1-1 不思議な夢
(ああ、またこの夢か………)
目に映る景色に対し、彼は心の中でそう呟いた。
自身が背中を預ける木の枝の隙間から、暖かな日の光が差し込む森の中。森の中に吹く穏やかな風と揺れる枝の音は、とても心地良いものだった。
やがて、視界がゆっくり右へと動いてく。その理由が顔が勝手に右へと動いているからだと分かった。
(勝手に顔が動く。やっぱり体は自由に動かせないか………。何度経験しても変な気分だ)
自分の体のはずなのに言うことを聞かず、勝手に動く。その感覚に変な気持ち悪さを感じる。そして、動いた顔の先に居たのは、同じ木に背中を預ける一人の女性だった。
(やっぱり居た)
見る夢の内容は同じ。この女性がいることも当然分かっていた。
可愛さの中に気品を感じさせる端正な顔立ちに、美しい赤い瞳と腰まで伸ばした白銀の髪が特徴的。服装もまた、今では神社でしか見かけることがない巫女装束と少し変わっている。そして、装束の上からでもわかる豊満な体つきがまた彼女の魅力を引き立てていた。
(何度見ても、滅茶苦茶可愛くて綺麗なんだよなー)
間違いなく、誰が見ても美女と答えるその容姿に彼は心を奪われる。彼が見つめる彼女は快活な笑顔を浮かべ、幸せそうに彼へと語りかけていた。
「それでね、昨日見た虹がすっごく綺麗だったんだ! 君にも見せたかったなー」
(知ってる。何度も聞いた)
彼はこの話を数え切れないほど聞いてきている。
しかし―――
(でも、なんでだろう………。彼女の笑顔がもっと見たくて、もっと聞いていたいって思うのは)
何度も聞いた話のはずなのに。それでも、胸が温かくなるような幸せを感じる。もっと聞いていたいと思ってしまう。
そして、この時は彼の意思と同じく、口元も小さな笑顔を浮かべていた。
そこからも彼女の語りは続く。話す内容は基本どうということはない、他愛もないものだった。
妖怪を退治したという不思議な話も彼女の口から飛び出すが、彼の口からは「そうか」とただ一言。まるで普通の事のように相槌を打っていた。
当然ではあるがその相槌も彼の意思ではなく、勝手に体が動いた事によるものだった。
彼女の話は数え切れないほど聞いているが、それでも話を聞くのは楽しい。彼女の笑顔と一緒にいる事に対して満ち足りた幸せを感じる。
だからこそ、彼は気になるのだ。
あなたは一体誰で、此処は何処で、何故自分の夢に現れるのかと。しかし、体は思うようには動いてくれない。ただ彼女の話を聞き、笑って相槌を打つだけだった。
しばらくして、話したい事をひとしきり話したのだろう。彼女は目を閉じて自身の頭をそっと彼の肩に預ける。肩に乗る重みがとても心地よかった。
そして彼もまた、お返しと言わんばかりに彼女の左手に黒く染まった自身の右手を重ねる。彼女から感じる温もりをしっかりと噛みしめる中、彼女の口から自身の名前が囁かれた。
「 」
彼女が何と言ったのか、聞き取ることはできなかった。ただ、自身の名前が呼ばれたということだけは分かっていた。
彼女は名前を呼ぶと同時に、自身の左手に重ねられた彼の右手に指を絡める。どこにも行かせない、これは私のだと言わんばかりに強く彼の手を握っていた。
そして、ゆっくりと口を開いて言葉を紡ぐ。
「愛してる」
僅かに熱が籠った吐息と共に、幸せに満ちた愛の言葉が囁かれる。そんな彼女の言葉に彼もまた彼女の手を強く握り返す。
そして、胸の内から溢れる愛しさを言葉にしようと口を開いた瞬間、世界は暗転した。
※
「っ!」
パッチリと目が開き、薄暗い自身の部屋の天井を見つめる。寝起きとは思えぬほどに脳は冴え渡り、視界はハッキリとしていた。
そして、次の瞬間には先程まで見ていた夢の内容が脳裏に浮かぶ。彼女との幸福に満ちた時間と眩しい笑顔を思い浮かべると、胸の奥が締め付けられるような息苦しさを感じていた。
彼はその苦しさを紛らわせようと胸を右手で押さえつける。そして、ポツリと消え入りそうな声で呟いた。
「ホント、誰なんだよ………」
彼、 黒鬼春の呟きは静かな室内にひっそりと消えていった。
※
