急変
「アリスが俺の元に来たと言うことは盤面が動いたということか」
足を組みながら己の側近と将棋をしていたこの国の皇帝の手には飛車が握られていた。アリスは皇帝の隣に座り盤面を覗く。すると側近側はいくつかの歩をとに成し、香車は成香に成って皇帝側を攻めていた。
「とっくにこうなると分かっていたんだ。それならこなくても良かったかも」
ため息をつき、不満そうにするアリス。そんなアリスの機嫌を取るかのように側近はアリスをさりげなく褒め称えた。
「アリスさんも大概ですね。しっかりと盤面を読み取れるあたり感心しますよ」
メガネをクイッとあげようとした側近の手は空をきった。そういえばメガネが外したんだったと思い、少し恥ずかしくなったが何事もなかったかのように振る舞う。
そのときだった。パチンという音が鳴ったのは。皇帝が飛車を龍に成し、側近側を攻めていた。アリスはその一手を見て思わず皇帝の方に振り向き、驚嘆の声を上げる。
「どこまで知っている感じ?こんなに盤面を読んでるなんて」
「嫌みか?あいつの使い魔であるアリスがここまで分かっているってことはレオナだったか?そいつもあいつもこの事態を把握しているってことだろ」
侮られているようで不快さもあった。だが、所詮子供の戯れ言かと思い直した皇帝はアリスの背中を慣れた手つきでなで始めた。気持ちよくなったのかアリスはニャーと声を上げる。
「アリスさんこそどこまで分かっているんです?」
「今回のことしか知らない」
そう言ってあくびをしているアリスの様子に側近は面食らい、固まった。
「なら、少し知っておいた方がいい。前皇帝が前々皇帝の下についた理由を。命が惜しかったからと飴を与えられたからだということを」
「前々皇帝は強いって話だったっけ?」
「そうだ。戦闘において勝てるものは限られる。不本意だが、勝てるとしたら――あいつしか思いつかん」
眉間にシワが寄っており、本当に不服そうであった。複雑な気持ちなのだろうなとアリスは皇帝を見て思った。それに、この皇帝をもってしても勝てないとはどれほどの強さなのだろうかと気になった。
「そういえばのんびり話してていいの?」
「大丈夫です。手は打ってありますので。騎士団はすでに動きだしています。強力な助っ人も呼んでありますから」
「強力な助っ人?」
「アーベントさんです」
「それって大丈夫なの?」
「心配ありません」
アリスが心配するのは無理もない。アーベントという男は四天王の一人ではあるがエルフの里で怠惰を貪っていることで有名なのである。それにその他にも問題があるのだ。
「本当に、レイの人脈にも驚かされる。他の四天王ならともかくアーベントと聞いたときは耳を疑った」
「確かに。有名な話だよね。寝てばっかで引きこもり。陰キャだって。そしてさらにやばいのは少しでも雑音だと感じると機嫌が悪くなって元凶を潰し終わるまで止まらないって」
自分で言っててやばいなとアリスは思った。そんなやばい人をこの国に連れ込んでいいのかなと。特に今は闘技場での試合で国全体がうるさいし。機嫌が悪くなるのは火を見るより明らかである。
「それを利用して一網打尽にしてもらおうかと思っています。あの方は関係ない人は巻き込みませんから。なんだかんだ人に嫌われるのが嫌みたいですし、逸話も有名ですから。国民も命が惜しければ静かにするでしょう」
「本当に今日ほどレイが側近で良かったと思うことはない。やることがえげつない」
「褒め言葉として受け取っておきます」
「それならいいや。アリス、もうレオナの所帰る。まだご褒美もらってないし」
「本当にレオナさんのこと好きなんですね」
「あげないから」
「いりませんよ」
アリスはふんと鼻を鳴らし、皇帝の影の中に飛び込んだ。
