足して一になるクリスマス
『彼における平和、そして足して一になる数字』のクリスマス特番です。タイラや都が出てきます。メリークリスマスです!(遅)
缶コーヒーをカウンターに置いて、タイラはぼんやりと据え置きのテレビを見る。世間はどうやらクリスマスとかいうイベントに浮かされて、だれもかれもが幸福らしい。
「あんたねえ」と不意に声がして、タイラは意識をその場に戻した。
「ここどこだと思ってんのよ。うちのバーは持ち込み禁止なんだけど」
「缶コーヒーくらい大目に見てよ、ここでコーヒー頼んだらこれの倍はするじゃん」
「缶コーヒーくらい外で飲んだら?」
冷たいねえ、とため息まじりにタイラは呟く。カツトシは肩をすくめて、テレビのチャンネルを変えた。「もうすぐクリスマスよ」と特別な意味もなく言葉をもらすと、傍らで昼食をとっていたユウキが反応を示す。
「クリスマスですか!?」
「どうしたユウキ、お前くらいの歳だとそんなにアグレッシブなイベントなのか?」
「サンタさんが来ます!」
そうか、と納得した風にタイラとカツトシはうなづいた。『サンタさん』とはなじみ深い名だ。何を隠そう、彼らもサンタクロースの名を毎年騙るのだから。
「サンタさんってだれ?」と一緒にオムライスを食べていた実結が興味深そうに尋ねる。「すごいんですよ、サンタさんは」とまるで自分のことのようにユウキは胸を張った。
「クリスマスに、プレゼントをくれるんです。世界中のいい子たちにですよ」
「世界中の?」
「はい! いい子にしている子にごほうびです」
そっかあ、と言いながらどこか落ち込んだ風に実結はオムライスを頬張る。幼い少女なりに何かを考えていたのだろう、やがて実結は口を開いた。
「ミユはいい子じゃないから、いままできてくれたことない」
それは己の過去を嘆いているというより、『だからユウキの嬉しさを共有し合えない』ことを申し訳なく思っているような響きだった。慌てたユウキが、「大丈夫ですよ!」と力強く言う。
「今まではジュウショフテイだったからサンタさんがわからなかっただけです! 今年はちゃんと来てくれます!」
ほんとう? と実結が少し目を輝かせてユウキを見た。不確かな期待に身を委ねてしまっていいものかと迷っているようでもあった。「本当よ」と答えたのはカツトシだ。カウンターに肘をつき、「まあ楽しみにしていることね」と片眼をつむる。
「こりゃあ今すぐにサンタさんを手配しないといけないね、センセ」
タイラが悪戯っぽくささやくと、隣に座っていた都は神妙にうなづいた。「そうね、でも」と不安げに首をかしげる。
「サンタさんって、どうやったら来てくれるのかしら。やっぱりお金なの?」
タイラとカツトシはその場で固まって、思わず「え?」と聞き返した。ふてくされたように都は目をそらす。
「だって一度も来たことはないわ。子どものころは、私だっていい子だったのに」
うろたえつつも、タイラは小さくうなづいた。「それじゃあ来ないかもしれないね、どうだろうね」と早口でごまかす。そうよね、と不安そうに都は顔を伏せた。
「実結があんなに楽しみにしているのに。サンタさんはあの子を見つけてくれるかしら。できるならお願いしに行きたいわ……どうしたの、タイラ。苦しいの?」
突然に顔を両手で覆ってうずくまったタイラに、都は心配そうな顔をする。「悶絶してんのよ」とカツトシが笑いながら言った。「あんまり可愛いものを見たから」と。きょとんとした都は、とりあえずタイラの背中をさする。
「わかったわかった」とタイラは苦しそうに顔を上げた。
「サンタさんには俺から話をつけておくから、できるだけいい子にしておきなさい」
「本当?」
「まあ、やれるだけやってみるよ」
「だって、今も住所不定と同じなのに」
一瞬の沈黙をはさみ、タイラとカツトシはそっと目をそらした。
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イルミネーションに白い雪が映える街の中、ユメノは不満そうに事の顛末を聞いていた。カツトシが話し終えたとき、ようやく「話はわかったけど」と口を開く。
「もちろんユウキにもミユちゃんにも、せんせーにもサンタさん来ていいと思うし賛成だけどさ」
「ということは全てにおいて賛成だろ」
