第十六話 噂
木々の密度が徐々に薄くなり、差し込む光が濃くなってきた。
鬱蒼とした森の闇が背後へと遠ざかっていく。
「……もうすぐ、森の外」
オリヴィアさんの小さなつぶやきに、周りの冒険者たちの表情がわずかに和らいだのが分かった。
僕も自然と息をつく。身体よりも、張り詰めていた心のほうが先に緩んでいくのを感じる。
冒険者たちは傷や疲労で顔に影を落としながらも、誰一人、弱音も吐かずに森の出口を目指すその姿は、素直にすごいと思った。
やがて視界が開け、急斜面の向こうに、なだらかな草原が広がっているのが見えた。
「出れる……」
僕の口から漏れたその言葉に、風が応えるように吹き抜ける。
湿った土と木々の香りに混じって、どこか懐かしい太陽の匂いがする。
最初に草原へ足を踏み入れたのは、イグニスのブラッドという冒険者だった。彼は大きく背を伸ばすと、太陽を仰ぎ、しばし無言のまま腕を広げる。
その姿を皮切りに、他の冒険者たちも肩の力を抜いたように息を吐いた。
僕たちも遅れて草原へ足を踏み入れた。
森を抜けてしばらく歩くと、小さな村が見えた。
深い森での疲れを癒すため、僕たちはこの村で宿を取ることになった。
イグニスの冒険者たちも同じように休息をとるようで、宿も一緒になった。
「改めて言うが……本当に世話になった」
荷を下ろし、イグニスの一行と昼食を共にすることになった僕たち。
全員が席についたところで、ブラッドが深く頭を下げて礼を言うと、隣のアンとソフィアも静かに頭を下げた。
ちなみにだが、一番の重傷者であるドニは、現在宿の部屋で休養中だ。
森を出るとき、すでに歩けないほどだったのだから、無理もない。
「いえ、こちらこそお世話になりました。宿を紹介してもらって」
オリヴィアさんがメニューを見つつ、落ち着いた声で応じる。
この宿はイグニスの知り合いが営んでいるらしく、紹介のおかげでかなり安く泊まれることになった。そのうえ、今回、費用をイグニス側が持ってくれるという。
つまり、無料というわけだ。ありがたいけど、少し申し訳ない気もする。
それぞれが料理を注文し、食事が運ばれてくると、自然と会話は始まった。
香ばしい匂いが立ちのぼる皿を前に、冒険者たちの表情も次第にほぐれていく。
「あなたたちはエルフの里に向かっているのよね?」
そう声をかけてきたのは、ソフィアだった。パンを手に取りかけたまま、こちらに視線を向ける。
「はい、そうですけど……」
不思議そうに首をかしげながらオリヴィアさんが答えると、ソフィアは少し言いづらそうに口を開く。
「もしかしたら今、エルフの里には入れないかもしれないわ」
その一言に、テーブルの空気がわずかに変わる。僕も思わず、スプーンを持つ手を止めた。
「何かあったの?」
ルナが静かに問い返す。ソフィアは眉を寄せ、
「詳しく知っているわけじゃないけど……少し、異常が起きてるみたい。聖水の供給が減ってるって噂もあるし」
嘆息する。その声音は情勢を不安視する色を含んでいた。
「実際、私たちが行ったときも、前より明らかに少なかったから……」
「噂は本当かもしれない……?」
オリヴィアさんの問いにアンたちは無言の肯定で答える。
まじまじオリヴィアさんとの会話を眺めていた僕だったが、正直、事の重大さはよく分からなかった。
話をちゃんと聞くべきなんだろうけど、頭が追いつかない。
後でオリヴィアさんに教えてもらおう。
一通りの情報交換が終わり、宿内の食事処を後にする。イグニスとも別れ、僕たちはさらなる情報を集めることになった。
「僕はロジェと一緒か」
僕はロジェと手をつなぎ、空を仰ぐ。眩しいほどの晴天。
森の中との差に体が違和感を覚えると同時に不安が胸に巣食う。
この大陸に来てからというもの、試練やら、任務やらの怒涛の日々で、こうして自由に歩くのは初めてのことだった。
「ロジェ、暑くない?」
「大丈夫」
淡々とした返事に僕は苦笑いを浮かべる。
子供と普段触れ合う機会がないからどうにも扱いに困る。
オリヴィアさんとルナは、食事処を出てすぐ、「情報集めてくる」と言ってどこかへ行ってしまった。
残された僕たちはこのまま宿に戻ってもいいのだろうけど、このまま戻るのも気が引ける。
でも、イグニスとの会話の半分も分からなかった僕が情報収集ってのも、変な気がする。
食事処の前で立ち止まり、唸っていると、横から手を引っ張られた。
「ロジェ……?」
「とりあえず、歩こう?」
「そう、だね……」
ロジェの小さな手に引っ張られながら、村のメインストリートを歩き始めた。
石畳の道は少し凸凹で、歩くたびに靴底にその感触が伝わってくる。
村は静かで、遠くから聞こえる馬車の軋む音や、市場の方から漂ってくる甘い香りが、どこか穏やかな日常を感じさせた。
「どこに向かってるの?」
「市場の方。人たくさんいると思う。……嫌、だった?」
どこか不安そうに見上げるロジェに、僕は笑みを浮かべた。
「いいや、嫌じゃないよ。市場に行くのいいと思う」
市場なら人も多いし、何か情報が耳に入ってくるかもしれない。オリヴィアさんたちに任せっきりじゃなく、僕も少しは役に立ちたい。
市場に着くと、思った以上に賑わっていた。
木製の屋台がずらりと並び、野菜や果物、色とりどりの布や装飾品が所狭しと並んでいる。
商人たちの呼び声や、買い物客の笑い声が響き合い、森の静けさとはまるで別世界だ。
僕は目を輝かせて、あちこちの屋台を覗き込んだ。
「ロジェ見て、変な果物ある!」
僕が指さす先には赤と黄色のまだら模様の果物が積まれている。
店主のおばさんが、こちらに気づいてニコニコと話しかけてくる。
「そこのお兄さん、今朝採れたてのフィーラ、飲んでいかないかい?」
「フィーラ? 初めて見ました。飲めるんですか?」
「あんた知らないのかい? 変な子だね」
「うっ……!」
地味にダメージを食らう。
そんな僕を怪訝そうに見ながらも、おばさんは果実を半分に切り、差し出してきたのでありがたく受け取る。
だがここで一つ問題が。
(どうやって飲むんだ?)
