第四十四話 登竜門、撃破
「小僧、魔力探知が上達したな、良い兆候だ。適応するに越したことはない」
今もなお燦々と輝く輝石を握り込み、対応する輝石の場所……竜のいるそこへと辿って行く道中にて。不意にシーグァンが放ったひとことに、俺は振り返って言葉の意を問おうとした。薄暗い森の中で、シーグァンの瞳がぼんやりと光を放っている。俺の行動が予想外だったのか、足を止めるのが遅れ俺にぶつかりそうになっていた。
「なんだその顔は……深い意味はない、ここに人間を連れてくるとたまに……変質するのだ、ここに適応するように。小僧にもそれが現れたのかと」
「なんでそんな重要そうなことを伝えておかないんだ……!?」
「害はないからな。能力が強化される現象とでも思っておけば良い」
俺が苦虫を嚙み潰したような表情をしていると、早く歩けと容赦なく尻尾で叩いてくる。渋々元の目的地へとまた歩き出したが、質問はまだ投げかけ続けた。
「本棚にあった記録はあらかた読んだが、そんな記述無かった」
「吾とて全て記した訳ではない、自分の頭で覚えておけるものは書かぬこともある」
何だか疲れてきた。歩くのにではなく、会話するのに。やれやれとでも口に出そうなのを間一髪で飲み込んだ。いや、まあ仕方ないと言えば仕方ないんだろうけど。生物としての尺度が違うし、只人と接する機会も無かっただろうし……。
「……拠点に鏡が無いから分からないだけで、もしかして見た目も変わったりしてるのか」
「多分しておらん」
「多分ってなんだよ!?」
「攫ってきた当初の見た目なぞ一々覚えておらん……」
またツッコミを入れようと口を開けたその瞬間、気配を感じて足を止める。そろそろ森の端側、抜けた先はゴツゴツとした岩肌のはず……俺の探知が正確ならの話だが。
「……もうすぐ竜の巣に着く。シーグァン、お前はどうする?」
口ぶり的には恐らく戦闘に介入する意思はないだろう。彼女は今回の戦いを俺の成長の足掛かり、登竜門として見ている。
「適当な場所で見ている、吾のことは気にするな」
シーグァンの言葉に頷き、草を踏み分ける足を早める。10分と少しした頃には、薄暗い木々の隙間に光が差し込んできた。それと同時に、魔力器官である脳に焼き付くような強烈な感覚に襲われる。俺は今まで森の魔力濃度が高いのは森自体の特性なのだと思っていたが、ここの様子を見るに竜の巣から魔力が漏れているせいでもあったのだろう。
じゃあ行ってくるから……とシーグァンに言おうとして振り返ったところ、気まぐれなその人はもう姿を消していた。相変わらずだと溜息をつき、銃剣を構え隠密の魔法を自身にかける。
(……前よりずっとやりやすい)
術使いが皆一様に触媒を持つ理由がよく分かる。流し込んだ魔力は機構に組み込まれた魔力回路を寸分の狂いもなく滑り、魔法の行使を補助した。良質な外付けの魔力回路を使うと、なんと言うか……体内の容積が増えたような錯覚に陥る。
生まれつきの魔力強者たる竜に、魔法頼りの隠密が完璧に通用するとは思えない。不得意な魔法の穴埋めをしようとあくまで補助にすぎない、俺が真に頼るべきは今まで仕事で培ってきたものだ。俺はそっと地に足をつけて、竜のねぐらへと進んだ。
暗いそこへ足を踏み入れると、ねっとりとした熱気が頬を撫ぜる。色々なものが混ざった魔力が沈殿し、散逸し、空気に充満していた。十中八九、そこら中に落ちている魔物の死体から発せられる魔力だろう。竜はよくこういうことをする。一般に竜の澱積みと呼ばれる行為で、狩った獲物を巣の入口に置き、魔力溜りを作るのだ。こんな気色の悪い魔力をした場所には誰も近付きたがらなくなる、自然とできた防衛策というわけだ。しかも、ここに転がっている死体はおそらく全て合種の魔物のもの。元の世界で見られる竜の澱積みより、よほど凶悪な濃度をしている。ずっとここにいたら脳がおかしくなりそうだ。無意識に足を早め、折り重なった死体の一帯から抜け出そうとする。
(外で見た時は、そんなに深い洞窟には見えなかったが……)
分かれ道こそ無いものの、いかんせん長い。輝石の光り具合的に着実に進んではいるのだが。先程の魔力の澱で、脳にダメージを負って認知機能が……なんてこともあるか?今度シーグァンに魔力の焼き付きを防ぐ術でも教えてもらおうか。
なんてことを考えていると、不意に異臭が鼻をついた。
肉と魔力の腐った臭い……と、その上から覆い被さる火の匂い。間違いない、すぐそこに竜がいる。
俺は歩きながら小さく祝詞を唱え、右手に握った銃剣の刀身に聖性を付与する。明かりは……居場所がバレるリスクがあるのでやめておく。穢れた澱には神が与えた業で対抗しろというのが教会のセオリーだ。俺はそこまでその説を信じていないけど。
竜のいるその場所まで、あと四十歩。竜からすれば目と鼻の先のような紙一重。ここまで接近して勘づかれていないということは、俺の隠密の腕前もそこまで衰えていないということだ。冒険者としての活動ばかりして鈍っていると思っていたが。脚のホルダーから短剣を抜き、二刀をぐっと握りしめる。ゆっくりと、バレないように、先手を取れるように。人以外は専門外だが、何にだって共通項というものはある。大体は首を切れば死ぬのだ。
あと二十歩、分泌される可燃物特有の臭いが鼻を刺激する。
あと十歩、化膿した竜の傷口から、膿の滴る音が聞こえる。
(…………今!!)
