第238話 切り開く覚悟
クレイ分隊として共に前線を越えた仲間たち全員を集め、歴史の全てを包み隠さず語る。
予言についてある程度の情報共有をしていたアイリスを含め、全員が驚き、真剣な表情で考え込み、
しかし、普段通りの何も変わらない様子で解散した。
何も感じなかった訳ではない。むしろ、その内心は混乱や恐怖、不安などに埋め尽くされていただろう。
だが、それを表には出さない。全員が同じ気持ちであることなど、言うまでもなく全員が理解しているからだ。不安を口に出し、それを共有することに意味はない。
少しでも仲間たちが前向きになることが出来れば良い。そう考え、自身の不安は飲み込む。その行為は褒められるべきものだ。
だとしても、その褒められるべき行為に誰もが耐えられる訳ではない。
ケアは必要だろうな。
「いらっしゃいませ。あ、クレイお兄さん」
「俺のことも覚えていてくれたのか」
クルとアイリスが経営している飲食店アンヴィの扉を開けると、昨年の夏休みに保護した女の子に出迎えられた。
クルとアイリス以外の人間など数回見た程度のはずだが、よく覚えているものだ。特に日々多くの客を見ているだろうホールスタッフの女の子が俺のことを覚えているというのは驚きだな。
「はい。お姉ちゃんのお友達の皆さんのことは、ちゃんと覚えてます」
「クルはいるか?」
「お姉ちゃんはキッチンにいますよ。呼んできましょうか?」
「いや、いい。仕事の邪魔をしようとは思わない。席に案内してもらえるか。軽く食事をして待たせてもらおう」
「かしこまりました。こちらへどうぞ」
運ばれてきた薄切りの肉に細くソースがかけられた料理やサラダを口に運びながら時間を潰す。
オススメを店員に選んでもらったので料理名などは分からないが、どれも美味い。何度か食べたクルの料理を彷彿とさせるレベルの高い食事だ。
「あの……」
「ん? どうした」
食事を始めてしばらく、店員の女の子が躊躇いがちに声をかけてきた。言っても良いのか、でも放置もしたくないし、という気持ちをはっきりと顔から読み取ることが出来る。
「クレイお兄さんなら、お姉ちゃんを元気に出来ますか?」
「……クルは、元気がないか?」
「なんとなく……ちょっとだけ、そんな気がして」
子供に簡単に内心を読み取られるほど、クルは分かりやすい方ではないし、明らかに落ち込んだ様子を見せるほど迂闊でもないだろう。
それでも読み取られるほどに、この子たちが感情に敏感なのか、もしくはクルが隠しきれないほど動揺しているのか。
「分かった、話をしてみよう。大丈夫だ、任せておけ」
「お願いします」
元々クルと話をするつもりで来たからな。頼まれるまでもないことだ。
食後のコーヒーを何度かおかわりしながら更にしばらく時間の経過を待ち、クルの仕事が終わる頃を見計らって店を出た。
「クレイさん? も、申し訳ありません! わたしのためにお時間を使わせてしまったようで」
「いや、俺が勝手に来て勝手に待っていただけだ。気にするな」
店の裏の扉から出てきたクルは、すぐそこに立っていた俺の姿を見るなり頭を下げた。相変わらず俺に対する敬意が強すぎるな。
大切に想っているという意味ではアイリスの方が上かもしれないが、敬意という一点で見るともしかしたら俺への方が強いかもしれない。そう思えるほど、クルからは尊敬の念を常に感じる。
「これから時間はあるか? 少し歩かないか」
「はい、大丈夫です。お付き合いいたします」
遠回りで寮に帰る道を歩き出すと、俺の少し後ろについて静かに歩き出すクル。相変わらずの立ち位置だ。
だが、立ち位置は相変わらずでも、その内心は普段とはかけ離れていることが分かる。常に一定の歩幅で音もなく歩くクルが、今は内心が現れたようにバラバラの歩調で僅かな足音を鳴らしている。
「不安か」
「ぇ……っぁ、いえ、そのようなことは! ……なんて、クレイさんに言っても無駄ですよね」
