第81話 新たな旅立ち
翌朝、再び広場に集まった皆の協力により、魔法陣に魔力が満たされた。この直径8㎜ほどの小さい模様に、見たこともないほどの魔力が集められている。
あとは、発動キーとなる最後の魔力を流し込むだけで完了だ。皆は魔力切れで座り込んでいるが、俺は魔力を込めていないので動くことが出来る。良いとこ取りするようで気が引けるが、苦労の結果を早く見せるか。
氷塊に貼り付けられた魔法陣の前に進み出て、全体を振り返る。
「皆さん、お疲れ様です。皆さんの頑張りにより、充分な魔力が集まりました。これでフォンの人間化の危険はなくなります」
広場の至る所から拍手が上がる。喜びの感情が伝わってくるようだ。
「フォン、一言伝えたらどうだ?」
「え」
隣にいるフォンを前に出す。戸惑うようにこちらを振り返ってくるので、目で促してやる。
「えーと……みんな、ありがとう。勝手に飛び出して行こうとしてるわたしのために、こんなに……えと、本当に、感謝してる」
口下手なフォンがたどたどしく紡ぐ感謝の言葉に、精霊たちから再び拍手が上がる。
「ありっ、がとう……!」
自分を応援する想いが投げかけられ、フォンの目から涙が溢れ出す。それ以上話すことが出来なさそうなので、そろそろ進めるとしよう。
「では、始めましょうか」
俺の言葉に、広場が静まり返る。魔法陣に向き直る俺の背中に、多くの視線が突き刺さっているのを感じる。
緊張して、固唾を呑んで見守られているようだ。ただ、申し訳ないのだが、いくら込められた魔力量が膨大とはいえ、所詮はただの魔法陣。発動したところで、何か盛大に現象が起きる訳ではない。
最後の鍵となる魔力を流し込む
瞬間、魔法陣が発動し、回転
あっさりと、氷という概念を抉り取った
穴が開いた、魔法陣が描かれていた紙を剥がし、切り出された欠片を拾い上げる。ほんの小さな、指でつまめるサイズの半球状の氷だ。アクセサリーにでもしたらちょうど良い大きさだろう。
キラキラと光を反射して輝くそれは、透き通る氷としての美しさを持った、まるで宝石のような粒だ。
振り返り、その粒を掲げて宣言する。
「成功しました。この氷を身に着けていれば、フォンは精霊として存在し続けることが可能です」
精霊たちから歓声が上がる。普段はのんびり過ごすだけの存在だとフォンは言っていたが、こうして見ると、人間とそう変わらない。
家族の安全を心配し、家族が助かる事実に喜びの声を上げ、家族の無事を願っている。ありふれた、一般的な家族の形だ。
すぐ隣にいるフォンに、氷の粒を手渡す。
「ありがとう……!」
ここ数日でよく笑うフォンが、氷を胸に抱いてまた満面の笑みを浮かべる。その表情は、子供のように素直な喜びを表現していた。
この氷の領域は、人間が生活するには寒すぎる。昨日もそうだったが、流石に氷の家では寝られないため、領域の外にテントを張っている。オルさんたち精霊は申し訳なさそうにしていたが、彼らではこの問題を解決するのは難しい。仕方がないことだ。
するとどうなるかというと、遺跡探索をした日の夜のように、狭いテントで俺とマーチが一緒に寝ることになる訳だ。フォンは昨日はフォルと一緒に自分の家で寝ていたが、今日はテントに来ているため、更に狭くなる。
「ちょっとフォン、あんた自分の家に帰りなさいよ。このテント狭いんだから」
「嫌」
「何でよ」
「……だって、クレイとマーチが二人きりになるから」
「……へぇ、なるほど」
遺跡探索の時と同様、テントの奥からマーチ、フォン、俺の順で並んでいる。テントの奥の方で2人が何やらコソコソ話しているようだ。
「さっさと寝ろ」
2人の方へ背を向けたまま、睡眠を促す。女子は話をするのが好きだというが、フォンには当てはまらないと思っていたんだがな。そうでもないのか。
「ふふ……キャー、さむーい。クレイ、温めてー?」
「あ……!」
「はぁ? おい、何をしてる?」
急に背中から腕が回され、暖かく柔らかい物が背中に当たる。マーチの声がすぐ近くから聞こえてくるし、マーチが抱き着いてきているようだ。
甘えた声を出し、回した腕に力を込めて密着してくる。細身でか弱く見えるのに、意外と……いや、違う。何故抱き着かれているんだ?
