第12話 分かたれた血筋
人間の大半は祭好きな生き物だと悠斗は思っている。
暖かな日差しの下、老若男女関係なく人々のほとんどが笑い、その日が平和であることを喜んでいる。
元神である悠斗には理解できないものだ。それは当然と言えば当然である。神は崇められる存在であり、祭は彼らへの感謝と祈りを捧げるためのものであるのがほとんどだ。この祭は何かを崇めるものではないが、神には祭を行う風習があるわけもなく、祈りが届くと信じている人間達をたまに上から眺めていただけだ。
もっとも現代の、特にこの国での祭は宗教的なものでもその意味を知る人間も少なくなっているし、集まってくるのはただ楽しみたいだけの人間がほとんどだ。
宗教的な祭ですらほとんど関心をもっていなかった悠斗にとって、宗教的な意味すらもたない祭はまったくの無縁のものであった。
そしてそんな悠斗にとって祭はただの騒がしい行事でしかない。だから行きたいとは思わなかった。
しかし悠斗は今、その祭の中にいる。
実の高校で行われている学校祭。生徒のほとんどが楽しみにしている一年の中で最も賑わう行事。神ではなく人が楽しむための祭。
しかし今日、その祭は神の為の祭となる。神の愛憎劇。血は供物として神に捧げられる。罪深き神の胸を貫くのは復讐の刃か、それとも愛するものを磔刑に処す断罪の刃か―――。
「うるさい」
不機嫌なその言葉が最初に発せられた言葉だった。
「うるさいんじゃない、これは賑やかだと言うんだ」
その隣で始が意味もない訂正を行う。
「どっちも変わらん」
尊き元・神様には日本語の訂正(?)など関係ないらしい。
「悠斗、祭は賑やかなものだよ」
悠斗談・うるさい場所に誘った実は少しでも双子の兄の機嫌を直そうとする。しかしその兄は弟の努力などまったく労らない。
「うるさい。脳天気に騒ぐ行事など何の意味がある」
静かな学園祭は逆に侘びしいと思えるが・・・。
あいにくその場にいた人間達には学園祭を開く意味を知る者はいなかったので、誰一人、不機嫌な邪神に論じようとはしなかった。もっとも欺瞞を司る邪神様に口で叶う人間がいたらお目にかかりたいと、実達心の中で呟いた。
とにかく、このままでは本当に帰ってしまいそうだ。何とか引き留めようとする実と、どうでも良さそうに出店を覗いている始。その様子を観察している桜は、悠斗に対しての二人の接し方の違いを見つけた。
実は以前のように兄弟として対等に話そうとしているが、やはり以前と同じようにはいかず、うまく悠斗と積極的に接しようとしている。それに対し始は、悠斗の性格をだいたい熟知し、いちいち合わせようとしても疲れるだけだと悟ったらしい。悠斗は他人の言うことなど聞くはずもないのだから、好きにさせておいて、注意はほどほどにしておくつもりらしい。そういった点では、実よりよっぽど今の悠斗に順応している。やはり大人だ。―――ちなみに始は今年二十になったばかりだ。
不機嫌な悠斗を実がなだめていると、出店で昼食の焼きそばを買いに行っていた邪神の長男が帰ってきた。
「どうされたんですか?」
状況がわかっていない故の質問だが、その答えは悠斗の顔を見た彼自身の中ですぐに出た。
(父上は明るかったり賑やかな場が嫌いだからな)
しかし下手になだめても火に油を注ぐだけだと、親子としての数百年が物語っているので、何も言わなかった。
触らぬ神に祟りなし。
「じゃあ、行ってくる」
行き先は告げない。でもあなたがどこへ行くつもりなのか知ってたわ。
「いってらっしゃいませ」
絵に描いたような忠実な妻。だけど顔の裏側では行かないでと叫んでいたのを俺は知っていた。
「今度はいつ頃戻って来られるの?」
早く帰って来て欲しいとは言わない。あなたは私の願いなど聞いてはくれない。
「さあな」
嘘でもなるべく早く帰るなどとは言わない。そんな俺をあいつは泣いて止めることもしない。
「それでは道中お気を付けて」
優しくなかった。でも偽善で相手を喜ばすことの無意味さを知っていた。
「ああ」
そばに置いても不愉快にはならない女。でも素直じゃなかった。俺たちに会話など何の意味も持たない。
