第8話 流す血の意味
小人達はすばらしい首飾りを作った。それを見た女神はそれを譲ってくれるよう頼んだ。小人達は首飾りを譲る代わりに自分たちと一緒に寝て欲しいと条件を出した。女神は悩んだ末、小人達と一人ずつ一夜を明かした。そして首飾りを手に入れた。それを見ていたイタズラ好きの邪神はそのことを大神に報告した。怒った大神は邪神に首飾りを盗んでくるよう命令した。邪神はその変身能力を使い見事首飾りを盗み出した。首飾りが無くなったことに気づいた女神は、すぐにその犯人を知り、大神の元に現れた。そして罪を追求され、それを認め首飾りを返してもらった。このことは女神の大きな汚点となった。邪神はその様子をおもしろそうに見ていた。
ショーが再開されても悠斗は戻ってこなかった。始はトイレから戻ってから、ずっと不機嫌そうな顔をしていた。実は悠斗を心配していたが、しばらくして悠斗は現れた。ただし、客席からではなく舞台からである。ショーの終盤、モデル達が順番に出てくる中悠々と現れた。実を始め、皆が驚いた。
「何で悠斗が舞台にいるのよ?」
「さあ、何でだろう?」
桜の問いに答えられる者がいるはずもなく、ショーは何事もないかのように進んだ。終盤になって突然現れた悠斗に驚いた客はいたが、誰も不思議には思わない。衣装を着た悠斗の姿は舞台でさらに輝いていた。
そしてクライマックス、スーツを着た悠斗共に舞台の終わりを飾ったのは、今まで出てこなかった金髪の美女だった。その美しさに会場の誰もが息を飲んだ。赤いカクテルドレスから伸びた細い手足は白く、人形のようだった。長い金髪は照明の光を受けまぶしいほどに輝いている。アクアブルーの瞳は澄んだ水のように美しく、身体全体が気品さを醸し出していた。そして胸元を飾る首飾りは、彼女の白い肌に映え、さらに美しく見せている。彼女を美の女神と言えば誰もが賛同するだろう。
実や始、桜はこれほどまでに美しい女性を初めて見て、他の客と同様見とれていた。しかしフェンリルは彼女を険しい顔で見つめていた。ヘルはフェンリルの腕に抱きつき、動こうとしない。
舞台の中央まで歩いてくる二人は全ての視線を奪っていた。そして舞台の中央の一歩手前で悠斗は突然立ち止まった。急に動かなくなった悠斗に、客はざわめき始めた。実達も驚いていた。フェンリルは腰を浮かせ、すぐにでも飛び出せるよう準備していた。
悠斗は一つため息を吐くと、冷めた眼で美女を見据えた。
「こんな茶番のどこに意味があるんだ?」
美女は驚くわけでもなく、悠斗を見つめ返した。
「意味? 意味もないことをするのはいつも貴方の方だったでしょ?」
彼女が言い終えた直後、会場を埋め尽くしていたざわめきは消え、人々は棒のように倒れ始めた。
「え? 一体どうしたの?」
桜が心配して隣にいた客の顔をのぞき込んだ。そして短い悲鳴を上げた。
「どうしたの?」
実は桜が見ていた客を同じようにのぞき込み、青ざめた。さっきまで動いていた客は、ただのマネキンと化していたのだ。
「どういうことだ?」
他の客を見ていた始が、傍にいたフェンリルに尋ねた。フェンリルは辺りを見回し、舞台に立っている美女を見て言った。
「どうやら彼女のルーンによる幻術の一種だったようですね。ここには最初から我々しかいなかったのですよ」
ルーンは文字だけではない。字そのものに意味を持ち、力を持つ者ならあらゆることができる。ルーンは大神オーディンがミーミルの泉の傍にあった木に首を吊り、死に近づいたことで手に入れた。
そしてルーン魔法を操る彼女の正体は、当然人間ではない。
