第三十話 取引成立
「神?それがワタシにどう関係するのです?」
「そう急がないでよ、順を追って話そうじゃないか」
ティアさんは自身の髪を弄りながら気だるげに、しかし確信を持った様子で話す。それすら、自らの話を通すためのブラフかもしれないが。
「魔人、それは数年から数十年間隔で不定期に発生する魔物だ。あたかも一つの種族のように語られることが多いが、個体同士の関連性は明らかになっていない」
「……何が言いたいのですか?」
「最初に発生した魔人には、神の祝福の残滓があったと記録されている。それ以降の魔人の記録には見られなかったけど……大方、上の人間に隠蔽されているんだろうね」
最初の魔人討伐は完全にギルド内で完結してたらしいから、教会も手出しできなかったんだろうと彼女は付け加えた。
「で、ここからが重要だ。私は討伐戦中の君を見させてもらってたんだけど、君はまるで……空から誰かに監視されているような言動をしていたね?」
その問いかけに、魔人は口を閉ざす。俺はシェイナの術が発動したときを思い出した。傲慢を罰する奇跡……それが自身に降りかかった時、魔人は憎しみの表情を浮かべて空を見上げていた。どこまで邪魔をすれば気が済むのです、という言葉と共に。
「そして私が思うに、君を監視しているそれこそが神だ」
その言葉が放たれた瞬間、空気が張り詰める。神とは絶対的なものだ、でなければ教会という組織はここまで幅を利かせられない。その神が、魔人を監視している。……どうして?
俺より二歩ほど前にいるティアさんに目を向けると、後ろ手にサインを送ってきていた。『興味を持たせるために言ったけど全然憶測だから、間違ってたら私殺されるかも』……この人、色んな意味で大胆すぎないか?
「……殺すためには情報が必要、そしてアナタたちは私よりも神に詳しい」
「そうだね、どう?やっぱり無視できない話だっただろ?」
よし、魔人が食いついた。あともう一押しに見えるが、まだ反論される余地がある。ティアさんはここをどう切り抜けるつもりなんだ?疑問に思っても、彼女の表情は窺えない。
「アナタの話を聞いて合点がいったのですが、そこの男……それとあの黒髪の女、二つ結びの……彼らは神に類する力を扱っているでしょう」
視線を向けられ、緊張感から唾を飲む。討伐戦のときの俺は魔人をただの魔物の類として侮っていたが、相手は想像より頭が切れるようだ。ティアさんの憶測まみれの話にツッコミが入らなかったのも、視線の主とやらと俺たち聖職者の扱う奇跡に関連性を見出したからだろう。
「そして、そのような力を使う者はワタシも何度か食べてきました。アナタは神の情報を抗い難い餌としてワタシの前にぶら下げましたが、その実ありふれたものなのでは?」
やっぱりそこに気付くか。確かに、神という存在はこの世界では常識だ。俺たちに突出した情報アドバンテージがある訳ではない……恐らく。ティアさんの合種研究にはあまり首を突っ込んでいないので分からないが、その方面で何か成果があるのかもしれない。
とにかく、現時点では魔人は……人間との取引には価値を見出したが、それが俺たちである必要は無い。しかし、ティアさんは余裕の表情を見せている。
「私はエルフだ、それだけ言っても分からないかもしれないね……言ってしまえば、神に祝福を受けた種族なんだよ」
来た、特大のハッタリ。確かに嘘は言っていない、言っていないが……大丈夫なのか?
「……耳が尖っていないように見えますが」
「なんだ、エルフのこと知ってるのか。いや、ただの突然変異だよ。種としては間違いなくエルフさ。故郷の姐さんたちも可愛がってくれてた」
「エルフであるという証拠は?」
「証拠?うーん……魔力とか血とか、そういうのなら分かりやすいかな?」
危険な綱渡りを見ているようで、何だか凄くヒヤヒヤする。俺は話術というものを全く心得ていないのでこの取引のテーブルに立つことはできないが……傍から見るだけでもお腹いっぱいだ。
彼女はわざと、自身が合種であり祝福が適応外なことを言わなかった。単に己がエルフだという手札が弱くなるから切り捨てたのか、それとももっと良いタイミングがあるのか。
「まあ、私個人はそこまで関係ない。今君が惹かれているのはさっきの一文だ、私は故郷に頼れる間柄の人達がいる。エルフは長命種族……伝手を頼ればかなり昔の文献なんかも手に入るかもね、しかも『神に祝福を受けた当事者目線』のものが」
多分、ティアさんは有力な手札を使い切った。魔人は相変わらず貼り付けたような笑顔で表情が読めないが、そこまで感触は悪くないはずだ。
「……これは個人的な感覚の話なのですが。ワタシはあの視線の主を殺すと誓っているわけですから、それの恩寵を受ける者にもあまり良い感情は抱きません」
遠回しな拒絶。しかし、彼女にはまだもう一枚手札がある。つい先程隠したはずの、彼女のアイデンティティたる手札。
「言い忘れていたが、私は合種エルフだ。さっき言った突然変異とはこれだね。間違いなくエルフではあるが、神の祝福は適応されない……そして、それに不満を持ってもいる」
ティアさんは相手の出方を伺うように、ゆっくりと言葉を続ける。
「私の生涯の目標は、神を見返してやることだ。合種を認めさせたい……どう?神への信仰が浸透しきったこの世界で、私たちの反骨精神は反りが合うと思わないかい?」
少しの沈黙が場に流れる。
「……取引に応じます。これからは仲良くしましょうね」
「ありがとう、嬉しいよ」
ティアさんが歩み寄り、二人が握手をする。静かな争いは幕を閉じ、俺はそれに安堵のため息をついた。
これで、魔人は俺たちに自主的に協力してくれる。
「それでは、早速ワタシのことを調べていきますか?態々拘束具を取ったのは取引に引き摺り込むためのポーズもそうですが……ワタシの魔力に用があってのことでしょう」
魔人は椅子に座りながら、大きく腕を広げた。来いと言わんばかりの姿勢だ。
ティアさんもそれに応じ、魔人の体を手で触り始める……同じ顔の人物同士が触れ合っているのを見るのって、かなり不思議な感じだ。
「んっ……乱暴に探るのはやめてください」
「君の魔力が潤沢すぎて多少無理にやらないと解析できないのが悪い」
服に手を突っ込み始めた。そこまでする必要はあるのか?これ以上は見てはいけないと判断し、手で目を覆った。できる人間は引き際を理解している。
「……これは?」
「あまりそこには……踏み入らない方が良いですよ、呪いの領域に…うっ、近いですから」
ティアさんはふーん……と少し考え込むような声を出しながら、そのまま解析を続けた。
「ぅあっ!」
「…………は?」
魔人の甲高い声と、ティアさんの低い声。何か問題があったのだろうか?俺は目隠しの為の手を外し、目の前の光景を見る。
視界に飛び込んで来たのは、肩で息をする様子の魔人とその前で苦虫を噛み潰したような顔をしているティアさん。
「アヨくん、これはまずいぞ」
「何があったんですか?」
ティアさんはこちらを振り返り、目を合わせてから口を開く。
「この……呪いとやら。ヴェラの体内にも同じものがあった」




