第三十四話 半ばの獣
「で……結局特に対策もできないまま出発した訳ですけど」
「仕方ないだろ!噂も流れてこないし情報も無いんだから対策の立てようが無いじゃないか!」
整備されていない道を、合種の馬が引く馬車が走る。俺たちは今、ティアさんの故郷に向かっていた。
そして冒頭で何を話していたかと言うと、ガーディアに言われた不穏な一件についてである。明日通る予定の公爵領の森沿いの道、そこで隊商が幾つか行方をくらましたらしい。しかしそれについて調べようにも、揉み消されたかのように情報が出てこない。そこで先程の会話に繋がるというわけだ。
「中規模な隊商が三つも消えた、公爵もそれを楽観視してる訳ない。何か強大な化け物が出てたとして、それを放っておくなんて武勲を捨ておくようなものだろ。彼らはきっと対処できなかったんだ」
「魔物のせいって決めつけるのも早計な気がしますけどね。悪どい商人が秘密裏に権力者に処理されるなんてのもよくある話でしょう」
「……そのあるある全然通じないんだけど、処刑人的にはそうなの?」
ティアさんはじとりとした目で俺を見つめる。しまった、これ共通認識じゃないのか。処刑人の仕事をしている時、そういう標的も多かったからあるあるなんだと思っていた。まあ考えてみれば、暗部で処理している時点で一般人にはほぼ漏れないので通じないのも当たり前なのだが。
「ティア、アヨ、もうつかれた。わたしもばしゃのる」
不意にヴェラの声が脳内に響く。カーテンをよけると、横……正確には馬車の上空で並走する形で、鮮やかな赤い羽の古代魔鳥が飛んでいる。ヴェラだ。
「一旦止めるから入っておいで、アドウェールさんに貰ったクッキーでも食べよう」
それを聞いたヴェラは、嬉しそうに翼をはためかせた。ゆっくりとスピードを落として空を滑り、停車した馬車に続いて着陸する。
ティアさんが文字の書かれた紙を取り出して、大きな鳥の姿をしたヴェラの頭に載せる。鎮痛の魔法だ。紙が乗ったのを確認したヴェラは、姿を人間のそれに変えた。変質の呪い、いつ見ても不思議な光景だ。
「ほらヴェラ、私の隣に座るといい」
ティアさんは馬車に戻り、彼女が座っている隣の座席をポンと叩く。しかしヴェラはそこには行かず、俺の膝に座った。ティアさんがショックを受けた顔をしている。
「なっ……アヨくん君ってやつは……」
「ヴェラが選んだことですから、俺に言われても」
対抗心に満ちた目を向けてくるティアさんを他所に、俺の膝の上にいるヴェラを見る。鼻歌を歌ってご機嫌なようだ。
ヴェラは紙袋をがさごそと漁り、中からクッキーの袋を取り出した。三人で遠出すると言ったら、アドウェールがヴェラにと持たせてくれたのだ。もう完全に孫馬鹿である。俺に対しては厳格な態度を崩さなかった義父兼師匠が(そこまで露骨にではないとはいえ)骨抜きにされていくのは、見ていて少々複雑な気持ちだが。
「なあヴェラ、空から見ていて何か気になることはあったか?」
「んー……けしきがきれい」
「それは良かった。異常は特に無かったか?」
「あ、そういえば……」
そこまで聞いたところで、馬車が急停止する。不意の出来事だったのでバランスを崩し、前に倒れ込んでしまった。
「おっきいきがたおれてた……」
運良くティアさんに抱きとめられたヴェラが苦しそうに言葉を続ける。強く抱き締められすぎて窒息気味になっていたので、ティアさんの腕を緩めておいた。
「じゃあこの急停止はそれか……行くよアヨくん、木をどかそう」
ティアさんが杖を手に取り馬車の扉を開ける。目の前にはやはり大きな倒木があった。
ティアさんの補助魔法もあってか、退かすこと自体には手こずらない。しかし、問題は倒木自身ではなかった。
「ティアさん、これ……切られて倒れたようです。しかもうっすら残留してる魔力がある、魔物の仕業です。放っておけば被害が広がります」
「何回も切りつけてある……気が立ってたのか研いでたのか、いずれにせよ対処しなければね」
ティアさんは馬車の中にいるヴェラに合図を送った。見張りを頼むというサインだ。そのまま錫杖の柄を地面に打ち付け詠唱し、馬車の周りに結界を張る。
あまり遅くならないようにと心に決めつつ、俺たちは茂る木々の中に足を踏み入れた。
「魔力が濃いですね、これ探知効いてますか?」
「こんな濃度でしかも相手が野生の奴じゃ無理、ここに住んでる魔物は賢いね」
がさがさと草を踏み分け奥へと進んでいく。鳥の声や葉の擦れる音がやけに響いていた。
「ここらに生息してる魔物で、あのサイズの木を切れる種に心当たりは」
「無い。鹿の近縁種で蹴爪が異常に鋭く発達した魔物が居たけど、あの木を切れるほどかと言われるとね」
俺は歩きながら考え込む。単純にティアさんの記憶違いか、それとも他に何かあるのか。
無言で周辺を調べていると、奥からがさりと葉をかき分ける音が聞こえてきた。咄嗟に気配を消し、ティアさんの口も塞ぐ。
こちらに気付かず歩いてくるそれを見て、俺は息を飲んだ。大きく勇ましい角、悠々と広げられた翼、そして後肢にて光を反射し煌めく刃物のような蹴爪。間違いない、あれが倒木の原因だ。直観でそう思った。
目を凝らさないと分からないが、所々体に切り傷を負っている。別の個体との縄張り争いでもあったんだろうか?
