第40話 自由への渇望
翌日の昼。いつも通り班で集まっての昼食なので、ついでに昨日のことを報告する。
「という訳で風紀委員に入ることになった」
「わぁ! おめでとうございます!」
「いや、別にめでたくはないが」
単に仕事が増えただけだ。何も称えられるようなことはない。
「ふむ、鍛練の相手か。風紀委員がどれほどの実力なのかは分からないが、楽しみだな」
「お前はそんなことより学科試験のことを考えろ」
昨日のテストは50点だった。科目が違うので何とも言えないが、一応上がってきてはいる。だが、テストに慣れさせる意味でも、更に上を目指して欲しいところだ。
「カレンのことはどうでも良いのよ。わたしも風紀委員に入るの? あまりクルと離れたくないんだけれど」
「わたしのことなら大丈夫ですから、ご自分がやりたいかやりたくないかで考えてください」
「でも……」
「ご心配なさらずとも、日常生活ならむしろアイリス様よりわたしの方が優れていると思いますよ?」
「うるっさい! て、そうじゃなくて、もし悪漢にでも襲われたらどうするのよ。あなたは抵抗出来ないのよ?」
そうか。戦闘になると動けないということは、不審者に襲われたら無防備だということなのか。過保護になるのも分からなくはないな。
「心配するな。寮までならわたしが送ろう」
「わたしも」
「あ、あたしは頼りないかもですけど、一緒に帰りますよ!」
そもそもこの学園都市に不審者などほとんどいない。以前の武装集団の襲撃が例外であって、本来この都市は世界でもトップクラスに治安が良い。
それに、風紀委員としての仕事は始業前か門限近くが多い。実際には、アイリスとクルが離れる時間はそう多くならないだろう。
「はぁ。まあ、少しくらい離れて行動するのも経験かしら。じゃあわたしがいないときは、クルのことをお願い」
「ということは、風紀委員に入るということで良いのか?」
「ええ。あなたが勝手にした約束とはいえ破るのは気が進まないし、そうでなくても、生徒会とか風紀委員とかには興味あるのよ。やっぱり人の上に立ってこそだと思うのよねー」
王女としての義務だと思っているのか、生来の性格か、人の上に立ちたいらしい。俺には全く理解出来ないが、アイリスが風紀委員を引き受けてくれるなら鍛練相手をしてくれる約束も守られるだろうし、ありがたい。
「では放課後に風紀委員室に行くぞ。カレンにはまたテストを作ったから、ちゃんとやるように」
「分かったわ」
「ぐぬぬぬ……今度こそ合格して見せる!」
放課後。アイリスと合流して風紀委員室へ。そして部屋の扉をノックする。
「クレイです。アイリスを連れてきました」
「はーい。入って良いよー」
サラフ先輩のおっとりした返事が聞こえてきたので、扉を開けて部屋に入る。
「いらっしゃい、アイリスちゃん。よろしくね」
「あ、はい。よろしく」
先輩たちは今日も4人ともいるようだ。昨日も何か仕事をするでもなく集まっていたが、暇なのだろうか。
「おう、王女さん。歓迎するぜ」
「よっろしくーー!」
「よろしくお願いします、アイリスさん。これでメンバーが揃いましたね」
椅子に座って口々に歓迎の言葉を投げかけてくる先輩たち。昨日と同様、全員の自己紹介がなされ、風紀委員の腕章が委員長から投げ渡される。
「俺らの仕事は、それ付けて遅刻とか門限破りがいないか突っ立ってるだけだ。当番は一応決めてあるが、まあ基本サラフが勝手に毎日やってるから、何ならサボっても良いぜ」
「ちょっとディアン君、ダメでしょ? ちゃんと当番の日は仕事しなきゃ」
「他にも行事では警備として動きます。学園の外は本職の警備員の方たちが立っていますので、我々は学園内で生徒たちが問題を起こさないかを見回る形ですね」
「1年生の対抗戦のときもドーム中を歩き回ってたんだよ! みんな良い子だから何にも問題起きなかったけどね!」
当番は1、2年生は週2日、3年生は週1日となる。俺とアイリスは週始めと終わりを担当することになった。とは言っても、サラフ先輩は毎日参加しているらしいので、3人で玄関に立つことになる。
「えっと、それだけ? 思ったより楽なのね」
「別に自主的に校内を見回ったりしても良いんだぜ? 何の意味もねぇけどな。もししょっちゅう喧嘩が起こったりするなら俺らも見回りくらいするが、喧嘩なんざ年に1回あるかどうかだ。んなことのために仕事増やしてなんてられっかよ」