よく言えば一途、悪く言えばレオナ至上主義。少しヤンデレ気味だし、めんどくさそうだなとレイは改めて思った。そしてそんなアリスを完全なヤンデレに落とさず扱いきれているレオナの手腕に感心し、心の中で拍手を送った。
「レイ、あとどのくらいでアーベントは到着する予定だ?」
「遅刻すること前提で呼んでいますから今頃は着いてるところでしょうね」
「ちなみに破壊費用はエルフの里持ちか?」
「いえ、こちらもちです。まあ、今回の試合で多額の収入を得ましたからそれでなんとか持ち直せるかと」
「そのためか。いろいろ画策していたのは」
レイは試合の参加費をあげる以外にも、いつもより盛り上げることで金を使わせようとしたり、脱税者の取り締まりを厳しくしたりしていた。自分の持っている商会も積極的に金稼ぎにきているあたりちゃっかりしている。
「そうです」と言うと誇らしげな顔をし、メガネをあげようとする。していないにも関わらず。
「レイ。癖、抜けないみたいだな。俺がメガネ選んでやろうか?」
「いえ、結構です。私が選びますので」
「それだけはやめておけ。また二の舞になるぞ」
レイという男はセンスが独特である。そういえばそんなに悪い響きではないのだが、率直に言えばダサいにつきる。会場にいたときに着けていたメガネはぐるぐるメガネ。何かの罰ゲームか何かと思いたくなるほどである。
服に関してはレイの妹がまともな服に入れ替えているようだし、商会の服飾も妹がやっているからそこだけはレイの妹に感謝しないといけない。もう、矯正は諦めているようだが。
レイ本人も周りから言われ、自分のセンスが悪いと自覚し始めているようでその分野の勉強をしている。その努力は認める。だが、改善する気配は一向にない。それどころかセンスが悪い方向にいっているからなおのこと手に負えない状態になってきている。レイの妹に丸投げするか。
「俺が嫌なら妹に選んでもらえ。俺から妹に言っておく」
げえっといいそうな嫌な顔をしているレイだが、あり得ない格好をした奴を隣に置きたくない。俺までそう思われたら嫌であると皇帝は思った。
「俺達も動くとするか」
「ここが8年前の事件現場か」
「そうだ。ここの近くに大地を揺らしている元凶があるはずだ」
8年前の事件現場の大本。それがここだった。ユースティア達の起こした魔法の残骸が残っている。辺り一帯が氷の世界。青い炎を包むように氷がこの土地を支配している。上だけを見れば幻想的な世界。下を見れば地獄絵図。長居するところではないのは確かだ。
散策をしていると元凶らしき人影があった。
ユースティアはレオナに氷の影に隠れているように手で制すると刀を抜き、一瞬で間合いを詰め、心臓を一刺しする。これで崩壊は止まり、終わりかと思われた。だが、ユースティアの後ろからもう一つの人影が襲いかかる。すかさずユースティアは振り向き、刀で杖を受け止める。
「道化師か」
「やあ、8年ぶりだね。ユースティア。会いたかったよ」
「そうか。隠居生活でもしていれば良かったのになっ!!」
身体強化をさらに強め、刀を振り払う。道化師は後ろに倒れるようにして刀をギリギリで躱す。
ユースティアにとって道化師は今会いたくない人物だった。いずれ殺すつもりではあるがタイミングが悪いと顔を歪める。
「本当に過激だね。それに不快そうな顔。いいね。もっといろんな表情を見せてくれ」
「お前に見せる筋合いはない」
ユースティアは刀で道化師の杖の猛攻をすべて受け流し、道化師の間合いにさらに踏み込んだ。そして道化師に一撃を入れようとしたとき、背後から動くはずのない心臓を一刺しされた人物が襲いかかった。
ユースティアは舌打ちを打ちながら、背後を見ていないにもかかわらず道化師の横を通るように体を滑らせ躱すと同時に道化師の背後にまわる。刀を振りかざすと同時に背後にいた人物を氷で足下から凍らせていった。
「本当に外道なことをする」
「今のは僕じゃないさ。――君が弱るのを僕は待っていたんだ。本当にこんなに弱くなってくれてありがとう」
