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闇を纏う探偵・朧哲也

作者: ss

第1章 影に潜む探偵


夜の帳が街を覆い、ネオンの光が雨に濡れたアスファルトを照らしていた。どこか冷たく湿った空気の中、朧哲也は静かに歩いていた。表向きは名探偵、誰もが認める正義の味方。しかし、その裏に潜む黒い闇は、誰も知ることはない。


探偵事務所の薄暗い室内で、彼は書類の山に目を落としていた。依頼は多い。どんな些細な事件でも、彼の手にかかれば真実が暴かれる。だが、その真実の裏側には、朧の“闇の手”が絡んでいることは誰も知らない。


そんな朧には、相棒がいた。鏡凪。彼女は朧の右腕であり、無二の理解者である。しかし、凪は朧の闇の部分には気づいていない。彼女にとって朧は、常に頼れる存在だった。


「哲也さん、本日の依頼書です。」


凪が差し出したファイルには、不可解な殺人事件の報告書が収められていた。表面上は単なる通り魔的犯行に見えるが、朧はその裏に隠された深い謎を感じ取っていた。


彼は事件現場の写真をじっと見つめる。そこには、明らかに何者かの意思が介在している痕跡があった。


「これは、ただの偶然じゃない。誰かが計画的に動いている。」


凪は首をかしげたが、朧の鋭い視線に引き込まれるように頷いた。


「私も、何か嫌な予感がします。」


だが、朧の闇はもう動き始めていた。表の顔では解決者、裏の顔では…獲物を狩る者。彼の手はすでに次の一手を打ち始めていた。


第2章 風間玲子の罠


夜の帳が落ちた街は、肌寒さを帯びていた。街路灯の明かりが歩道に淡い影を落とし、風が吹き抜けるたび、枯葉がカサカサと音を立てて舞った。そんな静寂の中を、朧哲也はコートの襟を立てて歩いていた。


向かう先は、風間玲子のアパートだった。


玲子はかつて、気鋭の調査記者として名を馳せていた。政治家の汚職、警察内部の不正、暴力団との癒着……あらゆる闇を暴こうとして、潰された女だった。情報源が“事故死”を遂げた夜、彼女のキャリアは終わった。それでもなお彼女は、諦めずに闇を追い続けていた。


そして今日、朧に連絡をよこしたのだ。


「探偵さん……会って話したいことがあるの。どうしても、あなたに直接。」



玲子の声は、電話越しに掠れていた。疲労とも、緊張ともとれる響きだった。


アパートのドアをノックすると、すぐに開いた。


「……哲也さん。」


玲子は痩せていた。目の下には濃いクマ。部屋の中は資料と書類で埋め尽くされていた。彼女は一瞬、朧の顔をじっと見つめた。まるで、その奥に何かを探るように。


「お久しぶりです。元気そうですね」と朧。


玲子は乾いた笑みを浮かべる。


「そんなふうに見えるなら……嘘が上手いわね、あなた。」


朧は微笑を崩さない。だが、その目には一瞬、揺れが走った。


玲子は一歩踏み出し、机の上の一枚の写真を指差した。


「これを見て。例の心中事件――妻と夫が揃って焼死したってやつ。」


写真には、焼け焦げた車の残骸と、遺体のシルエットが写っていた。


「これが……どうかしましたか?」


「私が調べた限り、あの妻は死の直前、あなただけに何かを相談してた。家族は知らない。でも、あなたの報告書には彼女の名前すら出てこない。なぜ?」


「記録に残らない相談もあります。信頼関係というものがあって、内容は明かせません。」


玲子は机をバンと叩いた。


「ふざけないで。私が言いたいのは、あんたが“消してる”ってことよ。」


その場の空気が凍りつく。朧はゆっくりと玲子を見た。


「……つまり、僕が関与していると?」


玲子は目を逸らさずに言った。


「可能性の話よ。でもね……あなたの周りでは、真実を知る者が不自然に消えている。偶然じゃないわ。あなたは“真実を暴く”んじゃない、“真実を作ってる”。それが私の見立て。」


