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第28話  邪神の戯れ



 王は突然の来訪者に文句の一つも言わなかった。最初からそのことを予見していたかのように。いや、実際にしていたのだろう。この国に於いて、彼は誰よりも万能であるのだから。

 だから無謀に乗り込んできた三人の神々など、子供をあしらう程度の雑作しか必要ない。

 まず、ここが敵陣のど真ん中、それも敵に囲まれた中であることを全く気にしないかのようにトールが威風堂々と宣言する。

「貴様が巨人族の王か!」

 玉座に座っているのだからそうに決まっているだろう、とは誰も言わない。

「確かに、私がこのウトガルドの王だが」

 その声は誰かに似ているようで違う気もする。記憶に残らない声と言うべきだろうか。まあ、わざとそうしていたのだが。そうしなければこの鈍い馬鹿でも気づくかもしれない。

 思惑とは関係なく、やはりトールは全く気づく様子がない。

「巨人族というわりには、王であるお前が一番小さいのだな」

 ある意味失礼とも言うべき発言にシアルヴィの貧相な胃はキリキリと痛む。ロキはあきれてため息を吐く。

「トール、でかければ偉いというものではない。そもそも巨人族とは呼ばれるが、全員が巨体であるわけではない。」

 それは神々と変わらぬサイズのロキを見ればわかるだろう。周囲の巨人族たちがクスクスと笑う。飽きない見世物だ。

 ロキの解説すら筋肉だるまの脳には届いていないらしい。

 王は招かれざる客人の無礼な発言を笑って許した。

「ようこそ、アースガルドの神々。それで? こちらには何の用で? 私の記憶が正しければ、私は君たちを招いた覚えはないのだが」

「決まっている! 貴様ら巨人族を成敗しに来たのだ!」

 よくもまあ、敵陣の真ん中で堂々と言えたものだ。もはや賞賛に値するのか、それともやはり救いようがない馬鹿なのか。

 しかもそれを目的にやってきたのはお前一人だ。というかお前はいちいち語尾に「!」を付けないと気が済まないのか。

 いわゆるツッコミと呼ばれる者が過去・現在の二人の心中に広がるが、口に出さないのは無駄だとわかっているからだ。無駄なことはしない主義なのだ。

 馬鹿丸出しの発言に周囲の巨人族は大笑い。良い見世物だ。シアルヴィの脆弱な心臓は今にも止まりそうだ。

 トールは当然笑われたことに反応したがロキがそれを制した。応じれば余計笑いものになるだけだと。

 実際巨人族たちからすればこれはただの余興に過ぎない。たった三人の神々に恐れることなど何もないのだ。檻に入れられた鼠をどう遊ぼうが、それすらも自由だ。鼠の方が頭は良いのかもしれない。少なくとも自分から檻に飛び込みはしないのだから。

 巨人族は余裕だ。戦う気すらない。ただ遊んでいるだけだ。

 そう、これは戯れに過ぎない。巨人族にとっても、ロキにとっても。

「勇敢な神よ、あなた方はたった三人で敵地へと乗り込んできたわけだが、あいにく我々は檻の中の鼠をいたぶる趣味はない。そして戦いよりもゲームが好きだ。そこで提案だ。あなたは我々を倒したい。しかし我々に戦う気はない。しかし勝敗がつかなければあなたは納得して帰りはしないだろう。私もあなたに帰ってもらわなければ困る。だからゲームをしないか?」

「ゲーム?」

 あしらわれていることにすら気づいていないのだろうトールは、単純に敵の言葉を聞く。

 大丈夫なのか、神様。

「そう、ゲームだ。いくつかゲームをして勝敗を決める。あなたは自信があるのだろうが、ここで命を取る戦いを繰り広げても無駄に血を流すだけだろう? ゲームに勝てば、それはあなた方が我々より勝っているという証になるんじゃないだろうか」

 ようは戦う気がないからゲームでもして満足して帰れ、ということ。構ってもらいたがる子供をあしらっているに過ぎない。まあ、この筋肉だるまはそれにすら気づかないのだろうが。

