第四十二話 新たな決意、それと敵
シーグァンが離れの工房に篭って数日経った。つくづく思うが、ここにいると時間の感覚が無くなる。時計があるのが唯一の救いだろうか。
現在、俺は鍛錬を終えて監視塔の休憩室……いつも生活している部屋の本棚を漁っていた。木製の大きな本棚だ、天井すれすれまで高さがある。そこそこの広さの部屋だが、この本棚によって結構なスペースが取られていた。収められている本は大方が背表紙になんの情報も無かったので、今までずっと中身が気になっていたのだが。
(今のところ、この異空間の調査記録ばかりだ)
数冊抜き出しパラパラと捲ってみる。ここの植生や出現する生物、拡大スピードの規則性……色々な情報が飛び出してきた。数冊ランダムに本棚から抜き取って見たが、どれもびっしりと書き込まれている。500年間、一人で調べて続けてきたのか。
ちなみに、俺もただ単に暇で本棚を漁っている訳ではない。シーグァン本人はあまりそこを意識していない様だったが、彼女の昔話には魔人……それも初めて発生した個体が出てきていた。先の魔人討伐戦の依頼を受ける時にティアさんが語っていたことだが、始まりの魔人には神の祝福の残滓があったという。祝福についての情報はいつだって欲しいし、シーグァンの持つ文献に関連したものがあれば……と思ったんだが。
(やるべきことが錯綜してる……一旦整理しよう)
冊子を閉じて床に座る。壁に掛けられた石灯がかすかに点滅した。
目下の目標は失踪した商人たちを連れてここから脱出すること。俺にここから出る能力は無いが、シーグァンが出してくれるらしいので多分これは大丈夫。ここと外の時差も問題ない。俺の理解が正しければ、ここの空は外と連動している……俺はここで一週間以上を過ごしたが、元の世界では俺が攫われた夜から少しも経っていない筈だ。
で、次の目標。ここから脱出する時になるまでに強くなること。先程閲覧した記録によると、脱出するための条件はここの空が変化する、つまり外の時間が進むこと。これは不定期らしいので具体的なタイムリミットは分からないが、空が変化する周期の中央値は102日らしい。日付が現在に近い記録を見て知ったが、俺を攫う少し前に空が夕焼けから夜になった様なので……俺が出られるまではあと体感三ヶ月ってとこか。
それからこれは目標……では無いけど出来るならやること、合種や神の祝福についての調査。ティアさんに雇われている以上はこれらに目を光らせなければ。
タイムリミットは恐らく約三ヶ月。それまでに強くなって帰る。大丈夫、できる……というかやらなきゃいけない。もう役に立てないのは御免だ。
決意を新たにしたところで時計をちらりと覗き見る。時計の針は二時を指している、そろそろ見回りにいかなければ。壁に立てかけた剣を手に取り腰を上げる。前までは全く気になっていなかったが、武器の新調の話が出てから途端に剣のことを気にするようになってしまった。冒険者になったタイミングでアドウェールに与えられた長剣を今になるまでずっと使っている。元々武具に拘るたちではなかったし、師匠である彼も俺を気遣って良い品質のものを入手してくれたからだ。乗り換える理由もなかったが、あと少しすればこの剣ともおさらば。そう思うと一抹の物悲しさがこみ上げてくる。
手放すその時までちゃんと使うのが礼儀だろうということで、俺はその剣を携えて冷たい風の吹き荒ぶ外へ出た。
◇◇◇
「よっと……こんなもんか」
切り伏せられた大蛙の前で、剣に付着した血を振り払う。飛んだ血の飛沫が、暗い影を落とす木の幹に跡を残した。これで二体目、巡回範囲は全部見終わった。合種ってもっとレアなものだと思うんだけど、この空間だとこんなにポンポン出現するのか。俺は本来ならこの種類の大蛙に無いはずの器官……毒の分泌腺を観察しながら考える。これはどの種族の特徴なんだろう、俺は魔物に詳しくないので全く分からない。
仕事を終えたので帰ろうとしたところ、死体は処理をしろとシーグァンに言われたことを思い出す。火を付けたらまずそうな内臓をナイフで切ってどかし、骨と肉に炎の魔法で着火した。ぱちぱちと音を立てて灰になっていく様をぼうっと眺める。
(強く……色んな状況に対応できるようになるには知識も必要か)
無事燃え滓になった死体を見て、水の魔法を唱え鎮火する。内臓は捌いて吊るしておいた。野生動物が食べて処理してくれるだろう、多分。恐らく。
俺はしゃがみこんだ姿勢から立ち上がり、地面に突き立てておいた剣を手に取って拠点に帰ろうとする。帰ったらちゃんと本棚にある記録を読もうと決意して。
死体処理現場に背を向け歩き出す。この森は空気が澄んでいるが魔力が濃くてどうも落ち着かない。なんと言うか、体内と外の境目が薄くなってしまうような感覚があって気持ち悪い。聞きかじった話だが、体内の魔力濃度と大気中の魔力濃度が近いとそうなるらしい。
そんな微妙な気持ち悪さに背を押され、駆け足で森を抜ける。空気を切って、頬を冷たい風が掠めていった。監視塔にまで続く開けた道に出たところで、地面を蹴る足の速さを緩める。
「!」
気配を感じ咄嗟に身を木々に隠す。次の瞬間目に飛び込んできたのは、矢のような速度で飛来する竜。スローモーションに映る視界の中、それはとてもはっきりと見えた。シーグァンではない、体表の色が違う。では何だ?いや、考えている時間は無い。俺は脚のホルダーから輝石の埋まった短剣を抜き取り、尻尾の付け根……動きがあったために鱗の間にできた隙間のそこへと投擲する。予想通り短剣は竜の堅固な鱗を避け身体に突き刺さった。
「うわっ……」
竜が羽ばたき、風圧で身を隠している木々が軋む。次に目を向けると竜はもうそこには居なかった。どこかへ飛び去ってしまったようだ。俺は慌てて先程の短剣に埋まった輝石に対応する片割れを取り出す。手の中にある碧色の輝石は鈍く光を反射していた。対応する輝石の周辺に魔力的な異常があると片割れが光り輝くというメジャーな通知方法なのだが……念の為に短剣に仕込んでおいて良かった。こんな所で役に立つとは。
俺は竜の飛び去った方角へ目を向ける。詳細は不明、しかし要注意。ここでの生活も楽ではなさそうだ。