一瞬、沈黙。


朧は立ち上がり、窓の外を見ながら静かに言った。


「玲子さん。あなたは優秀です。でも、真実ってものは、時に人を壊します。時に、国すら壊す。」


「それでも、私は知りたい。」


玲子の声は強くなっていた。目には、かつての炎が戻っていた。


「……では、明日。続きは現場でお話ししましょう。」


「……え?」


「その“心中事件”の現場。廃病院跡地。あなたの探している証拠が、そこにあるかもしれませんよ。」


玲子は眉をひそめたが、口元に微笑を浮かべた。


「……あなたから現場に誘うなんて、意外ね。」


「あなたの情熱に動かされたんでしょう。」


翌日。廃病院跡地。


朧が現場に着いた時、玲子はすでにいた。手には、ボイスレコーダーと分厚い封筒。


「ここに全部あるわ。例の議員と暴力団のやりとり。それから……あなたの名前も。」


「……僕の、ですか。」


「録音したの。あなたの声。あの夜、誰かに電話してたでしょ。“証拠は処理しました”って。」


その言葉に、朧の微笑みが止んだ。


「玲子さん。あなたは、優秀すぎた。」


「……なに?」


その瞬間、天井から鈍い音がした。老朽化した天井が、崩れる――


いや、仕組まれていた。


重い鉄骨が玲子の頭上に落下した。


「……っ!!」


呻き声も、悲鳴もない。ただ、崩れた瓦礫の中に玲子の身体が埋もれた。数分後、朧が通報し、警察と消防が駆けつけたが、すべては“事故”として処理された。


葬儀の翌日。鏡凪は朧に言った。


「玲子さん……あの現場に行った理由、何だったんですか?」


「証拠があると言っていた。だけど、間に合わなかった。」


「……でも。あの場所、老朽化が進んでて……なぜわざわざそこに?」


「彼女の意思でしょう。真実を求める者の、最後の執念だったのかもしれません。」


凪は、黙ってうなずいた。しかし、その胸の奥に何かが残っていた。


言葉にならない“違和感”が。


朧は、凪の視線を受けながら、ただ静かに笑った。

その笑みは、決して壊れない仮面だった。


第3章 裏切りの相棒


夜の雨が、都会のネオンを滲ませていた。水たまりに反射する光はどこか幻想的で、しかしその裏側には得体の知れない闇が潜んでいた。


鏡凪は一人、喫茶店の片隅でノートPCを開いていた。目の前には、玲子の事故現場の資料、監視カメラ映像、そして朧哲也が残した報告書。


「やっぱり……変だ。」


彼は小さく呟いた。

朧が残した報告書には、玲子と最後に会ったのは“電話のみ”とあった。だが、現場に落ちていた玲子のレコーダーには、明確に朧の声が残されていた。


《証拠は、処理しました。次に向かうべきは……》


そこまでで音声は切れていた。焼け焦げ、再生できない部分も多い。だが、それで十分だった。朧は現場にいた。嘘をついている。


凪の指先が震える。


「……なんで、嘘をつくんですか、朧さん……」


どこかで知っていたはずだった。朧の言葉には、時折冷たい“切れ目”のようなものが見える。

そして玲子の死……その直前のやり取り……。


凪は、喉の奥が熱くなるのを感じながら、レコーダーを胸ポケットにしまった。


翌朝。事務所。


朧はコーヒーを淹れていた。いつもと変わらない優雅な所作。だが凪の瞳は、その背に何か別のものを見ていた。


「おはよう、凪くん。」


「……おはようございます。」


朧はカップを差し出すと、にっこりと微笑んだ。


「今日は、君に同行してもらいたい事件がある。」


「事件?」


「都内で連続する孤独死……だが、状況証拠に不自然な点が多い。自殺とも他殺とも言えない。でも、彼ら全員に共通点がある。」


「共通点……?」


「“僕に助けを求めた形跡”がある。」


凪の指がピクリと動いた。


「つまり……朧さんのもとに来た人間が、死んでいる?」


「言い方を選んでくれよ、凪くん。あくまで未解決事件だ。」


ふ、と朧は目を伏せた。


「それにね……凪くん。君も疑ってるんだろう?」


