第58話 あの日の記憶
「フルーム、おい、フルーム。大丈夫か?」
ペチペチと頬を軽く叩かれる感触に目を覚ます。倒れていたのか。ということは、負けた、か。
「大丈夫ですか、副会長。もしや加減を間違えましたか? 調子が悪いところがあれば教えてください」
上体を起こし座る姿勢を取って、やっと自分を覗き込んでいるダイムの姿を視界に捉えた。
人の気も知らないで、心配そうに見てきやがって。ホントに腹立つわ。
「ありゃりゃー、負けちゃったかー。ざーんねん。ダイム君、相変わらず強すぎー」
わざとおどけた調子で笑って見せる。心配なんてされたくはない。あたしは負けたんだ。勝者は勝者らしく、堂々と立っていろ。でないと、負けたあたしがみじめだ。
「副会長も強かったですよ。まさか自動発動する魔法を待機させていたとは、完全に不意を突かれました」
「ふっふーん、そうでしょう? なんたってあたしは最強魔法使いフルームちゃんだからね」
真面目なこいつのことだ。嘘ではないんだろう。本当にあたしは強かったと思っている。本当に不意を突かれて驚いている。
だが、負けるほどではない、と。
「体は大丈夫だよん。ぜーんぜん問題なっし。ほら、元気元気!」
立ち上がり、軽く体を曲げ伸ばし。問題ない。痛みもない。ダイムが上手く加減して攻撃したんだろう。
そんな余裕があるくらい、あたしとこいつには差があるということだ。
「ダイム君も班員のところに戻ったら? まだ決勝があるんだからさ」
「そうですね。では、戻ります。お疲れ様でした」
「うん、おっつかれー」
ダイムが去っていく背を見送り、こちらも班員たちへと向き直る。
「ゴメンねー、任されたのに負けちゃって」
「いえ……」
「フルーム……その、大丈夫かよ……?」
「え? 何が? 体は大丈夫だよ? ほら、あたしたちも帰ろー」
フィールドの出口へ向けて歩き出す。いつまでもここにいても仕方がない。準決勝第二試合もあることだし、さっさと空けてあげないとね。
「あー、もう、びちゃびちゃだよー。顔まで水浸し。いやだいやだ」
自分の魔法で体中が濡れている。水が付着している顔を手で拭う。
「あー、結構濡れちゃってるなー。我が魔法ながら、この辺は不便だよね」
顔を拭いながら出口を目指して歩いていると、急に目の前に誰かが立ち塞がる。
そして、抱きしめられた。
「フルーム、大丈夫です。まだチャンスはあります」
「……ちょっと、どうしたのよシャフィ。早く帰りましょ」
「あなたの魔法が最強であると、次の戦いで証明しましょう。もう一度、戦うチャンスはある。だから今は、思い切り泣いてください」
「……馬鹿ね。せっかく我慢してるんだから、そこは見ないふりをしなさいよ」
仕方がないので、濡れてしまった顔が乾くまで、少しシャフィに顔を隠してもらうことにした。
これが学園最上位同士の戦いか。どちらの班もここまでの試合を何度も見ているはずなんだが、何度見てもその実力には驚かされる。
会長は相変わらず何をしているのかさっぱりだ。副会長の水を回避する際、一瞬前までいた場所から忽然と姿を消し、少し離れた場所に出現するという、理解不能な動きを繰り返していた。
あんなもの、時を止めてでもいなければ説明が……。
「まさか、そういうことなのか……?」
「どうしたクレイ。何か分かったのか?」
会長のこれまでの動きを思い出す。相手に接近した瞬間、いつの間にか振り抜かれている剣。回避が難しいと思われる攻撃をいつの間にか移動して回避している動き。その全てで、行動の途中が全く見えないという共通点がある。常に見えるのは行動が終わった後だ。
例えば、接近し、時を止め、剣を振り下ろして、時が動き出す。そうしたら、まさに今まで見ていたような現象が起こるのではないか?
