ブラックドッグと死の代行者
「これ以上、上にいけない……?」
からくりを利用し続け、おそらくは最上階まで移動できてるはずだ。なのに上には誰もいない。
――いや、訂正。生きた人がいない。死んだ人だけ。
僕は刀を強く握りしめ、じっと目の前に広がるものを観察する。
「何かの実験? それに――」
殺されている白衣を着た人達。ざっと見て十人ぐらい。
目の前にはガラス張りの容器。その中には人や人ならざるものが液体に浸されている。
小さい容器もあるが、そこには人の生首。その生首の片目だけがほとんどなくなっている。
とりあえず、死体を確認するか。
死体の一つに近づき、傷口を見る。
「この傷程度で死ぬとは思えない。でも、体が冷たいし、硬直してるから確実に死んではいるんだよな。だとすると、死んだ原因はこの傷じゃない……?」
断定するのはまだ早いかも知れない。傷口は浅いけど、毒を塗られた刃物によるものかも知れないし。
とりあえず、死体は放置しとこう。今は関係ないだろうし。それよりも、ここで何の研究が行われていたか知っていた方がいいかもしれない。
昔いた施設は適正検査と能力の強化を目的としてはいたけど、別に違法とかではなかった。親たちは普通の幼稚園だと思っていた節があったけど。
――今は関係ないか。
一周するように、部屋を探る。
「さすがに知り合いとかはいないよな……」
いたらそれはそれでものすごく驚くだろうけど。
「何の実験してたんだろう? ………………ちょっと待って。今の人……」
普通に通り過ぎそうになった僕は一歩後ろに戻り、ガラスの中をじっと見つめた。
「これって、日和さんだよね? ――――あれ? 今僕なんて言った?」
頭を冷やすように額に手を当てる。
何でこれを日和さんだと思ったんだ?
日和さんはあのとき僕の手で殺した。仮にこれが日和さんだったとしても年齢が合わない。目の前の少女の年代はライリーと同じくらいの年齢。
「日和さんの姉妹? いや、でも確かに僕は日和さんだと思ったんだよな……」
ある可能性に思い至るが、僕は否定するように即座に首を振った。
日和さんは幽霊だったなんてありえないよな……。だって日和さんには実体がある。僕が昔会った幽霊は実体がなかった。
……待てよ。昔、ある事件があったよな。なんだっけ? 思い出せない。喉元まで引っかかっている感じでなんかもやもやする。
頭を抱え、その場にしゃがみ込む。
うまく思い出せなくてイライラしてきた。思い出せよ、僕の頭!!
頭を抱えている手に力をこめる。
ディラン様と会った年のちょうど一年後だったような……。つまり僕が六歳頃の事件だった気がする。シエルがなんか言ってたな。
『学習能力がなくて困るわー。本当困るわー。これだから犬は好かんのや』
いや違う、これじゃない。その後だ。ディラン様がその後なんか言ってたと思うんだけど……
「ああ、思い出せない!!」
自分の頭をくしゃくしゃにしていると、机から何かが落ちる音が鳴った。
僕は落ちたものに視線を向ける。
それは一冊のノートだった。
もしかして実験記録?
手に取り、ページをめくる。
やっぱりこれ、実験記録だ。データが細かく書かれている。
「だんだん思い出してきた。あの事件ってこの研究のせいで引き起こされたものだったの?」
ブラックドッグが少女の喉元を掻き切って殺したけど、その少女が謎の生還を果たした事件。すぐに、その記事はかき消され、記者の妄想として世間から見向きもされなくなった事件。
シエルがこの件に関与していたらしく、先ほどの愚痴を言っていた。
確かそのブラックドッグが、霊的存在でありながら実体を持つという特殊な能力を持っている犬だった。そして、その犬の名は――――ライ、またの名を死の執行者。
シエルがライを何度も殺しに行っていたが、殺せなかった犬。
それどころかシエルに怪我を負わせていた。
ディラン様が
『放っておけ。どうせ、時間を無駄にするだけだ』
と言っていた。その後に、シエルが
『死の執行者と死の代行者。どっちが勝つか気になりはせんの?』
って言って、ディラン様の返答は
『勝っても負けても調停者に殺されて終わりだ』
だった。
あの事件の少女は死の代行者。つまり、日和さんことだ。ノートにもそう書いてある。旧名の所に、桜葉 日和。今の名はララ・キャンベル。
「キャンベル? キャンベルってフレイさんとライリーと同じ名字……」
関係あるのか? とりあえず、死の執行者の本当の名が書いてないか確認しよう。
――――あった。一代目死の執行者の本名はライリー・キャンベル。
そして、目の前の少女は二代目って書いてある。そして実験中断とも。
理由は一代目を捕獲したから。
ライリーが死の執行者?! というか、同じ名字。養子に入ったってこと?
ブラックドッグは死の代行者を殺すためだけに存在するってディラン様が言っていたはず。そして、ブラックドッグは突如生まれるイレギュラーとも。
だからブラックドッグであるライリーに家族はいない。つまり、ライリーが話していたのは義家族の話。死んだ姉に会いたいって言っていたのは死の代行者である日和さんを殺すため? まだ断定はできないけど……。
死の代行者はヴァリテイターが偶然の産物としてできた存在。利用価値を生み出し、利用しようとしたところで、イレギュラーであるブラックドッグが日和さんを殺しに来た。でも、シエルがそれを邪魔した。
ライリーがここにいるのは取引を持ちかけられたから。
おそらく、日和さんを殺すのを邪魔しない代わりに力を貸すとかかな。
でも卑怯なヴァリテイターの連中は日和さんを僕がいた大陸に移動させ、気配をブラックドッグに感じさせないようにした。気配を感じないってことはいないも同然。
これを利用してライリーには日和さんが死んだことにしていた。でも、ライリーは日和さんをどこかで見てしまった。おそらくそのときからライリーにとってヴァリテイターを滅ばすことは確定事項だったのだろう。
まだ分からないところはあるけど、ノートと自分の持っている情報で分かることはこのくらいか。あとは本人に聞くのが早いか。
僕は日和さんを殺したと思ったけど、確実に殺せていなかったのだろう。ブラックドッグがいるってことはそういうことだ。日和さんは生きている。
「複雑だな」
ノートを閉じ、机に置く。
「やっぱりあのとき、直感に従って斬っておくんだった……」
しばしの間目を閉じる。深呼吸し、気持ちを落ち着かせる。そして、ゆっくりと目を開けた。
「行こう」
ある決意を胸に秘め、僕は地下へと向かった。