「……アヨくん」
俺に手で口を塞がれたまま、ティアさんが小声で話しかけてくる。ちょっとくすぐったい。
「あれ合種だよ。多分群れを追い出されたんじゃないかな、それが原因で気が立ってたり負傷したりしてるんじゃない?」
「……分かるものなんですか?」
「合種って見た目の関係上、群れから排斥されやすいんだよ。しかもあんな目立つ翼じゃどうしてもね」
そこで会話は一旦終わり、鹿が通り過ぎるまで沈黙が保たれる。鹿が完全に背を向けたタイミングでティアさんが合図を出してきた、倒してこいということだ。
自然に漏れ出る魔力を遮断し、ゆっくりと近付く。相手はこちらに気付いていない。そのまま一歩、二歩と歩み寄る。ここまで近付いてようやく分かったのだが、パッと見の外見に反して恐らく筋肉量が凄い。下手に長剣で切ろうと思っても、後脚の反撃を喰らえば終わり。
俺は短剣を脚のホルダーからそっと抜き、脳を目掛けて投げた。刺突刃は深く突き刺さり、目論見通り鹿は大きな翼をばたつかせて暴れる。状況が理解出来ていないようだ。そのまま後脚を長剣で叩き切り、反撃を封じる。そこで鹿はようやく俺の方を見てきたが、出血が多かったようでそのまま地に伏した。
「アヨくん、ありがとう。怪我は無いかい?」
「大丈夫です。他の獣が寄ってくるので早めに処理しましょう」
筋肉が切られ頼りなく揺れる鹿の脚を横目に見る。もう死んでいるようだ。
「……倒すのはアヨくんに頼っちゃったから、埋めるの位は私がやるよ。先に戻ってて」
「?分かりました」
言われるがままに来た道を戻り、ヴェラの居る馬車に乗り込む。ティアさんがいる森の中の方をぼうっと眺め、帰りを待った。
(頼ってくれた方が嬉しいんだけどな)
そう思っていると、ティアさんが駆け足で戻ってきた……腰のポーチがどう見ても膨れている。
「素材、取ってきたんですか」
「べ、別にいいだろ……ちゃんと遺体は埋めたし」
ティアさんが後ろめたそうにポーチを手で隠す。そういやこの人、俺を雇う前は無免許採集犯だったなと思い出した。一応、冒険者免許を持っている者の監督があれば問題ないので今のは罪に問われないけど。……俺、言うほど監督してたか?
「まものたおしてきた?」
「そうだよ〜、アヨくんがかっこよく倒してきたんだよね?」
「からかわないでください」
ティアさんが座席に座り少しすると、また馬車が走り出す。取るに足らない、ちょっとした足止めだった。
(……合種は、群れから排斥される)
俺はヴェラと楽しげに談笑するティアさんをそっと見た。……彼女も、そういう経験があるのだろうか。耳の尖っていないエルフ、短命の長命種として。
思考を振り払うように頭を振る。ティアさんは故郷の方々に可愛がられてたって言ってたじゃないか。
でも、もし彼女に『合種だから』という理由で災難が降り掛かったら……それはとても、悲しいことだと思った。
野生動物(魔物含む)の合種は大きく分けて三つパターンがあります。一番多いのが群れ自体から排斥されるパターン、次が群れ内のコミュニティからは排斥されるけど都合の良い用心棒として群れには所属させられるパターン(合種は通常の個体より魔力が強いことが多い)、稀にあるのが強さで群れの長に成り上がるパターンです。




