第45話 相談
翌日。学園も終わり、班でのトレーニングを終えて寮に帰ってきた。最近は忙しかったが、今日は久しぶりに平和な1日だったな。
そんなことを考えていたのがいけなかったのか、自室の扉がノックされる。
「クレイさん、マーチ・イーヴィッドです。今お時間よろしいでしょうか」
今日は何事もなかったかのように学園に来ていたらしいとは聞いていたが、わざわざ部屋を訪ねてきたのか。
「ああ、問題ないが、何の用だ?」
「少々相談したいことがありまして……」
本気で困っているような様子が声から伝わってくる。ふむ、まあ良いか。部屋の扉を開けて中に入れてやる。
テーブルを挟んで向かい合って座り、ほどなくしてマーチが口を開く。
「もう……わたしはどうしたら良いのか分からないんです……」
「待て待て、そんな意気消沈されても分からん。相談とは何だ」
「わたしは、家の命令でディルガドールに来ました。その目的は、レオン王子の評価を下げることです」
ヴォルスグラン王家のことを良く思わない貴族が集まった反王家派閥。その中にわたしの家、イーヴィッド伯爵家もあります。
元々、フルズ第一王子が前線に出ることになったのも、この反王家派閥の仕業です。前線に出ればきっとすぐに命を落とす。それによって王家の力を削ぐことが目的でした。
でも、そうはならなかった。フルズ王子は、今もその圧倒的な力で前線を支えています。それによって、王家の評価は上がる一方。反王家派閥の目的とは正反対の結果となりました。
そこで今度は、足を引っ張ることにしました。
これもまた優秀だと言われるレオン第二王子。その足を引っ張り、学園で全く活躍出来ないようにする。更に王子の悪評を広め、ひたすらその評判を悪くすること。
それを目的として、わたしは家の命令でディルガドールに入学したんです。
でも、レオン王子は優秀過ぎました。足を引っ張られても圧倒的強さで活躍し、悪評など立ちようがないほどに真面目に、誠実に生きている。
なので、仕方がなかったんです。王子に班を追い出された子が自暴自棄になっていじめをした。魔薬に手をだした。全て王子が悪い。そんな噂を流そうとしました。
でも、これも失敗。もうわたしに出来ることはない。だから、家に連絡したんです。指示をもらおうと思って。
「返事は、用済みだ、でした。もうわたしは家に捨てられてしまった。本当はこんなことしたくなかったのにっ! 家の命令でやっただけなのにっ! 失敗したら用済みだなんて、そんなのあんまりです……!」
涙を流しながら嘆くマーチ。ぽろぽろと止めどなく溢れ出す涙がテーブルに落ち、震える肩がどれだけの悲痛を感じているのかを語る。
まるで王家を貶めるための道具のように学園に放り込まれ、言われるままに仕事をしたのに最後には捨てられる。確かに悔しいだろう。
「それで、俺にどうして欲しいんだ」
「……信じて、くれるんですか?」
「その涙が演技なら大したものだ」
「……ついて来てもらえませんか、店に。そこで悪事の証拠となる書類をお渡しします」
だから、あの店を、家を、壊して……っ!