「よかろう、しかし我々が勝ったのなら、その証をもらおう」

「どうぞ、私の首でも何でも。こちらが勝っても何も要求はしませんよ。あくまで客人を満足させるための催しなのだから」

 それは、このゲームの勝敗が最初からわかっているからの発言だ。たかがゲーム。それの目的は勝つことでも、得ることでもない。

 ただの嫌がらせだ。




 ここまでははっきりと覚えている。

 ロキは確かにトールたちの戦道中につきあった。だが、そんな無謀とも言うべき旅に同行したのは主神の命があったから。そう思っていた。

 だけどそれだけではない。これはロキの策略の一部であった。ただこの馬鹿の鼻っ面をひっぱたいてやりたかった。彼女を殺し、子供たちを奪った神々への、ささやかな復讐だった。彼らが最強と認める神々の最終兵器。それが敵である巨人族に軽くあしらわれること自体が、神々のプライドと自信を大きく傷つけるだろうと。

 そう、それが本当の目的。忘れてしまっていた。旅の終わり、どんなに心がすっきりしたかを。悔しく顔を歪めるトールを内心で嘲り笑っていたことを。

 すべて忘れていた。その策略のカラクリすら。

 巨人族側に協力者がいなければ成り立たない計画。ロキが頻繁にウトガルドへ来訪していたもう一つの理由。

 自分と彼が、一緒でなければならない理由。




 結果は最初から分かりきっていたことだ。結果から言えば、トールの戦道中は大が付くほどの失敗で終わる。文字通りあしらわれ、遊ばれたのだ。

 トールの力など、巨人族の魔術と知恵の前には何の力もない。その指にすら触れることなく、トールは敗北したのである。

 詳しい経緯は一応彼の名誉のため黙っといてやる。というよりあまり関係のないことなので説明する必要がない。

 問題はその先。アースガルドへの帰路についていた時だ。

 ロキは一人勝手に帰ると言って二人と別れた。その腕を大きな翼に変えて、大空を舞いロキは姿を消した。

 もちろんトールたちがロキの勝手な行動に今更疑問を持つはずもなく、文句を言うだけに留めていた。だからこのときの策略は神々にはまったく感知されずに終わった。

 ロキはある程度空を泳ぎまわったあと、誰にも見られていないことを確認した上で、来た道を戻った。

 その先にはつい先ほどまでいたウトガルド。その奥深くにそびえ立つ城があった。

 正門には行かず、まっすぐバルコニーへと降り立つロキ。それを迎えたのは仮面を被った男。玉座に陣取っていた男はロキを同じ視線から迎える。

「おかえりなさい」

「ああ、ご苦労だったな」

 ロキは当たり前と言わんばかりに室内へと入る。王もそれを咎めることはなく、その後を追う。

 広く、ゆったりとした空間。調度品の一つ一つが高価なものであることが窺える。しかし派手ではない。高貴さを残しつつ、あくまでくつろぐための空間となっている。ロキは部屋にあった一人がけの椅子にドッシリと腰を下ろす。まるでそこが自分の席だというように。

 ここは王の自室。本来なら家臣すら許可なく入ることを許されない場所。なぜそこにロキがいることを許されているのか。

 それこそ愚問だ。自分自身に許可を得る必要などないからだ。この部屋にあるものはすべて王のものであり、同時にロキのものでもある。

 すでに用意されていた二人分の紅茶。王も向かい合う椅子に腰掛け、茶に口を付ける。

「もう仮面はいいぞ。顔も見せない相手と茶を飲んでもうまくない」

 そう言われて王は自分がまだ仮面を付けたままであることに気づく。そのことに苦笑しつつ、ゆっくりと仮面を外す。

 そこに現れたのは鏡。いや、鏡を見たかのようにうり二つの顔。

 その髪は輝かんばかりの金。その目は空よりも海よりも美しい青。絵にして永遠に残したいと願うほどの美貌。それがこの世に二つ、存在している。

 いや、彼らの存在は一つでしかない。彼は己であり、自分は彼である。

 彼の心臓は俺のもの。

 俺の目はお前のもの。

 口も、鼻も、手も、足も、髪一本に至るまで。あいつは俺であり、俺はあいつであった。

 誰よりも近くて、近すぎて見えなかった存在。

 鏡の向こうに自分の顔が映ることをことを疑問に思う人間はいない。

 それでもまだ、この頃の俺たちは同じ顔の意味を知ることはなかった。ただまるでもう一人の自分自身であるかのように接していた。それほどまでに二人は近く、何でもわかり合えた。

