第80話 大切な家族のために
「クレイ、呼んだ?」
マーチにフォンを呼んでもらった。フォルもついてきたのか。妖精の蜜のドリンクを飲んだとはいえ、フォルはまだ本調子ではないだろうし、無理はして欲しくないんだが。
まあ来てしまったものは仕方がない。今から追い返した方が負担だろうし、ここにいてもらおう。マーチには引き続き、精霊たちを呼んできてもらう。フォンだけ先に呼んだのは、話したいことがあるからだ。
「単刀直入に聞こうか。フォン、このまま精霊界に残るか、再び人間界に戻るか、どうする?」
「人間界に戻るよ」
即答、か。フォルもそれに特に反応を示さないということは、しっかり話は出来たようだ。
「良いんだな?」
「うん。もう決めたから」
「フォンちゃんのこと、お願いねー」
「ああ、任せてくれ」
それさえ分かれば良い。精霊たちが集まるのを待つとしよう。
マーチがオルさんに声をかけ、オルさんが精霊たちを集めてくれた。
広場に多くの精霊たちが集まった。その数30程度か。集まってもらう間に休むことが出来たので、頭痛もマシになっている。話を始めるとしよう。
「クレイ殿、何やら集まって欲しいということじゃが」
「ええ、ありがとうございます。こうして集まってもらったのは、相談があるためです。俺の友人、皆さんの大切な家族、フォンを助けるために」
「フォンを助ける、とは?」
「既に皆さんもご存知かと思いますが、現在フォンの身体は人間に近づいています。これは人間界で生活をしていれば進行していき、やがて完全に人間になってしまうでしょう」
「その通りですな。だからこそ、ワシらはフォンが人間界に出るのに反対なんじゃ」
「そうですね。フォンを助ける方法について話す前に、そのことについて話しましょうか」
このままフォンが人間になるのを防ぐ方法について話しても、人間界に出なければ良いだけだと言われてしまう。まずは、フォンが外に出ることを認めてもらわなければならない。
「フォンは皆さんにとって大切な家族だ。その家族が、どんな危険があるか分からない、最悪帰ってくることすら出来なくなってしまうかもしれない、そんな場所に行くことには賛成しかねる。皆さんの考えは理解出来ます」
「分かってくれますか、クレイ殿。その通りです。ワシらはただ、フォンが心配なだけなんじゃ」
反応を返すオルさんに頷きで返事をして、続ける。
「フォンが初めて人間界に出ようとした時、彼女は何も理解していない子供だった。人間界に出ることの危険性も、家族の心配も、自分の身体がどうなってしまうのかも、一切分からず、それでも好奇心のままに行動した、ただの子供。それを止めようとした皆さんの行動は正しい。子供が馬鹿なことをするのを止めてあげるのは、大人の役割だ」
オルさんを始め、精霊たちが頷く。フォンは非常に居心地が悪そうにしているな。もう少し待ってくれ。
「ですが、今は違います」
「む……」
「オルさん、恐らく当時は、人間界に出ることの危険性について、あなたが最も詳しかった。その知識から、フォンを心配して止めようとするのは当然でしょう。ですが、今、最もその危険性に詳しいのはフォン自身なんですよ。知識として知っているだけのあなたと、実際に体感しているフォンとでは、比べるまでもありません」
「それは……しかし、だからと言って……」
「その危険性を理解し、それでも行くと言っているんです。何も知らなかった子供ではない。自分で考え、自分が最も望む道を、自分で選択して歩もうとしているんです。それを止めようと思うのなら、ただ危険だからではなく、信念を持って止めていただきたいと思う」
「…………」
目を閉じ、黙って考え込むオルさん。他の精霊たちも、互いに顔を見合わせたりして真剣に考えてくれている。
ガキが偉そうなことを言うんじゃない、と一喝して終わらせることも出来るのに、全員が真剣に考えてくれている。それだけ、フォンのことを大切に想っている証だ。出来れば、納得して送り出して欲しいと思う。
「子供を信じ待つのも、大人の役割だということ、じゃろうか」
やがてポツリとオルさんが呟く。フッと一つ笑った後、真剣な顔でフォンの方を向いた。
「フォン、人間界に行くと言うんじゃな?」
「うん」
「危険だと分かっていて、それでも止まることは出来ないんじゃな?」