だがそんなもの、どうやって対策すれば……。
副会長がやっていた、超広範囲攻撃によって接近を許さない、というのは一つの正解だろう。会長の武器が剣である以上、接近さえされなければ攻撃は受けない。
だが、真似するのは不可能だ。あんな魔法が使えるのは、俺の班にはフォンしかいない。そしてフォンの魔法は一発で終わり。副会長のように継続して操ることは出来ない。正確には魔力さえあればフォンにも可能なのだろうが……。
他にどうやったら会長を止めることが出来る? 接近されたら終わりだ。カレンだって何も出来ずに負けるだけだ。
「どうしたのよ、クレイ? 何かあったの?」
駄目だ。これからレオンたちと戦うというのに、俺がこんな調子では班員に心配をかける。会長のことは今は頭から追い出せ。目の前の戦いに集中しろ。
「いや、大丈夫だ。会長について少し分かったことがあってな。寮に帰ったら話そう。今はレオンたちとの戦いに集中だ」
そろそろ時間か。準備をするとしよう。
俺の故郷は前線に近い辺境の村だ。田舎らしく住民は少なく、でも皆仲が良い平和な村だった。
「ハイラスー、あそぼー」
「おーう、いまいくー」
男女の区別なく、数少ない同年代の子供で集まって、毎日くたくたになるまで走り回って遊んでいた。
その日は子供たちだけで村から出て、探検して遊ぼうということになった。前線に近い村だ。もちろんモンスターが来る危険があり、絶対に村から出てはいけないと大人たちにはいつも言われていた。
だが、子供の好奇心に対して、絶対に行ってはいけない、などと言うのは逆効果だ。俺たちはこっそり村から抜け出して、辺りを散策した。特に目的はなかった。ただ非日常のスリルを楽しんでいた。
それが、破滅へと続く最悪な道だと、誰も分かっていなかったんだ。
誰にも見つからず探索を完了したその日からほんの数日後。いつも通り遊ぶために、そろそろ集合時間だと家を出ようとした、その時、
「モンスターだ! 隠れていろ!」
親父が家に駆けこんできた。親父は村の門番をしている、村一番の戦士だった。村の近くまでモンスターが来た事を知らせるため、村中を走り回っているところだと、次の家に行ってくると、それだけ言って、家を出ていこうとした。
だが、結果的にその行動は間違っていたのだろう。もしかしたら親父なら、ちゃんと正面から戦えば、奴に勝てたかもしれない。
目の前を、巨大な拳が通り抜けた
棒切れのように親父の体が吹き飛ばされ、家の中からでは見えなくなる。
次に家を覗き込んできたのは、真っ赤な顔、真っ赤な体、2本の角が頭から生えた、身長5メートルはありそうな化け物。
「ゲヘヘヘヘ、見つけたぁ」
鬼、と呼ばれるモンスターだった。剣すら弾く頑丈な体を持ち、その力は家をも軽々と吹き飛ばすと言われる怪物。人語を理解し、性格は残虐。とにかく戦闘を好むという。
もちろんその頃の俺がそんなことを知っているはずもないが、それでも目の前で村一番の戦士である親父が軽く殴り飛ばされては、その脅威を理解するには充分だった。
「おめぇがあの匂いの子供の1人だなぁ? 案内ありがとよ」
「ヒッ」
「んじゃあ、どうやって楽しむかなぁ」
ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべながら俺を見下ろしてきたその真っ赤な鬼は、どうやら俺をいたぶって遊ぶ方法を考えているらしかった。
逃げなければ、そう思うが、体が動かなかった。ここで死ぬんだ、そう絶望していた時、
「やらせん……!」
「んあ? おめぇ、生きてんのか」
親父が背の大剣を引き抜き、鬼へと斬りかかった。だが、その姿は頭から流れ出た血で真っ赤に染まり、片腕があらぬ方向へ折れ曲がっていて、とてもまともに戦えるとは思えない。
現にその剣の一撃は、鬼の腕によって簡単に防がれてしまっていた。
「ハイラス! 母さんを連れて逃げろ!!」
「で、でも……!」
「俺なら大丈夫だ! 俺を誰だと思ってるんだ? お前の親父だぞ?」
親父がニッと笑うのを見て、やっと足が動くようになった。お袋の手を引いて、家の裏口から外へと駆け出す。
