1、クレイ・T・イーヴィッド伯爵
クレイ(あの戦いからマーチがおかしくなってしまった。その責任をとらなければ)
執務室にペンを走らせる音だけが響く。
ディルガドール学園を卒業し、前任がその地位を降ろされたことで空席となっていたイーヴィッド伯爵という家を継いで早3年。前任者の能力の高さを実感する毎日だ。
確かに奴は悪徳領主だった。民に重税を課し、己の利のみを追求する外道だった。
が、それと同時にやはり有能な商人でもあったんだ。
奴は違法な手段も使用していたし、民からの多額の税も入ってきていたため、今の俺とは資金力が違った。しかしそれを加味しても、奴が整えた観光地としてのイーヴィッド領は本当に素晴らしい物だと言わざるを得ない。
税を常識的な額に抑え、違法な金稼ぎもしていない俺にとって、その観光地を今まで通りの姿で維持するのは至難の業。どうすれば観光客からの不満を抑えられるか、頭を悩ませる日々だ。
「これを資料室のルーへ頼む」
「かしこまりました、ご主人様」
やけに距離が近いメイドに、必要な資料をまとめた紙を手渡す。イーヴィッド伯爵邸の資料室は、ルーに管理を任せている。ルーの頭には資料室の膨大な中身が全て入っているので、資料の題だけまとめれば、すぐに必要な資料をまとめて持ってきてくれるだろう。
その時、廊下を走る慌ただしい音が近づいてくるのが聞こえた。
「来たか」
「そのようですね」
バンッと大きな音を立てて執務室の扉が開く。
そして、小柄な影が飛び込んできた。
「クレイ、遊ぼ!」
そこには、満面の笑みを浮かべてこちらを見る、マーチの姿があった。
あの日、世界の命運をかけた戦いが終わり、悪の精霊ヴィルの宮殿から外へと出た後。未だ残っていたモンスターを余力のあるメンバーで薙ぎ払い、それなりに宮殿から離れたところで、マーチとキャロル先生と合流した。
そこには、あまりに姿の変わってしまったマーチがいた。
妖精化の証である二対四枚の翅が常に背から生え、意識するまでもなくふわふわと浮遊することが可能。160近くあった身長は130ほどまで縮み、耳ではなく体内に直接聞こえてくるような不思議な声。
しかし、それよりも何よりも……
「あー、またメイドと近い! ダメなんだよ! クレイはわたしのなんだから! ルーにしかクレイと仲良くすることは許してないんだからね!」
「はい、申し訳ありません、お嬢様」
「お嬢様じゃなくて奥様!」
「はい、奥様。では私は失礼いたします」
プンプンとわざとらしく頬を膨らませて、執務室を出ていくメイドを見送るマーチ。
そしてメイドが出ていくとニコリと笑顔になり、軽く床を蹴ってふわりと浮かび上がり、椅子に座る俺の膝上へと飛び乗ってきた。
「ねー、遊ぼー! つまんなーい!」
足をバタバタと暴れさせて不満を吐き出すマーチ。その姿は身長が縮んだことも相まって、幼い子供のようにしか見えない。
あの日から、マーチはおかしくなってしまった。
見た目だけでなく、精神までも妖精に影響されているのか、言動が明らかに幼くなった。それ以前の記憶はしっかり残っているようなのだが、どうも我がまま放題するのが抑えられないらしい。
こちらの都合を無視して遊びたいと暴れる。俺に近づくルー以外の女を威嚇する。子供がやるような小さな悪戯をすることはしょっちゅうで、それを注意するとすぐに目に涙がにじんでくる。
ルーとマーチで話し合って決めたはずの俺と夜を過ごす当番も無視しがちだ。ルーと過ごす夜に乱入してくることも多く、その度にルーと苦笑いした顔を見合わせて受け入れる、というのがお決まりになっている。
外見と言動は子供なのに、今まで20年以上生きてきた記憶はしっかり持っているものだから、自身を大人だと思っている。思考力が衰えている訳でもないし、知識を失っている訳でもない。
が、やりたいことを常に優先して、我がままに振る舞う。
それが、現在のマーチ・イーヴィッドだ。
「少し待て。これがまとめ終わったらきりがつくから」
「やだ、待てないー! ひーまー! あーそーぶーのー!」
「はいはい、もう少しもう少し」
暴れる頭に左手を置いて撫でつつ、右手で仕事を進める。
「ほら終わった」
「終わった? じゃあ行こ!」
膝から飛び降りて手を引っ張るマーチに連れられて、屋敷から出発する。その道中でルーに会ったので、執務室に積んである整理した書類を持っていくように指示した。
「はい、了解しました。行ってらっしゃい」
「ああ、行ってくる」
「いってきまーす!」
さて、今日はどこを連れ回されることやら。