「いやひとつ解せないことがあるわ」
ジャケットのポケットに手を突っ込みながら、ユメノはタイラを睨む。
「なんであたしもこっち側なん。あたし18よ、まだサンタさん来るっしょ」
なぜか心底驚いたような顔で、タイラとカツトシ、ついでに一緒に呼び出されていたノゾムまで「サンタさんが!?」と叫んだ。
「何その反応。来ねーのかよ」
「来ねーよ」
「くそタイラまじ許さねえ」
あっさり拒否されたユメノは、腹立ちまぎれにノゾムの足を蹴りながら腕を組む。「それならユメノ、」とタイラが慎重に切り出した。
「お前、起きたら枕元にプレゼントが置いてあったとして、どう思う」
「タイラかアイちゃんか、って思う」
「だろう? サンタさんだと思うか?」
「サンタさん? ちょっとその発想はなかったわ」
「……お前は最高にクールな女の子だが、そういうことだ」
じゃあプレゼントだけくれよ、と言いながらユメノは歩き始めた。どうやら納得はしたらしい。
ここぞとばかりに手を挙げたノゾムを無視して、タイラとカツトシも歩いていく。「いやいやいやいや」と笑いながらノゾムが追いかけてきた。
「自分も一応未成年なんでサンタさんが来てもいいんじゃないかな的な。超信じてますし。サンタさんめっちゃ信じてますし」
「本当に信じている者は気安く『信じている』とぬかさないものよ」
「まじっすまじっす。サンタクロースまじリスペクト」
「うるせえな、それじゃあ尚更お前がサンタさんになるんだよ」
タイラに頭をわしづかみにされ、ノゾムは引きずられていく。遠くでユメノが、「何買うのか決めてんの?」と寒そうに身を縮こませながら言っていた。
「お菓子でいいんじゃないすか?」とノゾムは興味なさそうに呟く。
「馬鹿ね、クッキーなら僕の手作りがあるわよ。その他に何か買おうって話でしょ」
へえ、とタイラが目を丸くした。全員が初耳の話であったらしい。しかし、その程度の理不尽は流してしかるべきだ。不当に馬鹿呼ばわりされたノゾムも、特段気にもせず考え事をする顔になった。
「やっぱりおもちゃっすか?」
「おもちゃとかわかんないんですけど。服とかにしよう」
「サイズがわからん」
「全部Mサイズにしましょうよ」
馬鹿野郎、とタイラが拳を握って熱く諭す。「都先生のあの胸囲がMでおさまると思ってるのか」などとのたまった。「黙ってろヤク中」とユメノが冷たく言い放つ。カツトシも「変態は聖夜を目前に息絶えな」と言い捨て、ノゾムまで「どう好意的にとってもドン引き」と続いた。
『何が悪いのかわからない』という顔で、それでもタイラは一歩引く。罵倒されるのはさすがに趣味ではなかった。
寒空の下ああではないこうではないと話し合っている仲間たちを見て、『どこか店に入って考えればいいのに』と思いながらタイラは首をすぼめて上着に顔をうずめる。
「ねえみなさん」
もごもごと話しかければ、カツトシが振り向いた。
「何よ」
「寒くないか。せっかくちょっと歩けば百貨店なんだ。モノを見て決めようぜ」
一理ある、と答えたのはユメノだ。頬と鼻の頭を真っ赤にして、何度かうなづきながらだ。「ユメノちゃんが言うなら」とカツトシも同意する。「自分は何でも」とノゾムは肩をすくめた。
ジングルベルが流れる道を、三歩行けばラストクリスマスが聞こえてくる。統一感のまるでない街並みだが、それでもクリスマスという一つの色に染め上げられている姿は壮観でもあった。「あーあ」とユメノは伸びをして呟く。
「今年こそ彼ぴっぴとクリスマスだと思ってたのに」
「男三人もはべらせておいて、何を言っているんだか」
「え、嘘。タイラとかノゾムって男だったの? 『バカ』っていう一つの性別じゃなかったの?」
はいはい、とノゾムがにやにや笑う。「そうなると何でもありだな」と真面目な顔でタイラは言った。
「僕は?」
「アイちゃんは可愛い。可愛いは正義」
「やったわ」
小さくガッツポーズをするカツトシを見ながら、タイラとノゾムは目を見合わせる。「かわいいの定義をはっきりしてほしいっす」「異国オネェ様だって俺と同じおっさんだぜ」と小声でやり取りしながらも、どんどん先へ行くユメノたちの後についていった。
