第11話 祭の前日
雲一つ無い青空。それを泳ぐ鳥たち。夏の暑さが去り、色づく木の葉が秋の訪れを示している。
夏休みも終わり、学業を中心とした生活に戻った子供達は、過ぎた長期休みを恋しく思いながらも、徐々に元の生活ペースを取り戻していった。
今日はいつもと違う雰囲気が学校中を覆っている。本来今の時間は授業が行われている時間だ。しかし部活動や授業に使われているはずのグラウンドは鉄材やテントが積み立てられ、それを運ぶ生徒や教職員達であふれている。校舎にはカラフルな飾り付けが付けられ、教室には展示物が置かれたり、店の準備が整えられている。生徒達は学校の敷地内を行ったり来たりしている。すべて、明日に行われる学校祭のための準備だ。
大杉実にとってこの数ヶ月は緊張の中にあった。今年の春から始まった北欧神たちの復讐劇。一度は袂を分かった彼の双子の兄・悠斗は、その復讐の刃を向けられる裏切り者としてその舞台に立っていた。様々な想いが行き交う中、その絆を取り戻した兄弟。しかし神々の復讐が終わったわけではない。悠斗の罪が冤罪ではなく有罪である以上、その劇は必然的に行われ続ける。彼の首が絞首台に掛けられるその日まで―――。
しかしその戦いも、この数ヶ月は静かなものだった。いつ次の刺客が現れるかもわからない緊張感を破る者はなく、去年の今頃と変わらない平穏な日々が過ぎている。
悠斗は「放っておけば向こうから来る。それまで待てばいい」と言っていたが、実達はそう悠長に構えることもできず、常に緊張していたが、数ヶ月も経てば緊張感も溶け、このまま何も起こらないのではないかとさえ思ってしまう。
そして今、実は学校祭の準備の中、一人廊下で自主休憩をとっていた。
実の高校では年に一度、学校祭が行われる。夏休み前からその準備は始まり、一週間に渡る祭りとなる。それぞれのクラスや部活が出店や展示、教室での飲食店、劇などを行う。この祭りには近隣の協力もあり、PTA主催のバザーも行われている。明日になれば学校は今日以上の人で賑わうだろう。実の学校では、学校祭の前日は丸一日学校祭の準備に当てられる。
ゴン!
脳天を叩くいい音がした。音を出したのは実の頭だった。
突然襲った痛みのため頭を押さえ、しゃがみ込みもだえている実に、なじみ深い声が降ってきた。
「何さぼってるのよ」
実の後ろにいたのは彼の幼なじみ・倉本桜だった。手には今実の頭を殴ったのに使われたであろう辞書があった。
「痛いなぁ、ちょっと休んでただけだよ」
そう言って殴られた頭をさすった。
「それを人はさぼるって言うのよ」
そう言って自分の持っていた荷物を実に押しつけた。
「それ、中庭まで運んで。それと、この辞書図書室に返しておいて」
実の手に乗せられた辞書は両手で抱えるほど大きなもので、さらにそれが三冊・四冊と次々に乗せられていった。
「こんなもの何に使ったの?」
至極当然の疑問である。
「何でもいいでしょ。さっさと仕事をしなさい」
結局疑問は解決されないまま仕事を押しつけられる。これなら真面目に仕事をしていた方がましだったのではないかと思う。
「そういえば」
歩き出そうとした実の耳に桜の声が届いた。
「悠斗達は来るの? 学校祭」
「うーん、どうだろう」
実はまだ言っていなかったのだ。実の長兄・始は行くと言っていた。始に言わせると大学生は日本中でもっとも暇な人種だそうだ。
しかし次兄・悠斗は来るか自信がなかった。元から祭りなどの賑やかなことに興味のない悠斗は、「面倒くさい」の一言で終えてしまいそうだ。
今日の帰りにダメ元で誘いに行くつもりだった。
「一応、今日誘いに行く」
「ダメだったら?」
「その時は諦める」
その確立の方が高いのだが・・・。
しかし桜は突然実に詰め寄った。
「あんたね、まだそんな遠慮ばっかしてるの?」
「いや、だけど、嫌なら・・・」
「もう少しわがまま言ってもかまわないじゃない。兄弟なんだから。赤の他人じゃないんでしょ」
桜の言っていることも、もっともだ。
フレイヤとの戦い以来、兄弟としての関係を取り戻したつもりだが、どうしても以前通りとはいかない。
悠斗は相変わらず自分の子供達と一緒に暮らしている。既に死んでいることになっているのだから当然なのだが、それがなくとも本人は戻るつもりがまったくないらしい――記憶を改ざんすることくらいできるはずだ――。