そして、すぐに足が止まった。
村中から悲鳴が聞こえる。
我が物顔で闊歩する無数の鬼たち。
建物が崩れ、人が潰され、鬼の笑い声がやけにうるさく耳に響く。
もう、逃げ場なんてどこにもなかった。
「ハイラス、あっちだ。鬼たちが前線から来ているなら、そちらから離れるように逃げれば……」
そんなお袋の言葉を遮るように、空から鬼が落ちてくる。それは、ついさっき親父が足止めしてくれた、真っ赤な鬼だった。
そして、その手には、親父の体が握られていた。
「は、ハイラス……逃げろ……」
「ゲッヘッヘッヘ、良いこと思いついた」
鬼は浮かべていた笑みを更に深くして、親父の体を両手で持った。そして、それを少しずつ、少しずつ、折り曲げていく。
「がっあああああぁぁぁぁぁ!!?」
「あんた!!」
わざと俺とお袋に見せつけるように、鬼が親父の体を少しずつ壊していく。
「や、や、やめろぉ!!」
やっと絞り出したその声を待っていたかのように、
鬼は親父の体を半分に折り曲げた
鬼の手から、親父の体が落とされる。人としてあり得ない曲がり方をしたその体は、もう命がないことを嫌でも伝えてきた。
「あ、ああ……」
鬼が笑う。その笑っている目をこちらに向け、その後、お袋へと動かす。何を考えているかは一目瞭然。がむしゃらに殴りかかろうと足に力を込めて、
「ハイラスっ!! 逃げなっ!!」
「っ!」
お袋の声に足を止めた。
「鬼さんや、まだ満足出来ないと見えるねぇ。来なよ。あたしが相手してやる」
「おうおう、勇敢だねぇ。んじゃ、遠慮なく」
鬼が伸ばした腕をくぐり、お袋が駆ける。そのまま魔力を込めた拳を全力で打ち出して、
「ほれ、捕まえたっと」
揺らぎもしない鬼に簡単に捕まってしまう。
「ぐっ……ハイラス……何やってんだい、早く逃げ……」
「坊主、お前に希望をやるよ」
唐突に、鬼がそう語り掛けてきた。
「希望……?」
「ああ。今からこの女を握りつぶす。もしお前がこの女を俺から取り返せたなら、お前も、この女も、見逃してやる。どうだ?」
「聞くんじゃないよ……早く逃げな……!」
無理だ。そんなことは分かっていた。だが、それでも背を向けて逃げ出すなんてことは出来なくて、
「分かった……!」
そう答えるしかなかった。
「んじゃ、始めだ」
鬼が手に力を込めていく。ベキベキと嫌な音が鳴り響く。その手にしがみついて、鬼の指を一本握って、何とか引き剥がそうと腕に力を込める。
だが、ピクリとも動かなかった。当たり前だ。たとえ大人だろうと、鬼に力勝負で勝てる訳がないのに、子供の力でどうにか出来るなどあり得ない。
「ゲッヘッヘッヘ、どうしたどうした。このままじゃあ、潰れちまうぞぉ? さっきの男と同じようになぁ」
「ぐっううううぅぅぅ!! くっそおおおおぉぉぉ!!」
そして、そう時間もかからない内に、その時は訪れた。
ぐちゃ、と嫌な音がして、鬼の手からボタボタと大量の血が滴る。
「あ、あ、あああああああぁぁぁぁ!!」
「ゲッヘッヘッヘ、グヘヘヘヘヘ!」
鬼の笑い声が響く。その手から、またしても大切な家族の体が落ちていき、ぐちゃ、と地面に赤を広げて倒れ込んだ。
地面に落ちたその体に跳びつき、揺する。だが、その見開いた目が、こちらを向いてくれることは二度とない。
「殺してやる……! 殺してやる!!」
「おうおう、かかってこい、かかってこい。ほら、俺は逃げも隠れもせんぞ?」
両腕を広げて、俺を迎え入れるように立つ鬼に向かって踏み込む。後のことなどどうでも良かった。ただ、その瞬間の怒りをぶつけるためだけに、拳を握り、突撃する。
目の前に光の柱が立ち上る。
「ぎゃあああああぁぁぁぁ!!!」
鬼はその光に飲まれて、跡形もなく消滅した。
「は……?」
村のあちこちで、同様の光が立ち上り、鬼が消えていく。それを見た他の鬼たちも逃げ出して、ついさっきまでの騒ぎが嘘のように、辺りが静まり返った。
「すまない、間に合わなかった」
そう言って空から降ってきた、一人の女。
それが、キレア・ディルガドールとの出会いだった。