「……!」


「僕が、玲子さんを殺したんじゃないかって。」


凪は答えられなかった。否定も肯定も、できなかった。


朧は一口コーヒーを啜り、続けた。


「いいんだよ、疑っても。ただ、君がまだ僕の“相棒”である限り、僕は君を信じている。」


「……もし、真実が……朧さんを裏切ることになっても、ですか?」


朧は、その問いにふと静かに笑った。


「凪くん。裏切りなんてものは、立場が変われば“正義”になる。」


そして静かに付け加えた。


「僕はそれをよく知ってる。」


数日後。凪は公安に呼び出される。迎えたのは、公安捜査官・螢だった。


「……公安?」


「“正義の名探偵”の相棒さんに、お聞きしたいことがありまして。」


螢は机に玲子の資料、焼けたレコーダーの写真を並べた。


「我々は朧哲也を“疑っている”。だが証拠が足りない。警察は動かない。国民は彼を英雄視している。」


「それで、僕に?」


「君は……まだ“完全には染まっていない”と見た。」


凪は息を飲んだ。螢の言葉はまっすぐだった。


「……裏切れと?」


「違う。真実を、見極めろと言ってる。」


螢の目は、嘘を見抜く者の目だった。

凪はその場で頷くことはなかった。ただ一言、静かに言った。


「朧さんは……僕に“選ばせようとしている”気がします。」


「選ばせる……?」


「信じるか、裏切るか。あるいは、そのどちらでもない“選択肢”を。」


その夜。凪は、探偵事務所に戻った。朧は机に向かい、ひとつの古い事件資料を広げていた。


「戻ったか、凪くん。」


「朧さん……あなたは何者なんですか?」


「……君は、僕をどう見ている?」


「……正直に言えば、もうわかりません。」


「それでいい。」


朧は立ち上がり、凪の肩に手を置いた。


「僕は、君を信じている。」


その言葉の奥に、深く底知れぬ何かがあった。

信頼か、支配か、あるいは――“警告”。


凪は、その夜、一睡もできなかった。

第4章 死と再生


朧哲也が“怪物”だという確信に至るには、それほど時間はかからなかった。


鏡凪は静かに、しかし確実に朧の“正体”に近づいていた。玲子の死、不可解な連続自殺。レコーダーに残された音声、そして公安・螢との密会。すべてが一本の線として繋がりつつあった。


だが、気づいたその瞬間に――凪は、朧の目が自分を見ていることに気づいたのだった。


それは「気づかれた」というより、「見抜かれていた」という方が正確だった。


ある夜、凪は事務所のファイルに細工を施し、玲子の事件資料を持ち出そうとしていた。


だが――


「君はやっぱり、優しすぎる。」


背後から聞こえた朧の声に、凪の背筋が凍った。


「……っ!」


「優しさはね、人を殺すよ。」


「どういう……意味ですか……?」


振り返った先、朧はただの探偵の顔ではなかった。

“処刑人”のような目をしていた。


「君は、正しい。でも正しさが、誰かを不幸にすることだってある。」


「……あなたがその“誰か”を決めているだけだ!」


「そうかもしれないね。」


朧は微笑んだ。


「でも僕には、君を“最後まで信じたい”という気持ちもあるんだ。」


そして静かに言った。


「……ここで、死ぬか。あるいは――生まれ変わるか。」


その言葉が、凪の“最期”の引き金だった。


そして――


新聞に小さく載った記事。「鏡凪、変死。警察は事故として処理」。

誰も深くは追わなかった。現場に不審な点はあったが、朧が「これは自殺の可能性がある」と警察に報告したことで、捜査は停止した。


「……もう、戻ってくるなよ。僕の相棒。」


朧は墓前に立ち、誰にも聞こえぬ声でそう呟いた。


だがその時すでに、鏡凪は――生きていた。


2週間後、郊外のとある廃ビルの地下室。


鏡悠真は、兄の“死”に関する情報を求めて独自に調査を進めていた。兄の遺体が火葬されたこと、不自然なまでに検視が早かったこと。そして公安の動き。すべてが「隠蔽」を示唆していた。


