第89話 悲痛なる咆哮
地下を目指す。館の構造はクレイが全て調べてくれた。頭痛が酷いらしいけれど、それを差し引いても反則級の魔法だ。
1階の部屋に入る。
「クル、その絨毯を捲って」
クルが絨毯を捲ると、床に扉がついている。それを開ければ、地下への階段が現れる。
「これね。クル、先に行って」
階段を下りていく。薄暗くはあるが、足元が見えないほどではない。壁に取り付けられた明かりがぼんやりと周囲を照らしている。
階段を下り切って床に足を着け周囲を見回すと、いくつもの部屋が見える。正面に廊下が続き、その左右に扉が並ぶ。奥の突き当りには、他より大きく頑丈そうな扉が見える。
クレイの話では、用があるのは最奥の部屋だ。他は恐らく研究室のような部屋だろうと言っていた。あまり気分の良い光景ではないから、心の準備をしてから入るように言われている。
「良い?」
「はい、大丈夫です」
「うん」
クルとフォンに問えば、頼もしい返事。一番怖がっているの、わたしなんじゃないかしら。
「行くわよ」
扉を開く。同時、クルが部屋へと飛び込み安全を確認する。
「これは……なるほど。確かにあまり良い気分はしないですね」
クルに続いて部屋に入ると、真っ先に目に飛びこんで来たのは、ぼんやりとした青い光だった。
その部屋には、檻が並べられていた。
左手側に並ぶ檻には、狼型のモンスター。
右手側の檻には、人間の子供たち。
部屋の奥には、淡い光を放つ液体が満たされた大きな容器が2つあり、片方にはモンスターが、片方には人間の子供が浮かんでいる。
その部屋は明らかに、人体実験を行う実験室だった。
「クレイから聞いてはいたけれど、実際に見ると気分が悪いわ。子供たちを救出して、こんなところ早く出ましょう」
右手側、子供たちが閉じ込められている檻に近づく。手を伸ばそうとして、檻自体が雷魔法を纏っていることに気が付き手を引く。
「魔法で檻を破壊しようとしたら中の子供たちまで傷つけてしまうわね。仕方ない、鍵を探しましょう。もう少しだけ待っていてね」
不安そうにこちらを見上げてくる子供に笑いかけて、檻から離れる。鍵がありそうなのはどこだろうか。この施設の研究員が持っているかもしれない。別の部屋を探す必要があるか。
「まったく、だからモンスターを放つのは反対じゃと言ったんじゃ」
「誰っ!」
突然部屋に響いた老いた男性と思われる声。部屋を見渡してみても、声の主と思しき人物は見当たらない。
「誰とは失礼な嬢ちゃんじゃのう。ここは儂の実験室だというのに」
その声と共に、液体で満たされた容器の裏から老人が姿を現す。白衣を着た、いかにも研究者といった風貌の男だ。
「ふん、あなたこそ、この国の姫に向かって失礼なんじゃないかしら?」
「おーおー、お姫様が直々にお出ましとは、お暇なようで何よりじゃ」
腹立つジジイね。こいつがこの研究所? で良いのかしら。ここのリーダーってことなのかしらね。
「ここは明らかに人体実験を行っているわね。大人しく捕まって正直にここでしていることを白状すれば、多少は罪が軽くなるかもしれないわよ」
「別に隠すようなことでもない。ここで行っているのは、人間の限界を超える研究じゃよ」
「っ!」
クルが息をのむ。無理もない。その研究内容は、どこかで聞いたことがあるものだ。
「モンスターと人間を融合させ、強大な力を持った人間を生み出す。それが儂の研究じゃ。だがどうにも上手くいかなくてのう。モンスターというのはどうやら、暴れ回っていないと活力を失っていくようじゃ」
「……どういう意味よ」
何故こんな非人道的実験について、こんなにも堂々と話すことが出来るのか。この爺、わたしと同じ人間とはとても思えない思考回路をしている。
「そのままの意味じゃよ。こうして檻に閉じ込めておくとな、段々大人しく弱々しくなっていくんじゃ。融合が上手くいかないのはそのせいなんじゃないかと、子爵に報告したんじゃが……そうしたらあやつ、だったら一度放してから再度捕まえれば良いなどとふざけたことをぬかしおった」