クリスマスイブだからか、夜でも百貨店はそれなりに混んでいた。統一されている代わりに、頭が痛くなるほどBGMはヘビーローテーションだ。時折購買欲を煽るようなアナウンスが響くが、それに耳を傾けている客がどれだけいるのかは疑問である。
辟易とした表情で、ノゾムが「先輩」とタイラに呼びかけた。
「何が欲しいかとか、軽く調査したりしてるんすか?」
「別にしてない。だけどユウキがサンタさんに書いた手紙なら見た」
なんて? と興味津々にユメノが尋ねる。「何とも言えねえ。『ヒーロー』って書いてあったな。俺たちに用意できるかな」と独り言のようにタイラは答えた。
「はあ、また我が家の小学生男児くんはヒーローをご所望? ダメだなあいつは。男には自分がヒーローになる気概くらいないとね」
「みんながユメノちゃんみたいに男前なわけじゃねーんすよ」
そうだぞユメノ、と神妙な顔でタイラもうなづく。「あんまりユウキをいじめるな。あいつはまだまだこれからだ」なんて曖昧なフォローを軽やかに入れて、「なあカツトシ」と無責任にも話を振った。「そうね」とカツトシは自然に言う。「ユメノちゃんは男前よね」と聞いていたのかいなかったのか微妙な発言でその場をかわした。
「うーん、こういうのってあんまり狙わずに、使いそうなもの買ったほうがいいんすかね」
勝手に話を戻して、ノゾムは顎に手をあてる。「生活用品とか」と提案すると、タイラが「いいんじゃないの」と賛成した。
ショウウィンドウを眺めながら、ユメノは不服そうな顔をする。
「でもさあ、先生もミユちゃんも、生活用品なら持ってるし買うじゃん」
「いらないもんよりはいいだろ」
「そうかなあ」
ここぞとばかりに少女らしい顔をして、ユメノは首をかしげた。
「必要なものなら普通に『買って』って言えるだろうし、自分でも買うじゃん。それってプレゼントと違くね? 生活に必要なくて意味がないものほど、『買って』なんて言えないし、あの二人は自分でも買わないじゃん。欲しくても買わないじゃん。そういうものの方がもしかしたら今は必要かもしれないよ。プレゼントってそういうものじゃない?」
ほお、とタイラが目を細めてうなづく。「一理あるっすね」とノゾムも同意した。「抱かれたい」とカツトシは真顔で言う。ユメノが「アイちゃんならいいよ」と腕を広げ、ここに聖夜の愛は完成した。
その姿から目をそらし、「早く選んで帰らないとな」とタイラは独り言をこぼす。「枕元にプレゼントを置くまでがサンタさんなんだから」と楽しそうに笑いながら。
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彼らの住処に煙突はない。ドアを開けての正面突破がベターな方法だ。少なくともユウキの部屋にはこの方法で、気づかれたことがない。鍵もかかっていない部屋に、ノゾムとユメノは入っていく。ユウキが起きても多少はごまかせるように、一応はサンタクロースの格好である。
「失礼しゃーっす」
「いやお前ふざけんなよマジで」
しー、とユメノに怖い顔で言われ、ノゾムは「なるほど」と何度かうなづいた。
足音を殺して奥へ進むと、部屋の真ん中にぽつんと小さな家のようなものが置いてある。それを見たノゾムは「犬小屋」と思い、ユメノは「小人の家」と心の中で評した。
その小屋から足がはみ出ているのを見るに、その中でユウキが眠っているのは間違いない。「相変わらず空間の無駄遣いしてるっすね」とノゾムが呟いた。ユメノはため息まじりに微笑む。「あったかそうでいいじゃん」
小屋を覗くと、布団やらユウキの体やらがぎゅうぎゅうに詰まっていて何かを置くスペースなどはなさそうだった。ユメノとノゾムは目を見合わせ、仕方なく小屋の隣にプレゼントを置く。ユウキの寝顔を見て、二人はにやっと笑った。
「ユウキぃ、お前のプレゼント高かったんだからなぁ。ちゃーんと喜んでよね~」
「いい夢見るっすよ。メリークリスマスっすユウキ」
ひと仕事終えた解放感から、伸びをしながら二人は部屋を出る。扉を閉めると、同じようにサンタクロース姿のタイラとカツトシが出迎えた。「首尾は?」とタイラが尋ねる。ノゾムとユメノはピースサインをしながら答えた。「上々」
「そっちは?」
「まだなんだよ。せんせーったら部屋に鍵かけちゃってさ。丈夫な針金探してたんだ」
「出たー、タイラの謎の犯罪者スキル」