彼は公安の捜査官・螢と接触し、兄が死の直前に接触していた人物のリストを手に入れていた。


そのリストの中に――“朧哲也”の名があった。


「やっぱり……お前か。」


拳を握りしめ、悠真は歯を食いしばった。


そのとき、地下室のドアがノックされた。


「……誰だ?」


「開けて。僕だよ。」


その声は、聞き違えるはずがなかった。


悠真は躊躇いながら扉を開けた。


そこにいたのは――

死人のはずの兄、鏡凪だった。


「……兄貴?」


「久しぶり。……いや、久しぶりじゃないか。死んだと思ってたんだろ?」


「おい、……なんで……どういうことだよ!」


凪は静かに答えた。


「朧哲也を、倒すために死んだことにした。」


「……!」


凪は椅子に腰を下ろし、ゆっくりと事の全てを語り始めた。

玲子の死、螢との接触、そして朧の正体に近づいた結果――自分が“標的”にされたこと。


「逃げたんじゃない。……戦うために、生き延びたんだ。」


悠真はしばらく何も言わず、弟の瞳を見つめていた。

そこには、かつて見たことのない“決意”があった。


「……なら、俺も行く。」


「え?」


「俺も、兄貴と一緒にやる。公安も巻き込め。正義を、取り戻す。」


凪は小さく、安堵の微笑みを浮かべた。


「ありがとう、悠真。」


「ただし……一つだけ言っておく。」


「……?」


「奴を裁くのは、“法律”じゃ足りないよ。」


「……ああ、わかってる。」


その頃、朧は別の事件現場にいた。

新たな“処理”を終えたばかりの朧は、ネクタイを整えながら夜空を見上げる。


「さて、君たちはどう動く? 僕の“正義”に、抗えるかな……?」


彼の瞳は静かで、深く、夜そのもののようだった。

第5章 公安・螢の追跡


朧哲也。

表の顔は名探偵、裏の顔は連続殺人犯。

――そしてもうひとつ、その深層には“国家の影”が揺らめいていた。


公安の螢は、その影の正体を嗅ぎ取り始めていた。


都内・公安第五課。


「螢、お前……本気で奴を追うつもりか?」


同僚の捜査官が、螢の机に乱雑に積まれた資料を見下ろして呟く。


「上層部は“手を引け”と指示してきてる。……どう考えても異常だ。そこまでの“人物”か、朧ってやつは?」


「それが問題なんだ。」


螢はタバコに火を点け、紫煙越しにファイルを睨んだ。


「ただの殺人鬼なら、ここまで情報が消えるか? 経歴も記録も、一部は“政府の手”で編集されてる。……誰かが意図的に奴を“守ってる”んだ。」


「つまり……?」


「――朧哲也は、国家に利用されていた可能性がある。」


言葉にした瞬間、室内の空気が凍った。


「……マジかよ。」


螢は机の上の一枚の写真に目を落とした。

それはかつて、公安内部の非公開作戦に関わったと思しき人物たちの集合写真。

その中央に――若き日の朧哲也がいた。


その夜、螢は地下のバーで鏡悠真と落ち合った。


「……兄貴が生きてるって、本当だったんですね。」


「公安としてじゃない。……一個人として話すが――驚いたよ、まさか凪が生き延びてたとはな。」


「朧に“殺されかけた”。でも兄貴は、まだ希望を捨ててなかった。」


悠真は煙草を咥え、火をつけずに口元に留めたまま言う。


「……俺たちは何も知らなかった。ただ、信じてた。あいつを……“名探偵”だって。」


螢は静かに頷く。


「俺もそうだった。だが、玲子事件以降、疑念が確信に変わった。」


「兄貴が“死んだことにした”のも、あいつが“殺すつもりだった”からです。」


「つまり……もう、後戻りはできないな。」


「ええ。もう逃げ道はない。」


一方その頃、凪は裏社会の情報屋から、朧が関わったとされる“消された事件”を洗い出していた。


「……見つけた。」


古びたノートパソコンの画面に映ったのは、十年前の機密事件の断片。


とある政治家の不審死――当時の捜査官が「自殺」と判断したその事件に、匿名の協力者として「朧哲也」の名前が記録されていた。


「やっぱり……ずっと前から、殺してたんだな。」


その名は、あまりにも自然に政府の記録に“適合”していた。

まるで、そう“作られたかのように”。


「公安の内部に協力者がいる。」


螢は、悠真と凪に言った。


「朧を追うなら、公安も信用できない。俺たちだけで動く必要がある。」


「そんな危険を、あんた一人で背負うつもりかよ。」


悠真が睨むように言う。


「だったら尚更、俺も動く。兄貴を守るためにも。」


螢は一瞬だけ微笑んだ。


「……やるなら、徹底的にやるぞ。」


「当然。」


凪もまた、力強く頷いた。


そして彼らは、ある施設へ向かうことを決める。


「“第零研究室”――朧が過去に送り込まれた、特殊な訓練施設です。」


凪が手に入れた資料に、それはわずかな記述として残されていた。


「そこに、朧の“起源”がある。彼を正義にしたのか、狂気にしたのか――全ての答えがそこにあるはずだ。」


「そして……おそらく、次の標的も。」


螢の目が鋭く光る。


「奴は動く。俺たちが近づいていることに、もう気づいてるだろう。」


一方その頃、朧は一人、古びた礼拝堂の椅子に腰を下ろしていた。

誰もいないその空間で、ただ一言、呟いた。


「……また、君たちか。」


教会の十字架を見上げながら、朧はその“再会”に微かな笑みを漏らす。


「さあ、再臨の時だ。」


第6章 闇の正義


「君はまだ“正義”を信じているのかい?」


その声は、まるで遠い昔の記憶のように、朧哲也の耳の奥で鳴っていた。


十数年前――少年時代の朧がいた場所。

名前すら公文書に残っていない、廃棄された研究施設。

通称《第零研究室》。

そこで彼は、“探偵”ではなく、“殺人者”としての訓練を受けた。


一方、螢・悠真・凪の三人は、《第零研究室》の跡地に到着していた。

