第73話 妖精のお願い
「この辺りかしら」
しばらく山を登り、ゴツゴツした岩場まで来た。凸凹で安定しない足元、ほぼ垂直に立つ岩壁、突き出した足場から下を見れば崖、あまり長居はしたくない場所だ。
だがそのお陰で、良い風が吹いている。この場所なら、風の妖精もそれなりの数いるのではないだろうか。
「良さそう」
「なら始めるか。念のため、ほら」
マーチにロープを渡す。これから風の妖精を呼ぼうとしている訳だが、もしイタズラで強風でも叩き付けられて崖から落とされたら冗談にならない。
あらかじめロープを体に巻き付け、万が一にも落ちないように対策をする。
「あら、ずいぶん丁寧に扱ってくれるのね。わたしがどうなろうと知ったことじゃないんじゃない?」
「出来る対策もせずに目の前で死なれて何とも思わないほど、嫌っている訳ではないぞ」
「ふーん、そう。まあ良いわ。始めるわよ」
崖のすぐそばまで歩み出たマーチが、再び風を纏う。そしてスイッチが切り替わるように、一瞬で雰囲気を一変させた。
何度見ても凄まじい演技力だな。これほどの演技を身に着けるには、相応の苦労があっただろう。貴族というのも、楽じゃないな。
それから少しして、ふよふよと妖精が寄ってきた。身長30センチほどの少女の姿。身長と同じくらいの長さの緑髪で、背中から薄い翅が2対4枚生えている。
何となく怯えているような気がするが、寄ってきたということは作戦は成功したのだろうか。
「初めまして、妖精さん。わたしはマーチというの。あなたのお名前は?」
マーチが優しく声をかける。妖精の声は聞こえない。だが、マーチが頷いたりして反応しているということは、会話は成立しているようだ。
「お友達が病気になってしまって、あなたが作る蜜が欲しいの。譲ってもらうことは出来ないかしら?」
本題に入ったか。これで素直に渡してくれるなら話が早いが……。
「え? 遺跡? この近くにあるの? うーん……ゴメンね、少し待っていてくれる?」
案の定、何か交換条件を出されたようだ。遺跡? この精霊界に遺跡などというものがあるのか。
妖精を待機させ、マーチがこちらに戻ってくる。
「何かこの近くに遺跡があるらしいんだけど、そこを一緒に探索して欲しいって。そしたら蜜をくれるって言うんだけど、どうする?」
遺跡の探索か。もし大規模な遺跡なら、数日で探索が終わらない可能性もあるな。だが逆に、大したことのない遺跡で、ほんの数時間で探索を終えられる可能性もある。一度見てみないことには何とも言えんな。
そもそも何故妖精は一緒に探索して欲しいなどと言いだしたんだ? この辺りに住んでいるなら、自分で探索すれば良いのではないだろうか。
「それもそうね。ちょっと聞いてくるわ」
再び妖精に話を聞き、戻ってくるマーチ。
「入り口が開けられないらしいわね」
何だそれは。謎解きでも用意されているのか? やはり行ってみないことには分からんな。
「一度行ってみるか。駄目そうなら断って、別の妖精を探そう」
「まあそれは良いんだけど……。あの妖精、いじめられてるっぽいのよね。もしかしたら、わたしたちにイタズラするための誘導役に使われてるかも」
妖精の世界にもいじめがあるのか。あの怯えた様子は、マーチに怯えているのではなく、自分もまとめてイタズラの被害に遭いそうだという理由かもしれんな。
「フォンは遺跡に心当たりはあるか?」
「分からない。領域の外に出るのは初めてだから」
「そうか。やはり行ってみるか。充分に注意はしよう」
ここで考えていても仕方がない。本当は充分に下調べをしてから臨みたいのだが、資料などある訳もない。無駄に時間をかけるのも良くないだろうし、一度当たってみるしかないだろう。
「その前に、昼食だな」
時間はそろそろ昼時だ。ここに来るまでにそれなりに歩いたし、しっかりエネルギー補給をしてから進むとしよう。
カバンからパンを取り出して配る。周囲は岩壁や崖だが、景色は良い。広がる森と、遠くに見える氷の領域。更に遠くには火山と思われる山も見えるな。炎の精霊などの領域だろうか。氷と炎が比較的近場にあるとは、奇妙な世界だ。
思いがけずピクニックにでも来たような状況だ。のんびりはしていられないが、出来る範囲で楽しむ分には問題ないだろう。
「ん? 欲しいの?」
マーチの周囲を漂う妖精が、パンに手を伸ばしている。精霊は食事が必要ないらしいし、恐らく妖精にも必要ないと思うが、食べること自体は可能なのだろうか。
