第97話 大切な名前
本屋には所狭しと棚が並べられ、そこに隙間なく本が詰め込まれている。城にある本と比べると、薄い本が多い。
どれが面白い本なのだろう。目的の物語の本がどこにあるのかすら分からない。見ているだけでも結構楽しいけれど、いつまでもこの店にいる訳にもいかないし、店員に聞いてみれば良いか。
「ねえ、物語の本はどこにあるの?」
「へ? ひ、姫様っ!? あ、え、も、物語、ですか? どのような物語の本でしょうか?」
「どのような?」
「え、ええ。物語にも様々な種類がありまして、冒険、日常、英雄譚。他にも恋愛物など……」
「恋愛! それ! それが良いわ!」
パーティーで貴族の令嬢たちがよく話している。どこどこのご子息がカッコいいとか、あの方は優しくて気遣いが出来るとか。
わたしにもたまに、アイリス様はどなたか気になる方はいらっしゃいますか? なんて聞いてくる子がいるけれど、正直全然理解出来ない。
顔が良いとか、強いとか、優しいとか、確かにそういう評価をすることは出来るけれど、でも誰と比べたって何を比べたって、結局はお兄様が最も優れているのだから。
あの方の婚約者が羨ましいとか、彼と結婚出来たら幸せでしょうねとか、そういう気持ちが分からないのよね。
恋愛の物語を読めば、わたしにも恋とかそういう気持ちが分かるかもしれない。
「恋愛物ですか。姫様のお好みに合うかは分からないのですが……わたしのオススメはこちらになります」
そう言って渡されたのは、こちらを向く少女と背中合わせになった男性が剣を持っている絵が描かれた本。男性もこちら側に顔を向けているけれど、なるほど、カッコいいわね。こういう男性に皆惹かれるものなのかしら。
「お転婆令嬢と護衛騎士の恋物語です。主人公の令嬢が悪漢に囲まれてピンチな状況に颯爽と現れる騎士様がもう格好良くて……!」
物凄い早口で本の内容を教えてくれる店員。何も分からないわたしにとってはありがたいことだけれど、それってネタバレって奴なのではないかしら。
「ハッ! す、すみません……。とにかく面白いので! 読んでみてください!!」
「じゃ、じゃあそれをもらうわ。あと似たような本を何冊か見繕ってくれる?」
「お任せください!」
勢いで買ってしまった。何冊かと言ったのに10冊も選んでくれたので、本を入れた袋が結構重い。
「クル、これを持ちなさい。傷つけたら駄目よ」
「はい」
袋をクルに押し付け、街の探索を再開する。次はどこに行こうかしら。
「キャー! ひったくりよ!」
急にすぐ近くから、そんな声が聞こえてきた。慌てて周囲を見回せば、地面に倒れる女性と、足早に駆けていく顔を隠した男性の姿。
男性が細い路地に入って行く。
「許せないわ! わたしの魔法で捕まえてやる! 行くわよ、クル!」
「はい」
クルを連れてわたしも路地に入る。ギュウギュウに詰められて建ち並ぶ建物たちの、僅かな隙間。その入り組んだ薄暗い路地をするすると走り抜ける男を必死に追いかける。
ひったくりなんてする割には、足が遅い。わたしみたいな子供でもなんとか見失わずに追いかけることが出来る。
息が上がり、それでも足を動かして、やっと突き当りに男を追い詰めることが出来た。通ってきた路地に比べると、やや広くなっているその突き当り。壁を背にしてこちらを睨む男を、逆に睨み付ける。
「はぁ、はぁ、やっと、追い詰めたわ。さあ、奪ったカバンを返しなさい!」
観念したように俯くその男に近づきながら、手を差し出す。こんな簡単に諦めるなら、最初からひったくりなんてしなければ良いのに。
「クックックッ、ちょろい姫様だな」
「誰っ!?」
背後から聞こえた声に振り向くと、5人もの男性が道を塞ぎ、ニヤニヤとこちらを見ている。
「さて、誰でしょうねぇ。やれ」
5人の内、4人が逃げ場を塞ぐように近づいてくる。壁に追い詰めたはずのひったくり犯も、俯いていた顔を上げて寄ってくる。
「来っ!」
ひったくり犯に雷を落として意識を奪う。が、それが限界。魔法を発動した瞬間、一気に距離を詰めてくる4人。