山奥の廃墟。鉄製の扉は半ば錆び、辺りには不自然な静寂が漂う。


「これが……奴の始まり?」


凪が口を開くと、悠真が横から付け加える。


「この施設、公安の予算で建てられてる。“戦後型犯罪対応育成プログラム”……表向きは孤児への教育施設だが、実態は“対テロ殺人技術訓練所”。」


螢が頷く。


「朧は、ここで育てられたんだ。国家にとって都合の良い“正義”を遂行するための道具として。」


「じゃあ、あいつは……最初から、殺すために作られた?」


「違う。」


螢の声が低く響いた。


「朧は“選ばれた”んじゃない。――“自分から選んだ”んだよ。」


その頃、朧は都内の旧法務局庁舎に潜入していた。


かつて自分が国家に利用された痕跡。

そして、今後の計画を遂行するために必要な“記録の抹消”。


“第零研究室”出身の唯一の生存者である自分を――

“完全に葬る”ために。


「終わらせなきゃな。俺という“兵器”を。」


コンピュータ端末に手を伸ばし、すべての関連ファイルを削除する。

過去を消し去り、再び“探偵”として表舞台へと戻るために。


だが――


「……させない。」


その背後で声がした。


振り返ると、そこには螢がいた。


「公安の情報を消して、次に何をするつもりだった? また“市民”を裁くのか?」


「“市民”……?」


朧は笑った。


「人を殺した女が、無罪になる。

権力を持つ者が、罪なき者を自殺に追い込む。

それが、君の言う“市民”か?」


「だからお前は――勝手に“処刑人”を名乗るようになった?」


「違うよ、螢くん。俺は、“理想の探偵”になっただけさ。」


その直後、物陰から凪と悠真が飛び出す。


「哲也……!」


凪の震える声に、朧の表情がわずかに揺らいだ。


「……生きていたんだな、凪。」


「どうして……僕を殺そうとしたんだ?」


「それは――君が、俺にとって最後の“重り”だったからだよ。」


「重り……?」


「君を守っていた。信頼していた。……でもその感情が、俺を“正義の仮面”に縛りつけていた。」


「だったら……全部壊すしかなかったんだな?」


悠真が割って入る。


「兄貴の命を奪って、“自由”になるつもりだったのか? ふざけるなよ!」


「君が怒るのも当然だ。けれど――怒りは正義じゃない。」


「黙れ!!」


悠真が拳銃を抜いた。その銃口は、震えながら朧を捉える。


だが、引き金は引かれなかった。


代わりに螢が言う。


「……国家はお前を“造った”。そして今、お前を“処分”しようとしている。」


「面白い皮肉だよな。今さら正義を語る者たちが、かつて俺を“怪物”として教育した。」


朧は歩を進め、悠真の銃口の前に立った。


「撃つなら撃て。――その瞬間、俺の正義は終わる。」


だが、悠真の手は動かない。


凪が、震える声で呟く。


「……終わらせるのは、あなた自身じゃなきゃダメだ。」


朧はその言葉に、ほんのわずかに目を見開いた。


「……そうか。」


彼は再び歩き出し、螢の前に立つ。


「この次の殺人は……“正義”のためじゃない。

それは、俺の最後の“意志”であり、“遺言”になる。」


螢が目を細める。


「――次が最後か?」


「ああ。」


「なら、その次は俺が撃つ。」


「了解した。」


朧は微笑し、踵を返した。


闇が深まる中で、それぞれの正義が交錯し始める。

螢は公安の闇を暴く覚悟を固め、悠真と凪は朧の心の奥へと迫っていく。



第7章――「闇を裂く刃」


深夜の都心。冷たい雨が車の窓を叩きつけていた。路地裏の一角に停められた黒塗りの高級車。その後部座席には、年配の男が背をもたれて座っている。神宮寺圭一郎。かつて公安の幹部として朧哲也を育てた男だった。


神宮寺は手にした古びた写真を見つめていた。


「哲也……お前は本当に変わってしまったな……」


背後から忍び寄る影。振り返る間もなく、神宮寺の喉元に刃が押し当てられた。


「過去は捨てろ。お前の生きる場所はここじゃない」


低く冷たい声。朧哲也の声だった。


「神宮寺……貴様が教えたこの世界に、俺はもう帰れない」


神宮寺の眼に一瞬、怒りと悲哀が交錯したが、それはすぐに暗闇に飲まれた。


――一刺し。


神宮寺は倒れ、冷たい雨に濡れながら静かに息絶えた。


翌朝。朧哲也は冷静な表情で事件の現場を後にした。彼の内側に渦巻く闇は、誰にも止められない狂気の奔流となっていた。


「兄さん、動きが早すぎる……まるで何かに追われているみたいだ」


鏡悠真は鋭い眼差しで街の喧騒を見下ろした。彼は朧を追う公安・螢と情報を共有しながら、次の動きを探っていた。


「奴の目的は何だ? 神宮寺を殺す意味……何を企んでいる?」


螢は眉をひそめた。


「俺たちはこれからもっと深く朧の闇に踏み込まなきゃならない。凪のこともある。奴はまだ動いている」


その日の夜。朧は密かに別のターゲットを狙っていた。彼の冷たい瞳が街の明かりの中で光る。


「正義の仮面の下で、俺は真実を貫く……誰が何と言おうと」


朧の指が銃の引き金にかかる。


「バンッ」


銃声が静寂を破った。


しかし、その瞬間。


遠くのビルの屋上から一発の銃弾が凪の胸を貫いた。


「凪っ!」


悠真が叫んだが、凪は静かに崩れ落ちた。


政府の刺客が冷たい目で遠くを見据える。


「朧哲也……最後の一手を打つ時が来た」


闇の中、悠真と螢は、朧との最後の対決に向かって動き始めていた。

彼らの心に宿るのは、ただ一つ――真実と、そして復讐の炎だった。






第8章「闇の胎動」


雨は止んでいた。しかし、その湿った気配だけが都市の隅々に染み渡っていた。

凪の血を吸ったアスファルトも、今はただ無言のまま、夜の静寂に溶け込んでいる。

誰もその死の意味を知らぬまま、東京はいつものように朝を迎えようとしていた。


だが、悠真にとって、その朝は永遠に来なかった。


 