あまりにも考えなしが過ぎる。そんなことをすれば、放されたモンスターがどう動くのかなど予測出来る訳がない。放したモンスターを見られないように、賊が出るなどと言ってこの地域への人通りを少なくしたのだろうが、それだけで隠し通せると本気で思っていたのだろうか。
「儂らは反対したんじゃが、立場上子爵は儂らの雇い主じゃからのう。逆らえんかった。で、こうしてまんまとバレて捕まりそうになっておる訳じゃな。あの用心棒を雇ってから気が大きくなり過ぎなんじゃよ、あの愚か者は」
人間としては目の前のこの爺には全く共感出来ないが、どうやらこいつはこいつで相応に苦労しているらしい。
「言っておくけれど、子爵の命令だったとか、雇われただけだとか、そんな言い訳で罪は軽くならないわよ」
「そんなことは分かっておるわい。だから、ほれ」
爺が取り出したスイッチを押す。すると、モンスターが閉じ込められていた檻が一斉に開いた。
「儂のことは飯を与えてくれる人間だと認識しておるから、そやつらは儂よりお前さんらを優先して襲う。いくら活力を失っておるとはいえ、この数、そう簡単には倒せまい」
檻から放たれたモンスターは、ざっと数えただけでも30はくだらない。この数、いちいち1体ずつ片付けていたら、その間に囲まれるわね。わたしの魔法はあまり多数の敵を相手にするのに向いていない。どうしようかしら。
「樹氷・刺棘林」
瞬きした次の瞬間には、既に片付いていた。
現れたのは、氷の棘。無数に床から生えた鋭い氷がモンスターたちを余さず貫き、一掃する。
「……なんだか、更に魔法が強力になってない?」
「ん。少し感覚が戻ってきてる」
フォンの様子を見ると、魔力の減少によりダルそうにはしているが、座り込むほどではないようだ。魔力を使い切らずに魔法を使えるようになったらしい。それでも威力が以前より上がっているのは、魔力効率が段違いなのだろう。
「な、な、な……!」
「で、どうかしら。大人しく捕まる気にはなった?」
「……まさかこれほどとはのう。本当は使う気はなかったんじゃが、仕方あるまい。来いっ!」
部屋の奥から現れたのは、2メートルは優に超える人型。
全身から狼のモンスターと同色の灰の体毛を生やしている。
顔も全体から毛が生えているが、造形は人間のものだ。
目、鼻、口は人間のものだが、耳は頭の上に狼のもの、横に人間のものの計4つ。
手足の指には鋭い爪があるのに、その形は人間と同じ。
人間とモンスターが混ざったその異形は、
涙を流していた。
「ウウオオオオォォォォォッ!!」
その人型が咆哮する。恐ろしいはずのその声は、身体の奥までビリビリと響くその大声は、悲しみと苦痛に満ちているようにしか聞こえない。
実験の失敗作。中途半端に混ざり合い、異形と化してしまったその姿。
「……自分が何をしているのか分かっているの?」
「うむ。儂のような天才とて、失敗することはある。この経験を糧に成功を掴むからこそ、儂は偉大なる研究者なのじゃ」
一気に沸点を超えた。
「ふっっざけんじゃないわよっ!! クルっ! やりなさいっ!!」
わたしの命令を受けて、クルが駆け出す。目標はあのクソジジイだ。
「おーおー、怖いのう。儂は戦闘は出来んというのに。逃げるに限るわい」
爺が逃げていく。それを追いたいが、目の前に異形が立ち塞がる。そうして足止めされている間に、部屋の奥にある扉から爺に逃げられてしまった。
仕方ない。今は目の前の相手に集中しよう。この子も放ってはおけない。
「クル!」
貫手のように繰り出される爪を回避、カウンターでクルの拳が異形の顔面に直撃する。クルの攻撃が完璧に入った。だが、軽くよろめく程度ですぐに体勢を立て直してくる。
「消滅の魔弾」