「ふっ」
軽く息をする音が聞こえた。次の瞬間には、男の1人の胸にクルの拳が当てられ、
その胸に、穴が開く。
あっさりと、何の抵抗もなく、命が失われる。
周囲の男たちが驚いている隙に、クルがその場で一つ回り、
横に伸ばされた足によって、左右にいた男たちの胴が上下に分かれる。
血が舞う。悲鳴が響く。
慌てて残りの男が逃げ出し、
気づいた時には、既にその逃げ出す背中にクルの足が突き刺さっていた。
「あ……え……?」
目の前で何が起こったのか、把握するまでに時間がかかった。気づけば血まみれの惨状が眼前に広がり、それを理解した時、腹の底から何かがせり上がってくる感触を覚えた。
が、無理矢理飲み込む。
吐いたりしたら駄目だ。目を逸らしたら駄目だ。この惨状は、わたしが生み出した。クルはただ、何かあったらわたしを守れ、という命令を守っただけ。
大丈夫、大丈夫。だってわたしは何もされていないんだから。
大丈夫。
「クル、無事? 答えなさい」
「はい、右足の付け根に若干の痛みがあり、右手首も骨折しましたが、生命に問題ありません。お預かりしている本にも傷はなく、無事であると判断します」
「え……? こ、骨折したの!? 大丈夫!?」
普段通りの様子でこちらに歩いて戻ってきていたクルに慌てて近寄り、折れたという手首と足の付け根を見る。確認したところで適切な処置の方法など分からず、どうすることも出来ない。
体がそんな状態であるにも関わらず、本を気にするなんて。
それが命令だから。そんなことは分かっている。
でも、命令されたからって、自分の身より本なんかを大切にするなんて、そんなことは間違っている。
思わず、クルを抱きしめていた。あまりに痛々しくて、辛くて。こんな辛さ、わたしが勝手に感じているだけで、クルは何とも思っていない。それは分かっているけれど、我慢出来なかった。
「もっと……自分を大切にしてよ……!」
何故泣いているのか、自分でも分からなかった。クルは血まみれで、抱きしめるわたしにも血が付いていたけれど、それで良いと思った。わたしがやらせたのだから、その汚れはわたしも受け入れるべきだ。
「これは……! アイリス様! おい、アイリス様がいらっしゃったぞ! こっちだ!」
騎士が駆け付けてきた。薄々分かってはいた。こんな脱走、長くは見逃してもらえないだろうなって。帰ったら怒られるかな、なんて考えていた。
でも、今はありがたい。早くクルに適切な処置をしてもらわないと。
「アイリス様! ご無事ですか!?」
「わたしは大丈夫。クルが守ってくれたから。それよりもこの子、怪我したの。処置してあげて」
騎士たちに連れられて、城に帰る。本当に馬鹿なことをした。別に城に閉じ込められている訳でもないのに。外に出たいと言えば、護衛がつくにせよ出ることは出来るのに。
一時の衝動に身を任せ、誰にも見つからないように外へ飛び出す。やっていることが完全に子供だ。それで危ない目に遭っているのだから、馬鹿と言う他ない。
自室に戻る。お父様には、今は休めと言われた。怒られなくて良かった、とは思えなかった。むしろ、怒って欲しかったくらいだ。
「アイリス様、処置が完了しましたので、クルを連れて参りました」
「ありがとう」
メイドがクルを部屋まで連れてきてくれた。右手が固定されている。足は、外見上は何も変わっていない。杖が必要なほどの怪我ではなかったようだ。
「クル……ゴメンね。わたしが馬鹿なせいで、あなたに怪我をさせてしまった……」
クルは何も答えない。この子は、どうしてあんなに強いのだろう。どうしてこんな風になってしまったのだろう。わたしは、それを知っておくべきなのではないか。そう思って、
「ねえ、クル。あなたの過去を教えて……教えなさい」
そう命令した。
クルは命令に従い、その過去を語ってくれた。それは、あまりにも酷い、悲惨な過去。
わたしは、そんなことも知らずに、クルの最悪な過去に紐づく数字、実験体96号から取って名前を付けてしまった。