噂では、他の学校は割と治安が悪かったりするらしい。ディルガドールと違い、戦闘能力のみを重視するような学校は、喧嘩がない日の方が珍しかったりするのだとか。そういう学校の風紀委員のような仕事は大変だろうな。
「んじゃ、解散ってことで。ああ、あと週の最終日は放課後にここ集合な。何か議題があれば話し合う。特になければすぐ解散になっから、そう時間は取られねぇと思って良いぜ」
「お疲れ様でした」
委員長とクロンス先輩がさっさと部屋を出ていく。解散で良いのなら、俺も帰るか。
「では俺も帰ります。お疲れ様でした」
「えー、待ってよ! もっとお話しよー?」
「お話と言われましても、何を話すんです?」
「んー、そうだなぁ……」
そこで悩むということは、何か話したいことがある訳ではないのか。ただ新メンバーと雑談がしたいだけだな。慌てて帰らなければならない用がある訳でもない。大して時間も経っていないし、まだカレンのテストも終わっていないだろう。しばらく雑談に付き合うくらいは構わないか。
椅子に座り直して、ウェルシー先輩が話題を思いつくのを待つ。わたしも待機した方が良い? と言いたげな顔でこちらを見てくるアイリスに頷きで返事をしていると、どうやら話題を思いついたようだ。
「じゃあ、クレイ君の班は何で女の子ばっかりなの?」
「あら、面白そうな話ね。クレイ君の班は可愛い子がたくさんだし、やっぱりそういう子に声をかけたの?」
もしかして俺への印象って学園中がこうなんだろうか。今でも嫉妬の視線はよく感じるしなぁ。
「孤立している人間に声をかけただけですよ。そうしたら偶然今のようなメンバーになったんです」
「ふーん、そうなんだ。何で孤立してる子に声かけたの?」
「俺自身が孤立していたからですよ」
「そういえばクレイ君は落ちこぼれだとか言われていたんだっけ。大変だったわねぇ。でもそんな中でも対抗戦で優勝しちゃうなんて、凄いわ」
特にそれで大変だと思ったことはないがな。逆に今のメンバーに出会うきっかけとなった訳で、感謝したいくらいだ。
「今は落ちこぼれって言われてないんでしょ? 班員を入れ替えようとか思わないの?」
「…………」
何気ない様子でウェルシー先輩が質問してくるが、ずいぶん重いことを聞いてくるな。アイリスの視線が突き刺さる。
班員の入れ替え。これは班長なら考えて然るべき事項だ。明らかに足を引っ張る班員、やる気がない班員、そういう奴を追い出すことは、貢献している班員への誠意でもある。
これについてどう思うかは人によって違うが、多くの場合あまり歓迎されることではない。班員の入れ替えを無感情に行うことが出来る班長は、冷酷だが有能、という評価になるのが一般的だろう。
俺の班は現状、明確に足を引っ張っている、やる気が感じられない、などの班員はいない。
だが、例えばフォン。強大な魔法が使えるとはいえ、一発で魔力切れを起こす奴より、そこそこ強力な魔法を何度も使える奴の方が幅広く貢献してくれるだろう。
例えばティール。いくら学園最高クラスに力が強いとはいえ、臆病で全く接近戦が出来ない奴より、そこそこ力が強くて戦闘が強い奴の方が幅広く貢献してくれるだろう。
だが、
「思いませんね」
「そうなんだ。クレイ君頭良さそうだし、もっと幅広く戦える班員の方が良さそうなのにね」
元気溌剌といった様子で、失礼ながら馬鹿っぽいと思っていたんだが、意外と物事をよく見ているらしい。
「ウェルシー先輩が言うことは間違ってないと思います。安定して好成績を狙うなら、正直今の班員は最適とは言い難い部分がある」
全員何かしらの弱点があり、安定性など皆無と言って良いからな。特にティールとフォン。クルも逐一命令が必要だし、アイリスもクルを溺愛し過ぎてるし。カレンはある程度指示しておけば戦闘では頼りになるが、一人だけ学科試験の成績が悪くて落第しそうな恐ろしさがある。あいつ多分学科の成績最下位だし。
「でもそれはあくまで、好成績を狙うなら、です」
「? どゆこと? 成績は悪くても良いってこと?」
「逆ですよ。ただ成績が良いというだけ。そんな場所は目指していない。俺が目指すのはただ一つ」
ティクライズの家が何と言おうが関係ないほどの権利を、自由を手に入れる。この学園が保障する、自分の望み通りの進路へ行くために。
「頂点に立つ。それだけです」