イエーイ、とタイラはダブルピースをして見せる。「これが終わったら通報しておくから安心してねユメノちゃん」とカツトシが力強くフォローを入れた。
「じゃあ行ってくるから。お前ら待ってろよ」
「おやすみタイラ」
「先輩、いい夢を」
「あれー。みんな寝ちゃうんだー」
戸惑いながらもタイラは「おやすみ」と返す。「グッドラック」と言いながらユメノが自分の部屋に入っていった。ノゾムも同様に「襲っちゃだめですよ」としたり顔で部屋に戻っていく。
残されたタイラが、カツトシを見た。カツトシは肩をすくめて、「僕はまだ寝ないわよ」と笑う。「野郎と二人で残されてもな」なんて言葉とは裏腹に嬉しそうな顔で、タイラは都親子の部屋へ向かった。
二分ほどかけてピッキングし、タイラは優雅に侵入する。どう見てもサンタクロースの格好をした変質者だ。怪しさ満点のサンタクロースは、後ろ手で鍵を閉めて奥へ入っていく。
小さなホテルだったころの面影を残した、古めかしいベッドが見える。その上ですやすや眠っている都たちを見れば、自然にタイラの口元は緩んだ。今はよく眠っているようだが、人の気配に目を覚まさないとも限らない。タイラは大きな袋に手を突っ込んで、プレゼントを取り出す。
カラフルな紙袋を彼女たちの枕元に置いたとき、冷たい風がタイラの背後にふいた。驚いて振り向くと、窓が半分ほど空いている。「不用心だ」「寒いだろう」「逃走手段ができた」などの様々な思いが駆け巡り、タイラはゆっくりと窓辺に近づいた。
思いのほか月の光が明るく、タイラは目を伏せる。不意に、喉の渇きを覚えた。否、気づいたというべきか。指先はかじかむほど冷たいのに、頭の芯はひどく熱い。薬切れの兆候だった。
「あー、間の悪いことで」
途方に暮れて外を見る。ちらちらと雪は見えるのに、確かに月は明るい。何か幻を見ているような気持ちになって、頭痛が増した。
窓から身を乗り出して地面を見下ろす。目に映るものは全て乱れていて、いくつもの地面が遠くに見えたり近くに見えたりした。「リアル遠近法」とタイラは冷静に思う。距離感がつかめない。ここから飛び降りるのは得策ではなさそうだ。
ふと、ここは都の部屋だということを思い出した。どこかに薬があってもおかしくはない。後ろめたさはあるが、迷いはなかった。ベッドの横の棚を開けて、薬を探す。さすがにそんな簡単な場所にはないだろうと思ってはいたが、もともと収納場所のほとんどない部屋だ。三段目の小物入れを開ければ、ごっそりと真空パックに入った注射器を発見する。「いくつか持っていっちゃおうかな」なんて思っていると、背後で何かが動く気配がした。
「だれ?」
都の声だった。振り向かないまま動きを止めて、タイラは苦笑する。さすがに寝ている横で家探しすれば、起こしてしまうのは当たり前だ。
しばらくの沈黙の後、都は眠そうに「サンタさん?」と尋ねてきた。まさか、とタイラは驚く。まさか本当に信じているのか、と。半信半疑ながらも「そうだよ」と裏声で答えておいた。
「実結にプレゼントを?」
「え、うん、まあね」
これからどうしようか、とタイラが内心焦っていると、後ろで都が動いた。本格的にどうしよう、と思う。人生最大のピンチのように思えた。いっそ今すぐ窓から飛び降りようかと思ったほどだ。
背中を向けたまま待っていると、都はベッドから身を乗り出してタイラを抱きしめた。もちろん彼女にとってはサンタクロースなのだが。
「ありがとう」
そんな都の言葉にタイラは動揺し、「俺はいま完璧に泥棒なのですが『ありがとう』でよろしいでしょうか」と口走った。都は聞いていない。「お願いがあるのだけど」と続ける。
「みんなにも、プレゼントあげてね」
タイラが黙っていると、風が吹き込んで雪を運んできた。「タイラにも、あげてね」と都が言う。「ちゃんと見てればいい子なんだから、あの人」と。苦笑いするタイラには、もちろん気づいていない。
やがてタイラの背中に重みが増した。健康的な寝息まで聞こえてくる。「おいおい」とさすがにタイラも目を丸くした。
「寝た……の? この状況で?」
思わず声を上げて笑い、頭痛が激しくなる。「いってえ」と笑いながら呻いて、タイラは振り向いた。できるだけ丁寧に、都を布団の中に寝かせる。
「本物じゃなくてごめんね……先生」
