第278話 粘液の森
「はぁっ!!」
ティール様が振り下ろすハンマーが、避けようという素振りすらないままの粘液の塊を叩き潰す。潰されるその時まで、粘王は身じろぎ一つしなかった。目、という器官があるのかすら不明だが、仮に目があるとしたならば、ティール様の攻撃を目で追うことすら出来ていない様子だ。
びちゃりと水音を立てて散らばる粘王。飛び散った粘液が床の至る所に付着し、そのままただの水滴のように動かなくなる。まさかこれで終わりなどということはないだろう。何をしてくる?
…………。
「え……?」
ティール様の困惑した声。それも無理はない。
ハンマーによって飛び散ってから様子を見て30秒ほどが経ったが、粘王に一切の動きがない。まさか本当にこれで終わりなのか。そう思いたくなるような静けさが場を支配する。
「えっと……」
段々と緊張が緩み始め、ハンマーを下ろそうとするティール様。
「気を抜くなッ!!」
「ッ!?」
私の警告にハッとしたティール様がその場で跳び上がる。それを追うように床から伸び上がってくる粘液の触手を、魔力弾で撃ち抜き破壊。再び飛び散らせることでティール様が着地するまでの時間を稼いだ。
ティール様の着地。そこを狙って粘液の触手が何本も襲う。が、それらはハンマーを一回転させただけで全て振り払われる。
そしてまた訪れる静寂。
恐らく襲い掛かるタイミングを計っているのだろう粘王は、改めて部屋を見渡すと、その子供のような語り口とは裏腹に、ずる賢いことが窺える。
よく見ると、先ほどティール様が飛び散らせた分よりも明らかに部屋中に付着している粘液が多い。考えてみれば当然の話なのだが、ここは敵地。あらかじめ自分が戦いやすいように準備がされていたらしい。
しばらく待っても今度は集中を乱さないのにしびれを切らしたのか、あらゆる方向から幾本もの触手で囲うように襲ってくる粘王。
「ティール様!」
「はいっ!」
それを見てティール様に合図をすれば、床を蹴って私の隣まで一足で戻ってきたティール様が魔力を放出。粘王の触手を軽々と弾き返した。
「うわ、スゴイ魔力だ。これはちょっと見たことないレベルだなぁ」
魔力によって弾かれびちゃびちゃと部屋中に飛び散った粘王が、うねうねと部屋の中央に集まり一塊に戻っていく。
「せいっ!」
その塊へと駆け寄ったティール様による再びの攻撃。それはやはり粘液を飛び散らせる効果しかなく、先ほどの場面を再現しているかのように部屋が静寂に包まれる。
今度はどこから来る。ティール様のハンマーによって飛び散った粘液から目を離さないように。
じっと待つ。動きはない。それでも集中を切らさず、ひたすら待つ。
背後に指を向け、そちらを見ることなく魔力弾を放つ。
「ちぇっ、バレたかー」
ティール様が飛び散らせた粘液からではなく、あらかじめ置いていた粘液から触手を伸ばしてきていた粘王。しかもティール様を警戒してそちらを先に攻撃すると思わせておいてからの、私への攻撃だ。
「うっとおしい、という言葉がよく似合いますわね」
有効打を与え辛い粘液の体に、不意打ち騙し討ち上等の戦術。大して頑丈でもないというのに、あまりにも討伐の未来が見えてこない。
このままでは、いつか集中力が切れた瞬間を狙い打ちにされて捕らえられてしまうだろう。何分も何十分も、どこから来るのかすら分からない敵の即死攻撃を警戒し続けるのは現実的ではない。
ティール様も動きづらくなるし、本当はもっと敵の動きをよく見て、その能力や戦い方を観察した上で使用したかったのですが……。
「仕方ありません。ティール様!」
「はいっ!」
森山崇敬・坤恵招来
床を突き破り、幾本もの木々が生えてくる。それはあっという間に部屋中を覆い尽くし、その場を森へと変貌させた。
ここからが私の本領発揮。相手は液状なのだから、植物には弱いはず。一気に畳みかけて……
「わあ、これプレゼント? ありがとう!」
戦闘中とは思えない、明るい声が響く。
ブツン、と
まるで魔力の線を物理的に引きちぎられたかのような感覚。
ぐちゃり、ぐちゃり、と
気味の悪い液体の音を鳴らしながら、
今、私が生み出したばかりの森が、粘液に覆われていく。
木々の一本一本、葉の一枚一枚に至るまで、粘王の青みがかった体に包まれて、あっという間に粘液の森が完成する。
森にいる時には常に私と共にあるはずの、植物に守護されている感覚が、森との繋がりが、欠片も感じられない。
全て、乗っ取られた……!
「おおー、これスゴイね! 森にいっぱい魔力が満ちてて、とっても操りやすいよ!」
そんな粘王の声と共に、根が、葉が、ティール様へと殺到する。
「ティール様!」
身を小さくして攻撃に耐えるティール様。叩きつけられる根の攻撃によって押さえつけられ、動くことすらままならない様子だ。
「いやー、僕ってほら、液体だからさ。どうしても攻撃力に劣るんだよね。こうして武器をもらえてとっても助かるよ」
しかも攻撃力が上がっているようで、流石のティール様でも単純な魔力放出だけでは押し返せない。ハンマーを振るうことが出来れば話は別なのだろうが、粘王もそれは理解しているようで、ティール様が自由に動くことが出来る隙など絶対に与えないという意思を感じる。
こうなることを、予想出来なかったのか……。
スライムというのは、他の生物に寄生して操る種も存在するのだと知っていた。私は実際に見たことはないが、レオン様やハイラス様から戦った時のお話を聞いたこともある。
その時のお話は生き物に寄生するスライムについてで、人間に寄生させる実験のことだったが、それが動物だろうと植物だろうと変わりはしない、という思考は可能だったはずだ。
この敵は、そんなスライムたちの頂点。スライムという種に出来ることならば、何だって出来ると、少し考えれば予想出来そうなものだ。むしろスライムに出来ることを一通り思考に組み込んだ上で、それを更に超えてくる可能性まで考えていなければならなかったというのに。
それなのに、迂闊にも普段通りに森を生成し、相手に武器を与えてしまった。しかもこの魔法に自身の魔力の多くを注ぎ込んだせいで、良いように嬲られるティール様を見ていることしか出来ない。
「うーん、堅いなぁ。全然攻撃が通らないや。それに重い。まさか弾き飛ばすことも出来ないなんて、ビックリだよ。でも、流石に一生そうやってはいられないよね。さてさて、いつまで耐えられるかなぁ」
更に苛烈にティール様を攻め立てる粘王。まるで地面を掘削しているかのように、ドドドドドッと人間からして良いものではない音が間断なく響き続ける。
クレイ様ならばこんな相手、あっさりと弱点を見切って、相手の行動も読んで、簡単に勝利して見せるだろう。でも、私は……私はただ頭が良いフリをしているだけの凡人。クレイ様のような天才とは根本から出来が違う。私ごときでは……こんな相手……。
いけない。そんな弱気になっている場合ではない。諦める訳にはいかないのだから。ティール様は私を信じて必死で耐えてくれている。でも、どうすれば……。
どうすれば……このままではティール様が……
どうすれば良いの……!