クレイさんが仕事で留守にしている日。置いていかれて不貞腐れているマーチさんの機嫌を取りながら遊んでいた。
「ねーねールー。クレイはまだ帰ってこないの?」
「今日は多分、夜遅くなるんじゃないですかね。先に寝ててくれって言ってましたし」
「えー!? やだやだ! クレイと一緒に寝るのー!」
バタバタと暴れて不満を表現するマーチさん。とても可愛いんだけど……とはいえこのまま放っておくと泣き出してしまうので、どうにか機嫌を直してもらおうと色々やってみる。
「ほら、クレイさん人形ですよー」
「本物じゃなきゃやだー!」
「えーっと、じゃあクレイさんが面白いって仰ってた本とか」
「いらない!」
「うーん……」
「今日はわたしがクレイと寝る当番の日なのに!」
こんなに幼いのに、いや、幼いからこそだろうか。やけにエッチなんですよね、今のマーチさんって。隙あらばクレイさんに襲い掛かろうとしているというか。
…………そろそろ、自分の内心を誤魔化すのも限界だろうか。
「マーチさん」
「なに!?」
「いつまで、そうしているつもりですか?」
「っ……何がよ!」
「本当は全部、嘘なんですよね? 幼くなったふりをして、我がままになったふりをして」
「う、嘘なんかじゃ、ないもん……嘘じゃないもん!」
マーチさんの演技は完璧だ。昔からそうだったし、今は更に磨きがかかっている。それが演技なのか素なのか、見分けることなど不可能だろう。
わたし以外には。
「そうですか。嘘じゃないんですか。……なら、そういうことにしておきましょうか」
「え……?」
「何ですか?」
「いや……なんでも…………」
「良いですよ、別に。どんなマーチさんだって、わたしは受け入れますから」
「そ、そう……」
「それは、クレイさんも同じだと思いますけどね」
「っ……!」
「さ、じゃあ何をして遊びましょうか?」
「今は……いい。寝る」
「はい、ゆっくり休んでください」
マーチさんが眠ったのを確認して、資料室に戻った。
マーチが当番の日。準備を整えて寝室に入ると、ベッドにマーチが腰かけていた。珍しい。いつもはバタバタとベッドの上で転がりまわっているのに。
「待たせたか?」
「ううん、大丈夫」
「そうか?」
随分と大人しいな。遅いと文句を言われると思ったのだが。
「ねえ」
「ん?」
「クレイはどうして、わたしと結婚してくれたの?」
……唐突だな。今日はずっと上の空だったし、昨日屋敷を空けている間に何かあったのだろうか。
「もちろん、マーチのことが好きだからだ」
「本当に?」
「当たり前だろう? そうでなければ」
「わたしがおかしくなったことに責任を感じて、じゃないの?」
…………ふむ。
「正直に言うとな、確かにそうだ」
「っ……やっぱり」
「だが」
愛している。その気持ちに嘘はないよ。
「うっ……いや、むぅ……だって、こんなわたしに、魅力なんて……」
「それが演技だと分かっていて、それでも付き合っていたんだから、少しは信じて欲しいんだがな」
「えっ!? な、何で……!?」
「確かにマーチはよく悪戯をしていた。しかし、全て笑って許せるものだった。メイドを嫌っている様子なのに誰かが怪我をしたことはないし、大切な物が壊れたこともない。俺が仕事をしていると不機嫌になるくせに、仕事道具を隠したり壊したりしたことは一度もない」
「あっ、うう……」
「俺が、マーチが幼くなってしまった責任感だけで一緒にいるのではないか、と不安だったんだな。だから言い出せなかった。元に戻ってしまったら、責任は果たしたと言って離婚を言い出すのではないかと怖くて、演技を止められなかったんだな」
「……うん」
「ごめんな。もっと早く言ってやれば良かった」
「ううん! わたしこそ、ごめん。ごめんなさい! ずっと、苦労をかけたと思う。でも、あなたと一緒にいたくて……!」
愛してるよ
わたしも、愛してる……!
互いの想いを伝え合って、唇を合わせて。
その瞬間、
バンッと大きな音を立てて寝室の扉が開いた。
「うっうっ、よがっだでずねぇ……!」
「ちょ、ルー!? あんた何やって!?」
「もう我慢出来ません! 今日はわたしも混ぜてくださーい!!」
「うおっ!?」
ベッドに飛び込んできたルーに、マーチと一緒に押し倒されて
そのまま、夜が明けるまで、眠らせてもらえなかった。
実際に世界を救った日から1~2週間ほど、マーチはおかしくなっていました。その間、責任を感じたクレイが世話をしていると、もしかしてこのまま治らなければずっと一緒にいられるのでは? とマーチは考える訳ですね。
次回、2、クレイ・T・ハーポルト伯爵




