第69話 世界を越える門
人間の世界に興味があった。停滞しているように、毎日のんびりと過ごすだけの精霊としての生は、つまらない。
そう感じてしまうのが、精霊として異端だった。お前は変な奴だと、仲間たち皆から言われた。
仲間たちの中で最も長生きしている、長老のような立場の精霊から言われた。
この氷の領域から出てはいけない。精霊は環境の影響を強く受ける。別の生き物に変化してしまうぞ、と。
でも、興味を抑えられなくて、わたしは人間界と精霊界を繋ぐ門を創る魔法を研究した。
魔法はそれほど難しくなかった。人間界と精霊界が、鏡の中と外のように壁一枚を隔てて存在する近しい世界だということが理解出来たから、氷であちら側を映し出すようなイメージで魔法を創った。
それを通れば、人間界に出ることが出来る。仲間たちの制止を振り切って、世界を跳び越えた。
人間界で見る物は全てが新鮮だった。何もかもが珍しくて、何もかもに興味を引かれて、何もかもを知りたかった。
気の引かれるままにフラフラとあちこちを見て回り、気になる物全てに関して、あれは何? それは何? 尋ねて回った。
人間の知識が詰まった図書館という施設を見つけてそこに居座った。ただひたすらに本を読んで、あらゆる知識を集めて。強く興味を惹かれる物を一通り読み終わったら、また別の新しいものを求めて彷徨った。
そんな生活を続けて、3年くらい経っただろうか。いつも通りに新しいものを求めて歩いている時、ぱたりとその場に倒れた。
最近体が重い気はしていた。だが、それがどういう状態なのか分からなかった。動きづらい気はしていたけど、でも動くことは出来たから、まあ良いかって後回しにした。
それが、空腹。そう呼ばれている人間の不調であると、今まで集めた知識が言っていた。
だが、すぐには理解出来なかった。精霊には、食事が必要なかったから。
自分の状態が危険であると、理解したときにはもう遅かった。空腹で倒れて、体が動かない。
「大丈夫かい? ほら、これを食べなさい」
そう言って食べ物を差し出してわたしを助けてくれたのが、キレア・ディルガドールだった。
「精霊界?」
精霊界とは、精霊が住むと言われる別世界だ。自然の化身とされる精霊は、ある単一の魔法に特化していて、その魔法は災害と呼べるほどの規模になるらしい。
聞いたことはある。だが、見たことはない。存在はするとされているが、精霊界への行き方が分からないからだ。
極稀に、偶発的に迷い込んだ人間が、奇跡的に帰還を果たし、それを他の人間に伝える。それが信じられた場合に限り、話が広まる。だから世間では、精霊という存在はほぼ伝説上のものになっているのだ、と。それが通説だ。
「ハッ。何よそれ。精霊界が実家だなんて、それじゃあまるであんたが精霊みたいじゃない」
「そう。わたしは氷の精霊」
冗談を言っているようには見えない。元々フォンは表情が大きく変わらないので思考を読みにくいが、こんな冗談を言ってくるタイプでもないし、事実なのだろう。
「待ちなさいよ。精霊って確か魔法が得意なんでしょ? なら、なんで一発しか魔法が使えないのよ」
「今のわたしは体がほとんど人間になっている。多分そのせい」
それからフォンは語った。精霊界を飛び出した理由、本来の領域を離れるとどうなるのか。
魔法の制御はイメージが全てだ。体がどうなっていようとイメージの仕方が変わったりはしないだろうし、精霊の頃に覚えた魔法は発動出来る。
だが、体が変われば魔力の動きも変わる、のだろう、恐らく。精霊の頃の通りには発動出来なくて、結果として魔力が暴走、全てを一気に使用してしまう。
それが、魔法の制御は完璧なのに魔力の制御が出来ないという、矛盾しているとしか思えない状態の原因。
なるほどな。筋は通っているか。まさか精霊などという伝説だと思っていた存在に出会うことがあるとは、人生なにが起こるか分からないものだな。
「今最も興味を引かれているのは、人間が作る物語だという訳だな」
「そう。物語は面白い。特に人間の心の動きを見られるのが興味深いと思う」
フォンの異常な知識欲も、人間のことなら何でも知りたいという欲求からなのだろう。あんなに調べて何が楽しいのかと思っていたが、元々違う世界から来ているのだから、何でも知りたがったとしてもおかしくはないのかもな。