「だからー、寒いのー。フォンは体温低いし、クレイが温めて?」
「いや、何を考えている? こんな……」
「むぅー!!」
俺の背中に引っ付くマーチを引き剥がそうとするように、フォンが腕を差し込んできた。そのままグイグイと力を込め、少しずつマーチが離されていく。
「ありゃ? フォン、どうしたのよー?」
「マーチは一番奥。わたしが真ん中。戻って」
「ふふふ、はいはい。分かったわよ」
やっと離れたマーチが、自分の位置へと戻る。まったく、何を考えているんだ。
「確かに恋人でもない女子に手を出す訳がないとは言ったがな。だからと言ってこんなことをされては……」
「あー、はいはい、悪かったわよ。ていうか、意外と男子らしい反応するのね。本気で全く何も感じないんじゃないかと思ったわ」
「俺を何だと思ってるんだ……」
俺とて人並に女子への興味くらいはある。努めて気にしないようにしているというのに、それをいちいち刺激されては無視することも出来ない。
「ったく、さっさと寝ろ」
今度こそ、テントの外側を向いて目を閉じる。何だかフォンの距離が近いような気がしないでもないが、余計なことを考えているといつまで経っても眠れなさそうだったので、思考から追い出した。
「すみませぬな、何も礼が出来ませんで。何か渡せるものがあればと思ったんじゃが、この領域には人間に差し上げられるような名産品は何もなくてのう」
「気にしないでください。友人のためにやったことですし、魔力のほとんどは皆さんが込めたのですから」
氷を切り出すことに成功した翌日、オルさんを訪ねると謝罪を受けた。逆に、余計なことをしやがって、と怒られたって文句は言えないというのにな。
「もし何か我々に出来ることがありましたら、遠慮なく言って下され。必ず力になりましょう」
「はい、その際は是非、お願いします」
「あ、ねぇ、一個聞いても良い?」
「ワシに答えられることなら、何でも聞いて下され」
「わたしの中に入っちゃった妖精のことなんだけど……」
マーチが自分の身体に起きた現象について語る。あれから特に異常は起きていないようだが、やはり不安ではあるのだろう。
「ふむ……ワシも妖精についてそこまで詳しい訳ではありませんからのう。そのような現象も聞いたことがないし……調べておきましょう。何か分かりましたら、次に来た時にでもお伝えします」
「お願い」
さて、これからどうするかな。予定では明日人間界に帰ることになっている。せっかく精霊界に来たのだし、時間が許す範囲で色々見ておくか。
オルさんの家を出て、フォン、マーチと共に氷の街を歩く。相変わらず美しい街並みだ。透き通る氷で出来ているのに、家の中までは上手く見えないようになっている。
店などもない、出歩いている者もほぼいない、静かな街。氷の街路樹に触れてみると、冷たいのはもちろんだが、本物の木のような凹凸があるのが分かる。木をそのまま氷に置き換えたような完成度の高さだ。
「良い街だな」
「うん」
「どうやって造られたんだ?」
「分からない。最初の精霊が生まれた時には既にあったらしい。神が造ったと言われてる」
神か。途方もない話だ。
「どうやって人間界のことを知ったんだ?」
「昔、人間が来たことがあるらしい。その時のことがたまに雑談に出る」
その昔来たという人間が、何か悪さをしたのだろうか。妖精に恐れられるようになったり、あのような遺跡を造ったり。
「ねぇ、外に出てみない? わたし、また妖精を見たいんだけど」
「どうせ避けられるだけじゃないか?」
「分かんないじゃない。もしかしたら、今ならわたしも妖精の仲間だと思われるかも」
そんなことはないと思うが。まあ試してみたいというなら構わないだろう。
「フォンも良いか?」
「うん」
外に出ると、マーチは俺とフォンに離れているように言う。俺が教えてやらなくても妖精を見つけることが出来るのだろうか。
その後、問題なく妖精を発見。ゆっくり近づいていく。妖精を体内に取り込んだことで、妖精を見つけられるようにでもなったのか。
遠巻きに見守っていると、案の定逃げられていた。
「何でよっ!」
次の日、今日は人間界に帰る日だ。別にもっとこちらにいても良いとフォンには言ったのだが、
「ううん、もういつでも帰れるから」
と、前向きに先のことを考えているようだ。以前は勝手に飛び出してきた罪悪感と、もしかしたら引き留められて人間界に戻れないかもしれないという不安から、精霊界に帰ることを躊躇っていたようだが、これからはそんなことを気にせず帰ることが出来る。だから精霊界を出るのにも悲しい気持ちはないのだろう。
「フォンちゃん、元気でねー」
「うん。フォルも、もうわたしは大丈夫だから、あんまり心配しないで」
「うん、分かった。あ、フォンちゃんの家はいつでも帰って来れるようにしとくからねー」
氷塊がある広場には、多くの精霊たちが集まっている。皆口々にフォンに声をかけているが、その表情は明るい。
「フォン、人間化の心配がなくなったとはいえ、ちゃんと帰ってくるんじゃぞ。何年も姿を見せないようでは、流石に心配するからの。またフォルが倒れでもしたら困る」
「もう、大丈夫だよー。でもいつでも帰ってきてねー」
「うん」
家族たちとの話を終えたフォンがこちらに振り返る。
「もう良いのか?」
「うん、行こう」
こちらに数歩進み出たフォンが、氷塊に向かって右手を掲げる。
「開け、鏡界門」
冷気が駆け抜ける。それはいつしか吹雪となって視界を奪う。
やがて弾けるように吹雪が散らばり、キラキラと輝く粒が降り注ぐ。
それはまるで、新たな旅立ちを祝福しているかのようで、
「行ってきます!」
家族を振り返ってそう言ったフォンの表情は、
舞い散る結晶にも負けない輝きを宿していた。