「……兄さん……っ」


鏡悠真は、震える手で凪の亡骸に触れた。

温もりはまだ残っていた。だが、それが刻一刻と失われていくことを、彼は知っていた。


螢が肩に手を置いた。「……死んだのは、君の兄だけじゃない」


悠真が顔を上げる。濡れた瞳に、怒りと混乱と、そして狂気が宿っていた。


「螢……お前は、政府が俺たちを監視してるって知ってたのか?」


「……知っていた。だが、止められなかった」


螢の言葉には、確かに悔恨が滲んでいた。だが、悠真にはそれが許せなかった。


「凪は、ただ信じたかっただけだ。あんな怪物にだって、心があると……人を救えるんだと……!」


悠真の叫びに、夜がたじろぐ。


「朧哲也……俺は、もうあいつを”兄さんの仇”とは呼ばない」


螢が目を細めた。「呼ばない、とは?」


悠真は静かに立ち上がる。雨に濡れた地面の上で、亡骸に最後の視線を送った。


「呼ぶに値するものではない。あれは人じゃない。あれは“闇”そのものだ」


 


 


一方、朧哲也は闇の奥深くにいた。


神宮寺を殺した夜、彼の中で何かが壊れ、何かが生まれていた。

それは、正義の仮面を脱ぎ捨て、より純粋な“理”に従う存在――破壊と再生の使徒。


薄暗い倉庫の中、朧は一枚の写真を見つめていた。神宮寺、そして若き日の自分。

まだ公安として、国家のために働いていた頃。だが、それは偽りの平和だった。


「神宮寺……あなたは俺を育て、同時に破壊した」

「だから、あなたが死ぬことは、俺の”再臨”に必要だった」


鋭い足音が近づく。


「哲也、お前はもう――」


女の声。螢だった。


しかし、そこに立っていたのは彼女ではない。


「……誰だ」


姿を現したのは、黒服の男。冷たい瞳と無表情の顔立ち。政府直属の刺客のひとりだった。

だが、その目には、どこか迷いがあった。


「命令はただ一つ。“朧哲也の抹殺”」


「政府が……俺を切り捨てるか」


「それが“国家の決定”だ」


 


だが、次の瞬間。


銃声。


銃を抜いたのは朧だった。刺客は抵抗する間もなく、額を撃ち抜かれた。


「“国家”ね……俺を創ったのは誰だったか、忘れたか」


朧は刺客の死体を踏み越え、ゆっくりと歩き出す。

静かに、確実に、さらなる“崩壊”を求めて――


 


 