離れて暮らしても家族だと思うのだが、どうしても遠慮がちになってしまう。実や始が訪ねていっても機嫌の良い顔は見せないし、何かと文句を言う。来るのが本当に迷惑なら追い払っているはずなので、本当に嫌がっているわけではないのはわかる。
しかし一度縁を切ってしまうと、つなぎ直しても完全に元通りとはいかないものだ。
故に遠慮してしまう。
ここでもう少し、歩み寄るのも良いのかもしれない。
「行かない」
その一言で悠斗の意志は告げられる。
「どうして?」
実が一応訊いてみる。
「面倒くさい」
予想とまったく違わぬ言葉だ。
「どうしても?」
それでも実は引き下がらない。
「どうしても」
それでも悠斗の返事は変わらない。
「それに最近ヘルの具合が良くないんだ。置いていけるわけないだろ」
ここで娘の名を出されて実は引いてしまった。
彼の双子の兄は子持ちだ。その中でも末っ子のヘルは生まれつき病弱で、熱が出ることもしょっちゅうだ。数ヶ月前は力を使った為に倒れ、この数ヶ月でも熱を出すことが何度もあった。
だからそのことが理由として出されると実もそれ以上強要できなかった。
実の心に諦めの文字が現れ、悠斗もそれ以上会話を続けようとしない。そしてこれ以上は進まないと思われた話。しかしそれは意外な形で進行することになる。
「お父様」
良家のお嬢様のような雰囲気を見せ、リビングの扉を開いて現れたのは、今話題に上ったヘルだった。顔の半分を長い前髪で隠し、青白い肌は病的なことを示している。
「ヘル、寝てなくていいのか?」
寝室で寝ているはずの娘が現れたので、悠斗は驚き立ち上がった。
「大丈夫、今日は具合が良いの」
そう言うヘルの姿はけっして元気そうには見えない。
「それよりお父様、せっかく誘っていただいたのだから、お兄様と一緒に行ってきて」
「けど、おまえを置いていくわけには・・・」
「私は大丈夫だから。たまには息抜きもしてきて」
「・・・」
かなり悩んでいる。しかしそれを打ち切ったのもヘルの言葉だった。
「それにそこで何かある気がするの。誰かと再会するような」
それはまた北欧神達との戦いがあることを意味しているのだろうか。そもそもなぜヘルにそんなことがわかるのか。実は二人の会話の続きを待った。
続きは数十秒後に訪れた。
悠斗は悩んだ末、結論を出した。
「わかった。行ってくる」
それは実にとっては良い返事なのだが、本当にそれで良かったのかとも思えてしまう。「だけど何かあったらすぐに連絡するんだよ。いいね?」
「ええ、わかってる。だからお父様達も楽しんできてね」
「ああ」
そう言ってヘルの頭をなでる悠斗の姿は、間違いなく父親だった。実はその姿に、自分たちの家族ではない悠斗の姿を見たようで、少し複雑な気分だった。
独占したいわけではない。だけど思うことは止められない。どうして心はこんなにも難しいのだろう。
「本当に良かったの? 悠斗」
珍しく見送りに出てくれた悠斗に、実は訪ねた。
「おまえから誘ったんだろ」
「それはそうなんだけど・・・」
実はヘルから父親を奪ってしまった気がしてならないのだ。罪悪感が消えない実は顔を上げない。そんな実を、悠斗はあきれたように見ていた。
「・・・ヘルの為にもこうした方が良いんだ」
実は顔を上げた。悠斗は実から視線を外して言った。
「あいつは俺の重荷になるようなことにはなりたくないんだ。それに心配ばかりしてもあいつが惨めになるだけだ」
それはそばに居るだけが愛情ではないということだろうか。時には離れるのもその人の為になるのだろうか。
生まれつき身体の弱かったヘルは、自分の弱すぎる身体に劣等感をもっていたらしい。それはヘルのせいではないのだが、それでも周りに心配ばかりかける自分がいやだったのだ。
それは悠斗や実にも理解できる。だからこそ同情してはいけない。哀れんではいけない。それは彼女の為にならないから。彼女を傷つけることになるから。
「おみやげ、何か買っていこうか」
「そうだな・・・」
空が赤く染まり太陽が別れを告げる。そんな中での会話だった
第3章【舞台の上で子供じみた愛憎劇を演じる】開始です。