息をつきながら顔を上げて、タイラはハッとした。いつから起きていたのか、実結がじっとタイラのことを見ている。目をごしごしとこすって、実結はタイラを指さした。
「……さんたさん?」
そうだよサンタさんだよ! と裏声で叫びながら、タイラは窓から飛び降りたのだった。
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店の扉から現れたタイラを見て、カツトシが目を丸くする。
「あんた、なんでそこから来るのよ。どこから下に降りたわけ?」
「問題ない、予定通りだ」
そう茶化して、タイラはカウンターの椅子に腰かけた。緩慢な動作で煙草に火をつける。
「そっちは、どうなった」
「ばっちりよ。あんた随分手こずってたんじゃない? 何してたの」
「そう……まあ、あの親子は何というか……一筋縄ではいかないね……」
頬杖をついて、タイラはゆっくり煙を吐く。「禁煙なんですけど」とカツトシが冷たい目で言った。「嘘つけよ、ここ酒場だろ」と辟易した顔でタイラが言い返す。「あんたに限って」「理不尽だなぁ」
灰皿を差し出され、タイラは素直に煙草を押しつぶした。それから焦点のあっていない目をカツトシに向け、「よろこぶかな」と呟く。「喜ぶわよ」とカツトシは笑った。そうか、とタイラが目を伏せて、そのまま黙る。思いついたようにコーヒー豆を挽き始めて、カツトシは口を開いた。
「ねえ、あんたが子どものころにはサンタさんって来た?」
ゆっくりと顔を上げて、タイラはぼんやりカツトシを見る。「わからない」と眠そうに呟いた。「クリスマスの思い出とか」とカツトシが尋ねる。クリスマス、とタイラは繰り返した。特段言うべきことが見つからないようだ。いつもならでっちあげてでも茶化すのだろうが、今は首をかしげているだけである。それを見たカツトシが、代わりに話し出した。
「僕の国じゃ、クリスマスには未成年もお酒を飲むのよ。ほんと、不健康だわ」
タイラはすっかりうつむいて、なんの反応もなかった。気にせず、カツトシは続ける。
「それで、僕の町じゃ料理自慢のママたちが腕比べをする。聖夜にまで勝負事よ、嫌になっちゃうわ。でもおかげでごちそうはたくさん食べられる」
沈黙を埋めるようにカツトシは喋り続けた。「酔ってお腹いっぱいになれば、あとは踊って歌って寝るだけね」と言った時、カツトシは初めて笑う。
「そんな中でもサンタクロースは来るのよ。たくさんのキャンディを落としていく。いいわよね、僕もあと一年くらいいればサンタクロースだったかも」
コーヒーの黒いしずくが一滴ずつカップに流れていくのを見ながら、カツトシは小さくため息をついた。しばらく沈黙は続く。カップの半分ほどが満たされた時、カツトシは「だったかも、ね」と独り言をもらした。
ぴくりとタイラが肩を震わせて、「ホームシックか?」と尋ねる。
「帰る場所があればそうとも言うかもね」なんてカツトシは肩をすくめた。
「お目覚めなの?」
「今日はどうだった。長かったか?」
「話はしっかり聞いてるくせに、時間の感覚はないのね。短かったわよ、今日は」
「聞こえるときと聞こえない時があるんだよなぁ……不便だ」
言いながらタイラは伸びをする。そんなタイラの前に出来立てのコーヒーを出しながら、カツトシは「クリスマスプレゼーンツ」と言ってやった。驚いたタイラが、「まじ?」と確認する。
「今日だけ特別よ。タダでうちのコーヒー飲めるなんてツイてるぅ」
「本当だ。めっちゃツイてるぅ」
コーヒーを美味しそうに飲んで、タイラはポケットに手を突っ込んだ。「クリスマスプレゼーンツ」と言いながら出したものは、手のひらサイズのキーホルダーだった。そこそこ有名な猫のキャラクターである。「何これ」と言いながら受け取ると、「缶コーヒーについてた」とタイラは言った。
「おまけ?」
「でもお前、こういうの好きじゃん」
まあね、と言いながらカツトシはキーホルダーを眺め見る。間抜けな顔をした猫だが、可愛いものは可愛い。
さて、とタイラは立ち上がった。
「あったかいコーヒーも飲んだし、あったかいまま寝ようかな」
「ふうん、おやすみ」