冷たい人。
つまらない女。
それでも俺たちは夫婦だった。あの最後の一瞬まで―――。
「父上、どうされました?」
気づくと目の前に息子がいた。
「いや、何でもない」
悠斗達は今、二年生が開いている野外喫茶店にいた。簡単な軽食とお茶を楽しめる憩いの空間だ。素人が作ったものなので本職のようにはいかないが、それでも味や装飾はなかなかのものだ。なんでも生徒の一人の実家が喫茶店で、そこに協力してもらったらしい。一ヶ月以上指導を受けて、お菓子もすべて生徒の手作りらしい。しかしそんな裏事情、悠斗には関係ない。ただうまいかまずいか、食えるか食えないかのみである。ちなみにまずいものと食えないものは彼の胃袋に収まることなく、ゴミ箱か犬の胃袋行きとなる。
目の前にあるスウィーツの誘惑と格闘する桜――ダイエット中らしい。女という生き物はやせたがるものらしい――。そんなこと気にせず甘い手作りのクレープを次々と口に放り込んでいる実。その様子を見ながらクッキーをかじっている始。それすら見ずにブラックの珈琲を飲むフェンリル。
どれもロキが神であった頃には見なかった光景だ。
確かに家族との団欒の時間はあった。月が優しく降り注ぐ野原で走り回る子供達。それをほほえましく見守る自分と彼女。そこには人も神も関係ない家族の絆と空間があった。 しかしそれはあくまで彼女とその子達だけの話だ。
もう一つの妻子との間にはそんな機会もなかった。ただ形だけの家族を演じていた。
不思議なもので、自分と血の繋がった子等であるのに彼らに対して愛情をもてなかった。愛情を与えない父に彼らが懐くはずもなく、何日も会わないのが普通だった。
妻とも良い夫婦関係ではなかった。悪いとも言わないが。
夫婦であることに不満はなかった。そもそもなぜ一緒になったかすらよく覚えていない。ただ彼女は確かに妻であった。問題もなく、夫に逆らわない妻。愛してはいなかったが嫌いでもなかった。一緒にいても問題はなかった。特別な感情も持たなかった。
あの時までは―――。
また物思いに耽っていた悠斗は新たな騒ぎによって再び現実に戻った。
なぜ、今頃昔のことを思い出すのだろう。絆もないもう一つの『家族』のことなんて―――。
騒ぎは実達だった。食べ終わった食器を誰が片付けに行くかでもめているようだ――ここはセルフサービス制なのだ。話し合いで決まらない議題を、最終的にじゃんけんで決めることにしたようだ。乗り気じゃない始を巻き込み――悠斗達に言っても無駄だとわかっているので――三人が各々の手を前に突き出す。勝負は1回で終わった。哀れな敗者は実だった。五人分の食器を持ち運ぶ姿は気の毒にも思えるが、勝負の世界に情けもやり直しもない。
代わってやる気などさらさらない悠斗達はその後ろ姿を見送る。
家族の絆もここには意味のないものらしい。
食器と言っても紙製のものなのでそれほど重くはない。しかしそれでもそんな役を押しつけられた――勝負で負けたので押しつけられたとは違うかもしれないが――ことに変わりはなく、憂鬱な気分になる。
実は人々が楽しそうにおしゃべりをしている中、一人さびしく歩いていた。食器はカウンターに客自身が持っていくシステムになっている。実の他にも食器を片付ける人々がおり、実は返却口に並ぶ人の列に入った。列はそれほど長くはなく、すぐに実の番がやってきそうだ。
実がぼんやりと自分の順番が来るのを待っていた時、それは来た。
「お父さん!」
それはそう言って体当たりするかのように実に横から飛びついてきた。
周りが騒然とした。実自身、最初はそれが他人事かのように思えた。しかし当事者は自分だった。
それは少年だった。実よりも小さく、そして数才は幼いだろう。顔を実の身体に押しつけているため黒くて短い頭しか見えないが、髪から覗く首や、実に巻き付く腕の先にある手を見ても、適度に焼けた肌は健康さを出している。
十秒ほどして自分の状況を飲み込んだ実は、慌てて少年を引き離そうとする。すでに周辺の人々は二人の様子を遠巻きに見ながらざわざわと騒ぎ出している。当然だ。父と呼ばれたのはこの学校の制服を着た高校生なのだから。
