直面
精霊王に使用を認められた者のみ見ることができる過去。
本来、知り得なかった過去――――すなわち事実という名の真実を突きつける。
それがこの【真実の泉】
「ララ・キャンベル、心の準備はできてるかい?」
「…………」
日和は、精霊王の呼びかけに沈黙で返す。
それは少しばかりの反抗だった。
今の日和に拒否権はないのだろう。拒否しようものなら後ろに立っている魔女が黙っていない。実際には違うのだろうが、いつものように拒否できないこと。
そう思い込むことでしか、今の現状を受け入れることが日和にはできなかった。
結局のところ、ある程度確信していることが本当に真実であることを知るのが怖いのだ。
「………発動するよ」
【真実の泉】に手を入れ、呪文を唱える。凡人には聞き取れないであろう精霊王の口から放たれた呪文は、泉の上で浮かび上がると緑色の光を発光させた。
弱々しかった光がだんだんと泉の底へと溶け込んでいく。光は弱まり、消えていくかと思われた。
だが、予想に反して光はどんどんと輝度を増していく。
「……ッ……!!」
あまりの眩しさに日和は瞼を閉じ、腕で目を覆った。
一瞬の浮遊感が日和を襲う。かと思えば、次に光が消え去った。
日和はゆっくりと双眸を開く。
「…………えっ」
目の前の光景は今以上に日和の双眸を大きく開かせることになった。
「マーゴット。君に聞きたいことがある」
日和がいなくなった後。アーベントは泉を覗き込みながら、背後にいるマーゴットに尋ねた。
「私に答えられる範囲でなら」
アーベントは重たい口を開くように、返答から数秒後に口を開いた。
「冥界で何かあったんだよね?」
それは質問ではなく事実確認のようだった。
マーゴットは言うか、言わないかを思考するかのように一度目を瞑った後、すぐにまぶたを開けた。
「冥界の主は元に戻ったわ。ただ……」
「ただ?」
「権限を全て取り戻したわけではない」
「完全におっさんに戻ったわけではないということ?」
二人の横から精霊王が口を挟む。その表情は好奇心そのものだった。目をキラキラさせ、マーゴットの目の前へとおどり出る。じりじりと近寄ってくる精霊王だったが、ラモラックが精霊王とマーゴットの間に入り込むと、ハッとした顔をみせる。
「ごめん、ごめん」
「レディーナ、リシャールを屋敷に連れてってくれない? 邪魔」
「酷っ!!」
「そのようですね。ゆっくりとお過ごしくださいませ」
「レディーナ?!」
まさかの同胞の裏切りに精霊王が驚愕の声を上げる。レディーナにされるがまま、精霊王は屋敷内へと戻された。
「うるさいのがいなくなった」
「そうですね」
「話戻す。権限が完全に戻っていないのはなんで?」
「権限を取り戻すときに一部の権限を盗まれたっておばあ様は言ってるわ。リア…………リアン君がクリスティーナを刺したときにこっそり盗んだみたいね」
「やるね」
「聞きたいことはそれだけかしら?」
「…………俺はね、マーゴット。君のことが少し心配だったんだ。友人としてさ」
【能力】の元にもなった魔女。
マーゴットはその最後の生き残りだった。
マーゴット以外の魔女は全員火炙りにされたが、当時、魔女の能力を極めた者の中で一番若かったマーゴットはみんなの力で生かされたのだ。
魔女という存在を後世に残すために。
魔女は能力とは別のいくつかの力を持っているが、その中に魂呼びというものがある。例外を除き、通常生物を生き返らせることはできない。これは霊本体ではなく残滓を呼び起こしているに過ぎないためである。死者と話すだけなら冥界にいかなくてもその残滓だけで充分なのである。
この能力のおかげでマーゴットは冥界の様子を知ることができていた。
アーベントはマーゴットのこの過去を知っているから始め冥界について聞くつもりはなかった。
この魂呼びが火炙りのきっかけとも呼べるものだったから、冥界のことを聞くことはマーゴットに嫌な思い出を思い起こさせる。魂呼びをせず、【真実の泉】を使わせたのもそういうことだろうと思ったからだ。でも――――
「もう過去は吹っ切れたみたいで良かったよ」
「そう見えるかしら?」