螺旋階段をゆっくり上がっていくタイラを見送って、カツトシも店の片づけを始める。ふとタイラの座っていた席を見ると、黄色い包み紙のキャンディが転がっていた。呆れと感嘆の入り混じった気持ちで、カツトシはそれをつまむ。
サンタクロースは見返りを求めない。少なくとも、同等のものを望まない。同質も同量も要らない。
「歪んでいるとまでは言わないけど、酔狂よねぇ」と、カツトシは呟く。平 和一という男を表すのに、ここまでちょうどいい言葉もないだろう。タイラは『酔狂』である。善意も好意も責任感も少しはあるのだろうが、基本的には楽しいことしかしていない。そしてそれが、周囲には伝わらない。だから過剰に避けられることもあれば、過剰に感謝されることもある。そしてその周囲の反応も、タイラ本人に伝わりにくい。なんせ彼は楽しんでいるわけで、人から避けられるいわれも感謝される覚えもないのだろうから。その温度差の最たるものが、都親子との関係なのだ。
やっぱりちょっとは歪んでるかもね、と心の中で思いながら、カツトシは飴玉を口に放る。レモンの甘酸っぱさが、ゆっくりと広がっていった。
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次の日の朝、慌てたふうに部屋を飛び出したユメノは、同じく扉を蹴り開けてきたノゾムと鉢合わせする。お互いの腕に抱えられた小箱を目視し、納得の表情を見せた。
「お前もか」
「ユメノちゃんのとこも来たっすか」
小箱の包装紙はもうすでに破かれている。「タイラかな、アイちゃんかな」と歌うようにつぶやくユメノに苦笑しながら、ノゾムは頭をかいた。
「あの人らプロっすよね。毎年全然気づかねえ」
「来るってわかってるはずなのにね」
大人って大変だね、と他人事のように言ってユメノは微笑む。少女らしく無垢な、やわらかい表情だ。その瞬間を逃さず、ノゾムが携帯電話で写真を撮る。驚いたユメノがノゾムに詰め寄った。
「なんで写真撮ったし!」
「先輩とアイちゃんさんへのご褒美っす」
「は?」
ユメノが尚も文句を言おうと口を開いたその時である。奥の部屋から唐突に人が飛び出してきた。実結を腕に抱いた都だ。「わあ、アクティブ」とノゾムがからかうように言う。
サンタさんが、と都は呆然として呟いた。
「サンタさんが来たの」
へえ、と二人は同時にうなづく。
「実結のところに。それで……それで、私にもプレゼントを」
へえ、とまた二人は無表情でうなづいた。「なんだった?」とユメノが尋ねると、「グロスよ」と戸惑いながらも都は答える。どれどれと都のプレゼントを見て、「これはすごい、趣味のいいグロスだね」とユメノは絶賛した。ノゾムが呆れて笑う。都のプレゼントを選んだのは、他でもないユメノだ。
「あなたたちはもらった?」と問われ、ユメノとノゾムは目を見合わせる。「もちろん」とノゾムが持っていた小箱を見せた。「もらったっすよね」
目から鱗のような顔でユメノもうなづく。「なるほど、その発想はなかったわ。確かにサンタクロースだ」と同じように小箱を掲げて見せた。
「それならよかった」
安心したように都は言い、実結を抱きしめたまま螺旋階段を降りていく。残された二人は、一息ついて笑った。
「ユメノちゃん、下手っすねぇ」
「秘密を作るのってガラじゃないし」
言いながらも楽しそうに、ユメノは階段を降りる。ノゾムもそれに続いた。すでに一階からはにぎやかな話し声が聞こえている。
案の定、カツトシの酒場には早くも全員が集合していた。興奮した面持ちのユウキが二人を出迎える。
「聞いてくださいよユメノちゃん!」
「おう、なんだよ」
「え、自分は? 自分は聞かなくていいんすか?」
腕を組んで話を聞く体勢をとるユメノと、仲間外れにされて焦るノゾムに、ユウキはサンタクロースからのプレゼントを見せた。玩具のヒーローベルトである。もちろんユメノもノゾムもそれを知っていた。
「サンタさんに『ヒーロー』をお願いしたらベルトがとどいたんです! ちゃんとお手紙かいたのに!」
どこか不服そうなユウキを見て、「いいか」とユメノは穏やかになだめる。
「お前がヒーローになるんだよ」
そうあっさりと言われて、ユウキは言葉を失った。「ぼくが?」とおうむ返しにし、そわそわと周りを見る。「ぼくにできるかなあ」と呟くと、カウンターでぼんやりしていたタイラが「できるよ」と笑った。