「世迷い言を」
「世迷い言かどうかはこれから分かることだろう」
ユースティアは道化師の言動に戸惑いを覚えた。何を言っているのか。理解したくもないと脳が理解することを拒否する。そもそもどうして弱体化していることを知っているのか。知っているのはごく一部の人のみである。それに加え、どこまで弱体化しているか知っているのは一人しかいないはずだ。隠し通してきたのだから。裏切りも考えにくい。
「私は今から殺される人物について深く知ろうとする趣味はない」
すぐに頭を切り替え戦闘に集中する。一瞬で道化師との間合いを詰め心臓を確実に狙う。しかし、道化師は受け流す。ユースティアにとってはそれは想定積みのこと。だからこの攻撃は絶対に必中する。例外はない。
道化師は手を口に当てる。
「血か……」
ドサリと音をたて道化師の体は地面とぶつかった。
「終わりだ」
刀を払い、刀身の血を振り払う。
「レオナ。もう出てきていいぞ。大地の揺れはこれで止まるはずだ。ただ――」
「ただ?」
「これは保険だろうな。本命じゃない。ディランは用意周到な奴だから。こんなにあっけなく片がつくなんてこと、あり得ない」
「ちょっと待て。これは厄災が起こしたものじゃないのか?」
「厄災? 違うぞ? これは――」
「これは英雄が起こしたものさ」
レオナの背後にいつの間にかいる道化師。ユースティアは目を見開き、咄嗟にレオナを突き飛ばした。しかし、そのせいでユースティアは道化師に抱きつかれた。手で握りつぶすがごとく、抱きつくなんて生易しい力ではない力でユースティアの体を蝕んでいく。
「くっ。――師匠!!」
「来るなっ!!」
「っ!!」
ユースティアの威圧でレオナは本能的に足が止まってしまった。頭ではすぐにでもユースティアの元に駆けつけたいのにそれができなくて苦渋の表情を浮かべる。
「無駄さ。身体強化で無理矢理引き裂くなんてことしたら体の方がもたないからね」
「糸か。侮り過ぎじゃないか」
ユースティアは転移して離脱しようとするがなぜかできなかった。驚きで目が見開くがそれも一瞬だった。さらに拘束が強くなる。
「僕が君を侮るなんてことするわけないじゃないか」
道化師は片手でユースティアを締め付けながらもう片方の手でビンを取りだした。ビンの中身をすべて口に含むとそのままユースティアに口づけをしてきた。
口の中に得体の知れない液体が流れ込む。ユースティアは能力で打ち消そうにも液体にも強力な能力が及んでいるのか、弱体化している今のユースティアには完全に打ち消すことは叶わなかった。全身の力が抜け、意識が朦朧とする。それでもレオナは守らないと、と最後の力を振り絞って魔法を発動させ、道化師の足下を凍らせる。
「レオナ、逃げ、て、くれ」
ユースティアはレオナの方にかろうじて顔を向けるとそう告げるがレオナは言うことを聞いてくれなかった。
「嫌だ」
「アリス、レオナを、頼ん、だ」
「分かった」
いつの間にかレオナの影から出てきたアリスがレオナを影へと引きずり込む。アリスもレオナの望みを叶えてあげたかったが今回は叶えられてあげられそうにない。
「師匠!!」
それを最後にユースティアの意識が途絶えた。目や口からは血が流れており、骨も何本かやられていた。
「逃げられちゃったか。君が何もできない状態で弟子を惨たらしく目の前で殺してやろうとも思ったんだけど。――まあいいや。任務は達成したし、欲しいものは手に入ったし。万々歳だよね」
自分の腕の中で意識のないユースティアに満足げな表情を浮かべる。
「それにしてもあの薬を入れられてなお正常でいられるなんて思ってなかったな。改良が必要かな」
困ったような言い草の割に表情は全然そんな気配はなかった。道化師はユースティアから糸を外し、お姫様抱っこで丁寧に抱え直すと異空間へと姿を消した。




