第二十二話 穴の開いた器
魔人の話 今回はアヨ視点ではないです。
其は炎にまみれて生まれ落ち、天から見下ろす目を潰さんとして地面を踏みしめた。
絶えず肉体が変質し、四つ足の獣の表皮から獣毛が抜け落ちる。骨が軋んでひしゃげ、筋肉が引き攣り、己を構成するものが何者かに掻き混ぜられている。
肉の裂かれる音と骨の折れる音は七日に渡って洞穴に響き渡り──一週間が終わったころ、其は二足で立っていた。
其は声にならない悲鳴を上げ、洞穴に生える僅かな植物を焼き焦がした。炎に照らされる洞穴から生命の色が消えた後、岩すら焼き融かそうとした。しかし、誕生したばかりの其は、そんな力を持ち合わせてはいなかった。
そして、本能で理解する。己を見下ろす不快な目を殺すには、圧倒的に足りない。生命を糧とし、奪わなければ。
それからは早かった。不審な洞穴の噂を聞きつけた人間が、向こうからやってくるのだ。それを殺せば、強大な存在を打ち倒し武勲を立てんとする愚か者が蛆のように湧く。一人殺せば二人来る。二人殺せば次は三人。
人間の体が馴染み、炎の制御も効くようになった頃。其は洞穴から、しっかりとした足取りで歩み出た。
そこで初めて、空の青さを知った。手を伸ばしても手に入らない、己とは正反対な透き通った青。
……それから、その光景を邪魔する眼差し。天に向かって吠えても、それは何処へも行かない。じっとりと観察するように、気持ち悪く視線が絡みついた。
まだ、まだ足りない。己の炎があれに届くことはない。焼き貫くには力が足りない。
大丈夫、人間の匂いは覚えた。これからはもっと効率良くやれる。そして、其は人間の匂いが色濃くする方……村へと歩いていった。四つ足ではなく、人間らしい二つの脚で。
思った通り、順調に壊せた。洞穴にやってきた人間と違って、村にいる人間は剣も魔法も扱わなかったからだ。延焼していく炎は家を焼き、人体を焼き、地面を焦がす。
しかし、良いタイミングで邪魔が入った。冒険者の集団が歯向かってきたのだ。今まで相手してきた奴らとは違う、連携の取れた動き。
引き際を感じ取り、村から走って逃げた。人間相手に手こずるようでは、このままでは、何も成せない。
夕焼けに赤く染まる空が鬱陶しかった。自分と違うからこそ、それに憧れるのに。紅の空に無感情な眼差しが浮かぶ。全てに苛立ちを感じ、洞穴にたどり着くまで大声で叫びながら走った。
沢山の人間を喰ったことで、脳内に情報が溢れていた。脳に負荷がかかり、気付けば鼻血が出ている。洞穴の奥で、其は進化に付随する苦しみに悶えていた。
そして、其の体が進化を受け入れた後。
「ああ……理解しました、これが人間の言語」
またひとつ、模倣の段階を踏んだ。
喉の底から沸き立つような唸り声ではなく、軽やかに響く人間の喋り声。体内でふつふつと燃える炎も調子が良かった。
天井を見上げ、一筋の炎を真上に放つ。触れた岩はどろりと融け、其の顔にかかった。しかし、脆弱な人間とは違い、マグマにまみれても何の影響もない。
岩が融けてできた穴から、空の青が一片見える。
「ワタシは貴方を殺します」
其は、天に向かってそう呟いた。呪いを己が体に植え付け、無遠慮に観察してくる視線の主に。相手が誰かも知らないが、力を持てば殺せると確信していた。
◇◇◇
それから少し経った頃。其は飢えというものを知った。呪いを利用してやろうとして体の変質を試していたら、食事を忘れてしまっていたのだ。最近は冒険者もやって来ないし、腹を満たすものもない。
「……仕方ない、遠出しましょう」
其は愚か者ではない。自らの強大さは認めているが、己より強い人間がいることもうっすらと感じていた。ことを大きくするのは得策ではない、殺しは擬態をしてからだ。
「ふむ、これなら人間に紛れられるでしょうか」
洞穴にのさばっていた男の死体から衣服を剥ぎ取り、見様見真似で、しかし完璧に擬態する。少々破けてはいるが、一発で死んだ人間のものなので大部分は綺麗に残っていた。念のために罠を仕掛けておいてよかった、と其は思った。自ら殺したら、全て焼けてしまうから。
「これは雄のものなのですね、では……」
其は体の内に根深く残る、変質の呪いを利用する。憎き眼差しの主に反抗しようとして、呪いを自分の領分にした証だ。其は視線の主の操り人形ではなく、意志を持った反逆者である。
「男体は慣れませんが、まあ良いでしょう。顔も……」
顔をぺたぺたと手で触ってみるも、なんの変化もない。体の変化は上手くいったのに、不思議なものだ。
でもまあ、別に良いだろう。自分が賞金首になっていたとして、顔が同じでも性別が違えば問題ない。
其──炎の魔人は、人間らしく食事の為に外へ出て、人間らしく堂々と二足で青空の下を歩む。
いつか、視線の主……この世界の人間が言う神──それを殺す、そのために。




