――
「よよよよよよ妖精?!」
叫びながら銃を落としそうになる。空中にフワフワ浮いているのは古い幻獣図鑑なんかで目にする『妖精』。滅多に人前に姿を現さないため、なかなかのレアものらしい。人間の子供をそのまま縮めて私の掌くらいの大きさにしたくらいしかない身の丈でくるくると大きな眼を動かす姿は物凄く可愛い。背中でふるふると震えるはねはシャボン玉みたいに色を変えている。
「アンタ・・・妖精か?」
ティカがクナイを下ろしてじっと妖精を観察し始めた。
「はい、人間は私たちのことをそう呼びます。」
ふーんとティカがさして興味がなさそうな声で返事をする。いいのかティカ・・・一生に一回あるかないかの貴重な体験なのにふーんで終わらせて・・・
「で?その妖精が私に何の用だ?」
ええ?!この状況で何故か上から目線?!しかもメッチャだるそう?!
「てゆーかあんたらあの宝石と女神像守るためにここにいんのにこんな悪霊みたいな海賊にあんな神々しいモン触らせていいのかよ。」
う、うーん確かにそうだ。女神像なんか特に血で穢れた海賊に触らせちゃいけないと思う。
「あと・・・ポポを此処に連れて来たの、あんただろ?」
え?思わずポカンとしてティカと妖精を交互に見る。いまいち状況が掴めない。パウルに至ってはそこらへんにいた鳥と戯れ始めている。
「なんだ?気付いてなかったのか?私とパウルが此処に来たときからずっと視線を感じてた」
パウルが自分の名前を名前を呼ばれて一瞬ピクリとしたけれど、すぐにもう一度鳥の方に集中し始めた。何故か鳥の羽を繕っている。
「流石。気付いていたのですね。」
「なんでポポを攫うような真似を?」
ティカが相変わらずのやる気の無いだるそうな声で訊ねる。しかしその声とは裏腹に酷く憤慨しているのが分かる。
「それは・・・・彼方たちが私に着いて来てくれたら教えます。」
妖精は一瞬逡巡したものの、真っ直ぐティカを見据えて言った。
「オイオイ勘弁してくれよ知らない人には着いて言っちゃいけないって兄様に言われてんだけどォ」
ティカがおどけたように言う。ティカのこういうところは道化師のように見える。本心を隠すような、そんな謎めいた感じ。
「着いてこないなら、逃がしませんよ?」
その言葉と同時に、泉に戻っていた水がうねり始める。ティカが盛大に舌打ちしてあーあーもう、とだるそうに頭をボリボリ掻いた。
「わぁったよ着いてきゃいーんだろ」
心底めんどくさそうに「行くぞ、アンタ等」とぶっきらぼうな声が聞こえたのでティカに近づく。パウルも鳥と名残惜しそうに分かれて歩み寄ってきた。
「それでは行きましょうか。」
いつの間にか泉の水のうねりは消えていて、代わりに水製の狼が現れていた。透明なのに姿はしっかり見えるから不思議だ。
アオォ――――ン
その狼が大きく遠吠えすると同時に、視界は寒気がするほど澄み切った水に覆われた。それから体を投げられたような浮遊感と同時に周りが見えなくなった。水が私達を包むように渦巻いている。パウルが叫びながら水の壁を殴っている。というかどうして水の上なのに立っていられるのだろう。そんな疑問も虚しく、渦に巻かれて消えていった。
ね?あなたの仲間が助けてくれたでしょう?




