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第6話   裏切り者への招待状

 悠斗は不機嫌だった。無理もない。招かれざる客が、さらに招かれざる客を連れてきたのだから。正面に座る実はばつが悪そうな顔をしたまま黙り込んでいるし、始は我関せずという態度を取っているし、ヘルはフェンリルの後ろに隠れながら様子をうかがっているし、フェンリルは半ばあきれているようだった。肝心の桜はというと、信じられない現実を見せつけられ、実達が話されたのと同じ話をされ、頭を整理しているのか、呆然としている。

「それで? どういうつもりだ?」

 悠斗は実をにらみつけた。

「この状況をわかっているのか? そんなに自分たちの記憶を消されたいか」

 悠斗の怒りがひしひしと伝わり、部屋中に満ちていた。実は黙り込んでいたが、意を決して口を開いた。

「いけないことをしたっていうのはわかってる。でも、悠斗だって何もわかってないじゃないか」

「?」

 実の言葉に、全員が首を傾げた。

「どういう意味だ?」

 悠斗の怒気のこもった言葉にひるまず、実は話を続けた。

「勝手に死んだ振りして、姿を消して、記憶を消して、勝手すぎるよ」

「それの何が悪い。こちらにとっても、そちらにとっても有益な事じゃないか」

「それが勝手だって言ってるんだよ!」

 まったく反省の色を見せない悠斗に、実は初めて強きの言葉を発した。悠斗を含め、その場にいた全員が驚いた。実は構わずに続けた。

「一番勝手なのは悠斗じゃないか。そんなこと、誰が頼んだんだよ。死んだ振りなんかしなくたって、そのままでも良かったじゃないか。勝手すぎるよ!」

 実の怒声が止むと、しばらく部屋に沈黙が降りた。悠斗はちらりと息子の顔を見た。フェンリルは一見平然としていたが、父親には怒りが爆発しそうなのを押しとどめているように見えた。自分を見る父にフェンリルは気づいた。悠斗は視線で息子を制した。フェンリルはそれに黙って従った。

 悠斗は実の前に一通の封筒を差し出した。

「?」

 首を傾げる実に、悠斗は見るよう言った。実は言われたとおり、すでに封を切られた封筒から中身を取り出した。桜もそれをのぞき込んだ。中に入っていたのは数枚の券とパンフレットだ。

「これ、何?」

「見ての通り、ファッションショーの招待状だ。さっき始が持ってきた」

 実の質問に、悠斗はコーヒーを飲みながら簡潔に答えた。始は実に肯定の意味で首を縦に振った。

「そうじゃなくて、これがどうかしたの」

「パンフレットの裏を見てみろ」

 実は言われたとおり、パンフレットを裏返した。そこには赤い手書きの文字が一列だけ書かれていた。しかし、それは実の読める字ではなかった。

「何? これ」

「ルーン文字だ。北欧神たちが好んで使っていた」

 『北欧神』という言葉に不安を覚えたが、内容はわからない。

「なんて書いてあるの?」

 実が訊くと、悠斗は嘲るかのような目をした。それが実に対してなのか、それとも手紙の送り主に対してなのかはわからなかった。


【罪深き邪神に死の鉄槌を】


 単純明確な言葉だった。ほんの一列だけの文字から憎しみの怨念がひしひしと伝わってくる。これは間違いなく悠斗を憎む北欧神からの招待状だ。

「実にくだらん」

 実の不安を知ってか知らないでか、悠斗は吐き捨てるように言った。

「わかりやすすぎて面白みがない。これでも自分の正体を隠してるつもりか? こんなの名刺を送りつけるようなものだぞ」

「父上はこれが誰からの招待状かわかるのですか?」

 悠斗の後ろに控えていたフェンリルが、ようやく口を開いた。――彼は家に帰宅してから一言も言わなかったのだ。悠斗は実の手からパンフレットを奪い、一ページ目に描かれている写真を指差した。

「ああ、なるほど・・・」

 悠斗の言う意味がわかったフェンリルは、一人納得したようにうなずいた。その後ろにいるヘルも、その写真を見て何かに気づいたようだった。しかし、彼女は何も言わなかった。おびえるようにフェンリルの後ろに隠れていた。そんなヘルに悠斗は心配ないと言うように笑いかけた。しかし、実達には見えないようにである。そしてフェンリルからパンフレットを受け取ると、パチンと指を鳴らした。するとパンフレットは一瞬の内に燃え上がり、燃えくずとなった。実達は驚き、その様子を凝視していた。それに対し悠斗は、何事もなかったかのように、紅茶をすすった。

