第230話 晴れる霧
わたしたちが多くの時間を過ごした城が崩壊していく。そして、都市を覆っていた霧が消えた。
「やったんだね、みんな……」
あの霧にはずっと苦しめられてきた。自分の手で討伐してやろうと思ったことだってあったけど、不可能だった。わたしはそもそも大した魔法が使えない接近戦型だし、ネスクちゃんは治療師だ。
唯一対抗出来る可能性があったキレアちゃんだって、魔力を霧散させてしまう霧に思ったように攻撃が通せず逃走を選択するしかなかった。
ついに……ついに前に進んだ。
通信機を取り出し、キレアちゃんへ繋げてみる。霧が晴れた今なら外との通信も出来るだろう。
魔域でも通信機を使用出来るように、中継するための魔導アンテナが各所に建設されている。とはいえここから最寄りのアンテナまでは結構な距離があるので届くかは微妙だけど……どうやら届いたようだ。
「やあ、キャロル。君から通信が来るということは」
「うん、やったよ。霧が晴れた」
「そうか……そうか……!」
キレアちゃんの声が分かりやすく明るくなる。何百年と待った前進なのだから、当然だろう。しかし、
「ふふ、ふふふ」
「む、何がおかしい?」
「ゴメンってば。そんな怒った声出さないでよ。だって久しぶりだったんだもん。キレアちゃんの素っぽい声を聞くの」
「……まあ、そうか。普段も演技をしている訳ではないんだがね」
「……うん。もう長く生きてるもんね。性格も変わるよ」
「あの頃から最も性格が変わったのは君だよ」
「あー、そうかも? 逆にネスクちゃんは全然変わんないねー」
「あれは昔から飄々と生きているからね。ストレス耐性が高い。才能の一種だ」
まるでわたしがストレスに耐えられずに性格が変わったみたいな。キレアちゃんはこれまでの長い人生で少しずつ現在の性格になっていったけど、わたしは違う。今のわたしになったきっかけがある。それは確かに良いことばかりではなかったけど、今でも思い出すと温かい気持ちになるくらいには嬉しい出来事。
「さて、昔話に花を咲かせるのも良いが」
「うん、帰るね。全員でキレアちゃんのとこに行く?」
「いや、流石にそれではわたしの身が持たない。クレイ君だけを連れて来てくれ。他のメンバーには彼から話してもらおう」
「……大丈夫?」
「絶対に大丈夫だと約束は出来ない。もしわたしが死んだら、あとは頼む」
既に大体の痛みは引いてきている。だが、まだ本調子には程遠い。故郷の国名を口にしただけでこれ。だというのに、過去の一連の出来事を語れば一体どれだけの負担がのしかかるのか。
それも全て覚悟の上で、キレアちゃんはクレイ君に全てを話そうとしている。
全ては、この世界に平和を取り戻すために。
「…………分かった。でも」
「ああ、分かっているよ。クレイ君次第ではあるが、出来る限り無事に終えられるように努力はするさ。正確には、今までずっとそう努力してきたんだ。その努力が意味を持ってくれれば良いが」
どれだけ躊躇したところで、ここでクレイ君に事実を語らないという選択肢は存在しない。ならば、わたしに出来るのは大切な親友の無事を祈ることだけ。
ワイワイと騒がしい声が近づいてくる。無事に戦いを終えたみんなが戻ってきたのだろう。
「じゃあ、またね」
「ああ、待っているよ」
どれだけ無意味であろうといくつも心配の言葉を並べたくなる衝動を抑え、簡潔に挨拶だけをして通信を終えた。
「みんな、おかえり。よく頑張ったね」
都市の入り口まで戻ってくると、キャロル先生が待っていた。未だにやや苦し気ではあるものの、そこまで体調が悪い訳ではなさそうだ。
「……あれ、もしかして何か聞かれるかもなーと思ってたんだけど……誰も何も言わないの?」
「クレイから大体のことは聞きました。恐らく帰った後に詳細が聞けるだろうということも。僕たちとしてはそれで充分かなと」