「飲まないのかい?」
「えっと……」
なんて説明しようか言葉に詰まってると横にいるロジェが僕の服の裾を引っ張った。
ロジェを見ると、ロジェは見本を見せるようにフィーラを飲んでいた。
(な、なるほど……!)
「いただきます!」
ロジェが見せてくれたように果実に刻まれた切り口を広げるように横に引っ張る。
すると中から果汁が出てきたので慌てて口に含んだ。
「美味しい!」
「そうかい、そうかい。それは良かった。買ってくかい?」
「は――」
返事をしようとして、僕の体はピクリと動きを止める。
(そう言えばお金持ってない。そもそもこの大陸に来てから、まだ一度も自分で買い物なんてしたことなかった。っていうか、この大陸のお金の価値、全然ワカラナイ……)
僕がかたまっているとロジェがおばさんの前にお金を出した。
「二つください」
「はいよ!」
おばさんから果物を買い、袋に入れてもらう。
「ロジェ、ありがとう!」
涙ぐむ僕をよそに、ロジェは市場の奥の方をじっと見つめていた。
気になって、視線の先をたどると、何やら商人たちが話し込んでいるようだった。人が多く、誰が話しているかまでは分からない。しかし――
「エルフの里……」
「冒険者が……」
「何か変なことが……」
聞こえてくる単語に僕の胸はざわついた。
さっきソフィアが言っていたことが、頭をよぎる。
エルフの里で何か異常が起きているという話。
思いがけない情報入手。
僕はおばさんから果実を受け取ると、ロジェの手を握り直し、商人たちの方へと向かう。
人だかりの中心には、年配の男性が立っていて、身振り手振りを交えながら話していた。
話を聞く限り、彼は最近エルフの里の近くを通ったらしい。
「それでな、里の入り口に近づいたら、いつもいるエルフの連中がピリピリしててよ。聖水の取引も、量が減ってるって話だから里の奥で変なことが起きてるんだろうさ」
「変なことって、どんな?」
市場の誰かが質問を投げると、商人の男は少し声を潜めた。
「詳しくは知らんが……精霊王の怒りを買ったって噂さ。聖水の泉が枯れかけてるらしい。他にも、新人の冒険者が里で何かしてるって話もあるけど、詳しくはわからん。エルフの連中は、よそ者を警戒してるから、深入りするのは難しくてよ」
周囲からざわめきが広がる。僕も思わずロジェと顔を見合わせた。聖水の供給が減っているという話は、ソフィアの言葉と一致する。
エルフの里を目指している僕たちにとって、これは無視できない情報だ。
それに他にも無視できない情報が出てきた。
「ねえ、ロジェ。この話、オリヴィアさんたちに伝えた方がいいよね?」
「……」
「……ロジェ?」
静かなロジェを見る。顔は無表情だったが、その手は強く握られていた。意識をどこかへとばしているような様子だった。
もしかして――――ロジェはすべてを知ってるのか?
「ロジェ、戻ろっか」
市場を後にし、宿に戻ることにする。
宿に着くと、オリヴィアさんとルナが部屋で待っていた。テーブルの上には地図が広げられ、二人が真剣な表情で話し合っているのが見えた。
「おかえり。どうだった? 何か面白いことあった?」
ルナが軽い調子で聞いてくるけど、目には少し疲労が浮かんでいる。情報収集、かなり歩き回ったのだろう。昨日も寝てないし。
「市場でちょっと気になる話を聞いてきた。でもその前にロジェを寝かせてくるね」
僕はロジェを抱き抱えると部屋を後にする。
ロジェには聞かせてはいけないようなそんな気がしたのだ。
ロジェをベッドに寝かせ、僕はサイドソファに腰を下ろす。ロジェが寝るまで僕はそっとそばにいることにした。




