妹が欲しがるのなら婚約者だってあげちゃいます。それが姉というものでしょう?
初めはいつ――
もう7年前、私が10才の頃だったかしら――
「ねぇねぇ、おねえさまのかみかざり、とってもきれいね」
「そう? お母さまとはじめて王都にいった時に買ったのだけど」
「わたしもほしい! それちょうだい!」
「……え」
「おねえさまのかみかざりがほしい! ほしいほしいほしぃーッ!」
ふたつ下にいる腹違いの妹、カチュアが私の物を欲しいと言いだした。
それは私が初めて王都へ行った時に買った髪飾り。
もう使いはじめて何年になるか、蝶の形をしたサファイアの髪飾りだった。
宝石の色は色褪せないけれど、安物を騙されて買ってしまったらしく、どれだけ丁寧に磨いても銀はくすんでしまっている。
「ほしいったらほしいのぉ! お父さまからも言ってよ!」
「クラウディア、譲ってやりなさい」
輝きを失いつつある髪飾りを手に渋っていると、父がカチュアへ渡すように言ってきた。
父は後妻の娘であるカチュアにいつも甘い。
だらしなくカチュアにデレる顔は、威厳ある伯爵ではなくただの親バカだ。
隣国出の私の母とは政略結婚だったが、母の亡き後、それまで長く愛人として付き合っていた庶民の出であるカチュアの母親とは周囲の反対を押し切って大恋愛の末に結ばれたらしい。
政略結婚した女との娘である私と違って、長い間、表向きには認知もできなかったカチュアへかける愛情はひと際だろう。気持ちは私もわかる。
蝶の髪飾りをつけてやると、おてんばなカチュアはドレスの裾をひるがえして嬉しそうにくるくると回る。
「クラウディアおねえさま、ありがとぉ! だいすき!」
満面の笑みで抱き着いてくる。
太陽のようなまぶしい笑顔。
たとえ半分しか血が繋がってなかったとしても妹が愛おしくてたまらない。
この笑顔を見て、私は心からそう思った。
◇ ◇ ◇
「そのネックレスいいわね。ちょうだい、お姉さま」
進学した王都にある学園のテラスでのこと。
友人達とお茶会をしていたら、妹のカチュアが突然割り込んできた。
「え……」
「いやなの? お姉さまの物はわたしのものでしょ?」
これまで学園では付けていなかった私のネックレスを目ざとく見つけたようだ。
ネックレスを渡すとカチュアは嬉しそうにその場で首にかける。
「どう、似合う? 似合うわよね?」
なんて、人の物を獲っておきながら平然と聞いてくる。
「そうね、とてもきれいよ」
「ほんと? お姉さま大好き!」
なんて、私もついそんな風に答えてしまうのだけど。
カチュアは変わってしまった。
初めて髪飾りを譲ってあげた時から、私の物なら何でも欲しがるようになった。
お願いではなく、もらえて当然という態度がひしひしと伝わってくる。
これも義母様の影響かしら。
近頃では傲慢で、ずいぶんと金遣いが荒いと噂だ。
庶民から貴族に上がって金銭感覚が完全にマヒしてしまったようだ。
「カチュア様はクラウディア様のことを“ふたつ目の財布”くらいにしか思っていないのではありませんか」
「クラウディア様は姉なのですから、少し厳しく言ってもよろしいのではなくて」
機嫌を良くしたカチュアが去っていくと、近くで私達のやり取りを見ていた学友のアラニスとフラウが心配してくれた。
「それでも私は妹が愛しいの」
私の物を身に着けて無邪気に喜ぶところは今でも子供の頃のままだしね。
「ほんと、カチュア様はなんでもすぐ次の物を欲しがりすぎです」
「クラウディア様はこんなにも物を大切にする方ですのに。あのネックレスももう随分長いこと使ってらしたわよね」
「私は捨てるのが苦手なだけよ? だって職人さんが丹精込めて作ってくださった物をまだ使えるのに捨てるだなんて、心が痛むじゃない?」
そう言うと、二人は少し呆れた様子で溜め息をついた。
「お優しいというかなんというか……」
「気が弱いって言っていいのよ」
「なら失礼を承知で言わせてもらいますけど、少々姉バカがすぎますわ」
それは違うわ。
私は姉バカじゃない、ふつうよ。
まったく、この二人はカチュアのかわいさをわかっていないわね。
特に、カチュアを何でも欲しがる強欲な女の子だと思っているのは誤解だ。
カチュアが欲しがるのは、なんでもじゃない。
私の物だけ。
カチュアは私が大好きなの。
その事をみんな理解していない。
どれだけ説明してもわかってくれない。
でもいいわ。
カチュアは私が大事にしていればそれでいいの。
私達ほどお似合いの姉妹はいないのだから。
友人の心配を笑い飛ばして、私は今日も新鮮な茶葉の香りに酔いしれる。
それからも、私はカチュアが欲しがるものはなんでも与えた。
妹が欲しいと言うのなら、髪飾りでも、ネックレスでも、イヤリングでも、ドレスでも、何でも。何でも。何でも。
だけど、ある日を境にカチュアの様子が変わってきた。
「あの……お姉さま、少しよろしいでしょうか……」
学園のテラスでお茶をしているとカチュアがためらいがちに話しかけてきた。
なんだろう、いつもと違う。
いつもなら私があげた服を着てにこにこ笑っているのに。
私があげたネックレスをして自慢げに胸を張っているのに。
今日はやけにしおらしい。
……いえ、今日だけじゃないわね。
思えばあの日からだったかしら。
私が婚約者のルーカスを初めてカチュアに紹介した日。
あの日から、カチュアの態度がどこかよそよそしいものになっていった。