 空気よりも自然な存在。まだ、その意味をこの頃の彼らは知らない。



 やっと見つけたな。

 やっと見つけてくれたね。

 遅くなったな。

 遅くなったね。

 もう少しだ。

 もう少しだね。


 お前の元へたどり着くまで、あともう少し。




「トールの顔を見たか? 笑いを堪えるのが大変だった」

「あのまま絵にでも残しておきたいくらい傑作な顔でしたね」

「まったくだ」

 思い出しては笑ってしまうのだから茶を飲むこともできない。

 お互い、自分の首尾を褒め称え、愚かな戦神を茶菓子代わりにする。これほど楽しい茶会はない。

「それで少しは気が晴れましたか?」

「少しはな。だがまったく足りてない。だが、できるのはこれぐらいだろう」

 仮にも神となった自分が裏切らない程度にできるのはこれくらいなのだ。裏切ることは考えなかった。憎しみを抱いても尚。

 まだ、彼を信じていたかったのかもしれない。あの日の約束がまだ破られていないと。

 王はそんな彼を少し叱るように言う。

「そこまで神々に義理を感じる必要などないと思いますが。いつでもこちらに戻ってきてもいいのですよ?」

「お前は性急すぎるウトガルドロキ。愛想などとうに尽きているが、それでもあそこが最高の遊び場であることに変わりない」

 ウトガルドロキ。ウトガルド、外の世界のロキ。そんな意味の名前は彼らが自分で付けた。

 初めて会った時にあまりにも同じすぎたお互いに同じ名を与え合った。それが当然だと、何の疑問も持たずに。

「ロキ、娯楽を求める必要性は理解していますし、私だってそうです。しかし家族を奪った者たちと仲間である必要性は感じられません」

「珍しいな。お前が俺の意思に反抗するなんて」

「あなたのことを思って言っているのです」

「わかってる。からかってるつもりはない。俺だってこのまま永遠に続くとは思ってないさ」

 ただ、

「本当にあいつが俺を切り捨てるのが先か、俺があいつを切り捨てるのが先か。そのどちらかが来るまではまだこのままで良い」

「そんなに信頼できる相手ですか? あなたの義兄弟は」

「知ってるだろ? 俺たちは利害の一致から始まった関係だ。それが失われるなら、あいつが約束を破るのなら、俺は遠慮なく奴らを切り捨てるさ」

「それはいつのことになるでしょうか?」

「焦るな、ロキ。そう遠くない未来さ。俺たちには時間がある。それにな」

 それに―――、

「なんだかんだ言って俺はあいつを捨てられないのかもしれないな」

 仲が良いとか悪いとか、信頼するとかしないとか、そういう問題じゃない。

 魂が、あいつのそばが良いと訴えてくる。説明すらできない、感情よりも本能。

「もう少し様子を見るさ。見切りを付けるのは、それからでも遅くない」

 そう言うロキを、もう一人のロキは不満げに見つめた。彼らの意見が違えることは珍しい。だがそれだけで、気にもとめなかった。彼ならわかってくれると信じていたからだ。

 この時、何かが違えば結果は変わっていたのだろうか。

 いや、すべては予定調和。過去にあらがう術などない。


 ただ、流されるだけ。




 あなたは思わなかったでしょうね。私があなたと同じかそれ以上に神々を憎んでいたことを。私の半身を傷つけた罪深き者たちを決して許さなかったことを。

 私にとってはあなたしかいないのですよ。大勢の家臣や国民でもない。あなたにしか価値がない。

 だから、あなたの代わりにやったのですよ。そうすれば、すべてがうまくいくと言われたから。その言葉に従った。

 さあ始めましょう。神の時代の終わりを彩る喜劇を。

 浅葱幕を下ろす時が来ました。





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