あの日、泣いた日、あなたの日
2章からはそれぞれの登場人物の視点から書いていきたいと思います。
ラウさんの気迫に気圧されながらも、私達は5番隊の訓練生の元に辿り着いた。初めは突然現れた1番隊の私達を訝しげに見ていたけれど、ラウさんがシルタ教官の話を切り出すと、様子が一変した。
「シルタ教官について、詳しく教えてくれないかしら。」
「頼む!命が懸かってるかもしれねえんだ!」
リフェとリンヤがそう言っても、訓練生の子達は顔色を無くして足早に去っていった。ラウさんが盛大に眉間に皺を寄せている。怖い。この様子だと、もし暴力が無かったとしても、何かありそうだ。訓練生たちの虚ろな目を見てそう思った。
「あの・・・・あなた達」
後ろから突然声をかけられて、思わずびくりと身を震わせた。さっと振り返ると、そこには薄い茶色の眼をした、私より少し年上らしき女の人が立っていた。眼と同じ淡い茶色の髪が、サラサラと吹き込んできた風に揺れる。白いブラウスと深いグリーンのロングスカートも一緒にふわふわと風に煽られている。何処と無く儚げな印象の人だった。
「あの・・・」
「あっ!はい、なんでしょう!」
いけないいけない。ボーっとしていた。その人は、数回瞬きを繰り返すと口を開いた。
「あなた達・・・シルタ教官の事を知りたいのね?」
「はい。実は・・・」
ロイ君が行方不明になった事と、シルタ教官が関係しているかもしれない事を、手短に説明すれば、その人の表情はとても険しくなった。どうしたんだろう。急に。
「貴女・・・お名前は?」
「あっ・・・ポポです。ポポ・チャグム。」
「ポポね。私はウィラ・シドリー。ウィルの姉よ」
ウィル?ウィルってあの、リフェが言っていた、自殺をしたと言う?これはとりあえず皆をよんだ方がよさそうだと思って、断られてもめげずに訓練生を追いかけていた3人を呼んだ。
とりあえず、と言う事で、ウィラさんの部屋に上がらせてもらった私達は、椅子に座ってウィラさんと対面していた。なんともいえない緊張感を感じる。
「私の弟、ウィルは内向的で、あまりおしゃべりでは無かったけれど、いつも訓練だけはちゃんとして、一人前の海賊になると言っていました。」
ウィラさんは、窓の外を見ながら、昔話でもするように淡々と話し出した。ラウさんや、リフェ、リンヤまでもがじっと話に聞き入っている。
ある日ウィルは訓練のときに、シルタ教官と剣の手合わせをしていた。その時反応が遅れたため、足を捻ってしまった。その時シルタは痛みに顔を顰めたウィルの足を、思い切りふみつけた。バキリと嫌な音を立てた足。痛みに悲鳴を上げるウィルをみて、止めさせようとした他の訓練生さえも殴りとばして、残酷にもシルタは言い放った。
「雑魚にようはねェ。まあ、これ以上何もされたく無かったら黙ってるんだな。」と。そしてウィルに船内ランニング50周をいいわたし、自室にもどった。ランニングをしないと、今度こそ、自分だけでなく仲間まで何をされるか分からない、と思ったウィルは、痛む足を引きずりながら、船内を走った。
走り終わって、クタクタになりながら訓練生室に帰り、足を冷やしたものの、腫れは引かない。仕方なく、包帯でガッチリと足を固定し、次の日も、その次の日も、ウィルは訓練を受け続けた。他の訓練生達も、誰かに言おうと試みたのだが、次の日には絶望したかのような顔で、傷だらけで訓練を受けに来るため、もう誰も、何も言わなくなっていった。
そして、その様子を見たウィラは驚愕した。5番隊の訓練生たちは、まるで死人のような顔で訓練を受けていたのだから。生気の無い、絶望したかのような眼は、ただシルタ教官を映し、命令に忠実に従っていた。まるで自分の意思を持たない操り人形のように。