マーゴットはアーベントの隣に座ると泉の中に足を入れ、パタパタと足を動かす。
水面が揺れる。アーベントは泉を覗き込むのをやめ、マーゴットの顔を見た。
「少なくとも俺はそう見えたかな」
「そっか……。あなたが言うならそうなんだろうなあ」
「マーゴット……?」
「何でもないわ。少し昔のこと思い出してね。あっ、そうそう。今言うことではないかもしれないけど、遊びもほどほどにしないとバレてしまうわよ」
「やっぱり無理があったか」
「気づいてたのね」
マーゴットはくすくすと笑う。アーベントもつられて口角を上げた。
そして――――
「ラモラック」
「はい」
マーゴットを守るように立っているラモラックの名を呼んだ。
「後は任せたよ」
「この命にかけて」
「頼もしい騎士だね」
アーベントは最後にそう言い残すと、再びマーゴットとたわいない会話を始めた。
傷はいつかは癒えるものだ。跡が残って、跡を見るたびそのことを思い出してもきっと今のマーゴットなら乗り越えて行ける。治療はもう必要ない。そう信じて。アーベントは今日を境にマーゴットを守ることをやめた。
◆◇◆◇
大きな石の壁の裏に背を預け、冥界の主の誕生を見届けていたレオナに覆いかぶさる影が一つ。
「大丈夫?」
それが影の主――アランのレオナに対する第一声だった。
八年ぶりの再会。アランとはユースティアを通して出会い、その後家族のように可愛がってもらった。
だが、レオナはその好意を利用した。
アランがそれに気づいていないはずがない。
だから、…………第一声がこんなに優しい声音だとは思っていなかった。
レオナは行き場のない怒りを発散させるように奥歯を強く噛み締めた。
ふざけるな。
そう罵倒される方がまだ楽だった。罵倒しないことがレオナにとって罰になると分かっているから怒っていても怒らない。その方がまだマシだった。
今のはそう計算した上での態度ではないと分かるからこそたちが悪い。
「レオナ」
再び優しい声音が耳朶に響く。
(会いたくなかった)
「もう一人で頑張らなくていいんだ。家に帰ろう」
伸ばされる手を振りほどく。これは夢だと己に言い聞かせる。
レオナは他人の夢を認めても己の夢は絶対に認めない。
それはあの約束をしたときに決心したことだ。
「俺はアヴィオールとの約束を果たすまで帰らない」
青い瞳が大きく見開かれる。
アランは振り払われた手を戻すと前髪をかきあげた。そして――――
「はは……はははっ!!」
笑い出す。
ただ普通に笑っているだけなのに。なぜかレオナには不気味に感じられた。
それどころか恐怖を感じている。
証拠に全身の毛が逆立ち、己の武器――爪が鋭く伸びてしまっている。
「希望を見せて奈落の底に突き落とす。冥界の主以上に無慈悲で残酷だ。本当に君たちいい性格してるよ」
「……………君たちだと?」
「今に分かるさ」
懐疑の眼差しを向ける。
この目の前の男は得たいが知れない。初めて会ったときからそうだった。単純な戦闘力しかり、頭脳もそう。長い付き合いだとしてもどこまでが本音なのか。ほとんど本音を語らないリアン以上に分かりづらい。
「心配するな」
「心配なんかしてねぇ」
警戒心むき出しのレオナの頭をなでる。髪がくしゃくしゃになるほどのなで回しにレオナはアランから距離をとろうとする。
「やめろっ!! 俺は子どもじゃない」
「俺からしたらみんな子供だよ」
「……っ!! 帰れ、俺に構うな」
本当に嫌そうな顔をするレオナにアランは手をパッと離す。
「はいはい、大人しく帰りますよ」
「ああ、帰れ、帰れ」
しっしと手で追い払う。げんなりしたレオナは石の壁にぐったりと横たわった。
「レオナ」
「なんだ」
「受け取れ」
投げられた小さな箱を片手で受け止める。片手で収まる程に小さなその箱は魔力を帯びていた。帯びている魔力が大きいのか、握っているそばから手の内側が、静電気が走ったようにピリピリと刺激される。
「これは何だ」
「開ければ分かる」
「なら開ける」
「おいおい、そこは普通俺が見てないところで開けるものだろ!! 一応プレゼントだぞ」
「そんなこと気にしないだろ、アランは」