寮を出て、イーヴィッド薬品へ向かう。前を歩くマーチはずっと無言で、一体何を考えているのか読み取れない。
そろそろ夕飯の時間だ。だが、今日は寮で食べるのは諦めた方が良いだろうな。
通りを歩き、路地に入り、裏口からイーヴィッド薬品に入る。相変わらずの雑多な部屋。大量の箱が積まれた倉庫のような部屋。以前見回りの際に薬を押し付けられた部屋だ。
「このスイッチを押すと、下への階段が現れるんです」
そう言ってマーチは、隠されていたスイッチを押す。床が抜けて階段が現れ、その上に積まれていた箱が落下していく。だが、大きな音は鳴らない。どうやら空の箱だったらしい。
「この下に書類がまとめられています。行きましょう」
階段を下りていく。地下は暗い。明かりが点いていないようだ。真っ暗なその空間に、何があるのか、どの程度の広さなのかすら見ることが出来ない。
階段を下り切って床に足が着く。マーチの姿も見えないため、ここからどう動けば良いのかも分からない。
「こっちです。そのまま真っすぐ進んでください」
声を頼りに歩を進める。そのまま7、8歩ほど進んだ頃、
足元の魔法陣が起動する。
石の鎖が伸び、体を縛る。腕と胴を固定され、両足も縛られ、完全に動きを封じられた。
「くふ、あっはははははっ! バッカじゃないの!? ノコノコとこんなところまでついて来て、やっぱり女に弱いのね」
貴族の娘とは思えない下卑た笑い声が響くと同時、明かりが点く。書棚が並べられた部屋だ。どうやら書類がまとめられているというのは嘘ではないらしい。
縛られた状態で床に倒れた俺を見下ろし、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべるマーチ。
「さぁて、このまま監禁して薬漬けにして、わたしの奴隷にしてあげる。嬉しいでしょう? あんたは女の子が大好きだもんね」
俺を薬漬けにして薬なしでは生きられないようにし、言うことを聞かせることで、自分に有利な証言をさせるのが目的だろうな。
流石にそんなことをされては困る。鎖を引き千切れないかと腕に力を込めてみるが、全くヒビも入らない。俺程度の腕力では無理か。
「一応否定させてもらうが、俺は特別女好きという訳ではないぞ」
「……何でそんなに落ち着いてるわけ? 状況分かってんの?」
「分かっているさ。時間が悪かったな。今は夕食時だ。俺が食堂に来なければ班員が気付く」
「そんなの、あんたが何となく外で食べる気分だったり、何となく外出してたりするかもしれないって思われて終わりよ。儚い希望ねー」
確かに、俺が食堂に来なかったというそれだけで、何かあったのかもしれないなどと考えて捜索を始めたりはしないだろう。
普段なら、な。
「まあ良い。お前が語っていた話は真実か?」
「……本当よ。あんたのせいで家に見捨てられたわ。こんな優雅さの欠片もないような学園に無理矢理入らされて、甘ちゃん王子の部下にさせられて、無能な使えない馬鹿どもに付き合わされて、それで最後には家にも捨てられるなんて、ホント最悪以外の何物でもないわ」
近くに置かれていた椅子にドカッと腰を下ろし、グチグチと不満を垂れ流すマーチ。相当ストレスが溜まっているらしい。
「ま、無意味に嘘を吐かなかったのは褒めてやる。嘘を吐くとそこから違和感を持たれる可能性があるからな」
「はぁ? なに上から目線で語ってくれちゃってるわけ? あんまり調子に乗らないでよね。思わず殺しちゃったら本当におしまいなんだから」
「やはり俺に嘘の証言をさせるつもりか?」
「そうよ。あんたにはマーチ・イーヴィッドは今回の件に何の関わりもなかったって証言してもらわなきゃいけないの。だから大人しくしててよね」
仮に俺がそう証言したとして、それが信じられる可能性はかなり低いと思うが、もはやそれ以外に道は残されていないのだろう。どんな手を使っても切り抜けてやるという執念が伝わってくる。
「薬漬けにすると言うのなら、さっさとやったらどうだ? 何故拘束して転がしておくんだ」
「うっさいわね。ちょっと待ちなさいよ。あんたには一発でキまる特別性のやつをあげるから」