そしてその日の夜、ウィラはウィルを問い詰めた。あの様子はなんだ、と。ウィルは力無く笑いながらこう言った。
「大丈夫だよ。姉ちゃん。」
そう言ったウィルをどうにか説得し、シルタ教官の事を聞きだした。色白のウィルの腕は、痣で紫になったり、青くなったりしていた。ウィラは自分を責めた。こんなに近くにいたのに気付いてあげられなかった自分はなんて馬鹿なんだと。そして同時にシルタへの怒りが沸いてきた。弟をこんな状態にしておいて、怒りを堪えようとするほうが無理だ。ウィラがドアを開けて外に出ようとした時―――――
「お出かけかな?シドリーきょうだい」
廊下に低い声が響き、ウィラの足が止まった。ウィルが恐怖のため、眼を見開きながらガタガタと体を震わせ始めた。ウィラの手も震えていた。しかしそれは『怒り』によってだが。
「あら、ごきげんよう。シルタ教官。ちょうど伺おうと思っていたんですよ。出て行く手間が省けましたわ。」
ウィラは怒りが最高潮に達し、恐ろしく冷静になっていた。ウィルはウィラのスカートの裾を掴んで、ガタガタと震えたままだ。
「そうか。しかし俺はこれから用があるのでな。失礼する。」
ウィラは、シルタが去り際、威嚇するように眼を細めたのを見逃さなかったが、何も言わずに部屋に戻った。そして未だに震えているウィルの肩を撫でながら、簡易な救急箱から包帯や乾燥させた薬草の薬を準備し、ようやく落ち着いたウィルの腕や膝の傷口に塗ってやる。薬草のつんとしたにおいが狭い部屋一杯に広がった。痛みのため、一瞬体に力が入ったが、薬のにおいを嗅ぐうちに少しだけ力が抜けていった。
「姉ちゃん」
「ん?」
ウィラはふと呼びかけられて、薬を塗る手を止め、視線をウィルに向けた。ウィルは、少し安心したような、悲しそうな、どうともいえない表情をしていた。
「ありがとう。」
その礼の言葉が治療に対する感謝の言葉か、怒りに駆られてシルタに話しかけたことに対する礼なのかは分からなかったが、ウィラにはどうでも良かった。
薬を塗り終わり、包帯をグルグル巻いてからウィルを立たせる。
「大丈夫。大丈夫だから。」
そう言って、自分よりいくらか小さい頭を撫でてやるとくすぐったそうに身を縮めるウィル。ウィラと同じ、淡い茶色の髪がフワフワと揺れた。
「そろそろ部屋に帰るよ。皆が心配しちゃう。」
「でも・・・」
胸を揺さぶる嫌な予感に気付き、ウィラは狼狽した。
「姉ちゃん・・・僕は――――僕は大丈夫だから。」
そう言って真っ直ぐな瞳でじっとウィラを見つめるウィルの眼は、寒気さえ覚えるほど清らかだった。
「そうね。気を付けて。」
―――――――――――私は、この時、無理を言ってでも止めなかった事を後悔している。
ウィラはどうしても眠る事ができず、こっそりと甲板に出てきていた。本当は、消灯後に許可無く甲板に出るのは禁じられているが、なぜかウィラの足は甲板に向かっていた。まるで、何かに導かれるかのように。
少し冷たい風が、腰くらいまである、ウィラの髪を弄んだ。何かが私を呼んでいる。そう思えてならなかった。月は分厚い雲に覆われて見えないが、それでもぼんやりと明るい。見える物すべてが淡い光に照らされ、浮き上がって見える。
何故かウィラの足は船首の方へと向かって行く。この先に行かなければならないと漠然とした使命感を覚えた。
カチャリ。
そんな音が聞こえてふと足を止めた。この音、聞いた事がある。この音は―――――――
―――――――銃に弾をこめる音だ。
その答えを、脳が弾き出す前に、ウィラは動き出していた。
月を覆っていた雲が、リボンを解くようにするりと流れた。その瞬間、ウィラはピタリと足を止めた。ゆっくりと、月光が甲板を包む。その光景は、酷く幻想的で美しい物だった。しかし、そんなものはどうでも良かった。なぜなら、月光を浴びて立っているのが、―――――――ウィルだったから。