「まあ、そうだけど……」
箱を開ける。中に入っていたのは…………指輪とペンダントだった。
「渡す相手間違えてんぞ」
気まずそうに顔をしかめるレオナ。
少なくとも、これは野郎が野郎に渡す代物ではないし、無自覚に受け取っていいものでもない。
たとえ、それが貴重な宝石をあしらわれおり、売ったら一生金に困らずに生きていけるものだったとしてもだ。
レオナはこの価値を分からないふりして受け取るほど恥知らずではない。
「いいや、合ってる」
「おちょくってるのか? 渡す相手が違うって言ってんだろ。それとも何か? 俺から師匠に渡せって言いたいのか?」
苛立ちをあらわにするレオナ。今にも目で殺せるんじゃないかと思う程の殺気だった眼差しがアランに向けられる。
「違う。まあ、落ちつけよ。それは魔力を増幅する魔道具だ。もう一つの効果は時期が来れば分かる」
「もったいぶらずに今言えよ」
「言わない。それを君への罰とする。罰を望んでいるようだったからな」
「チッ……」
「気づいていると思うが、今のままでは黒竜を――アヴィオールを殺すには至らない」
レオナの眉がピクリと上がる。
黒竜と己の実力が離れすぎていることは分かっている。だが、手段を選ばない殺しにおいてその実力差はかき消せるというのがレオナの見解だった。
今日まで黒竜について対策してきたのだ。負けるはずがないという自負を少なからず持っている。
だからこそ、アランの先ほどの発言は不快としかいいようがなかった。
「これは実力以前の問題だ」
心臓に指を当てられ、レオナの体はビクリと揺れる。だが、それも一瞬。聞き捨てならない言葉がアランの口から飛び出した。
「君はすでに生死をさまよっている」
「何を言っている」
「君の傷は回復なんかしていないと言ったんだ。いくら強かろうが瀕死であれば策も何もあったものではない」
「話にならないな。もし、過去の傷のことを言ってるならそれはとっくにふさがっている。今、動けている俺が証拠だ」
「それはティアが君の代わりに傷を負わされているからだ」
「…………」
「俺に隠し事は無意味だ、レオナ。そして、この結果は君が夢を――希望を信じない様になったことで起きた不完全な能力発動によるものだと自覚しろ。その能力『芽吹く灯火』の性質は俺よりも君自身がよく分かっているはずだ」
「分からないな。仮に能力を使えていなかったとしてそれがなぜ師匠の傷につながる?」
指摘された後でもレオナは己の魔力以外を感じられていない。何より、傷跡やそれに伴う痛みは現に己の肉体に残っている。だが、目の前の男が嘘をついているとも思えない。
もしこの男の言っていることがすべて真実であれば、傷を返してもらいにいかなければならないだろう。
大きな溜息を吐く。
レオナは立ち上がりこの場を去ろうとしたそのとき――アランはレオナの行く手を阻んだ。
「確認しに行こうとは考えないことだ。アヴィオールを本気で殺したいのなら、ティアを利用するしか今の君に勝ち目はない。そうだろう?」
「師匠のこと、大切だったんじゃねえのかよ」
「俺はあくまで君が今取れる最善の選択肢を提示したにすぎない。どうするかは君が決めることだ。ここに俺の私情は挟んでいない」
「はっ、食えない奴だ。貴方は昔からそういう人だってこと忘れていたぜ」
「思い出してくれて何よりだ。俺はもう行く。他にやらなければならないことがある」
「待て……」
背を向けるアランを呼び止める。アランは振り返らずに立ち止まった。
「なに?」
「俺が言う資格はないが………」
「……」
「――――師匠を守ってあげてください」
拳を強く握りしめながら頼みを口にする。頼みを聞いてくれないのは百も承知。だが、口にしないという選択肢はレオナにはない。
「――――アヴィオールを守りたいのなら地上にはあがってくるな。ここで決着をつけろ。俺に言えるのはそれだけだ」
瞬きをし、再び目を開けたときにはアランの姿はどこにもなかった。
「迷っているとでもいいたいのか。親切に選択肢までにおわせやがって」
(答えはすでに決まっているというのに)
開いた手を握り直すと、レオナもこの場から姿を消した。