第72話 フォンの想い
氷の領域を出て少し歩くと、森に入る。精霊界というからどこでも精霊が住んでいるのかと思っていたが、そうではないようだ。
この世界のほとんどは自然豊かな何もないエリアが広がっていて、所々に精霊の領域が点々と存在しているとのこと。
今俺たちは森にいるが、ここは樹木の精霊の領域ではない。樹木の精霊の領域は、人間が簡単に踏み入ることが出来ないほどに樹が密集しているはず、とはフォンの弁。実際に見た訳ではないらしいが、特に否定する材料もない。間違ってはいないと思う。
精霊の領域ではないこういったエリアは、妖精が好き勝手にフワフワ漂っているもの、らしいのだが……。
「ちょっと、話が違うじゃない」
「……おかしい」
全く妖精を見かけない。かれこれ1時間は森を彷徨っているが、ただ木が延々と生えているだけだ。聞いていた通りなら、森に入ったらすぐにいくらでも妖精を見られるものだと思っていたのだが。
「もしかしたら、既に遊ばれているかも」
なるほど。俺たちが妖精を探していると察知して隠れ、俺たちの反応を見て楽しんでいる、か。可能性はなくはないか。
「解析」
周辺情報を取得する。気配を全く感じなかったから可能性は低いと思っていたんだが、どうやら本当に隠れてこちらの様子を窺っているようだ。
妖精の気配は、本気で隠れられると自然と区別がつかない。俺の気配察知では感じ取れないな。あまり使い過ぎると頭痛が酷くなるので、解析を止める。さて、
試しに全速力で近くの妖精に接近してみる。
「キャーーー!!」
悲鳴を上げて逃げられた。
「…………」
「ぷっ、くくくく。今のあんた、完全に不審者よ」
透けている翅を背中に生やした、30センチほどの少女の姿をしていた。それに悲鳴を上げられて全力で逃げられる俺の姿は、確かに不審者のそれだろう。
だが、一応収穫はあった。今の妖精、遊んでいるという感じではなかった。何か恐れているような様子で逃げていった。イタズラ好きで好奇心旺盛というのが正しいのなら、見たことがないであろう人間になど興味津々かと思ったのだが。
「何か恐れている様子だったが、何が怖いのだろうか」
「あんたの顔じゃないの?」
「む……あり得ないとは言い切れんな。ならフォンかマーチがやってみてくれ」
別に俺が特別強面という訳ではないと思うが、単純に男だと威圧感があるという可能性はある。
フォンかマーチなら、男の俺よりは怖くないはずだ。どちらも整った容姿をしている。妖精の男が人間と同じ美醜感覚をしているなら、もしかしたら釣れるかもしれない。
「ならわたしが行くわ。ちょっと興味あるし。妖精はどこにいるの?」
「あそこだな」
もう一度解析を使用し、近くの妖精の位置を調べてマーチに伝える。それを聞いたマーチは、意気揚々と妖精に近づき、
「ヒャーーー!!」
悲鳴を上げて逃げられた。
「何でよっ!!」
男の妖精だった。人間と同じ美醜感覚なのかどうかは分からないが、どうやらマーチでも逃げられてしまうようだ。
「お前の性格の悪さを感じ取られているのかもしれんな」
「はぁ? あんただって逃げられてたでしょうが!」
「俺もそう性格が良いとは言えんからな。フォンなら大丈夫なはずだ」
「ん、やってみる」
三度妖精の場所を調べる。頭が痛くなってきた。これで駄目なら、解析の使用はしばらく休むべきか。
「あそこだな」
教えた妖精の場所に近づいていくフォン。それに対して、妖精も離れていく。
だが、先ほどまでとは違い、全力で逃走はされないようだ。一定の距離を保って、フォンの様子を窺っている。何かを恐れている様子なのは変わらないようだが。
「俺たちよりはマシのようだが、近づくことは出来ないようだな」
「フォンも性格悪い判定?」
「いや、そもそも性格を読み取っている訳ではないと思うが」
俺とマーチからは全力で逃げ、フォンは距離を保って様子を窺う。この違いは何だろうか。
俺とマーチに共通し、フォンには当てはまらない事項といえば、人間であるという点だろう。人間は興味の対象ではなく、恐怖を感じる存在ということか?