「また北欧神か? 今度は誰だ?」
仮にも神に対し、始の反応は冷たい。始の問いに今度は悠斗が答えた。
「彼女の首元を見ればわかるさ」
そう言われ、始達は彼女の首に光る首飾りを見た。その美しさはどんな宝石を集めても届くことはないかのように思われるほどで、彼女の美しさを際だたせている。始はしばらく思案した後、北欧神話に登場する首飾りとそれを持つ女神のことを思いだした。
「もしかして・・・フレイヤか?」
「正解」
悠斗は褒め称えるように軽く手を叩いた。
北欧神話に登場する神は二つに分けられる。一つはアースガルドに住むオーディンを始めとしたアース神。そしてもう一つはヴァナヘイムに住む豊饒神の一族、ヴァン神である。二つの神々はある時、和平の証として仲間をそれぞれお互いの地へと送った。その時父や兄と共にアースガルドへ移ったのがフレイヤ神である。北欧神でも最も名が知られていると言っても良い女神だ。豊饒を司る彼女の美しさは巨人族に知れ渡るほどのもので、その為巨人族に狙われることも多々あった。そして彼女が大切にしているのがブリーシングの首飾りだ。小人達が作り上げた首飾りはある条件の下、フレイヤに渡された。
「そう、美の誘惑に負けた愚かな女神だ」
悠斗はフレイヤをあざ笑うかのように見ている。
「トールに続き今度はお前か。相変わらず暇人だな、神々も」
悠斗がそう言うとフレイヤはにらみつけた。
「あなたが全ての元凶でしょ。そう思うならおとなしく死んでくれないかしら?」
「残念ながらお断りするよ」
「なら、私が殺してあげる」
そう言われると同時に悠斗はその場から飛んだ。フレイヤの手には細身の剣が握られていたからだ。あれもおそらくルーンで作られたものだろう。フレイヤは剣の切っ先を悠斗に向けた。
「お前が戦いで俺に勝てるとでも思っているのか?」
悠斗はまったく動じていない。
「人間のふりをしているあなたが、全盛期のままだと思ってるの?」
フレイヤはしなやかな動きで剣を振った。爆風が舞台を越えて客席まで吹き上がった。吹き飛ばされるほどではなかったが、客席にいた実達からは舞台の上が見えなくなった。悠斗は爆風の中、風を切って向かってくる刃を楽々とかわしていた。
「お前もトールも何でいちいち派手にするんだ?」
悠斗の言葉に聞く耳も持たないかのようにフレイヤは刃を振り下ろす。爆風が起こったのは最初の一撃だけで、後はただの斬撃だ。次第に視界が戻り、剣が風を切る音が聞こえ、照明に反射した剣が光っているのが見える。フレイヤがどんな攻撃を仕掛けても悠斗は余裕でかわし、自分からは何もしない。
「何で攻撃しないのよ」
いきり立つフレイヤに対し、悠斗はあきれるような顔している。
「勝負にならないから。無駄なことはしない主義なんだよ」
その言葉はさらにフレイヤを怒らせるには十分なものだった。フレイヤの怒りは頂点に達し、それを表すかのように爆風が吹き荒れた。爆音が轟き、客席にも無差別に攻撃が与えられる。さすがの悠斗も余裕を見せられなくなった。光の矢が飛び、触れたものを破壊し、爆音と爆風を生む。刃が肌や服を切り裂く。
「ちっ、だから女ってやつは」
悠斗はフレイヤと同じように手の先から剣を生み出した。その剣で飛んでくる刃や剣を打ち払う。客席ではフェンリルがヘルを抱きかかえ、実達を守っているが、ルーンが使えない彼には辛いことだ。守りきれるわけもなく、爆風で飛ばされた実が客席に叩きつけられた。
「実!」
始がフェンリルの制止を振り切って弟に駆け寄る。悠斗はフェンリルの声で二人に気づいた。
「あの馬鹿!」