「ちょっと、人違いだよ。離れて」
実がそう言って話そうとしても、少年は離れようとしない。
「嘘だ。父さんのにおいがする。父さんのにおいを間違えるなんてありえない」
混乱している実を置いてけぼりにし、少年はすがるように実の腰を力強く抱きしめる。
「俺ずっと探してたんだよ。なのに何でそんなこと言うの? 俺こんな姿だからわからないの? それとも俺のこといらなくなっちゃったの? だから無視するの? 俺が弱いから? だったら強くなるから、フェン兄みたいにお父さんの役に立てるようになるから。だから捨てないで!」
騒ぎはますます広がるばかりだ。少年は「捨てないで」と人目も憚らずに叫び続けている。仕舞いには泣き出す始末だ。
非難するような目を周囲から向けられ、実まで泣き出したくなってきた。
その時、神の救いの手がさしのべられた。正確には声がかけられたのだが・・・。
「おまえ達、何してるんだ?」
実が振り向けば、そこにはまさしく神様・悠斗の姿があった。しかし悠斗の方は今の状況をおもしろそうに眺めている。
「親子感動の再会にしてはへたくそな演技だな。『父を求めて三千里』なんだぞ。子役はともかく父役がいまいちすぎる」
不滅の名作のタイトルが変えられている。というか何の話をしているのだ。
よく見ると悠斗の手には丸められた冊子がある。タイトルは『父を求めて三千里』脚本のようだ。さらにその後ろにはなぜかビデオカメラを持った始の姿がある。
「時間がない。時間を改めて撮り直すぞ」
そう言うと有無を言わさず実と少年を引き離すと、少年の手を握ったまま店の外へと出て行った。始達がその後に続く。
「何だ、撮影だったのか」
「どっかの部活の? いつ上映するの?」
周りは適当なことを言っているが、不思議にも映画の撮影ということで収まってしまったらしい。
実も慌てて皆の後を追いかけた。
しかしこの映画が上映されることは一度もなく、不思議にもこの場にいた人間全員が撮影のことどころか、この時見たはずの役者や監督の顔も思い出すことはなかった。
人気のない校舎の裏。そこに悠斗達はいた。さっきまであったはずの台本やビデオカメラはいつの間にかなくなっていた。そこは神の御技ということにしておく。
ようやく落ち着いてきた実と少年を、悠斗はあきれたように見ていた。
「あんなところで騒ぎを起こすなよ。目立つだろう」
実からすればただ巻き込まれただけであり、説明して欲しい位なのだが、悠斗に反論する気は起こらないので黙っておく。
「それにしても、その子誰?」
しばらく静かになっていた桜が少年の涙をハンカチで拭きながら当初の疑問を口にした。
実はここで改めて少年の姿を見る。
歳は十二才ほど。フード付きのパーカーと半ズボンという姿は普通の子供の姿だ。大きくはっきりとした瞳が印象的で、今は泣きすぎたため真っ赤になっている。実にはまったく覚えのない顔だ。しかし始の方は実ではなく悠斗の方をじろりと見る。
「おまえの方の関係者じゃないのか?」
悠斗の虚言に始が付き合ったのも、困っている弟を助けるためと、悠斗が子供の方に心当たりがあるように見えたからだ。
始の言葉は当たっていたようで、悠斗は桜をどかせ、涙をぬぐっている少年の前にかがんだ。
「オルム、間違えるのもわからなくはないが、捨てるというのは聞き捨てならないな」
その言葉に少年はうつむいていた顔を勢いよく上げた。
「俺がおまえを捨てる理由なんてどこにある? あるわけないだろう。それにおまえが弱くないことくらいよく知っているよ」
ゆっくりと本を読み聞かせるようなその声は、暖かな父のものだった。
「・・・お父さん?」
少年が驚いたように見開いた瞳に映った悠斗は、こくりとうなずく。
「久しぶりだな、オルム」
少年の顔は喜びに満ちたものとなった。
「お父さん!」
今度こそ、その小さな身体は父の腕の中へと迎えられた。
第10話までは本編のための準備といったところで、これからが本編です。
現在は第3部といったところ。まだまだ続きそうですができれば最後までお付き合い願います。




