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幕間  ある物書きの独り言

 やれやれ、こちらもようやく終わりが見えてきたか。

 いろいろ勝手をやる連中ばかり増えてきてるな。そんなつもりで書いたんじゃないんだがな。

 予定通りに行くだけも退屈だが、ここまで勝手にされても迷惑だな。

 私が作った話なのに、思い通りに行かない。何もしなければ良いのにわざわざ私に反抗するようなことばかりする。とうの昔に書き終わった話など忘れていたが、放っておいたばかりに狂ってきてしまったようだ。

 最後まで行けば勝手に振り出しへ戻る。放っておいても話が回る良い方法だと思ったのに、繰り返し続ければ綻びも出てくるものなのか。やはりこの書き方はもうやめた方が良いな。こんなことばかりでは忙しいだけだ。

 いくら放っておいた作品だからといって、勝手をやられるのは困る。

 どうにも反抗的な登場人物ばかり出てきているな。

 わざわざやらなくてもいい抵抗ばかりしている。

 反抗した人間の末路? と、そういえば君は誰だ? ああ、答えなくていい。通りすがりか読者しかここには来ないのだから。

 とりあえず挨拶だけしておこうか。初めまして、名も知らぬ誰かさん。名乗らなくていい、どうせすぐに忘れてしまうのだから。

 私が誰かって? さあ、誰だろうね?

 怒ったか? それは失礼。だが冗談抜きでそう言ってるんだ。

 私の存在はある者からすれば天上の存在かもしれないが、別の者からすればそこら辺に落ちている紙くずなのかもしれない。ようは私自身にも私が誰か断定できないのだ。

 しかしそのことに不満を抱く必要などない。いるかもしれないしいないかもしれない存在のことなど考えても無意味だ。人は自分の目で見えるものしか信用しない。それはただ考えることを放棄したに過ぎない。偉そうに言ってはいるが、結局自分の理解できないものなどあっては困るからそう言っているだけだ。

 世の中人間に説明できないことなど星の数ほど存在する。そもそも人間が理解できる範疇などたかがしれている。人間が中心の世界など人間の思考の中にしか存在しない。

 世の中には私たちの理解できないこと、見えないことが山ほどある。そしてそれを理解することはないだろう。なぜなら人間は自ら目を閉じ、耳をふさぎ自らの思考に閉じこもろうとする生き物だからだ。

 小難しいことを考えるのは人間だけだ。自分が何のために生まれてきた、どんな運命の下にあるのか、そんなことどうだっていいことだろ。

 鳥は空を飛ぶことに疑問を持たないし、ライオンは他の生き物を殺すことにためらったりはしない。犬は自分が犬であることに不満を持たない。

 無駄に脳が大きくなりすぎるから余計なことまで詰め込んでしまうんだ。結局視界が広がっても思考がそれを邪魔してるんだ。

 つまり何が言いたいかと言うと、私は自分が自分であることに疑問も不満もないんだよ。世の中に生きる人間は、どこかしら自分を優越に感じたり、逆に落ち度を感じるだろう。時に自分自身が不満になるはずだ。だがそれは一度たりとも他人の責任ではない。君が君であり続けたのなら、他人の干渉などないも同然のはずだ。それを感じるのなら、それは君が他人に流されるだけの人間だっただけだ。

 私? 私は最初から他人などいないも同然だ。だから私の思考は常に私と身近なものだけで止まっている。それで十分じゃないか。生きるのにそれ以上のことなど必要ない。

 もしかしたら私だって誰かの頭の中だけに存在するのかもしれない。だがそのことが私に何の関係がある?

 私が会ったこともない存在が私の上に存在して、その存在が私の運命を操っているのだとしても、私が私であることに変わりがないのならそれで構わないよ。

 知らなければそんな存在ないも同然だ。私が自分の意思で生きているのではなくとも、私は自分の意思で生きていると思っている。そんな存在に気づいたところで私がすることに変わりはない。

 世の中には知らない方が幸せな場合もある。自分の天上に絶対の存在がいることが許せないのならやることは二つに一つ。

 忘れるか、抗うかだ。

 私が選んだのはもちろん前者だ。だって面倒だろ? 世界のために命をかけるのと同じくらい面倒くさい。私は今の自分で十分だ。私が私である限りそこに不満はない。

 もちろん君がどうするかは君が決めることだ。それにとやかく言う筋合いも義理もない。

 さて、それは私が下に立つ人間の場合の話だ。今この物語では私はとにかく天上の存在とやらだ。神が存在しながらも、私はその神のさらに上にある存在なんだ。

 もし天上の存在に明らかな意思があったとしたらどうだろう。それはとても酷なことかもしれない。少なくとも下で踏みつぶされる存在にしたらだ。

 そして残念なことに私はこうして独立した意思を持った存在であり、決して善良な存在ではない。もし私が善人であったなら、最初からこんな物語書いたりしないだろう。本当の善人は空想ですら人を殺さないものなのだから。まあ、そんな人間私は見たことがないがね。

 私自身がどうであれ、私が書く物語の登場人物たちはずいぶんとあきらめが悪い。抗ったところでどうにもならないこともある。それがわからないのか、わかりたくないのか。

 何もこれが初めての経験ではない。今まで少数ではあるが私の存在に気づき、抗い、ついにはそれを達成した者は存在するんだ。

 彼らの結末はまた別の物語に記されている。

 抗った先に得られるもの、それは何なのか。それはこの物語の最後にわかるだろう。彼がこのまま抗い続け、そこにたどり着いたのなら、彼は私の前に現れるだろう。紙の上のインクではない、一つの独立した存在として。

 しかしそれは彼にとって幸福なのかな。

 ある者は何かに縋り、ある者は探求し、ある者は破壊に向かった。他にも、これからもそういった存在は現れるだろう。だが、籠から解放された鳥は幸せなのだろうか。

 君はどう思う?

 答え合わせは最後のページで。






 いつもよりページが少ないって? 手を抜いてないかって?

 そりゃそうさ。誰だって後書きにページ数をたくさん使ったりしないよ。

 これは後書きではないけど、私はこの物語の登場人物ではないのだから、ここで多く語る必要はないよ。これはあくまで私の気まぐれな独り言に過ぎないのだから。

 私には君も紙を通しての存在にしか見えないんだよ。

 これは物語の一部ですらない。著者が原稿の隅に暇つぶしに書いた駄文に過ぎないのだから。


『釣り針の先には』を読んでる方は「おや?」と思われたかもしれません。このあたりの設定は両作品のラストで明かされます。もちろん『釣り針~』の方を読んでいなくても理解できるものです。

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