そして、夜の終わり。


悠真と螢は、公安の地下室にいた。


「凪の死は、始まりに過ぎない。これから起きるのは、もっと大きなものだ」


悠真の声は、もう迷いのない声だった。兄の死が、彼を大人に変えた。

いや、“復讐者”に変えたのだ。


「俺は、兄の敵を討つだけじゃない。朧が生み出されたこの国の闇そのものと、向き合う」


螢は頷く。「……では、ここからが本当の戦いだ。鏡悠真」


悠真が目を閉じた。「ああ。兄さんの名に誓って、俺は……」

「闇の胎動を、止めてみせる」




第9章――揺らぐ闇


灰色の空が重く垂れ込め、冷たい風が街を吹き抜ける。

朝靄のなか、葬儀場の静寂は異様なほどに重く、凪の遺体を包んだ白い棺の前に集う者たちの胸中に、言葉にできない哀しみと怒りが渦巻いていた。


「これで……本当に最後の葬式なんだな」


鏡悠真の声はかすれていた。棺の蓋に手を置き、彼は震える指先で静かに触れる。そこに眠るのは、もう動くことのない相棒・鏡凪。


「俺は何度も、何度もここに立っている気がした。けど……今度は違う。あの時とは違う。兄さんはもう帰ってこないんだ」


周囲の人々もまた、それぞれの想いを胸に、静かに頭を垂れていた。


公安の螢が悠真の肩に手を置く。

「二度目の葬式だと思うなよ。これが最後の別れだ。凪はもう戻らない」


悠真はゆっくりとうなずき、視線を前に向ける。

「分かってる。でも、信じられない。あいつは、何よりも強かった。なのに……どうして」


「だからこそ、あの時の死は”偽り”だった。だが今回は本物だ」


螢の声は静かだが、確かな決意が込められていた。

「凪の死は、朧哲也の闇がいよいよ加速した証拠だ。俺たちは、あの男がもたらす闇の深淵に、これから踏み込むことになる」


悠真の目に、怒りと悲しみ、そして狂気が宿る。

「兄さんの死を無駄にしないために……俺は、朧哲也を討つ。それだけじゃない、この国の裏側に潜む闇、その全てと戦う」


「覚悟はできているか?」


螢が問いかける。悠真は拳を強く握りしめて答えた。

「兄さんの名に誓って。どんな闇でも、俺は斬り裂いてみせる」


──


その夜。闇は東京を覆い尽くし、街の明かりすらも霞んで見えた。


朧哲也は暗がりの中に佇み、静かに目を閉じていた。

神宮寺を殺し、凪を葬ったあの日以来、彼の中に新たな“闇の胎動”が芽生えた。


「朧哲也……」


過去の声が遠くで囁く。公安時代、彼を育てた男・神宮寺圭一郎の影が揺れる。だが今、その声は冷たく、虚しい響きを帯びていた。


朧は目を開け、冷たい笑みを浮かべる。

「俺はもう戻らない。あの頃の自分も、国家のために操られた駒も、すべて破壊した」


その瞳の奥には、もはや人間の感情は残っていなかった。あるのはただ、闇の理に従う決意だけ。


だが、朧の前に立ちはだかる者は増えていく。悠真、螢、そして国家の刺客たち。


そのすべてを押し退け、朧は新たな破滅の刃を振るうだろう。


「闇の胎動は、今まさに、その全身を震わせている」


果たして、この闇を裂く者は現れるのか。


静かに、そして確実に、戦いは次の段階へと移っていった。



第10章――深淵の輪郭


 


夜の帳が降りた東京。喧騒の残滓すら感じさせぬ、異様な静寂が都市を包んでいた。


その中心で、朧哲也はひとり、廃ビルの屋上に立っていた。眼下には霞んだ街の灯り。遠くの風景は、まるで蜃気楼のように揺らめいている。


手に握られた一枚の古びた写真。写っているのは、若き日の朧、そして彼の隣で微笑む一人の女性。


藤堂美咲――朧が唯一、愛した人間。


 


「……お前を殺せという命令が出た夜、俺は初めて迷った」


声は風に流れ、誰にも届かぬ祈りのように消えていく。


「任務を拒否すれば、公安の上層は俺を切るだろう。だがそれでも、俺は……」


ふと、背後から足音が近づいた。


「藤堂美咲……私の姉の名前を、よくも口にできたな」


鋭い声。そこに立っていたのは、螢だった。


朧は振り返らない。ただ、静かに言った。


「お前が……螢、だったな。美咲の弟。あの夜、病室で姉が“弟を頼む”と遺したことは覚えている」


「……姉はあんたに殺されていない。だが、あんたの“拒絶”が彼女を殺した」


螢の目が怒りと悲しみに揺れる。「あんたが殺しを拒んだからこそ、別の刺客が動いた。……それでも、あんたは逃げた!」


「違う」


朧は静かに振り返り、螢と目を合わせた。


「俺は、あの夜、殺す任務を拒んだ。だが、代わりに彼女を救う力もなかった。政府は“躊躇”を許さなかった。お前の姉は……“俺が殺したのと同じ”だ」


「だったら、なぜ……!」


「なぜ今も生きているのか? なぜ闇に堕ちたのか?」


朧の声は低く、だがどこか悲しみに満ちていた。


「お前の姉だけが、俺を“人間”として見てくれた。俺がただの公安の人形でなくなることを、彼女だけが願ってくれた。だから俺は――“国家”を壊すことにした」


 


螢は息を呑んだ。


「それが、あんたの正義か?」


「違う。これは正義じゃない。これは“復讐”だ」


朧は写真を胸に押し当てた。


「この国は、己が生み出した怪物を手に負えなくなると、切り捨てる。神宮寺も、美咲も、凪も……皆そうだった」


「そして今、お前と悠真も切り捨てられる番だ」


 


沈黙。


風が鳴る。星のない夜空の下、ふたりの姿が静かに対峙する。


 


「朧哲也。俺は姉の弟としてではなく、公安として、お前を止めに来た」


「それでいい」


朧は初めて、微かに笑った。


「だが螢……お前の覚悟は、それだけじゃ足りない」


 


次の瞬間、背後の影が動いた。


銃声。銃を放ったのは、公安直属の“監察部隊”――国家の新たな刺客だった。


だが、朧は既にそれを読んでいた。


銃弾は空を裂き、影の一人を即座に返り討ちにする。


「やはり来たな……これが“国家の最終判断”か」


朧の視線の奥には、もはやためらいはなかった。あるのは、彼の中に宿った“闇の理”――そして、その源泉である美咲の死。


「この国は俺を創り、利用し、そして殺す」


「だが、その前に……俺はすべてを“終わらせる”」


 


その言葉を最後に、朧は夜へと溶け込んだ。


一発の銃声も残さず、彼の姿は再び、闇の奥へと消え去った。

 