「嫌なら……嫌って言ってよ……!」
それが出来ないのは、今聞いた。城を抜け出したことといい、わたしはどこまで考えなしなのだろう。少し考えれば、この子に辛い過去がありそうなことくらい、想像出来るというのに。
今、この子にどんな名前が良いのかを聞いたところで、答えは返ってこない。ならば、わたしがやるべきは、一つだ。
「あなたに、人間らしい感情を取り戻させる……!」
それから、この子への命令の仕方を変えた。
どうしたいのかを言いなさい、どう思ったのかを言いなさい、やりたいことをやってみなさい。
初めは全く動かなかった。恐らく、こうしたい、などという考え自体がなかったのだろう。これをやりたい、などという衝動自体がなかったのだろう。
でも、それで諦めたりは出来なかった。諦めるなんて選択肢は最初からなかった。
そんな命令をし続けて、1年が経った頃、初めてこの子が自分の考えで体を動かしてくれた。
目の前に並んだ食事に対して、食べたい物を食べなさいと言ったら、手に持ったフォークで勢いよくサラダを突き刺し、皿を粉砕したのだ。
その行動に喜ぶと同時、更に解決しなければならない事項が増えたことを理解した。この子は、自分のあまりにも強大な体を制御し切れていない。
壊しては駄目。全力で体を動かしては駄目。気を使わなくては駄目。
命令する度に、物を壊さないように注意させた。それは更に命令が複雑化し、それに従う難度が跳ね上がったことを意味する。命令に従って、僅かに自分の考えで体を動かせるようになったからこそ、苦労しているのが見て取れて、涙が出そうになった。
でも、続けるしかない。この子が自分の意思で、もうやりたくない、やらなくて良いと言うまで、絶対にやめない。この子の意思を、感情を、必ず呼び起こす。
感情を起こすための命令を始めて3年。お兄様がディルガドール学園に入学したその年の、夏も終わるというのにまだまだ暑い日が続く、ある日。
「アイリス様……おはよう……ござい、ます」
一気に目が覚めた。隣から、一緒に寝ていたこの子の口から、命令もしていないのに、朝の挨拶が飛び出した。
「あなた……挨拶を、したの?」
「おはよ、ございます」
「っ! おはよう……! おはよう!」
目から涙が溢れ出す。それは、これまでの人生で最高の朝だったと、そう断言出来るくらい、喜びに満ちた朝だった。
「ねえ、あなたに聞きたいことがあるの」
「はい」
「あなたに合った、新しい名前を考えたいの。どんな名前が良い?」
この子に感情が戻り、自分の考えを口に出せるようになったら、真っ先に聞こうと思っていた。実験体番号ではなく、ちゃんと、この子のための名前を考えてあげようって。
「クル・サーヴ」
「それは、わたしが何も考えずに付けてしまった名前だから。もっとちゃんと考えましょう」
「大切な、名前。アイリス様に……もらった、大切な……名前、だから。クル・サーヴ、が、良い……です」
クルを抱きしめて、また泣いた。声を抑えることも出来なくて、部屋の外まで聞こえてしまった泣き声に、慌ててメイドたちが駆け付けた。
集まったメイドたちにも教えてあげた。クルが自分の意思で話せるようになったんだって。意地を張るのを止めて、メイドたちにもクルの世話に協力してもらっていたから、今までのクルの苦労は皆理解している。
だから、皆自分のことのように喜んでくれた。
「クル、これから何がやりたい?」
「メイド、がやりたいです」
「それ、クルが見たことあるのがメイドだけだからなんじゃない? もっと他にも色んな職があるのよ?」
「アイリス様の、役に、立ちたいです」
「でも……」
「良いじゃないですか。この子が自分でやりたいと言っているんですから。私たちが教えます」
自分でやりたいと言っている。それが、クルにとってどれだけ大きいことなのか。ここにいる全員が知っている。
「そうね。やりたいこと、全部やってみれば良いわよね。じゃあ皆、クルに色々教えてあげて」
「はい!」
ここから、クルの新しい人生が始まるんだ。