そして、つい2時間程前に治療してやった細くて小さい手には酷く不釣合いな銃が握られていた。その銃を見つめるウィルの眼は、礼を言った時と、何ら変わりなく、澄み切っていて純粋だったが、まるで何かを決心したように強そうでもあった。
「ウィル!」
静まり返った甲板には、ウィラ自身が驚くほど声が響いた。まるでこの世界にウィルと自分しかいないような錯覚に囚われていた。波の音と、船の微かな揺れすら感じないほどに。
「ねえ・・・何してるの?部屋に戻りましょう。」
「姉さんだって部屋から出てきたくせに。」
少しだけ可笑しそうに表情を緩ませたウィルを見て、何故かウィラは悪寒を感じた。何時もと同じ笑いのはずなのに、まるで違う誰かが自分を嘲笑っているようにさえ思えた。
「ね・・・ねえ、どうして銃なんて持ってるの?」
その問いにまた少しだけ、ウィルは笑った。あの、悪寒を誘う笑みを浮かべている。ざざん、波の音が大きくなった気がする。
「どうしようとしているかなんて知ってるでしょ?」
その言葉に、ウィラの体はびくりと震えた。手足に力が入らなくなり、今にも嘔吐しそうなほどに胸が気持ち悪い。まるで胸の中で何かがバタバタと暴れ回っているようだ。
ウィルの顔が、少しだけ悲しそうに歪んだ。今にも泣きそうなのに、今にも大声を上げて笑い出そうとしているようで、やはりゾッとする。
「ねえ・・・分からないわ。帰りましょう。」
何をしようとしているの、とは聞いていけない気がした。聞いてしまえば、何かが砕け散ってしまう気がした。しかし、ウィルはゆるゆると首を横に振った。あの、今にも泣きそうで、笑いそうな顔で。
そして持っていた銃を頭に当てた。
「ウィル」
ウィラは驚いていた。自分が、心の中の何処かでウィルのしようとしていることを理解していた事に、焦りとは裏腹に、恐ろしく冷静な声に。
「駄目じゃんか。姉ちゃん。姉ちゃんが来ちゃったから決心したのに・・・悲しくなっちゃった。」
ウィルの眼からぽろぽろと涙が溢れ出した。それはセレスティン海賊団が己の手を汚して略奪し、奪ってきたどんな宝石より美しかった。その涙が磨かれた床に染みを作って消えていった。ウィルの命もこうして消えてしまうのだろうか。今まで海賊として、沢山の人間の命を奪ってきた。死んだ人の中には、ウィラと同じように弟がいた人もいただろう。
靴の固い音が響いた。
一歩踏み出す。足は小刻みに震え、泥の中でも歩いているかのように重たい。
「それ以上こないで。」
泣きながら笑っているウィルの手の中の銃が更に頭に押し付けられた。まるで夢でも見ているかのようだった。
「止めて・・・ウィル」
カツリ
もう一歩踏み出した。
「姉ちゃん」
「なあに?」
波の音にかき消されそうなほどに震える声が、ウィラの鼓膜を揺さぶる。
「覚悟して、此処まで来たのに・・・・ちょっとだけ・・・・怖いや」
「ウィル・・・ウィル!」
「情けないなあ・・・」
また、ポタリ、と床に染みが増えた。
「ウィル!!」
最後まで言い終わらないうちに、バン、と乾いた音が辺りを駆け抜けた。それと同時に、ガクリとウィルの体から力が抜け、床に無抵抗に倒れた。小さな頭に穴が空いて、そこからドクドクと命の燃料が溢れ出す。
「ウィル・・・・!ウィルったら!返事をして・・・」
柱の下で赤い花びらを撒き散らしながら眠ったウィルの肩を揺さぶる。まだ暖かさを持った傷だらけの体はゆらゆらと揺れるだけで何も返さない。銃声に気付いた船番がどうしたんだと駆け寄ってくるが、構わずその体を抱えて泣き続ける。
ウィルの顔は驚くほど安らかな笑みを浮かべ、まるで幸せな夢でも見ながら眠っているようだった。
月の光が残酷なほど優しくて清らかに、ウィルを、赤い血を照らしていた。




