第231話 終わりの始まり
ついに全ての真実が明らかになる時が来た。少しずつ焦らすように情報を小出しにされてもどかしい思いをずっとしてきたからな。
この話を聞けばもう後戻りは出来ないだろうが、どうせ逃げることなど出来ないんだ。だったら全てを知ってすっきりしたい。
「昔話をしようとは言ったが、わたしの口から語ることは出来ない。例の呪いは強力だ。長々と話をすれば、わたしの命など確実に途中で絶えるだろう」
「……ここまで来て、真実の全てを知ることは出来ない、と?」
「いや、あくまでわたしの口からは語らないというだけさ。そのために、わたしは長い時をかけてこの本を書いてきたんだ」
テーブルの上に置かれた本を持ち上げ、こちらへと差し出してくる理事長。本か。あのヴォルス・グラン英雄譚のように、彼女らが書いた歴史の本だろうか。
「我々は歴史の真実を語ることを禁止されている。それは紙に書いた文章でも同様だ。が、嘘の情報ならば書き記すことが可能であると気付き、彼の英雄のことを少しでも後世に残そうと考えた。それが、キャレク・ティスアクドール著『ヴォルス・グラン英雄譚』だ」
「それに気が付くまではずいぶんと苦しい思いをしたけど。何度血を吐いたことか。お陰で治療の腕が上がったくらいにはボロボロになったわね」
「そうだね。が、それとは別に、わたしは本当の歴史も残したかった。それが、今君が持っているその本だ。一文字書くごとに倒れそうになりながら、毎日少しずつ少しずつ書き進めて完成させた、本物の歴史書さ」
何という執念だろうか。文字通りの血と汗の結晶。実際の重さ以上の重みをこの本から感じる。
「今から君にはその本を読んでもらう。極力早く読み終わるよう努めてくれ。誰かがその本を開いているだけで、わたしの体には深刻な損傷が生じるのでね」
「傷つくのと同時に治療していくけど、せいぜい30分くらいが限界なんじゃないかな。ま、でも好きなだけ時間をかけて読めば良いよ。キレアが死んでも、その歴史が君に伝わるなら意味はあるし」
「何故そこまでして、俺に歴史を伝えたいんです?」
「それについては、君が本を読み終わった後に話そう。その方が分かりやすいだろうからね。その時にわたしが死んでいたとしても、ネスクかキャロルが代わりに話をしてくれるから心配しないで良い」
物凄く読みたくない。この本を読んだら、俺の手で理事長を殺すかもしれないんだろ? 最悪だ。
だとしても、読まない訳にもいかない。きちんと内容を全て把握出来る程度の速度で、しかし出来る限り急いで読み進めるとしよう。
本を開いた。
全世界にその名を知られる、とある国の姫がいた。
曰く、未来を見る者
大国の中の一つに過ぎなかったその国を、世界最大国へと押し上げた未来予知。
名を、キレア・ディルガドール
人々は彼女を、星詠みの巫女と呼んだ。
世界は彼女を欲した。どこの国も、どの組織も、個人すらも彼女を己が手中に収めんとし、世界には争いが満ちた。
誰もが誰かを欺こうとしている。悪意が人々に広がっている。
だからこれは、きっと世界が人間に課した罰なのだろう。
ディルガドール王城の奥。極一部を除き近づくことすら禁止された隔離棟。わたしはずっとそこで生活している。
日頃から交流があるのは、執事のトラスと友人2人。
万が一わたしが傷ついた際にすぐ治療出来るように、治療師の家系であるキュリアクロル侯爵家の次女、ネスク・キュリアクロル。
そして護衛として、諜報員の家系、というか半分暗殺者の家系であるティスタ伯爵家の長女、キャロル・ティスタ。
わたしは狙われている。だからずっとこの狭い交流のみの世界で閉じこもっている。
私室の大きな窓から出て、バルコニーにあるテーブルを囲む椅子に座る。ここで毎日毎日、何をするでもなくお茶を飲んでいるのが日課だ。
今日も3人でテーブルを囲み、トラスが淹れてくれた紅茶を飲む。
引きこもりのわたしから提供出来る話題はない。キャロルは無口なので自分からはあまり話さない。必然、会話を始めるのはいつもネスクだ。
「聞いた?」