「だってお前の名前、なんだっけ?」
ユウキは一瞬だけきょとんとして、それからみるみるうちに表情を明るくする。
「ユウキですよ! ぼくの名前は、ユウキです!」
嬉しそうに飛び跳ねて、ユウキはそそくさとベルトを装着する。そんなユウキの頭をくしゃくしゃと撫でて、ユメノたちはカウンター席に座った。カツトシがホットミルクを出す。ふと、ユメノがカツトシのジャケットを指さした。
「アイちゃん、ポケットからなんか出てるよ」
「あら」と言いながらカツトシはそれをポケットから出す。出てきたのは鍵の束だが、ポケットからはみ出していたのは猫のキーホルダーだ。カツトシはにやりと笑って、それをまたポケットに戻した。
「まあ、サンタさんからのもらい物だしぃ? 使ってあげなきゃ可哀想かなーって」
ふうん、とユメノはホットミルクを口に含む。タイラは実結と遊んでいて、聞こえないふりをしていた。
実結はといえば、リボンの巻かれたテディベアを抱きしめてタイラに自慢している。
「サンタさんがくれたの!」
「すごーい」
かしてあげる、と実結はテディベアを差し出した。それを受け取って、タイラはピエロのような動きをさせてみせる。実結が黄色い声を上げて喜んだ。
「こんにちはミユちゃん」
裏声で話しかけると、実結も「こんにちは」と返す。
「わたしはァ、ミユちゃんとお友達になりたいなー」
「ミユも! ミユもおともだちになりたい!」
俺の裏声大活躍、としたり顔で思いながらタイラは続けた。
「でもわたしには名前がないんだー。ミユちゃんが名前を付けてよォ!」
驚いたような顔をした実結が、それでもしばらく悩んでいた。ああでもないこうでもないとぶつぶつ言って、やがてパッと顔を上げる。
「ごろう!」
「男の子だったんだね」
お前ゴロウって名前なのか、とタイラはテディベアを眺め見た。心なしか誇らしげな顔をしている気がするので、恐らく気に入ったのだろう。
実結はゴロウを大切そうに抱え、ユウキのもとへ走っていく。新しい友達を自慢しに行くのだろう。ユウキが妬かなきゃいいが、とタイラは心の中でつぶやいた。
間に座っていた実結がいなくなったことで、否が応にもタイラと都の距離感が実感として近くなる。空咳をして、都から声をかけた。
「あなたのところには、サンタさんは来た?」
「ああ」
「何をもらったの?」
「コーヒー」
コーヒー? と都は聞き返す。「それはもしかしたら、いい子アピールが足りないかもしれないわよ、タイラ」
思わず吹き出して、タイラはそのまま突っ伏して笑い続けた。「どうしたの」と都が憤慨する。「いや」と言って、タイラは歯を見せた。
「本当は貰えないはずだったんだから、丸儲けさ。サンタさんに聞いたけど、君が俺にもプレゼントを贈るよう言ってくれたんだってね」
都は驚いて、持っていたコーヒー用のマドラーを取り落とす。「嘘、あれは夢でしょ?」と知るはずのないタイラに確認するほど、動揺しているようだった。「それはどうかな」と悪戯っぽい顔でタイラは言う。
「嬉しかったよ、なかなか素敵なプレゼントだった。ありがとう」
「何が……?」
「いいや、別に。強いて言えば『クリスマスくらい部屋の鍵を開けといてほしい』ってサンタさんがぼやいてたぜ」
善処するわ、と都は顔を真っ赤にする。
そんな二人の後ろで、実結がユウキに「サンタさんはタイラににてた」とひそひそ話をしていた。それに気づいたノゾムが、自然に割って入る。
「サンタさんはすごいから、怪しまれないようにミユちゃんの知ってる人に変身したりするんすよ」
「すごい!」
サンタの名誉が守られたところで、ユメノがカツトシに尋ねる。もちろん、子供たちには聞こえないよう微かな声で。
「ねえ、今年はアイちゃんでしょ?」
「嫌ねえ……サンタさんよ」
「プレゼントを選んだのは誰?」
「サンタさんです」
ユメノの手にも馴染む小さめの鋏をしげしげと見て、二人は笑う。「今度また髪切ってあげるね」「嬉しいわ」そんなやりとりをしている目の前で、タイラとノゾムが言い合っていた。
「ノゾムくんどうして俺と先生の間に座るの」
「サンタさんにお礼を言いたいんすけど伝えてくれます?」
言いながらノゾムは小箱を開けてみせる。入っていたのは、『気持ちを落ち着かせる快音集』というCDだった。「ああ」とタイラは嬉しそうに指さす。