一方、鏡悠真は、螢からの報告を受けていた。


「姉を……」


「朧が殺したのではない。だが、姉を殺したのは“この国”だ」


悠真はうつむいたまま、呟く。


「なら俺たちは……この国と戦うしかないな」


「それが、兄の遺志を継ぐということか?」


「違う。これは俺の意思だ。兄さんの死は、もう過去だ。これから起きるのは――」


悠真は顔を上げ、静かに言った。


「朧哲也と国家の“真の闘争”だ」

 


夜はまだ終わらない。


美咲の死という原点を越え、すべての因果がひとつの渦となって動き始める。










最終章――終焉と誕生(完全版)


 


雨が降っていた。

六月の終わり、季節外れの冷たい雨が、東京の空を鉛色に染め上げていく。


霞ヶ関の地下。

かつて公安の闇が育まれ、葬られてきたその場所に、朧哲也はいた。

政府の人間兵器として“造られ”、そして捨てられた男。

その原点に、彼は再び立っていた。


黒い制御装置に指をかざし、彼は呟いた。


「ここが……俺の始まり。そして、終わる場所だ」


 


背後から声が届いた。


「いや、終わらせる場所にするかどうかは、まだ決まっていない」


螢。

その隣には悠真。ふたりの瞳には、決意と哀しみが混ざり合っていた。


朧は振り返り、ふたりを見つめた。


「来たか。ようやく最後の幕が上がるな」


「美咲の言葉を、お前に伝えに来た」螢が言った。「姉は最後まで……お前が“人間”に戻れると信じていた」


 


一瞬、朧の顔が歪んだ。

彼の中に、かつての柔らかな記憶が蘇る。

初めて誰かを愛した記憶。

公安の監視下でも微笑みを絶やさず、自分の手を取ってくれた、あの女――藤堂美咲。


「美咲は……もういない。俺が殺さなかったから、別の奴に殺された。国家が、お前たちの政府が」


朧の手が震えた。


「俺はあのとき、命令を拒んだ。初めて、自分の意思で殺さなかった。だがその代償が……彼女の死だ」


悠真が前に出る。


「だから、世界を壊すのか? 兄さんの死、美咲さんの死、そのすべての報いを“破壊”で返すのか?」


「違う。これは報いではない。“解放”だ」


朧の声は静かだった。あまりにも静かで、冷たかった。


「だが……今ここで、お前たちが俺を止めるなら――それもまた、“人の意志”だ」


螢と悠真が拳銃を構える。


「終わらせよう、朧哲也。お前の“存在”そのものを」


 


その瞬間――銃声が響いた。


だが撃ったのは螢ではなかった。


頭上の天井から何かが落ちる。黒い影――国家の刺客。

朧を討つための、国家最終命令。


「来たか……最後の駒が」


朧がわずかに笑い、右腕を振るう。銃弾が影の眉間を貫く。だが、その直後、施設全体が警告音に包まれる。


《最終防衛プロトコル起動 爆破コード認証完了》


爆発まで――残り180秒。


 


「……クソッ、間に合わなかったのか!」


螢が叫び、悠真が朧に駆け寄る。


「一緒に逃げよう! こんなところで終わる必要なんて――!」


朧は首を横に振った。


「もういい……俺は、ここで終わる。お前たちは、生きて真実を伝えろ」


「そんなこと、できるか!」


「できる。凪が、お前に繋いだ命だ。美咲が、お前たちを信じた魂だ。だから、お前たちは、生きろ」


 


残り――30秒。


天井が崩れ始める。


螢が悠真を引き戻す。


「今は……引くぞ!」


「でも――!」


「いいから来い! 朧の死を、ただの無駄にする気か!」


 


ふたりが地上への通路へと駆け出す。

背後で、朧が最後に微笑んだ。


 


「美咲……やっと、お前に会える」


 


そして――轟音。


地下施設は、赤い閃光に包まれ、全てが吹き飛んだ。


 


 


──数日後。

政府は“爆発事故”として情報を封殺し、朧哲也の名も、存在も、歴史から消された。


遺体は発見されず、葬儀も行われなかった。


ただ一つ、現場に残されたのは、焼け焦げた美咲の写真。

朧が最後まで持っていたものだった。


 


悠真は、螢と共に報道を眺めながら呟いた。


「証明する術は何もない。だけど……俺は、あのとき、たしかに人間としての朧哲也を見た」


「俺もだ。姉も……たぶん、同じ光景を見ていたと思う」


悠真はポケットから小さな種を取り出す。

朧が過去に、凪と語った言葉を思い出しながら。


“闇に咲く花もある。誰にも知られず、それでも根を張る”


 


「闇は……まだ、終わらない。だけど、もう一度、希望の種を植えてみるよ」


そして彼は、静かに土へと種を埋めた。

 


その闇が、いつかまた“誰か”を生むのだとしても――



それは、次の物語の始まりに過ぎない。


 


――Fin.


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