第八話 初任務④
オリヴィアさんにかけてもらった身体強化がまだ残っているおかげで、火の矢からギリギリのところで逃れられている。
それでも当たるのは時間の問題だった。
身体強化の非万能性。
それがこの戦いで嫌という程に分からせられる。
神経はすり減り、疲れが足に蓄積し続けている。
「くっ……!!」
(後ろには奴隷がいる。これ以上後ろには下がれない……!!)
「当たらない……」
矢を放つ魔族の子供――狙撃手の声は静かなイラつきを滲ませていた。
矢が放たれるたび、炸裂音が大きくなり、床の焼け焦げが深くなっていく。
矢が床を突き抜けるようになるまで時間はかからなかった。
そうして狙撃手は――――リアンの弱点見つけた。
矢の軌道をリアンからリアンの背後にいる奴隷たちへと変更する。檻の柵の間を縫い、奴隷たちを殺す一撃を走らせる。そしてそれは――――
「がぁ……!!」
――――狙い通り、リアンに着弾した。
迷いなく間に飛び込んできたリアン。予想通りの展開に狙撃手の口角が上がる。着弾した直後、さらに火力をあげ、リアンを追い詰める。
「くそが……」
リアンの横腹を貫いた矢が内側で追い打ちをかけるように爆ぜた。
体内で爆ぜた炎が内臓を焼き焦がす。体の内側から焼かれ続ける痛みに、思考がじわじわと霞んでいく。
火で燃え続けてなお消えることのない特殊な矢。
リアンはそれを両手で握り、勢いよく引き抜いた。
リアンの腹が血しぶきをあげ、床を真っ赤に染め上げる。
「しぶとい……」
前方にいる狙撃手がその言葉と共に再び矢を放つ。
「こっちのセリフだ……!!」
ただれた手。今にも離してしまいたいそれをリアンは槍を投げるように、一直線に、リアンが今できる最高火力を持って狙撃手の心臓へと投げ飛ばす。
怒りを宿した矢が空気を裂く。
オリヴィアによる身体強化。
リアン自身の強化魔法。
その二重の補助が生み出した、音を置き去りにする一閃。
音速の矢と、火炎の矢の、空中での正面衝突――――勝ったのは、リアン。
狙撃手の右肺に矢が突き刺さり、鮮血が飛び散った。
「……かはッ!!」
口から血を吐いた狙撃手は、腕で血をぬぐう。
「……とどめ、刺さないの……?」
「刺せ……ない……」
リアンもまた満身創痍。
リアンは黒いロープを腹に巻きつけ、血の噴き出しを力任せに抑え込み、無理やり止血すると、膝を震わせながら、ゆっくりと立ち上がった。
「でも……」
「でも?」
「身柄は預からせてもらう」
床に倒れる狙撃手を、リアンは返事も聞かずに肩に担ぐ。
その瞬間、傷口が開き、再び血が噴き出した。
「とどめを刺したほうが楽なのに……」
理解できないという目。
背後からその視線を感じながら、リアンは歩き出す。
――檻の前へと。
「君たち、ここから出たいか?」
問いの答えなど、分かりきっている。
それでもリアンは、あえて奴隷たちに問うた。
「出たいに決まってる!!」「助けて……!!」
諦めていた瞳に、希望の光が灯る。
「わかった。ここからだしてあげる。その代わり――」
「その代わり……?」
奴隷たちが息を飲み、次の言葉を待つ。
「もし建物内で茶髪の中肉中背の人間の冒険者を見かけたら外に出られないよう邪魔してほしい。危険が及ばない範囲でいい。……オリヴィアさんの、助けに……ごほっ……!!」
「兄ちゃん……!!」
「できる?」
「分かった。やるから。やるから無理して喋るな」
リアンは何度も頷く彼らを見て、小さく息をついた。
その直後、背後から迫る衛兵に肘を叩き込む。
「ぐっ……!!」
腹を抉られ、衛兵がその場に崩れ落ちる。
リアンはすぐに、そいつが持っていた剣を掴んだ。
焼けただれた手が悲鳴を上げる。
それでもリアンはその剣を構え――檻へ斬りかかった。
剣筋が一閃、鉄格子に切れ込みを入れる。
人ひとり通れる隙間ができる。
「……切れ味、悪いな」
「いやいや、十分すぎるだろ……」
どん引きしつつも、奴隷たちは口々に礼を言い、出口へ駆け出していく。
「ありがとな。この恩、一生忘れねぇ!!」
皆が去った――かと思われたが、ひとりだけ檻の中に人影が残っていた。
「君は出ないの?」
その少年には見覚えがあった。
あの時とは異なり、目隠しは外されている。
金髪の髪に、透き通るような緑の瞳。
オークションの始まり――――最初に晒されていた、エルフの少年だった。
「出てどうするの?」
「どうするのって。人として生きるんだよ。君にはその資格がある」
「僕はもう……生きたくない」
諦めの意思表示。
リアンは俯いているエルフの少年から目を逸らさず、一歩前へと踏み込んだ。
「本当に……?」
問いかけというには、あまりに無感情な声だった。
優しさも、戸惑いも、怒りも――何ひとつ、込められていなかった。
リアンは剣を構える。
そして次の瞬間、喉元へ音もなく突きを放った。迷いも、ためらいもない。だが――――
カキン。
剣先は魔力の障壁に阻まれ、火花を散らして跳ね返った。
「……やっぱり嘘だ」
小さな肩がピクリと跳ねる。生気のなかった緑の瞳に、一瞬だけ揺れが走る。
「本当に死にたい奴は、盾なんか張らない」
リアンは剣を引き、静かにしゃがみ込んだ。
膝の下に血が広がっていく。それでも構わず、少年の目を見据えた。
「死にたいっていうのは――楽になりたいの言い換えだ。君はまだ、自分の中に残ってる何かを捨てられない。今はそれでいい。そこから目を逸らすな。捨てるな。僕が捨てさせない」
少年の手が、わずかに膝の上で震える。
唇が、何かを言いかけて止まる。
視線は、落ちたまま。だけど確かにこの瞬間、少年は感情を取り戻していた。
「君が認めなくても、僕は君を助ける」
血に染まった腕で、そっと少年の体を抱き上げる。
焼けた傷口が再び開く感覚があっても、リアンはそのまま動じず、静かに言った。
「もう一度、生きたいって思わせてやる。……だから、一緒に来い」
少年は、何も言わなかった。
ただ、抱きかかえられるままに身を預ける。
音もなく、静かな沈黙が落ちた。