「もっとも、隠していないのかもな」

「行かれるのですか?」

 顔をのぞき込むようにして訊くフェンリルに、悠斗は楽しげに笑って見せた。

「美人からの誘いを断るわけにはいかないだろう?」

 実達には意味のわからない会話だったが、悠斗の言葉でこの招待状の主が女性であることはわかった。いや、女性とは限らないが―――。

「では、私もお供します」

 まるで従者のような振る舞いの息子に、悠斗はあきれたように言った。

「心配性だな」

「何があるかわかりませんので」

「俺はそんなに頼りないか」

「それはありません」

 即答する息子に悠斗は嬉しく、実達はあきれていた。こんな親子の会話は見たことがない。外見は当然親子とは言えない。悠斗はここ数年で身長は双子の弟より高くなっているが、それでもまだ日本人高校生の平均に入る身長だ。顔はまだ幼さが残り、少年と大人の間と言える。これに対しフェンリルは長身で、悠斗よりも頭一つ分以上違う。顔から判断しても、始より年上に見える。しわ一つないきっちりとした服に身を包んだその姿は、入社したての新入社員に見える。もしくはなりたての教師だ。教科書を片手に持ち教壇に立っている姿が容易に想像できる。そしてあまりにも似合いすぎている。見た目はまじめな好青年といった姿だ。どう考えても親子より兄弟の方が通る。さらに言えば、実の親子であるにもかかわらず、顔はあまり似ていない。親子共々整った顔をしているが、似た特徴は持っていない。しかし、フェンリルの真の姿が本当に狼なのなら、今の人間の姿は成り代わった人間の姿ということだろうか。

「あの・・・訊いてもいい?」

 実が一人で考え込んでいると、今まで出なかった声が聞こえた。その場にいる全員がそちらを振り向いた。視線の先にいたのは、ここに来てから一度も口を開かなかった桜だった。悠斗はどうぞと言わんばかりにうなずいた。悠斗の許可を得た桜は、一度深呼吸をしてから言い出した。

「ここにいるのが実はロキっていう邪神の悠斗で、後ろにいる黒川さんがその息子のフェンリルさんだということはわかった。けど・・・」

「けど?」

「その後ろにいる女の子は・・・誰?」

 実と始は今になって気づいた。フェンリルの後ろに隠れている少女のことは、何も聞いていないことに。考えてみれば、今までほとんど動かず、悠斗やフェンリルの後ろに隠れていた少女は背景のようで、その存在を問うことすら忘れてしまっていたのだ。

「悠斗・・・そういえば僕たちもその子のことを何も聞いてないんだけど・・・」

 実に言われ、悠斗も、今気づいたようだった。

「そういえば紹介してなかったか? したつもりになっていたな。お前達も訊けば良かったのに」

 訊くのを忘れていたなんて言えない。そんな心中を知ってか知らないでか、悠斗は悠々としていた。

「しかたない、紹介してやる。俺の一人娘で一番下の子供、ヘルだ」

 そう言われて実達も納得した。先日調べた本の中に、その名はあった。


 ヘルはロキとアングルボダの間に産まれた娘で、半身が腐っている怪物だ。彼女はオーディンによって他の兄弟と同じように親と引き離された。彼女は霧の国ニヴルヘイムにある死者の国ヘルに飛ばされ、その国を治める女王となった。死者を支配する彼女の国には神々も近づこうとはしない。かつて、バルドルが死んだとき、彼女の了承を得なければ彼を生き返らせることはできなかった。そして、その願いは叶わなかった。ヘルが出した条件は「全ての者がバルドルの死を悲しむこと」だった。神々はもちろん、皆が彼の死を悲しみ、蘇生を願った。しかし、一人の老婆は悲しまなかった。その為バルドルの復活は叶わず、彼はラグナロクの後までヘルに居続けた。そして、バルドルの復活を妨げた老婆こそが、ロキの変化した姿だった―――。


 実達が納得する中、悠斗はなぜか実達をにらんでいた。

「行っておくが、俺の娘に手を出したら殺すぞ」

 ・・・・・誰も何も言えなかった。しかし、落ち着いてくると何かがおかしかった。先日は悪魔のような顔をしていた悠斗が、どこにでもいる親バカな父親に見えたのだ。そう思ったのは実だけではなく、始も同様だった。ただし、始はおかしいと言うより驚いているようだ。気づくと、実達を睨む悠斗の目が厳しくなっていた。

「なんだ、その顔は」

 言われて二人はあわてて顔を元に戻そうとした。しかし悠斗の不機嫌そうな顔は変わらない。

「まあいい、次の日曜は空いてるか?」

「? 空いてるけど、何?」

 実の返事を聞くと、悠斗は立ち上がり、窓を開いて風を部屋の中に迎え入れた。

「チケット持って会場に来い。お前等にいいかげんわからせてやるよ。俺とおまえ達の世界の違いを」

 悠斗の言葉は冷たく、窓から入ってくる風よりも冷たいものだった。



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