第二十一話 師であり、父であり
「なんでって……さっきも説明したじゃないですか。ヴェラを一人にさせるのも心配なので」
「私はお前を勝手に連れてきて後継にした人間だぞ、到底信用には値しない。そんな人間に子供を預けて良いのか?」
どうやら拒絶の意ではなく、ただ単に不思議に思っていただけらしい。確かにアドウェールの主観だとそうなるだろうが、俺は勝手に連れられてきたことも気にしていない。あの時彼が俺をボコボコにしなかったら俺は今頃どうなっていただろう。どこかで野垂れ死んでいたかもしれない。
「少なくとも俺の人生で一二を争うくらい信頼できる人ですよ。言ったら怒られるかなと思って黙ってましたが、たまに親っぽくなるとも思ってました。あなたがどう思ってるかは知りませんけど」
「しかし、師や父として振る舞うには……あまりにも適していないだろう」
アドウェールは少なからず狼狽しているようだった。
「これは俺の最近体験した事実に基づくことなんですけど、相手のためを思って考えてたことって意外と空回ってたりします。考えてくれてるだけで嬉しいっていう気持ちもあるそうですが」
彼が俺のことで頭を悩ませていたと言うようで、少し自意識過剰な気がしなくもないが。なんとなく、弟子もしくは息子の勘というやつだろうか。こう言うのが正解だと思った。
「そう……そうか。お前も雄弁になった、私の不安も取り除いてしまったな」
「俺はただ、実体験を言っただけですよ」
少しの沈黙を経て、アドウェールの方をちらりと見る。彼の顔からは、先程までの狼狽や驚きは見受けられない。俺のよく知る、凛とした聖職者らしい表情だ。
出会いのきっかけに後ろめたさがあるから、保護者として振る舞うのに抵抗感がある……俺とティアさんも、最初の頃はヴェラに対してそういう念があったなと思い出した。俺が彼の気持ちを多少想像できるようになったのは、似たような経験をしたからかもしれない。生活は人を変えるのだろう。
「子守りだったか、引き受けよう。無論、彼女が頷けばだが」
「ありがとうございます、義父さん」
「やめろ、こちらは今折り合いがついたばかりなんだぞ」
睨まれつつ二人してベンチを立つ。そろそろ応接室に戻らなければ。
──二、三歩進んだところで思い出す。そういえば本来の要件を言っていなかった。踵を返し、アドウェールに向き直る。
「魔人討伐戦、教会の依頼に俺の代役として出てほしいんですけど──」
◇◇◇
「アドウェールのクッキー、おいしい。ほほがおちる」
応接室に戻ると、そこにはアドウェールの焼いたクッキーを全て平らげたヴェラの姿があった。満足げに腹を撫でている。口についた食べかすをティアさんが拭いていた。
「口に合ったようで何よりだ、それで──」
アドウェールがハッと口を閉ざす。無意識に敬語が取れていたことに気づいたんだろう。しかしそんな彼の姿を見て、ティアさんが口を開いた。
「敬語じゃなくてもいいと思いますよ、アヨくんの家族なら私たちの家族と言っても過言ではないですし……ないよね?アヨくん」
「こっちに振らないでください…………ないんじゃないですか?」
家族、という言葉にむず痒そうな反応をした後、彼は俺に対するような言葉遣いで返した。
「では、その厚意に甘えよう」
それから彼はこほんと咳払いをしてしゃがみ込み、律義にヴェラと視線を合わせる。
「アヨからの頼みで、二人の仕事の間私が貴方を預かることになる。貴方はそれで大丈夫か」
「むしろいまからとまりたい。クッキーもっとたべたい」
どうやら図らずも餌付けに成功したようだ。ヴェラがやたらとキラキラした目でアドウェールを見ている、あれは本気の顔だ。
「それは流石にダメだろう、アドウェールさんにも迷惑じゃないか」
「私は問題ない」
「問題ないんだ……」
表情にこそ出ていないが、彼は嬉しそうにしている。アドウェールからすればヴェラは……孫?のようなものだし、そんな相手に好かれるのは素直に嬉しいのだろう。
「だめ?おいしいたべものつくるひと、わるものいない」
「……はあ。迷惑をかけないこと、アドウェールさんの言うことをちゃんと聞くこと。いいかい?」
「討伐戦が終わったら迎えに来ますので」
「了解した」
ティアさんからの許可にヴェラは飛び跳ねて喜ぶ。そんなにアドウェールのお菓子が気に入ったのか。
「今日の来訪に感謝しよう。これからも時々、訪ねてくれると嬉しい」
「もちろん。弟子としても息子としても、積もる話は沢山ありますから」
両手で握手し、師であり父であるその人に別れの挨拶をする。万が一、念のためにと持ってきておいたヴェラの宿泊セットを渡し、俺たちは彼の家を後にした。
◇◇◇
帰りの馬車、他に乗客もいない座席にて。
「いやあ、良い人だったね……私何か言われるんじゃないかとヒヤヒヤしちゃった」
「アドウェールが合種差別主義者じゃなくて良かったですね」
ティアさんは全くだ、という風に首肯する。彼女は続けて口を開いた。
「それにかなりの実力者だろ?……彼、有名な家柄の人だったりするのかい?」
「さあ、名字は昔に神に捧げたって言って教えてくれなかったんですよ」
「ふうん……教会の風習はよく分からないや」
俺は昔アドウェールが言っていたことを思い出す。名字を捧げる意味……なんだったか。純潔を誓うためだとか、家庭を持って神への忠誠心を鈍らせることのないように……とか言っていた気がする。
「アヨくんは姓を捨てないの?」
「……俺もそれ聞いたんですよ。二人で席を外して、話も終わってちょっと雑談とかしてたとき」
本来の目的を果たした後のことだ。つい雑談をして、ティアさんたちを待たせてしまった。少し申し訳ない。
「で、なんて?」
「お前は家庭を持たないとも限らないからやめておけ、って言われました」
そう言うと、ティアさんがにやにやとした笑顔でこちらを見てくる。一体何なんだ。
「じゃあアヨくんが結婚するときは宴会に呼んでね、スローン姓の使い道を見届けてあげるよ」
「そんな日は来ないので大丈夫です」
あはは、確かに。と彼女に言われる。俺ってそんなに結婚できなさそうなのか。自分で思うことはあれど、人に言われるとやや複雑だ。
「……疲れたし家に着くまで寝てようかな、着いたら起こしてくれるかい?」
「分かりました、ゆっくり休んでください」
そうやり取りをした後、三分もせずにティアさんは眠りについてしまった。昨日はあまり寝ていなかったようだし、よほど疲れていたんだろう。上着をかけ、彼女の体が冷えないようにする。
魔人討伐まで、あと少し。彼女の目標を達成するまでは──一体どれくらいだろう。
ちょっとした補足
アヨは「ヴェラの子守りを任せる」ではなく「身の安全を守らせる」に重きを置いていたので、子守りを頼んだアドウェールに仕事を任せるという一見本末転倒なことをしている。家の場所がバレたから危険なのであって、別の場所(しかも聖職者の家)にいるとは思われないだろ……と思っている。あと単に教会は冒険者が弱らせた魔人をサクッと殺して掠めとってきてね〜の方針なので、仕事で家を空ける時間が短いから。
しかしティアには相談していなかったので、この後普通に怒られる。