「……それで良いの? わたしたちは、君たちを利用したんだよ。死んでもおかしくなかった。質問はしないとしても、言いたいことくらいはあるんじゃない?」
キャロル先生の表情が、今にも泣き出しそうなほどに歪んでいる。本当はこんなことはしたくなかったのだろう。この人はずっと、どこまでも優しい先生だった。
それに嘘はないのだと、よく分かる。
「世界全体のためなのでしょう? ならば我々にも関係することですから。もし話を聞いて納得出来なかったら何か文句の一つでも言うかもしれませんが、ここで先生を責めても仕方がないでしょう」
「クレイはホント、素直じゃないんだから。はっきり言えば良いじゃない。気にしなくて良いですよって」
「気にはしてもらわなければ困る。こんなことを何度も何度もポンポン押し付けられてはたまったものではない」
「それ、次があっても協力するという意味にしか取れませんわ」
「アイビー、黙れ」
「はい、黙ります」
相変わらず俺に黙れと言われると何故か嬉しそうなアイビーを黙らせる。当然、こちらの気持ちに関係なく協力はしなくてはならないだろう。先生たちの指示を無視して人間が滅びるようなことがあれば、その時は自分たちだって滅びているのだから。
それだけだというのに、何か優しい目で俺を見てくる仲間たち。こいつらは本当に良い方向に考えるのが好きだな。
「ありがとうね、クレイ君、みんなも」
「いや、だから……」
「うんうん、照れ隠しだね。もう、かわいいなぁ」
「撫でるな撫でるな。……違う、抱きしめれば良いんじゃない。ちょ、先生、落ち着いてください。落ち、落ち着け!」
学園の中でも一際立派な扉の前に立ち、キャロル先生がコンコンコンとノックする。
「理事長、クレイ君を連れてきました」
「入りなさい」
返事を聞いて理事長室に入ると、テーブルを挟んで向かい合うソファに座っている理事長に出迎えられた。その前のテーブルには、何やら本が一冊置かれている。
「座ると良い」
理事長の対面のソファを勧められたので座る。すると、その隣にキャロル先生が座った。
「……君はこちら側では?」
「いえ、大丈夫です」
「何が?」
「大丈夫なので、話を始めましょう」
「……まあ、良いか」
魔域からの帰りの道中でも、先生は何かと俺の世話を焼こうとしてきた。仲間たちからの、こいつまたやったのか、と言いたげな視線が痛かったが、先生に関してはそういうのではないと思う。
多分、母親のような気持ちなのではないだろうか。この人は俺の先祖らしいからな。そういうこともあるだろう。いや、本当にあるのかは知らんが。他に同様の例がないからな。
「少し待ってくれ。まだネスクが来ていない」
理事長がそう言うのを待っていたかのように扉が開き、ネスク先生が入ってきた。
「来ましたよ」
「ノックくらいはしなさい」
「えー、わたしたちの間に今更そんな礼儀が必要?」
「外聞の話だ」
「はいはい、了解しましたよ」
そう言いながら理事長の隣に座るネスク先生。これで揃ったか。
「トラス」
不意に、理事長が呼びかける。トラス? 装備品店の店主と同じ名だが……。
「どうぞ、姫様」
部屋の隅から装備品店の店主の老執事が現れ、全員の前に紅茶の入ったカップを置いていく。どこから出てきたこの執事。解析はしていなかったとはいえ、全く気配を感じなかったぞ。
「執事ですので。必要な時以外は気配を消していることも仕事でございます」
俺の視線から考えていることを読まれたか。やはり一流の執事は侮れないな。クルも似たようなことをすることがあるが、この執事はそれより更に洗練されているように思える。
再び壁際へと戻っていったトラス。しかし今度は気配を消さない。これからの話に自分も関係しているからだろう。ここにいるということ、そして理事長を姫様と呼んだことから、その正体も分かるというものだ。
「クレイ君、よく来てくれたね。では、昔話を始めようか」