この距離なら届く。そう確信し、左手に持っている短剣を投擲する。刃は鱗の隙間に突き刺さり、突然に刺激を与えられた竜は身体を蠢かせた。相手が状況を理解するより前に、地面を蹴って飛び上がる。楔となった短剣を足掛かりに、首の根元へと着地した。
「そんなに暴れるな、もうじき殺してやるから」
酷く暴れる巨躯の上で、銃剣に魔力を込め……突き立てる。確かな手応えとともに、鼓膜が破れそうな程の鳴き声が耳をつんざいた。背後から尻尾の叩きつけが迫っていたので、一旦退く。
(やったか……?)
深い傷を負い、洞窟が崩落しそうな程に暴れ狂う竜。その姿を見て思わずそんな感想を抱いたが……往々にして、そう思ったときに限ってしぶとく生き延びられているものである。
「うおっ!?」
土埃が煙幕となり悪くなった視界に、急に何かが飛び込んでくる。やはりまだ生きているか。
同質の塊のようなものが、次々とこちらを狙って発射される。弾速が速いせいでよく見えないが、おそらくは捕食した魔物の骨を体内で固めたものに竜自身の魔力を練りこんだ塊……だろう。絶対汚いし、死んでも当たりたくないな。
(不意打ちの一発で仕留められなかったとなると、どうするか……)
竜の猛攻を避けながら考え込んでいると、不意にシーグァンの言葉が脳に浮かんでくる。武器を手渡されたときに言われた言葉。
『単なる触媒として使っても良いが、この武器の真髄はそこではない。小僧は魔法発動直前の煩雑な思考が得意では無いと言っていたな、そんなお前にはぴったりの武器だ』
この武器を打った龍女はそう言った。お前はただ、流し込むだけで良いと。潤沢な魔力を持ちながら魔法の技術がからきしなら、魔力を流し込むだけで良い武器を使え。後はそう、お前が今まで生きて得たもの。敵前に躍り出るのは得意だろう?と、あいつはそう言って見せた。
背後に迫り来る岩石の楔を躱し、竜の背に飛び乗って鱗を踏みつけ駆け上がる。瘴気を放つ暗い澱に足を取られそうになっても、スピードは落とさずに走る。
狙うは脳天、頭蓋に風穴を開けてやる。
脳内物質が出すぎて、聴力に支障をきたしそうな叫び声ももう頭に入ってこない。砲口が脳天直上に突きつけられ、魔力が砲身の中を滑っていく。何も考えなくていい、ただ信念や闘志に突き動かされるだけでいい。
機構内を通り増幅され、砲口にまでたどり着いた魔力が凄まじい爆発音を響かせる。眼前が白み、耳鳴りが頭の中に反響した。
「……何だ、今の」
五感が正常に戻る頃には、竜の体はもう地に伏していた。脳天には穴ができ、中身が見えてしまっている。
何も考えずに、ただ魔力を流しただけでこれ。凄まじい威力だ。……これなら、もっと高みを目指せるだろうか。
そう希望を感じ、拳を握りしめたのもつかの間。俺は酷い脱力感に襲われ、ふっと意識を手放した。
この世界の宗教はかなり統一されていますが、たまに全く別の信仰や派生した信仰を持つ者もいます。その中でも竜信仰(竜が神の使いだとする考え)は根強い人気を持ちます。竜の巣の魔力溜りが発見されると、そういった教団が率先してその土地一帯を封鎖してしまうことも。結果として高額依頼である竜討伐が無くなる……なんてこともあるので、冒険者たちからすれば目の上のたんこぶでしょう。