私の予感を肯定するように、奥から男が出てきてカチュアの隣に並ぶ。
「……ルーカス?」
「許してくれ! クラウディア!」
ルーカスは綺麗に腰を直角に曲げて頭を下げた。
「僕は君の妹を愛してしまった! もう君と結婚することはできない!」
「まあ! よくもそんな恥知らずなことを言えましたわね!」
「わざわざプロムの前に……信じられませんわ!」
相手が公爵家の人間だという事も忘れてアラニスとフラウがまくし立てた。
ルーカス・メイナード。
メイナード公爵家の三男であり、私と結婚して我が伯爵家を継ぐ――はずの男。
そのルーカスが私との婚約を破棄したいと言ってきたのだ。
隣ではカチュアも深く頭をさげていた。
「カチュア、分かっているの? ルーカスは婿入りして伯爵家を継ぐはずだったのよ」
「本当にごめんなさい、お姉さま…………でも、わたし本気でルーカスのことを愛してしまったの」
欲しがりな妹のカチュア。
よりにもよって、今度は私の婚約者が欲しくなってしまったらしい。
妹にルーカスを紹介したのは、彼と大きな喧嘩をした後だった。
だから彼は少し気落ちしていたし、私とも距離があった。
そこにつけこんだのね、賢い子だわ。
「お父様はなんて言ってるの?」
「ルーカスが伯爵家に入る事は変わらない。クラウディアお姉さまが納得するならどうとでもするって……」
「そう、相変わらずカチュアには甘いのね」
長女よりも次女を優先する、ね。
でも仕方がない。
私のお母様は隣国の有力貴族の出だった。
しかし、私を誘拐しようとした賊から私をかばって死んだ。
お母様を大層可愛がっていた隣国の親類は、お母様を守れなかった父を恨んでいる。
そして原因となった私のことも。
おじい様には、顔を見る機会もない孫よりも実の娘しか目に入らなかったようだ。
庶民であるカチュアの母には後ろ盾は誰もいないとしても、お母様の国との軋轢を生む私よりはマシ、ということらしい。
まあでも、そんな理屈はどうでもいい。
お父様の意見だってどうでもいいの。
だってカチュアが欲しがってるんだもの。
それが婚約者でも、あげなきゃね。
「いいわ、特別に二人の仲を認めましょう。ルーカス、私達の婚約は解消よ」
「……え? そんなあっさり……」
「なにか問題が?」
「いや、すまない……本当に……カチュアは僕が必ず幸せにするから」
「これは貸しですからね」
もう一度ルーカスに深く頭を下げさせてから、カチュアを近くへ呼び寄せる。
珍しくおどおどした妹の耳元で囁く。
「カチュア、一度浮気をした男はまたするわ。いらな……怪しいと思ったらちゃんと結婚する前に捨てるのよ。あなたにはまだ次があるのだから」
「………………???」
責められると思っていたのか、カチュアは小首を傾げた。
本当に何も理解していない。
あの7年前から、何も気づかない。
そこが本当にかわいくて愛おしい。
困惑するカチュアを優しく抱きしめると、周囲から私を称える拍手が上がった。
◇ ◇ ◇
婚約者を妹に奪われた女として学園で腫れ物のようになっていた私だけど、しばらくすると同情を含めて色々な男性から声をかけられるようになった。
お父様は自分で決めた婚約者まで妹に譲れと言ったのだ、もう私が家の決まりに縛られることはない。
それまでと違って自由に恋愛ができるようになったのは純粋にうれしい。
デートに備えて購入したブレスレットをテーブルの上に置いていると、アラニスとフラウがうらやましそうに見てくる。
「綺麗な腕輪ですわね。最近鉱床が見つかったというアレキサンドライトですか」
「クラウディア様って、捨てるのが苦手と言いながら意外と何でも新しい物を持っていますわよね。そのデザインも最近流行の工房の物でしょう?」
「確かに、クラウディア様には先を見る目がありますわ。伯爵家のご令嬢なのですから当然といえば当然なのですけ……ど? ん……あら? わたくし今なにか気づいてはいけないことを……?」
「なあにフラウ、どうしたの」
「い、いいえ、きっと気のせいですわね、うん」
時計を見るとそろそろ妹がテラスへやってくる時間だった。
さりげなく手をテーブルの下へやり、以前まで使っていたルビーのブレスレットに付け替える。
「お姉さま、ごきげんよう。今日は新しい恋人を紹介してくださるという話でしたが……」
「ええ、じゃあ行きましょうか。ふたりとも、今日は妹を優先するわね」
席を立って歩きはじめるとカチュアが腕を組んできた。
そして、さっそく手首のブレスレットに気づく。
物欲しそうな目で、私がカチュアの前で初めてつけたルビーのブレスレットをじっと見ている。
「これが欲しいのかしら」
「……いいの?」
「もちろん、遠慮なんてしないで。これからもカチュアが欲しい物は何でもあげるわ」
ブレスレットを外してカチュアの手首に巻いてあげる。
カチュアは手をかざして、太陽の下で燦然と燃えるルビーに瞳を輝かす。
「似合っているわよ」
「ほんと? お姉さま、大好き!」
「私も大好きよ、カチュア……姉妹二人、これからも支え合って生きていきましょうね」
「はいっ、クラウディアお姉さま!」
似合っている。
そう本当に、私達ってきっと世界一お似合いの姉妹だわ。
「クラウディア様、またカチュアさんにあげてしまって……なんであれであんなに仲が良いのかしら?」
「カチュア様もアラニスさんも、何も知らないのが一番幸せですのよ……」
計画通り!!!