第十九話 二歩下がって三歩進む
すう、はあ。
ティアさんの住んでいる家の前にて。俺は緊張した面持ちで、幾度目かの深呼吸をしていた。俺の家でもあるのに、いくらなんでも取り乱しすぎている。
大丈夫、シェイナのアドバイス通りお土産も買ってきた。ティアさんの興味関心と言えばな合種に関する書籍。
それと一番大事なもの、ちゃんと対話しようという精神。大丈夫、持った、大丈夫。
「ただいま帰りまし──っ!?」
「遅い、アヨくんってばもう10分はそこでモタモタしてるだろ」
ドアノブを握ろうとした瞬間。不意にドアが開き、中からティアさんが出てくる。予想外すぎてバランスを崩しかけてしまった。
「はあ、入って。ヴェラも心配してるんだ。話は後でじっくりしよう」
「……はい」
一晩居なかっただけなのに、随分な期間留守にしていたような感覚がある。廊下を歩いていると、リビングのドアからひょっこりと顔を出し、ヴェラがこちらを見てきた。
「あ、アヨかえってきた。どこいってた?」
「街の宿に泊まってた」
安心したような顔をして、駆け寄って抱き着いてくる。いつもいる人間が朝起きたらいなかった、というだけでも子供からしたら一大事なのだろう。申し訳ないことをしたな、とヴェラの頭を撫でながら考える。ヴェラは満足げにして、俺の腕から出ていきリビングへ戻っていった。
「じゃあアヨくん、ついてきて」
長い廊下を通り抜け、ヴェラの部屋や俺の部屋も通り過ぎ……通されたのはティアさんの私室。長い間ティアさんに雇われてきて、入ったことは両手の指で数えられるほどしかない。朝ティアさんが起きてこない場合に目覚めさせる任に就いてはいるが、この人はあまり私室で寝ないのだ。工房に寝袋を持ち込んでいるし、ヴェラが来る前は客室を寝床にしていた。彼女曰く、「私の部屋は遠い」らしい。
何だかソワソワして、彼女の部屋をぐるりと見まわす。
両側の壁に設置された、天井すれすれまである大きな棚の中には、輝石の入った瓶が所狭しと並べられている。その全てに、創られた合種たちにティアさんが贈った名前のタグが付けられていた。前に見た時より増えている……気がする。
「その、昨日のことなんだけど。私も夜の間色々考えを整理してたんだ」
「……はい」
互いに気まずい時間が流れる。彼女の眼の下には、薄っすらと隈が見えた。
「まず、教会がどうこうより……君がずっと隠し事をしてたのに驚いた」
ティアさんはぽつぽつと話し始める。
「いや、人間誰しも秘密の一つや二つ抱えているものだ。私だってアヨくんに全部を曝け出してるわけじゃない。むしろ対等だったと思うよ」
「でも、ティアさんは教会…というか神がそこまで……好きではないでしょう。いいんですか」
そう問うと、彼女は少しおかしがるような顔をした。俺は何か変なことを言っただろうか。
「ふふ……いや、確かに神には思うところがあるけど……何も全ての聖職者を嫌ってるわけじゃないよ。合種差別してくる頑固頭たちは嫌いだけど、アヨくんはそうじゃないし」
「そう……でしたか。勘違いしていました」
恥ずかしい。勘違いで突っ走ってしまっていたということか。顔が熱くなっているのを感じる。
「それにね」
ティアさんは俺の手を引き、ベッドへ誘導する。この部屋には椅子が一脚しかないから、ここに座れということだろう。俺は誘われるまま柔らかなベッドに腰かけた。彼女も俺の隣に座る。
「アヨくんは頼もしい冒険者で、私はそんな君を信頼してる。その部分は変わらないよ、これからもずっと……変わらない」
彼女がきゅっと手を握ってくる。柔らかくて滑らかな手が、確かめるように俺の手を撫でた。
「色気のない言い方で悪いけど、私が信頼してたアヨくんと今のアヨくんは違わないしね。ただブラックボックスの中身が一つ明らかになっただけだよ」
彼女の手は俺の指先から腕、首筋を伝い、そして両手で頬を包み込んだ。ひんやりとしていて気持ちいい。なんだか子ども扱いされている気もする。
「だから、私はこれからもアヨくんを信頼するし……ずっと雇われていて欲しいな」
「……ありがとうございます」
しんみりとした空気になる。こちらの単なる勘違いが引き起こしたようなものなのに、彼女は真摯に言葉で伝えてくれている。それが凄く嬉しい。
「まあでも、君の言い方的にこっちを気遣ってのことだったんだろ」
「最初は単に言う必要が無かったからですが……そうですね」
「ばか、こういう時は肯定だけでいいものでしょ」
ティアさんが吹き出して笑い始める。やっといつもの空気に戻った気がして、少しほっとした。
そこで俺は後ろに置いておいた包みのことを思い出す。そうだ、折角買ってきた本を渡していなかった。
「その、これお土産です。討伐戦で同じ配属のやつがアドバイスしてくれて」
「私に?ありがとう、ここで開けていい?」
「もちろん」
彼女は丁寧に包み紙を剥がし、中の本を取り出す。喜んでくれたらいいのだが、反応はどうだろう?ティアさんの表情を伺う。
……笑顔。よし、これは好感触だ。心の中でガッツポーズを決める。
「あははっ……アヨくんってば、私これもう持ってるよ」
「えっ」
予想だにしなかった言葉が返ってきた。心の中でガッツポーズをしていた俺が塵になってサラサラと崩れていく。どうしよう、最後の最後でヘマをしてしまった。考えてみればそうだ、彼女は合種創造のスペシャリストなのだ。合種に関する本、それも一般に流通しているものなんて大体見たことがあるだろう。
「まったく、しまらないなあ……でも嬉しいよ、私のことを考えて買ってくれたんだから」
彼女はベッドから立ち上がり、窓際の机に向かう。大事そうに本のページをめくって眺めたあと、鍵のついた引き出しにしまった。本棚は別にあるのに、そこでいいのか。疑問が顔に出ていたのか、俺の方を見て彼女が口を開く。
「ここは特別なものしか入れないんだ、分かるだろ?」
「特別……ですか」
俺がティアさんやヴェラをそう思っているように、ティアさんも俺をそう思っていたら……それはとても、幸せなことだと感じた。
「ふふ……これからも時々、この引き出しに入るような特別な贈り物をしてくれたら嬉しいよ。ねえ、相棒?」
「善処します」
ゆっくりと進む穏やかな時間の中、俺と彼女は顔を見合わせて笑い合った。
2024/05/06 矛盾があったので手を加えました。