「欠片だけね。はい」
マーチが爪程度のサイズに千切ったパンを妖精に与える。それを両手に持ち、嬉しそうに上に掲げる妖精。ひとしきり楽し気にクルクル回った後、ようやくパンを口に運ぶ。
「ふふ、可愛い」
果たして演技なのか素なのか、それを見て微笑むマーチ。観察していたら睨まれた。
「何よ」
「いや、別に」
もうマーチは風を纏っていない。それでも妖精は逃げていかないし、人間への本能的な恐怖がある訳ではなさそうだ。だとすれば、妖精が人間を恐れるようになった原因があるはずだが……。
「さて、そろそろ行くか」
「待ちなさいよ。まだこの子が食べてるでしょ」
「ん? ああ」
まだ食べ終わってなかったのか。食事をするのも初めてだろうし、仕方がないか。
パンの欠片をはむはむ食べている妖精を、興味深そうに観察するフォンと、楽しそうに眺めるマーチ。フォンはただ珍しい物を見たという感じだが、マーチは何というか、本当に優し気な顔をしている。
こいつは、どういう人間なんだろうな。ただの悪人ではなさそうなんだが、あの事件の主犯なのだから善人ではない。とはいえ、事件を起こしたのは家からの命令があってのことだろうし、根っからの悪人ではないのか。
だが、他の方法があるのに魔薬を使って他人の人生を壊そうとしたんだよなぁ。さっぱり分からん。
今度こそ、妖精も食べ終わったのを確認してから、妖精の案内で遺跡を目指して移動を始める。
遺跡は本当に近くにあった。妖精と出会った岩場から、徒歩5分ほど。山の斜面に穴を開けたように、遺跡の入り口が存在している。
模様が刻まれた石造の柱が2本立てられ、その間に両開きの扉がある。重厚な扉は、手で開けるのは難しそうだ。だが、開け方は一目で分かった。
「こんなの、このレバーを下げれば良いだけじゃないの?」
左の柱にレバーがある。それを下げれば扉が開くのだろう。マーチの言葉を聞き、妖精がレバーにしがみつくようにして下げようとする。
だが、動かない。何らかのロックでもされているのか? 妖精がレバーから離れて、ほら開かないでしょ? と言いたげな顔をしているので、入れ替わりにレバーを握ってみる。
「ふっ! なるほど、固いな。解析……単純に固いだけだな」
どうやら長い時の中で、レバーが動かしづらくなっているようだ。何らかの機構がある訳でもなく、ただ固いだけだな。レバー自体は丈夫に作られているようなので、全力で体重をかけてレバーを下げる。
何とかレバーを下げることに成功し、遺跡の扉が開いた。妖精がここを開けられなかったのは、ただの力不足だな。何のためにこんな遺跡に入りたいのかは分からないが。
「よくやったわね。じゃあ入るわよ」
「いや、俺はお前の従者ではないんだが……」
妖精を連れてさっさと遺跡に足を踏み入れるマーチに続き、中に入る。中は扉と同様、石で出来ている。人が3人ギリギリ並べるくらいの細い通路がまっすぐ奥に伸びているが、その先がどうなっているのかは見ることが出来ない。明かりがなく、通信機に付いているライトを点けても奥までは見通せない。
さて、どの程度の規模だろうな。探索に長い時間がかかりそうなら、一度戻った方が良いんだが。
その時、背後から凄い勢いで複数の何かが飛んでいく。それは前を歩くマーチたちも追い抜き、遺跡の奥へと入っていった。
「今の、妖精か?」
「この子をいじめてる連中らしいわ。どうやらこの子に人間と接触させて、この遺跡を開けさせるのが目的だったみたいね」
で、俺たちは妖精たちが中に入っていったあとを追って、この遺跡を探索しなければならない、と。面倒なことになりそうだな。
「あいつらはこの遺跡に何があるのか知っているのか?」
「よく分からないけど、何か妖精が強くなるための道具が眠っていると言われてるらしいわ。眉唾ね、正直」
この遺跡、造ったのは恐らく人間だろう。入り口のレバーが明らかに人間サイズだったからな。そんな遺跡の中に妖精のための道具が眠っている? 確かに眉唾だ。
精霊界にどうやって人間が遺跡など造ったのか、というのも疑問ではあるがな。
「聞いたことない」
「フォンも知らないか。ますます話の信憑性がなくなるが、まあ良い。どうせ奥には行かなければ蜜はもらえない。妖精のイタズラに注意を払いつつ、進むしかないな」
通信機のライトで奥を照らしながら、通路を進み始めた。