だとしたらフォンからも離れる理由は、人間と一緒にいるから人間の仲間かもしれない、と思われているとか、そういうことだろうか。もしくは、体のほとんどが人間だから、精霊とは違うと感じ取られているのか。
「ふむ、人間を恐れる理由は何だ?」
「知らないわよそんなの」
「人間は自然を破壊する存在、だと思われているかも」
あり得るな。特に隣国アインミークでは顕著だが、人間は自然を破壊して自分たちの領域に作り替える。それが伝えられているのか、本能で感じ取っているのかは分からないが、人間が恐れられる理由としては充分だろう。
だが、だとしたらどうするか。俺たちでは妖精に近づくことが出来ない。人間だという事実は変えられないからな。
「俺とマーチが離れて、フォンだけで妖精と接触してみるか? フォンが1人になるのは心配だが……」
「ん、大丈夫。やってみる」
「そんな面倒なことしなくても、要するに自然と仲が良い様子を見せれば寄ってくるんじゃないの?」
「そんなことが出来るのか?」
「ふん、わたしの演技力を舐めないでよね」
そう言って数歩前に出たマーチが、風を纏う。ハイラスがやっていたような戦闘補助のためのものではなく、純粋に自然の風がマーチに寄り添っているような、優しい風。
そして、マーチの様子が一変する。普段の勝気な刺々しい雰囲気が霧散し、柔らかい優しい雰囲気を纏うようになる。
本性を知っている俺でさえ一瞬騙されかけるほどの、迫真の演技。
周囲を流れる風に語り掛けるかのように、ふわりと微笑むその姿は、どこからどう見ても風と調和した心優しき少女だった。
しかし、妖精は寄って来なかった。
「……ふぅ。…………何でよっっ!!!」
本性が戻ってきた。怒りを隠そうともせず地団駄を踏むその姿は、どこからどう見ても自分勝手な悪役だった。
「馬鹿みたいじゃないの! 何か優し気に微笑んじゃって! どうしてくれるのよ、これぇ!!」
「ううん、悪くないかも」
「はぁ? 今の見てなかった訳? 駄目だったじゃないの」
「あれだと風の妖精しか寄って来ない。この辺りには、風の妖精はあまりいない、と思う」
「つまり、風の妖精が集まっていそうな場所でさっきのをやれば、寄ってくるかもしれないということだな」
「そう」
考えてみれば当たり前か。妖精にだって、精霊と同様に属性がある。この辺りにいるのは、木の妖精とかそういう奴らだろう。
風の妖精がいそうな場所となると、どこだろうな。周囲を見渡してみる。
「あれか」
「どれよ?」
マーチの問いかけに、指を伸ばして答える。氷の領域にいるときから見えていた、緑の山。その中に、一部切り立った岩場になっていそうな場所が見える。
「あそこまで行くの? だったらわたしたちが離れてフォンだけで妖精に接触した方が楽じゃない?」
「何があるか分からない以上、出来る限りフォン1人にはしたくない。全員で行動出来るならそれに越したことはない」
「1人でも大丈夫だよ?」
「フォンも氷の領域から出るのは初めてなんだろ? 命の危険がないというのは予想でしかない。出来る限り安全に行こう」
精霊の領域に遊びに来た妖精のイタズラは、笑って許すことが出来るレベルらしいが、領域外でも同じとは限らない。もしかしたら、笑えない質の悪いイタズラをされる可能性もある。
山までは徒歩で大体2時間くらいだろうか。流石に何日も歩かなければならないようならフォンに頼むが、これくらいの距離なら安全策を取ろう。
「ふぅ……ふぅ……」
山を登り始めて少し。フォンの息が上がってきた。相変わらず体力がないな。
「休むか?」
「ううん、まだ大丈夫」
自分のせいでフォルが倒れたと考えているのだろう。急いで妖精の蜜を取って帰らなければという気持ちが表情に出ている。
とはいえ、限界まで疲労してから休憩していては逆に時間がかかる。ある程度余裕を持って休みを入れる方が、結果的に時間短縮になるものだ。
「一度休憩するか」
目的地の岩場まではもう少しかかる。今のうちに休んでおこう。ちょうど良く、芝生のようになっていて座れそうな場所があるので、そこに腰を下ろす。カバンから水を取り出してフォンに渡した。
