あとがき
はじめしての方もこんにちはの方も、お元気でしょうか。玄雪です。
このたびは『神すらも知らず』を最後まで読んでいただきありがとうございました。
作品を書き始めて既に数年が経ち、まさかこんな長いつきあいになるとは思わなかったものですが、亀更新であっても最後まで書けたのは、この作品を読んでくれる人がいるというプレッシャーと喜びの為です。
お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、現在連載しているもう一つの作品『釣り針の先には』とこの作品の接点。『著者』と呼ばれる誰かの創作の世界であるということ。
デカルトの言葉に『我思う故に我あり』とありますが、私たちは自分の一生が自分自身や周囲の人々によって築かれたことに疑問など抱きません。神という存在を信じる人は神によってすべて決められていると考えるのかもしれませんが、私は生まれてきたのならこっちのものだと思ってます。
作中でも述べましたが、私は自分が誰かの創作であっても一向に構いません。『胡蝶の夢』という話をご存じでしょうか? ある男が蝶になる夢を見て、目覚めてから自分は蝶の夢を見ていたのか、自分自身があの蝶が見ている夢なのかと自問する話です。
私が夢の中の蝶なのか、はたまた蝶が夢見ている誰かなのかはわかりませんが、私自身がこうして誰かを生み出し、誰かを殺す光景は彼らからすれば残酷で傲慢なことなのかもしれません。しかしそう考えるのも人間らしい考えであると思います。自分の存在に疑問を抱くなど人間しかしないことですから。
私の作品はほとんどがこの『著者』が描く原稿の中の話です。この著者が私なのかは答えずにおきます。もしかしたら私を恨んでいる登場人物達がいるかもしれません。しかしそれを理由に執筆を止める気はないのです。人は頭の中で人を生み、人を殺せる生き物です。それは傲慢なのか、それとも愚かなのかは皆さんがそれぞれ違った答えを出してもいいと思います。
著者の存在が明るみに出る話もあれば、まったく関係のないまま終わる話もあります。どんな理由で彼らを生み出し殺すのかは執筆に携わる人なら一度は通る道かもしれません。勝手ですが私はその答えを出したつもりですし、やはり勝手に物語を作り続けるでしょう。この作品はそういった私の世界観を最初に表すための役割を果たしてくれたと言ってもいいです。
彼らの物語は回り続け、ようやく終わりを迎えました。それは誰かの頭の中ではまだ続いているのかもしれません。しかし終わりのないまま忘れられる作品ほど悲しいものはありません。どんな形であれ終わりを与えようと思い、ここまで来ました。
私の勝手な思考、そして眠りについた彼らに何か言葉があれば是非お聞かせください。
長くなりましたがこの辺で。
本当にありがとうございました。
玄雪