アイリスと並んで寮へ帰る。先輩たちと話している時からずっと無言で何か考え込んでいる様子だが、どうしたのやら。
「ねぇ」
寮を目前にしてアイリスが立ち止まった。やけに真剣な様子でこちらを見つめてくる。
「えっと……やっぱりお父様が厳しいの?」
「は? 何だ急に。まあ確かに奴は厳しいが」
「頂点を目指すのは、やっぱり家が厳しいからなのかなって」
「よく分かったな。ああ、そうか。奴は城で働いているのだし、王女であるアイリスはそれなりに知っているのか。あんな奴を父親だなどと思ったことはないが、確かに俺が頂点を目指すのは奴から堂々と離れることが目的だな」
ディルガドールは国が運営する学園だ。ティクライズの発言力はそこそこ強く、下手な貴族よりよほど影響力があるが、国や王族にはもちろん逆らえない。そんなディルガドールが保障する進路なら、家を離れて自由になれるはずだ。
「ならどうして非情な作戦を使わないの? あなたなら、班員を切り捨てる作戦を使えばもっと勝率を上げられるんじゃない? ティクライズに逆らおうと思うなら、なりふり構ってなどいられないのではないかしら」
そんなことを考えていたのか。確かに班員を切り捨てる作戦の方が勝率が高いことはある。例えばカレンを切り捨てれば、カレン1人で相手全員を受け持たせて時間を稼ぎ、カレンごとフォンやアイリスの魔法で殲滅すれば、かなり有利に立ち回ることが出来るだろう。
そして恐らくカレンはそれを拒否しない。自分1人の犠牲で勝つことが出来るのなら、笑って犠牲になるのがカレン・ファレイオルという騎士だ。
アイリスは猛反対するだろうが、クルも拒否しないだろう。命令に逆らえないというのもあるが、クルは自分の犠牲など何とも思わない性格だと、この短い付き合いでも分かる。
だが、それを踏まえても、明確に誰かを犠牲にする作戦は使わないだろう。それは単純に、その方が勝率が高いからだ。
「士気って分かるか?」
「それくらい分かるわよ。馬鹿にしてるの?」
「カレンやクルは自分の犠牲を受け入れるだろう。だが他のメンバーはどうだろうな」
フォンは冷静無表情に見えて、実は他の班員のことが好きだ。それは、自分が悪者になりかねないのに手を出さなかったあの試合によく表れている。学園中に見られているのに、試合中ずっと突っ立っていることがどれほど辛いことか。それでも班のためにと行動してくれたフォンは、きっと班員の犠牲に良い顔はしないだろう。
ティールはもっと分かりやすい。あいつが誰かの犠牲を受け入れられる訳がないのは一目瞭然。最悪、泣きじゃくって使い物にならなくなる可能性もある。
アイリスは言わずもがな。カレンやクルも、自分の犠牲は受け入れられても、他の班員の犠牲は絶対受け入れないだろう。自分が囮をやると言って譲らない姿が目に浮かぶ。
「そんな状態で作戦を強行したとして、勝率が良くなるとは思えん。だからそんな作戦は採用しない。それだけだ」
囮に使うとしても、その囮の犠牲を前提にはしない。囮が落とされる前に勝つ作戦を組み立てる。それが最も勝率が高い。
「あなたは、どうなの?」
「ん?」
「あなた自身は班員の犠牲をどう思うの?」
「俺がどう思うかは関係ない。班長の仕事は、最も勝率が高い作戦を組み立てることだ。そこに自身の好き嫌いが入り込む余地はない」
「そんなことは聞いてない! あなたは、どう思うのよ!!」
それが聞きたかったらしい。ずいぶん遠回りするものだ。要するに、俺が何を思って作戦を作っているのか。最初からそれを聞くために話していたのだろう。
この会話中、アイリスはずっと真剣な表情を崩さない。それは、班に加入した時、クルの弱点を話してくれた時と同じか、それ以上に硬い表情で。誤魔化しは許さないと、そう物語っている。
「俺にだって、誇りというものはある」
それだけ言って、歩き出す。寮は目の前だ。
「ふふっ、何それ」
先に歩き出した俺に、小走りにアイリスが追いついてくる。隣に並んで顔を覗き込んでくるので、歩く速度を速める。
「ちょっと、何で逃げるのよ」
「逃げてない」
「ふふっ、絶対嘘じゃない、それ。待ちなさいよ!」
いつの間にか走っていた。そのまま寮に入り、階段を駆け上がり自室に駆け込む。
「もう、仕方ないわね。……頂点、取りましょう。わたしも協力するから」
部屋の外から扉越しに、そんな呟きが聞こえた気がした。




