文学って何だろう
いきなりですが、不肖私はADHD気質の強い人間だと思っています。
もちろん診断が出ているわけではありません。
ただ自分で、「たぶんそうかなー?」と思っているだけではあります……が、割とそういう傾向が強いのは自覚しておりまして、ええ、何が言いたいかっつーと、とにかく「前に書いたことを忘れる」んですね。なもので、過去にさんざん書いたことを、さも今思いついたかのように今後も書くと思います。そこは申し訳ないけれどご了承ください。そういうもんだと私自身諦めております。
ただ、こういう傾向のある人間でもいいことはあって、例えば自分で書いた小説を読み返したりするときなど、この先どうなるのかをまるで覚えておらず、実に楽しく客観的に読むことができるという利点もあります。いや、よく考えてみれば欠点の方が多いか(笑。
という感じで第二回です。この手の原稿はストックが山ほどあるのだ!
やっぱり新連載始めたんですから、最初の三回ぐらいはね。こまめに更新してログをためるのも必要かなと。そういう打算的な部分も考えて、今これを書きなぐっています。
で、今回のテーマは見出しにもしました「文学とは何か」ということ。
これはもうさんざん、それこそ色んな識者の方々が討議してきた話題だとは思います。
しかしながら、自身の内にもある一定の線引きというか、定義づけはしておきたいなと。答えのでないテーマであるがゆえに、私はこうとらえているよ――という、そういうものを明示しておこうと思ったわけです。これもどっかで書いたような気がするなあ。
学生時代、当方は文学部にいました。
そこであらためて、「文学の定義」というものを習ったのを、よーく覚えています。
講義はもちろん日本文学で、ジャンルは中世文学でありました。
担当教授は関口T氏という著名な文学研究者で……もう、かれこれ二十年以上経過していますので、御年を考えればすでにこの世の人ではないのかもしれません。
その方は――
「文学とは、美的感動を文字や言葉で表した芸術作品の一ジャンル」である――とはっきり明言されました。
これね、当時の私にとってはかなりの衝撃だったんです。
ただ小説とかの「特にお堅いやつ」を文学というのだろうと、それまではたかをくくっていた節があったからです。なるほど、美的感動……と。これは芸術作品すべてに通づる概念ですよね。見たり(映像や絵画)読んだり(小説や漫画)聞いたり(音楽や落語)して、心を動かされるあれのことです。
もちろん、感動という言葉の幅も大きい。
観て「泣く」こともあれば、読んで「怒る」ことも笑うこともある。
喜怒哀楽をうごかされる外的な精神刺激のことを、「感動」というのでしょう。
だから、そういう意味ではマイナスの感動も多分に含むはずです。
悪い方向に感情や感性が動いてしまうことです。
それは芸術作品ならば必ず通過せねばならない部分ですし、持っていなければならない面であるとも私は思っています。
こと、今はSNSなどで発信される情報に、とくに感情を揺さぶられることの増えた時代だと思います。
その伝達手段の主だったものは何か?
テキスト――文章ですよね。そういう風に分析してとらえてみると、SNSで書かれる投稿もまた、広義では文学的要素を多分に含んでいると、そう言えるのかもしれません。
ですが、一般的にはそういうものを「芸術作品」とは呼ばない……。
これは何なのか。
結局のところ、書き手が意図すること――この場合は「ニュースや事件のあらましなどによって、さまざまな問題提起をすること」が主であって、表現の部分にまで手が及んでいないからだと考えます。いくら文章で感情をゆさぶったところで、そこに、言ってみれば「装飾」ですよね? そういう「飾り」の部分がおざなりになっている限りは、芸術作品ではない……。そうも言えるのかなと、今の私は考えています。
そうなんです。芸術性っていうのは、言ってみればその「飾り」の部分にこそ見出されるものであって、それによって人を惹きつけ、そしてメインの部分で「感情を動かす」――こういうことなのかなと。
そうすることに特化した文章、あるいは文字作品のことを「純文学」と呼ぶのではあるまいか。こんな答えが自然と導き出されてきます。
だから、それこそジュブナイル文芸の分野で重視されがちな「設定」や「ビジュアル面」っていうのは、まさしくその「飾り」であって、そこに重きを置けば置くほど芸術度は高くなるのだとも言えます。簡単な話ですが、あえて小難しく書いております(なんやねん。
そこから逆算するとですね、いわゆるライトノベルの定義も何となくですが見えてきませんか。
異世界という言葉だけで世界観を読み手に丸投げしておいたり、魔法やモンスターの一言――すなわち「言わなくても分かる既成概念」――に多くを頼れば頼るほど、本来の意味での芸術性からは遠のいてゆく……。
いささか暴論にも思えますが、そういうことではないかなと?
もちろんそれが悪いわけではありません。今の例はあくまでも純文学の対極にあるものを、あえて定義づけるならという一つの例え話です。
言ってみればそんなやわっこい概念でしかないと思います。
なもので、純文学の方が描きやすいっていう方が一定数いるのは、これはもうごく当たり前のことなのかもしれないです。まぁ、そんな話です。
しかしながら――私たち多くのウェブ小説投稿者が目指しているのは「純文学」ではないでしょう? エンターテインメントでしょう? 芸術性は後から盛り付ける付加要素であるので、ひょっとしたらエンタメとして書いたものが後になって「純文学」的だと評される機会もあり得るわけですが、まず最初からそれを狙い書きする方は……少数なのかなとも。
少なくとも私はそうです。
なんかこう、自身の中にある思い付き、イメージや好きなものをストーリーに乗せて伝えたい、広めたい。そういう想いで日々書いています。ここに、文学とそうでないものとを隔てる壁が生まれたと言えるのかもしれません。
長くなりましたが、そんなようなことをちょっと思い返しています。
誰しもが大学に行く必要性も意味もないと思う一方で、少なくとも俺は、そういう一つの「定義」を手に入れることには成功できた側なのかな? なんて。
むろん、ごく小さな定義に過ぎないけれど、こういう趣味をやっていく上では結構大きな財産であるとも自負しています。
だって……悩みますものね、いま自分が描いているものが何なのか分からないっていうのは。つい先日、そのような内容で悩まれている方の日記を読んだもので、ふと思った次第です。
と、こんなようなよく分からない世迷言を延々と続けるブログになると思います。こんな内容でも続きを――と思っていただけたら、とても幸いです。