公園に入る。日がほぼ沈み切った時間、公園にはほとんど人影はなく、俺たちとすれ違うように出て行った親子連れでちょうど完全な無人となったようだ。
静けさが支配する公園を歩き、ベンチにでも座ってゆっくり話をしようかと足を向ける。
が、それを阻止するように、背後から引っ張られる感覚。
チラリと目を後ろに向けると、服の裾を掴むクルの小さい手が視界に入った。
「怖いんです」
ポツリ、と。危うく聞き逃しそうになるほど小さい声でこぼした。
「霧の王との戦い。わたしは何も出来なかった。わたしだけじゃない。個人でまともに戦えていたのはクレイさんだけで、そのクレイさんだって奴には一切の攻撃を通すことが出来なかった」
あの時、裏事情を詳しく把握していたのは俺だけだった。もし俺が隠し事をせず仲間たち全員に全てを話していれば、きっと俺以外もあの霧から自力で脱出することが出来ていただろう。
だが、今クルが言いたいのはそういうことではない。
「怖いんです。これからの戦い、きっとあの霧の王のような危険な相手が何度も出てくる。その時、わたしが命を落とすだけなら良い。でももし、アイリス様やクレイさんがいなくなってしまうようなことがあったら……」
わたしはきっと、その後を追って自ら死を選んでしまうでしょう
「約束してください。わたしより先に死なないと。もしもの時は、アイリス様だけでも連れて逃げてください。お願いします」
もしこんな話をアイリスにしたら、きっとあいつはクルを引っ叩いて怒るだろう。
クルを置いて逃げるなんて出来る訳がない、と。
もしもの時なんてない。全員で勝つんだ、と。
きっとクルはそれに従う。内心がどうであろうと、クルがアイリスの命令に逆らうことはない。それはそれで一つの救いだ。嫌々でも戦う決意を固められるのは、そしてその決意に完全に準ずることが出来るのはクルの強みと言えるだろう。
が、そんな精神論に頼らずとも、俺はこの不安を軽くすることが出来る情報を持っている。
「なあクル。俺はな、理事長から歴史の真実を聞いた時、ホッとしたんだ」
「……え?」
霧の王を倒した後、奴が『四獄王が一』と名乗っていたことを思い、正直かなり精神にきた。霧の王と同等に厄介な存在がまだ3体も残っているのだと思ったからだ。
だが、歴史の真実を知り、その不安の多くが払拭された。
「敵の主な戦力がどんな奴か、覚えているか?」
「……確か、粘液のような物で体が構成された怪物、獅子頭の巨人、頭に2本の角がある巨人、でしたか」
「そうだ。こいつらがどのような敵なのか、具体的には分からないが、分かっていることもある。それは、霧と粘液は特殊型、獅子頭と角は直接型の敵だということだ」
ヴォルが単身敵地に乗り込んだ場合、霧の王は恐らくヴォルの雷一撃で撃破することが可能だっただろう。それは直接戦ったのでよく分かっている。
そして、霧の王と同様に倒れていたという粘液の怪物も恐らく、霧の王のように特殊な敵だったのではないだろうか。
逆に、ヴォルの攻撃にある程度耐え戦っていたという獅子頭と二本角は、恐らく直接戦闘が強いタイプの敵だ。
「霧の王はその霧という特性上、攻撃が全く通らない厄介な敵だったが、粘液ということは恐らく物理的な攻撃がある程度通ると考えられる。獅子頭と角は当然まともに戦うことが可能な敵だ」
「つまり……」
「そう。つまり、霧の王が最も厄介な敵だった。俺はそう考えている」
まともに戦うことが出来る相手なら、俺たちが負けることなどない。少なくとも俺はそう信じている。
だから、ホッとした。
「あなたは本当にいつも、わたしを救って下さる」
服の裾を掴んでいた手が離れ、そのまま両手が体の前に回された。服越しに背中に当たる吐息が熱い。
「あなたが示して下さる道を、わたしはただ進むだけで良い。お任せください。今度こそこの拳で、あなたの進むべき道を切り開いて見せます」
「ああ、頼りにしてるよ」
音もない世界で、しばらくの間、ただ輝く空を見上げていた。
次話で第9章完結となります。