「聞いたって何を?」
「わたしたち3人が何て呼ばれてるか」
「そんなのわたしが聞いてる訳ないじゃん。ここにいる面子以外と話すことなんてないんだから。何て呼ばれてるの?」
「行き遅れ三姉妹よ」
わたしたちももう25歳になる。貴族は10歳前には婚約していることが多いことを考えれば、確かに行き遅れであることに間違いはない。
でも、仕方ないじゃないか。交流ある男性なんてトラスしかいないんだから。
「失礼な話ね。ねえキャロル、そう思わない?」
「別に」
相変わらずの無表情で、ボソリと一言返事をするキャロル。まあ、キャロルはそうだよね。幼少からの厳しい鍛練でかなり感情が削ぎ落とされてしまったらしいキャロルにとって、恋愛なんて最も遠い話だろう。
「ネスクは相手いないの?」
「はぁ? あんたのせいでしょうが。星詠みの巫女様の専属治療師であるわたしが、恋愛なんてしてる暇があると思ってるの?」
「あー、ね。でもそれはわたしに言われてもどうしようもないっていうか……」
「分かってるわよ。ま、正直なところ別に恋愛したいと思ってる訳でもないし良いんだけど」
「えー、わたしはちょっと興味ある」
「無理無理。あ、いや、もしかしたらいけるんじゃない? こう『この人とわたしが結婚したら繁栄が約束されます』みたいなこと言えばさ」
「いけるかもしれないけど、そんな嘘を吐いてまで結婚したい相手がいないし」
「いたら嘘吐くんかい」
そんな馬鹿な話をして、ネスクと2人笑い合う。無表情のまま何をするでもなく話を聞いているキャロルと、バルコニーの端に控えて微笑んでいるトラス。
いつもと変わらない、何でもない日常。
世界には争いが満ちているらしいけど、そんなことが信じられないくらいわたしの周りは平和で。
だから、ずっとこんな日々が続くと思っていた。
「さーて、いつものお役目を終わらせようかな」
星魔法。それがわたしだけが持つ固有の魔法だ。星の輝きを降らせたり、隕石を呼んだりという攻撃魔法もあるが、主に使用しているのは別の魔法。
占星術
簡単に言えば未来予知だ。これで日々、近い未来の出来事を見る。そこに何か異常があれば人々に知らせて対策する。それがわたしの役目。
「あれ?」
「え、何? 何か見えた訳?」
「いや、何も見えなかった」
「何よそれ。ちょっと何も問題ないなら止めてよね、意味深な呟きするの。また戦争でも起きるのかと思ったじゃない」
今は奇跡的な小康状態となっているが、各国の関係は未だに最悪だ。わずかな火種があればすぐにでも戦争状態へと突入する。
そうでなくても武装組織とか暴れる狂人とか、いくらでも危険の種は存在する訳で、この毎日の未来予知はそういった問題を回避するために行っている。
未来を見た後に変なことを言えば、今後何か危険があるのかと怖がるのは当然のことで、何も見えなかったのなら安心するのも当然。ネスクの言うことは何も間違ってない。
が、今回に限って言えば、ネスクの考えは間違いだ。
「違う。本当に何も見えなかったの。平穏な街の様子すら、何も」
「え……? どういうこと? 占星術に失敗したの?」
「分からない。今まで毎日やってきたことだし、失敗なんてする訳ない……と思うんだけど……」
こんなことは初めてだ。未来を見た時、何も問題が発生していなかったとしたら、その何の問題もない世界の様子が見えるはず。何も見えないなどということは今までになかった。
占星術を発動した感覚はあった。発動自体に失敗したということはないと思う。これは一体……?
「っ!?」
「え、キャロル……?」
急にキャロルが立ち上がり、両手にナイフを構えた。そしてキョロキョロと周囲に目を走らせ、何かを警戒している。
「一体どうしたって」
それは、終わりの始まり。
「え」
「何……あれ……」
バルコニーを囲う柵を越えた少し向こう。何もない空中。
そこに現れた、門。
黒い靄が蠢く2本の黒い柱。その間に禍々しくそびえる扉。
見ているだけで不安と恐怖を掻き立てる不気味なその門の扉が、
ゆっくりと、開いていく。