「うん。ゴメン、オルさん。でもわたしは、外に出たい。何もせずにじっとしていることは、ずっとこの場所に留まっていることは、出来ない」
ため息を一つ。その後、フォンに向けていた顔をこちらに動かした。
「クレイ殿の言うことは分かりました。しかし、フォンは大切な家族、その身に危険があると分かっている場所へ送り出すのは避けたい。それは分かっていただけますな?」
「はい、もちろんです」
「ありがとうございます。さて、先ほどクレイ殿は、フォンを助けるために皆を集めたと、そう仰っていましたな。後に回していたそちらのお話を、聞かせていただけますかな?」
これは、ほとんど認めてもらえている、と考えて良いのだろうか。これから俺がする話によっては反対するかもしれない、といったところか。
「話は単純です。自然の氷に触れていれば精霊のままでいられるのなら、ここの氷を身に着けていれば良い。この巨大な氷塊を一欠片、切り出したいと思っています」
俺がそう言うと、精霊たちは予想通り、諦めの表情を浮かべる。
「クレイ殿。この世界に来たばかりのあなたは知らないかもしれませんが、それは無理なのです」
「分かっています。通常の方法では、この氷に傷一つ付けることが出来ない、ということですね」
この氷塊はあまりにも存在の密度が高い。恐らく、ティールが全力で殴ったとしても傷つけることは出来ないだろう。だからこそ、その一欠片だけでも身に着けていれば人間化を防ぐことが出来る訳だが。
「む、分かっておられるのにその方法を提案するということは……」
「可能性はあると思います。不安だったのは、この氷塊を傷つけること自体に反対されることでした。その様子だと、問題はないと考えても?」
「ええ。確かにこれはこの街の中心に位置する大切な物ですが、傷付けたからといって何か問題が発生する訳ではありません。ましてやそれが家族の助けになるというのなら、誰も反対を言いますまい」
周囲を見渡してみる。目が合う精霊たちは、皆一様に頷いて答えてくれた。これならやれるはずだ。
魔法陣を描いた紙を取り出し、氷塊に貼り付ける。
「この魔法陣は、発動すると縦に回転して上下を反転します。つまり、半球状に発動地点を抉ることが出来る。これを用いて、氷塊の一部を抉り取ります」
この魔法陣を発動することが出来れば、魔法陣の直径サイズの半球の氷を入手することが出来る。それを常にフォンが身に着けていれば、人間になることはない。恐らく、人間界にいても少しずつ精霊に戻っていくはずだ。
この氷塊の密度なら、それほどの大きさは必要ない。今回使う魔法陣は、直径8㎜ほど。この程度の大きさで、充分な効果を得られるはずだ。
「……ふむ、たったそれだけですかな? 聞く限り、とても簡単に思えますが」
「ところがそうでもないんです」
魔法陣の発動には魔力が必要だ。魔法陣の利点として、時間をかけて魔力を込めることで、本来発動出来ない強力な魔法でも使うことが出来るという点が挙げられるが、発動に必要な魔力は、発動する魔法の効果次第で変わる。魔法が強力なものであるほど、必要魔力量は多い。当たり前だな。
では、本来絶対に傷つけられないほどの物体を抉り取るために必要な魔力はどれほどだろうか。
「……なるほど。それは確かに、容易ではなさそうですな」
「もちろん俺ごときの魔力を全て込めたところで、必要魔力量の1%にも満たない。精霊である皆さんの魔力量は俺とは比較にならないでしょうが、相当な苦労を強いられることになります。では、ご協力いただける方から、魔法陣に魔力を込めてください」
「では、ワシからやらせてもらいます」
オルさんが前に進み出て、魔法陣に手を当てる。そして、
「ふぅ……すぅ、はっ!」
一瞬、氷漬けにされたかと思った。発せられた膨大な魔力は、次の瞬間には収束され、魔法陣へと余さず注ぎ込まれていく。
なんという魔力だ。ティールや会長のような規格外を除いて、今まで会った中で最も魔力量が多いかもしれない。これが、精霊の一種族をまとめる者の力か。
「くっ……ぐ、うぅ……はぁ……はぁ……一先ず、ここまでですな。協力してくれる者は、ワシに続くんじゃ。頼むぞ」
魔力切れで座り込むオルさんを、数人の精霊たちが支えて下がっていく。今ので2%くらいは溜まっただろうか。一人の量としては破格だな。
