60:obedience
誰かに頭を撫でられている感覚がした。
それからゴトゴトずっと揺れている感覚もしてきた。
段々意識が覚醒し出すと、意識を失う直前の記憶も思い出してきた。
……たしか、アーヴァインにインシスを嗅がされて……
「!!」
私はガバッと手をついて上半身を起こした。
どこかの座席で眠っていたようで、座って辺りを見る。
すると、すぐ隣にいたアーヴァインと目が合った。
「…………」
「おはよう。よく眠っていたね」
アーヴァインが優しく微笑んだ。
ここは馬車の中で、アーヴァインと2人きりだった。
どうやら眠っていた私は座席に横たわり、彼に膝枕をしてもらっていたようだ。
外は真っ暗になっており、馬車は森の中を進んでいる。
「……どこに向かってるの?」
「僕の国に帰ってるんだよ」
余裕の笑みを浮かべるアーヴァインが、私の頬の横の髪を手先で弄びながら言った。
「帰る? 大賢者になるのはいいの?」
私は喋りながら必死に考えていた。
腕輪が無くなっている。
アーヴァインに取られたのかな?
指輪は無事みたい……
どうやって逃げようか。
「大賢者にはもうなれたんだ。僕は魔法の使い方がルミネージュ国とは違うから、エクセブルが2冊あるんだ」
アーヴァインがそう言って、転移魔法でエクセブルを2冊出した。
「こっちは僕の国のエクセブル。これはルミネージュ国の黒いページのエクセブルにあたるんだ。実はルミネージュ国に行く前にすでに自国で集めててね。ルミネージュ国の必須項目を集めれば、全て集まることになるんだったんだ」
柔らかく微笑んだ彼が、嬉しそうに続ける。
「本当は僕、一国の王子なんだ。大賢者にもなれたし、ラズベリーをお嫁さんにしようと思って連れて帰ることにしたよ」
「私の気持ちは無視なのね」
私はアーヴァインを睨んだ。
「……僕は王子だからね。欲しいものは何としてでも手に入れるよ」
アーヴァインが冷ややかな目線を投げかけてきた。
「僕はラズベリーにサキュバスの血が流れていても気にしないし、大賢者だから魅了魔法もすぐ解除出来る。本当に君を愛しているのは僕だけだよ」
「そんなの決めつけないで」
「……話し合っても分かってくれないなら仕方ないね……〝obedience〟」
アーヴァインが呪文を唱えると、黒い粒子が発生し私の頭を包みこんだ。
そしてサラサラと形を変えて細長くなり、今度は首に巻きついた。
すると、体の中に入ったようにジワっと消えた。
一瞬の出来事だった。
無駄だと分かっていても、思わず首元を触りながら私は唇を震わした。
「なにを……」
「僕の王家に伝わる禁忌の魔法、服従の魔法だよ」
「!!」
「この魔法は面白くってね、魔法をかけられた人の自我はちゃんとあるんだ。だけど魔法をかけた人の命令は聞くようになる。『ラズベリーは呪文を唱えることを禁止する』……とかね」
「あっ……!」
やばい。
非常にやっかいな魔法をかけられてしまった。
これ以上命令される前にどうにかしなきゃ。
でも、どうやって?
……このままだとアーヴァインの国に連れていかれてしまう。
「……ノア……」
私は思わず声に出して、助けを求めてしまった。
「…………魅了魔法をかけて手に入れたノアのことなんて、すぐに忘れてしまうよ。本当は疑ってるんでしょ? 魔法で愛してくれてるだけだって。……『心の奥底に思っていることだけを喋って』」
また命令が追加されてしまった。
私は自分の意思に反して口を開いてしまう。
「……私はサキュバスよ。手に入れたい相手を魅了魔法で手に入れて、どこが悪いの? インシスで弱らせて、私を無理矢理自分のものにしようとしているアーヴァインと、どこが違うの?」
…………
私は自分の本心を聞いてキョトンとした。
「あはははははは!」
そして、おかしくて笑ってしまった。
そっか。
私のサキュバスの部分は、何としてでもノアを自分の物にしときたいんだ。
本当だ。
アーヴァインと一緒だ。
私は、自分の気持ちのもう一つの在り方に気付いた。
ノアを好きだっていう、あまりにも強くて純真な気持ち。
それはそれとして、心の内にあっていいんだという妙な納得。
うん。
サキュバスが混ざった私らしい気がする!
何だかとってもスッキリした。
本心を引き出してくれたアーヴァインに、感謝したいぐらいだった。
「何が面白いの?」
アーヴァインが眉をひそめて不機嫌になった。
「フフッ。ノアのこと、とっても大好きだなぁって思って……だから、今はすごく寂しい。ノアに早く会いたい……」
私は目を伏せてまつ毛を震わせた。
悲しくて目の奥が熱くなる。
そして、私は涙で潤んできた瞳をアーヴァインにゆっくり向けた。
「気付いてる? アーヴァインは見落としていることがあるよ」
心の奥底で思っていることがスラスラ出てくる。
「……何を?」
「私も大賢者に近付いているってこと。レベルだけ見れば、私の方がアーヴァインより上よ」
「そうだとしても、ラズベリーは魔石を持ってないよ。指輪は他人が外せない魔法のせいで、まだつけているけど、ラズベリー自身に外してもらおうかな。『指輪を……』っ!」
アーヴァインが命令を追加しようとするので、私は人差し指でシーっとするように彼の口を押さえた。
「もう一つあるの。私は魅了魔法をかける時、かけたいって気持ちを上乗せすると、より強くかかるらしいの。……大賢者レベルの私の本気の魅了魔法とアーヴァイン、どっちが強いかなぁ?」
私は目を細めながら口元に弧を描いて、ゆったり微笑んだ。
それと一緒に涙が頬をつたって落ちる。
そして射抜くような視線をアーヴァインに向けた。
光を反射したかのようにピンクの瞳が煌めいた。
彼は私の魅了魔法が、どうやって発動するのかを知らない。
多分呪文が必要だと思ってるのだろう。
ーー私はアーヴァインに魅了魔法をかけた。
………………
「……ラズベリー、愛してるんだ」
アーヴァインの雰囲気が変わった。
目が少し虚ろになって、私をギュウっと抱きしめた。
「ラズベリーと分析の魔法で自分のステータスを見た時、君の名前が載っていたんだ。その時からずっとずっとラズベリーを想っていたんだよ」
アーヴァインがステータスを見た時に、何故か照れていた時があった。
確かにあの時に、自分の好感度が1番高い相手の欄を見たのだろう。
アーヴァインがそっと抱きしめる力を緩めて、私の顔を覗き込む。
「だから、どうかこれからずっとそばにいて欲しい」
そう言って彼は穏やかに優しく微笑んだ。
私はアーヴァインを柔らかく抱きしめ返した。
そして顔を寄せて頬にキスをした。
「おやすみなさい。いい夢を。……そしてさようなら」
〝誘惑のキス〟にかかったアーヴァインは、ゆっくり目を閉じて眠りの世界へと入っていった。