洗面台にて歯を磨き、顔を洗い、寝癖のせいで所々逆立っている髪を整える。それでも元々が癖っ毛のせいか、整えても髪が少し浮くように逆立っていた。
朝の身支度を終えた春はリビングへと足を運ぶ。
扉を開けてリビングへ入ると、室内に僅かに漂う芳ばしい香りにキッチンへと顔を向ける。そして、その先にいたのはキッチンで朝食の準備をする春の祖母、黒鬼依里だった。
「おはよう、ばあちゃん」
「おはよう春」
春が笑顔で挨拶をすると依里も笑顔で挨拶を返す。春は芳ばしい香りの正体を探ろうとキッチンを覗くと、フライパンで目玉焼きが作られていた。
パチパチと目玉焼きが焼ける音と、近づいたことで先程よりも強くなった目玉焼きの匂いに春は思わずうっとりとしてしまう。そんな春の様子を見た依里は優しい笑顔を浮かべると、穏やかな口調で話しかける。
「もうすぐできるから、座って待っててね」
「はーい、分かったよ」
祖母に言われるがままに春はキッチンから離れるとテーブルへ足を運び、席に座る。
その席からテーブルを挟んだ向かい側には春の祖父である黒鬼楽人が、生まれつきの鋭い目つきで新聞紙を読んでいた。
「おはようじいちゃん」
「………ああ、おはよう」
春から挨拶をされたことで新聞紙から春へと視線を移す楽人。しかし、素っ気ない態度で挨拶を返すとすぐに新聞紙へと視線を落としていた。
傍から見ると孫に対する態度にしては少し冷たいようにも思えるが、楽人が表情を崩したり感情を表に出すことは滅多にない。春自身もその事はよく分かっているし、慣れているので祖父の態度を特に気にすることはなかった。
そこから少しの間をおいて、楽人は再び視線を春へと向けて口を開く。
「今日は防衛隊の仕事はあるのか?」
「任務とかはないけど、支部長には朝から来るよう言われた。だから、朝ご飯食べたらすぐに星導市支部に行くから」
「………そうか。気をつけてな」
聞きたいことが聞けたため、楽人は再び新聞紙へと視線を落とす。表情を変える事はなかったが、「気を付けて」という一言に思いやりを感じた春は笑みを零した。
それから春は依里の作った朝食を食べ終え、出掛けるために身支度をする。灰色のTシャツに茶色のズボンと全体に動きやすそうな服装に着替えていた。
身支度を終え、いよいよ出掛けるのだが、その前に春は仏間へと足を運ぶ。仏間だけは扉が襖になっており、その襖を横に動かして中に入る。仏間の床は畳となっており、置いてある仏壇には一組の男女の写真が置かれていた。
艶のある綺麗な茶色の髪を伸ばし、ピースサインをして快活に笑う母。そして、自分によく似た少し癖のある黒髪に不器用ながらも微笑む父。
春の両親の遺影であった。
「………おはよう。母さん、父さん」
仏壇の前に正座で座ると、春はそう言って二人の写真に笑いかける。不思議と写真に写った両親の笑顔が、一段と明るいものになった気がしていた。
そこから春は特に何かを話すこともなく、ただ仏壇に置かれている両親の写真を見つめる。その表情は穏やかに笑ってはいるが、どこか悲しそうにも見えた。
少しして春は満足したのか、足を正座から崩すとゆっくりと立ち上がった。
「………それじゃあ、行ってきます」
どこか寂しそうに挨拶をする春。そして、仏壇に背を向けると春は襖を開けて仏間から出ていく。そして、今度は祖父母がいるであろうリビングへと向かい、扉を開けて顔を覗かせた。
「じいちゃん、ばあちゃん。行ってきます」
「いってらっしゃい」
「………いってらっしゃい」
「夕飯までには帰るからー」
リビングのソファに座りながらテレビを見ている二人。まず最初に依里が春の方へと顔を向けて声を掛けると、楽人もゆっくりと春の方を向き声を掛けた。
二人の返事を聞いた春はざっくりとした帰宅時間を告げると、リビングの扉を閉めて玄関へと向かう。そして、黒色のシューズを履くと、玄関を開けて外へと歩いて行った。
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ヒロインは次回登場します!
お楽しみに!