それから、精霊たちが順番に魔力を込めていく。オルさんほどではないものの、その魔力量は多い。魔法陣には、魔力がどんどん溜まっていく。
俺とマーチも魔力を込めた。これで、まだ体調が優れないフォルと、魔力の制御が怪しいフォン以外は、この場にいる全員が魔力を込めたことになる。
大体30%と少しといったところか。予想より遥かに多い。これなら、明日には充分な魔力が集まるはずだ。
「皆さん、ご協力ありがとうございます。魔力が回復した後、まだ協力しても良いという方は、再び魔力を込めてください」
「いや、礼を言うのはこちらの方じゃ。クレイ殿、マーチ殿も、ワシらの家族のためにありがとうございます」
そう言って頭を下げるオルさんに合わせて、精霊たち皆が頭を下げてくる。集まっている約30%の魔力はそのほとんどが精霊たちのものだというのに、こうも感謝されると何だか申し訳なくなるな。
「存分に感謝しなさい! 何の義理もないこのわたしが! 手伝ってあげてるんだからね」
こいつは、この場面でよくふんぞり返っていられるな。ある意味羨ましい。
その日はもう一度、回復した魔力を魔法陣に込め、63%ほど溜まったところで終了となった。
夜、それぞれが家で休んでいるだろう時間。氷塊の前にやってきた。
皆がわたしのために頑張ってくれているのに、わたしが何もしていないのでは申し訳ない。何か出来ることはないだろうか。
魔力を込めることが出来ればそれが一番なんだろうけど、制御出来ていない魔力を注ごうとして、魔法陣を破壊でもしてしまったら、今まで溜めた魔力が無駄になってしまう。迂闊なことは出来ない。
でも、魔力を込める以外で出来ることなんて……。
「やはりここにいたか」
氷塊の前で悩んでいると、背後から声。
「クレイ、どうして?」
「どうせ悩んでいるだろうと分かっていたからな。自分も役に立ちたいんだろう?」
「うん……」
クレイにはバレていたようだ。何でもお見通しなのかな。
「一つ、実験も兼ねてやってみて欲しいことがあるんだが、どうだ?」
そう言ってクレイが取り出したのは、コップに入った水。これは……
「妖精の蜜を入れてある。フォルに飲ませたのと同じドリンクだな」
「これを飲む?」
「ああ。それでどうなるか、試してみたくてな。上手くいけば、フォンの悩みも解決するかと思うんだが」
コップを受け取り、その中の水を飲み干す。美味しい。冷たくて、ほんのり甘くて、よく冷えたジュースのようだ。
心臓が、鼓動を響かせる
全身に活力が巡り、
身体が、本来の姿を思い出す
視界の端に映り込む髪は、懐かしい青銀を取り戻していた。
「ほう、ここまで劇的に効果があるか。フォン、魔力制御はどうだ?」
言われて、魔法陣に右手を伸ばす。全身に満ちる魔力を、手足のように自在に制御出来る。全てを右手に集め、目の前の小さな模様に注ぎ込んだ。
「おお、一気に約5%も入った。精霊の中でも圧倒的だな」
魔力切れのだるさを全身に感じ、その場に座り込む。魔力が切れたというだけではない脱力感が、体中を支配している。
「む、元の黒髪に戻った。一時的な効果しかないのか。もしかしたら、完全に精霊に戻れるかもしれないと思ったんだがな」
どうやら急速に外部から取り込んでも、一時的にしか元には戻らないらしい。時間をかけて、少しずつ体を戻していかなければならない。
「結果は最高とはいかなかったが、とりあえず悩みは解決したんじゃないか? フォンが注いだ魔力量が、恐らく最も多いぞ」
実験だ、なんて言って、わたしのためにやったんだと思われないようにしているんだろう。わたしが皆に苦労をかけていることを悩んでいると分かっているから。
思えばいつもそうだ。普通なら役に立たないわたしを、クレイはいつも褒めてくれる。よくやったって。フォンのお陰で勝てるんだって。
クレイが説得してくれたお陰で、皆が笑って送り出してくれる。わたしの人間化も止まり、これから少しずつ精霊に戻っていけるだろう。
フォルもわたしを心配して体調を崩すようなことはなくなるはず。全て理想の結果に終わりそうだ。
「クレイ、ありがとうっ!」
わたしがこうして心の底から笑えるのも、クレイのお陰だ。だから、本当に、ありがとう。