わざわざ俺のために強力な薬を準備してくれているらしい。何ともありがたいことだ。俺にすぐ薬を飲ませないのは、その準備に時間がかかっているからか。
もしすぐに薬を飲まされるようなら、本気で抵抗する必要があるかと思ったが、この様子ならこのまま待機で問題ないな。
それからしばらく、マーチが見下ろしながら馬鹿だ無様だと煽ってくるのを、適当にあしらって時間をつぶす。
「……そろそろか」
「そろそろ? 何がよ」
「お前の終わりの時だ」
「はぁ? またそうやって意味の分からないことを……」
「お嬢! 大変だ!」
この店の店員か、イーヴィッドの小間使いか、1人の男が慌てた様子で階段を駆け下りてくる。
「何よ! うるさいわね!」
「か、囲まれてる!」
「囲まれてる? 何がよ」
「この店が、警備隊にだ!」
「え、はぁ!? な、何でよ!?」
叫びながら椅子から立ち上がるマーチ。その顔は驚愕一色。完全に予想外の事態だと書かれている。
「大したものだったよ。お前の演技は」
「なっ、気づいていたの!?」
「演技自体は完璧だった。本当に家に捨てられた悲痛に涙を流し、助けを求めているようにしか見えなかった。恐らくその演技力を買われて潜入任務を任されているのだろうな。だが、そもそもおかしいんだよ」
「な、何がよ……」
「本当はやりたくなかった。だったら何故魔薬を渡すなどというあまりに酷い行動を取ったのか。王子の評判を落とす方法など他にいくらでもある。王子以外の迷惑にならない方法がな。だが、お前はルーの人生を台無しにすることを厭わなかった。恐らくは、目の前に使えそうな奴らがいるから利用してやろう、などと考えたのだろう」
王子に班を追い出されて精神的に不安定になっていた3人。1人だけ追い出されなかったルーに対して逆恨みしていただろう。その背を少し押してやれば、あとは勝手に行動してくれる。自分は高みの見物をしていれば良い。
つまりこいつは、自分が楽をするために、他人の人生がどうなろうと知ったことではない、そう思って行動していたんだ。
「くっ……! いや、それでもおかしいわ! あんたの部屋に行ってからここに来るまで、誰とも接触してないし、どこかに連絡した様子もなかった! どうやって警備隊なんて呼んだのよ!?」
「お前が来る前に、既に」
「なっ……!?」
「昨日、風紀委員室から出て行ったお前が家に連絡することは予想出来ていた。王子から城に連絡が入っていたのなら、確実に伯爵邸に捜査の手が入るだろうからな。そしてその場合、伯爵は確実にお前とこの支店を切り捨てるだろうことも予想が出来る」
魔薬に手を出していたなどと知られたら、伯爵という地位が剥奪されるのは確実だ。それを避けるためには、支店が勝手に魔薬を取り扱っていた。自分は知らなかった。今後はより厳しく管理を行っていく。そう言うしかない。
もちろん完全に疑いが晴れることはないだろうから監視の目はつくだろうが、その場は凌ぐことが出来る。
「家に捨てられたお前はどうにかして自分の罪を軽くしなければと考える。ならばどうするか。俺を操り嘘の証言をさせ、周囲がそれを信じてくれることに賭けるしかない。昨日は追及を逃れたとはいえ、あんな苦しい言い訳が通る訳がないからな」
現状、マーチの目から見て、最もこの事件を深く理解しているように見えるのは俺だ。風紀委員室でのやり取りから、王子に根回しもしているとなれば、俺がメインで解決に向けて行動していると思うのは必然だな。
そんな俺が、マーチは無罪だ、と言えば、もしかしたら通るかもしれない。そこに希望をつなぐ以外に道は残されていない。
「となれば出来る限り早く俺を呼び出したい。学園が終わり、班でのトレーニングも終えて寮の自室に戻った瞬間。二人きりで話をするにも、寮から連れ出すにもここしかない。だから、あらかじめ班員に伝えておいたんだよ。今日、俺が夕食の時間になっても食堂に来なかったら、イーヴィッド薬品に呼び出されているから、警備隊と風紀委員と王子に連絡をしてくれ、とな」
言ったはずだ。時間が悪かったと。