「んくっんくっ……ぷはぁ。もう大丈夫。早く行こう」
「落ち着け。そう慌てても早く帰ることは出来ん。結局どこかでしっかり休憩を入れる必要はあるからな」
「でも……」
普段の冷静さが完全に失われているな。何か気を紛らわせる話題でもないだろうか。
「ねえ、フォルってあんたの姉的な存在なんでしょ? どんな関係なの?」
マーチがフォンに話しかける。こいつ、そんな気を利かせることが出来たのか。
「フォルは、姉で、母で、幼馴染で、一番の友達」
生まれて初めて見た存在が、フォルだった。
精霊はある程度成長した姿で生まれる。氷の領域の中央、象徴である巨大な氷塊から生まれ出たわたしは、最初から人間で言う10歳程度の姿と思考能力を持っていた。
それは精霊の中でも異質な存在。通常は3~5歳程度で生まれてくる。ある程度成長するまでは、親代わりの精霊が世話をしてくれることになっている。
世話と言っても、特に何かする訳じゃない。精霊はのんびりそこに存在するだけ。親代わりの仕事は、ただ一緒にのんびりしていること、それだけだ。
でも、わたしの場合は違った。何にでも興味を示し、いつもあちこちを歩き回るわたし。それに付き合わされるフォルは大変だったと思う。
今まではただのんびりしていれば良かったのに、急に毎日毎日歩き回る生活になったんだから。今なら理解出来る。わたしはきっと、フォルに物凄い苦労をかけた。
そんな生活に、フォルは一度も文句を言わなかった。いつも笑顔でわたしについて来てくれて、わたしが何でもかんでも質問するのにも丁寧に答えてくれて。
フォルがわたしのことをどう思っているかは分からない。でも、わたしにとって、フォルは何よりも大切な家族。
「だから、早く助けたい。わたしのせいで体調を崩したんだから」
同じ領域の仲間は全員が家族のようなものだと言っていたが、その中でも特別な存在なんだな。ただでさえ苦労をかけてきたという意識があるのに、更に自分のせいで体調を崩させてしまったとなれば、急ぐ気持ちも分からなくはない。
「ふーん、そうなんだ。じゃああんたはフォルのこと、全然信じてないのね」
「……え?」
「なに意外そうな顔してるのよ。だって、フォルは苦労したはず。フォルは自分のせいで体調を崩した。それって、フォルが嫌々あんたに付き合ってた前提じゃない」
「あ……」
「もしフォルがあんたのこと好きなら、一緒に過ごした時間が苦労な訳ないし、待ってる時間だってあんたの幸せを願ってはいても、あんたのせいで苦労するなんて考えてはいないんじゃないの?」
「で、でも、そのせいでフォルは体調を崩したんだし……」
「フォルは、体調を崩したのはフォンが帰って来ないせいだって思ってるの? 勝手に待ってて勝手に調子悪くしておいて、ずいぶん勝手なことね」
「ち、違っ!」
「ふん、知ってるわよ。そんなひねくれたこと思ってないだろうなって。…………きっとあんたたちは、わたしとは違うんだから」
改心でもしたのだろうか。どうやら、フォンを励まそうとしているらしい。実際、フォルはフォンが悪いなどと微塵も思っていないだろう。人間界に戻る予定だと伝えても、残念だとは言っても引き留めようとはしなかったしな。
「不器用なことだ」
「はぁ!? 何がよ!」
「そうやって過剰反応する時点で、不器用なことをしていると分かっている証拠だ」
「くっ……似合わないことするんじゃなかったわ」
「良いのではないか、それで。お前は許されないことをしたが、被害者が許しているのだから、やり直しのチャンスは与えられてしかるべきだ。そうして改心しているのなら、いつかは正当に評価される時も来るだろう」
「……改心とか、そんなんじゃ、ないわよ」
俯くその表情は暗い。フォンとフォルについて、何か思うところでもあったか。事情を知らない俺では何も言うことは出来ない。今は置いておくしかないな。
「大丈夫か、フォン」
「うん、大丈夫。マーチ、ありがとう」
「ふんっ、もう充分休んだでしょ! さっさと行くわよ!」
照れ隠しなのか何なのか、立ち上がりズンズン山を登っていくマーチを追って、再び歩き出した。