「話を聞く限り、今までは精霊界に帰っていなかったんじゃないのか? 何故急に帰ろうと思ったんだ?」
「そろそろ完全に人間になっちゃいそうだから、一度帰って氷に囲まれれば精霊に戻れるかなって」
完全に人間になるのは嫌らしい。当たり前か。あなたの体を作り変えます! などと言われたら、俺だって拒否するだろう。
「精霊界までついてくるのが嫌なら諦める」
「いや、構わない。精霊界というのがどんな場所なのか興味もあるしな。という訳でマーチ、お前は帰れ」
「嫌よ」
まあそう言う気はしていた。フォンの話によると、どうやら理事長はフォンについて知っているようだ。こうしてフォンが俺を訪ねてくることを読んで、マーチをここに来させたのだと思えば、マーチだってこのまま精霊界までついて行きたいだろう。
理事長が何を考えているのかは分からないが……。以前もこんなことを考えたことがあった気がするな。理事長が考えていることは、いつも分からない。
「良いよ、ついて来ても」
「良いのか?」
「うん。キレアがそうした方が良いと思ったなら、連れて行っても大丈夫だと思う」
フォンにとっては恩人だしな。理事長の判断で送られてきたマーチを追い返すのは気が進まないだろう。本人が良いと言うなら、俺が何か言うこともない。
「なら門を作って……いや、待て。精霊界には人間が食べるものがなさそうだな。念のため数日分の食料を持って行くか。あと氷の精霊の領域は寒そうだ。服装も考えるべきだな」
「うん、それが良いかも」
「という訳でマーチ、やはりお前は一度帰れ。服装を整えてから来い」
「はいはい、分かったわよ」
食料を買うために、フォンと一緒に寮を出た。
食料を買って部屋に戻ってくると、扉の前でマーチが待っていた。大きなカバンを持って、俺の部屋の前で、マーチが待っていた。
「……なあ、もう少し配慮出来なかったか?」
実家に帰っている生徒が多いとはいえ、全ての生徒がいなくなっている訳ではない。もちろん寮の廊下を歩いている生徒もいる。そいつらが、明らかにマーチを見ているんだよな……。
「ええ? ちょっと何言ってるか分かんないわねー」
物凄くニヤニヤしている。こいつ、人を困らせて遊んでいやがるな。この状況を見て勘違いされたとして、何か言われるのは自分ではなく俺だと分かっているのだろう。
「チッ、さっさと部屋に入れ」
扉を開けて、フォン、マーチを中に入れる。ただでさえ俺の女関係の印象はあまり良くないってのに……。
「もう良い。準備をするぞ。お前もニヤニヤしてないで手伝え」
「仕方ないわねぇ」
食料、衣服を詰めたカバンを用意した。他にも旅用品をもろもろ詰める。まるで旅行に行くかのような大荷物だ。フォンの予定では、5日ほど向こうにいるつもりらしい。帰りも門を通るために人の手が必要になるため、その間俺たちも精霊界に滞在することになる。そういう意味では旅行と言っても良いかもしれない。
服を暖かい物に着替え、カバンを背負って準備完了だ。
「フォン、良いぞ」
「ん」
テーブルを動かし、部屋の中央に広くスペースを作る。その中央にフォンが立ち、右手を目くらいの高さに掲げた。
「開け、鏡界門」
掲げた右手に冷気が集まる。それはだんだん勢いと大きさを増していき、やがて吹雪のように白い風がフォンの周囲を回るようになる。
瞬間、爆発するかのように、白い風が部屋全体を駆け抜けた。
冷気が体を包み、目を開けていられないほどの風が吹き荒れ、腕を上げてそれから目を庇う。
やがて風が止み、そっと腕を下ろすと、そこには門が現れていた。
2本の氷の柱には、巻き付くように氷の蔦が伸び、ところどころに氷の花が開いている。
その2本の柱を繋ぐように、煌めく氷の扉があった。両開きの、透き通るような美しい門だ。
「これが精霊界への門なのね。不思議なものね。裏から見ても表から見ても変わらない扉なのに」
マーチが門の周囲を回って観察している。確かに不思議だ。普通の扉とは違い、この門は見た目上どこにもつながっていない。ただの門のようなオブジェクトにしか見えない。この扉を開くとその先が別世界であるなど、想像も出来ないな。
「行くか」
座り込むフォンを横抱きに抱え、門の前に立つ。
「じゃあ開けるわよ」
マーチが門の扉を押し開け、中に入っていく。それに続いて、俺も扉の先へと足を踏み入れた。