フェンリル達は攻撃から身を守るので精一杯で、始達の方へ向かえない。始が矢の雨をやり過ごし、実の元に辿り着いたとき、桜の声が爆音の隙間を抜けて届いた。
「逃げて!」
気づいたときにはもう遅かった。始と実の視界いっぱいに光の雨が降り注いだ。二人は動くこともできず、目を閉じるしかなかった。桜とヘルの悲鳴が爆音を消し去り、会場中に響き渡った。
痛みはほとんどなかった。最初は煙で何も見えなかった。何が起こったかがわからなかった。なぜか二人はほとんど無傷だった。なのに血のにおいがする。そして何か液体が地に落ちる音がしている。次第に煙がはれ、視界が広がっていく。しかし目の前には影がある。何かが目の前にいる。手から流れる血が手に持っている剣を伝って地に落ち、紅い水たまりを作っている。目の前の何かはゆっくりと後ろを振り返った。
「何やってるんだ。馬鹿ども」
穴と傷だらけの服には光の矢が何本も刺さっている。そこから血が止まることなくあふれ出ている。服から出ている手や顔は傷だらけで紅く染まっている。
「・・・悠斗?」
実は気を失いそうになった。これほどまでの血を見たことはない。そして何よりそれを流しているのは悠斗だったからだ。なぜ悠斗がそうなったかはすぐにわかった。自分たちをかばったのだ。自分たちのせいだ。自分がドジを踏んだからこうなったのだ。罪悪感が実の心を埋め尽くした。一方の始は信じられない光景を目の当たりにしたかのようだった。悠斗が自分たちを助けるなんて、思っていなかったのだ。
「悠斗・・・」
実の震える声は、名前を呼ぶだけで精一杯だった。悠斗は顔についた汚れや血を袖でぬぐっているが、血は再び顔を紅く染める。一見、平気そうな顔をしているが、その顔色は悪く、地に刺した剣で身体を支えている。受けたダメージは決し小さくない。
「父上!」
フェンリル達が血相を変えて走り寄ってきた。悠斗は青ざめた息子を見て何事もなかったかのように言った。
「何だフェンリル、ぼろぼろじゃないか。大丈夫か?」
確かにフェンリルも傷だらけでぼろぼろではあったが、悠斗に比べたらかすり傷にも等しい。
「ぼろぼろなのは父上です。大丈夫ですか?」
そう言いながら自分の服を破り、悠斗の傷を縛っている。桜がそれを心配そうに見つめている。
「心配ないよ。ところでヘルは?」
悠斗に言われてフェンリルは先ほどまでいた場所を振り返った。ヘルが涙顔でこちらに向かっている。足場が悪くなっているので、ヘルは他の二人に遅れてしまったのだ。
「お父様!」
必死にこちらに向かってくるヘルを、悠斗が心配をかけまいとした笑顔で迎えようとしている。しかしつかの間の静寂はあっさりと打ち切られた。なぜか一時止んでいた攻撃が再開されたのだ。光の矢が再び悠斗達に襲いかかってきた。
「ヘル!」
ヘルが爆風に吹き飛ばされたのが目に映った。悠斗とフェンリルが顔色を変え、全力でヘルに駆け寄る。地に叩きつけられたヘルはよろよろと自力で起き上がった。しかしその時、その彼女の顔を隠していた髪が横に流れ、その顔があらわになった。
「きゃっ」
桜が短い悲鳴を上げた。始と実も目を見張った。予想していたこととはいえ、驚きは隠せなかった。手の包帯もほどけ、素肌があらわになっている。それは神話が語り継ぐとおり、死んだ肉体。目を背きたくなるような腐った身体だった。それが冥界の女王ヘルが忌み嫌われる理由、彼女が化け物と呼ばれる理由だった。ヘルは自分の姿を見て、今までにないほどの悲鳴を上げた。悲鳴は途切れることなく響き渡り、黒い風を生み出した。