そこへ部屋を一瞬で横断する雷を放つ。体勢を立て直した瞬間を撃ち抜き回避の隙を与えない。直撃。しかしまたもや少しよろめく程度。
かなり頑丈な体だ。動きは大した速度ではないけれど、これではいつまで経っても倒すことが出来ない。あの爺、最初から時間稼ぎとして使うつもりだったわね。
「クル! 回避優先時間稼ぎ!」
魔力を練り上げる。あの頑丈な体も貫き通す威力が必要だ。溜めて、溜めて、一撃で決める。
クルが爪を回避、追撃の蹴りも回避して蹴り足を持ち上げる。が、その掴んだ足を軸に回転され、逆足による蹴りが飛んでくる。意外と身軽だ。
蹴りに手を添えて受け流し、異形の体が宙に浮く。そこへすかさずアッパーを叩き込み、更に上へ打ち上げる。
ここだ
「クル、退きなさい! 破滅の閃光!」
クルが跳び退くと同時、巨大な落雷が異形を撃ち抜く。
「ウウオオオオオォォォォォッ!?」
今度は効いた。苦痛に満ちた悲鳴が響く。
「ごめんね、すぐに解放してあげるから」
異形は雷で体が痺れて上手く動けなくなっている。しかしまだ倒しきれていない。もはや戦闘は終わったと言って良いが、このまま放置するのはあまりにも可哀想だ。
「今、楽にしてあげる……」
「待ってください」
追撃の雷で止めを刺そうとすると、クルに止められた。どうやら戦闘が終わり、命令がなくても動ける状態になっているようだ。
「クル? 何故止めるの?」
「わたしに……やらせてください」
倒れ伏す異形に向けているクルの顔は、わたしからでは見ることが出来ない。今クルがどのような表情をしているのかは分からない。
だが、どんな想いでいるのかは分かる。目の前の異形に、自分を重ねているんだろう。もしかしたら、自分もこのような存在になっていたのかもしれない。そう思っているんだろう。
「……分かった」
「ありがとうございます」
しばらくそのまま立ち尽くすクル。何を思っているのだろうか。クルの過去を知ってはいても、実際に経験した訳ではないわたしでは、その内心を想像することは出来ても共感することは出来ない。
目の前の異形に共感してしまったクルの悲哀はいかほどのものか。クルの希望は無視して、やはりわたしが止めを刺した方が良いのではないか。そんな考えすら浮かんでくる。
だが、わたしがそんなことを考えているのが分かったかのように、クルの右手が輝きを帯びる。その光は時間と共に大きく強くなっていき、そして、
葬送・幽玄冥王
「さようなら」
音もなく打ち出された拳が、吸い込まれるように異形の胸を貫く。何の抵抗も感じさせないほどに軽々と貫通した一撃は、確実にその命を刈り取った。
「クル、あなたその技……」
「はい。自分の意思で使用するなら、問題なく出来るようです」
今まで戦闘以外で技を使用する機会なんてなかったから気づけなかったが、クル自身の意思でなら封印した技が発動出来るようだ。わたしが何度も何度も命令して封じ込めた破壊の技は、クル自身の意思を無視は出来ないらしい。
だが、今はそんなことよりも……。
「クル、大丈夫?」
胸に穴を開け倒れたまま動かなくなった異形を見下ろし、クルはその場に立ち尽くしたまま動かない。やはりわたしがやるべきだったのではないだろうか。
「問題ありません。手も折れていないようです。昔より成長したから、体も丈夫になったのでしょう。早く奴を追いましょう」
聞きたいのは体のことではない。そんなことはクルにだって分かっているだろう。でも、わざと体の話にすり替えて、心については何の懸念もないのだと、そう示している。
内心は分からないが、特に問題はないと示すようにクルは顔を上げる。その目は部屋の奥、あの研究者が逃げて行った扉へと向いている。
「……そうね、追いましょう。フォン、動ける?」
「うん」
奴自身も捕らえなくてはいけないし、檻の鍵を持っているなら奪い取って子供たちを解放したい。急いで追いかけよう。