「それで、自分からもなんかプレゼントしたいなーって」
「えー? サンタさんそういうの求めてないと思うけど」
「先輩、手ぇ出してください」
タイラが素直に手のひらを見せると、ノゾムは素早く何かを振り下ろした。その動きを予期していたかのように、タイラは手を引っ込める。見事、カウンターに食事用のナイフが刺さった。
「自分、そんなに情緒不安定に見えるっすかねぇ先輩? サンタさんに聞いてきてくださいよぉ」
「そんなに怒ることないだろノゾム、よく眠れるぞ」
「馬鹿にしてるんすか」
「お前のことを馬鹿だと思いこそすれ、馬鹿にしたことはないよ」
「いつか絶対にキルユー」
威嚇して見せるノゾムに、タイラは「はいはい」と肩をすくめる。なんだかんだ言って、ノゾムはそのCDを聴くだろう。そうわかっているから選んだのだ。素直なのか素直じゃないのか、どちらにしてもタイラにとってはわかりやすくて有り難い。
「てか、今日クリスマスだよね?」
思いついたようにユメノが言う。「パーリーピーポーしなくていいの?」
するか、とタイラが他人事のように言った。「どうせ何の準備もしないくせに」とカツトシが嫌味を言うが、タイラは特段気にするふうでもなく口笛を吹く。腕まくりをしたユメノが、やる気満々という顔でノゾムの腕を引っ張り階段を上って行った。
「さーて、あたしらがあの無駄空間を素敵なパーリー会場にしてやんよ」
「巻き込まれたっぽいすけど全力でヘルプさせていただきやす」
階段を五段ほど上って、突然ユメノが駆け降りる。「せんせー!」と呼ばれて都は椅子から落ちかけた。
「クリスマスプレゼント、ちゃんと使ってね。せっかくのパーティなんだし」
「そ、そうね。でも、私あんまり化粧ってしたことなくて」
「上から下まで作り上げたるからおいでぇ」
恥ずかしそうな顔をしながらも、都は実結を連れてユメノたちを追いかける。それを微笑ましげに見て、タイラは頬杖をついた。
カツトシが料理をするのを、ユウキが手伝っている。「タイラ、あんたも何かやりなさいよ」とカツトシが顔をしかめるが、タイラは「んー?」と聞こえないふりだ。
「働かざる者食うべからずなのよ」
「じじいを働かせて楽しいか」
「あんたいくつなの?」
「老害は大人しくしているべし」
「だからあんたいくつなのよ」
タイラはおじいちゃんだから、とユウキがけらけら笑う。「しょうがないですよ! おじいちゃんにはおかゆだけあげましょーねー」
肩をすくめて、タイラは立ち上がった。どうやら少しはやる気になったようだ。料理を手伝いながら、タイラはクリスマスソングをハミングする。クリスマスから愛と平和を歌う、古い曲だった。それに気づいたカツトシも、仕方なさそうにハミングする。彼らがよく口ずさむからか、ユウキも一緒に歌いだした。
二階でも、ノゾムがその曲を口ずさみ始める。「お、上がるじゃん」なんて言いながらユメノも鼻歌を合わせた。「懐かしい曲ね」と都が微笑んで、静かにリズムをとる。わからないなりに、実結も手を叩いた。
曲が終わった時、タイラとカツトシはにやっと笑って料理の載った皿を持って階段を駆け上がる。ユウキもはしゃいだ声でついてきた。二階にはどこから持ち出してきたのか、大きなテーブルが置かれていて、小さなクリスマスツリーや輪飾りまで設置されている。
料理を持ってきたタイラたちを見て、ユメノとノゾムが悪戯っ子そのものの顔で笑った。綺麗に全身コーディネートされた都親子も、嬉しそうな顔をする。
タイラはそこで、高らかにパーティの宣言をした。
「無宗教の俺には何も言うべき言葉がない、が! とにもかくにもメリークリスマス!」
メリークリスマス! と子供たちが叫ぶ。「まだ飲み物開けてないから」とユメノは少し呆れた顔をした。全員がグラスをもって、ようやく彼らはそれを掲げながら言った。
「メリークリスマス! 誕生日おめでとう神様!」
最初に笑い出したのは誰だったのか、もう誰も思い出せない。何かを弾き飛ばすように彼らは笑って、料理を口に運んだ。
罪人だってクリスマスを祝う。愛と平和を歌いながら。クリスマスを知らない大人のために、クリスマスを忘れない青年のために、それを本物だと信じて疑わない、少年少女のために。