第177話 蘇る記憶
床を蹴り、両手に剣を構えるグレグ・ティクライズへと一気に迫る。相手の武器が木剣から真剣になろうと、やることは変わらない。拳に魔力を纏わせて最低限の保護だけを施し、打ち出す。
「流水・永月」
宙を舞っていた。
気づけば詰めた間合いは開いていて、腹に感じる痛みによって、攻撃を受けたことを遅れて理解する。
着地して足で床を削りながら停止すれば、まるで時間が戻されたかのように先ほどまで会話をしていたのと同じ体勢になっていた。
唯一、わたしが攻撃を受けた痛みを感じているという違いを除いて。
「今のは、一体……」
わたしの問に答えてくれる気配はない。戦闘開始時に浮かべていた余裕の笑みはなくなり、今は真剣な表情をしている。本気になったということか。
こうして見ると、クレイさんと似ている。
そんな余計なことを考えていても、彼は攻めてこない。どこまでもカウンター重視の戦い方だ。
もう一度、距離を詰めて拳を打ち出す。
結果は同じ。再び距離が開き、体に痛みだけが残る。
この感覚、覚えている。
昔、あの組織で鍛えられていた頃、自分と同じ立場の子供との模擬戦を何度も行った。その時に受けた拳と、よく似ている。
「……反射、ですか」
「へぇ、気づいたんだ。そう、反射だ。受け流す流水の型。その先だよ」
ティクライズの剣にその先などというものがあったのか。クレイさんが知っていて教えなかったとは思えないし、クレイさんは知らないのだろう。
「わたしの輝きを消すなどと言っていた割に、攻撃はしてこないのですね。そのような相手の攻撃を利用するだけの軽い技で、わたしを倒せるとでも?」
「そんな挑発には乗らないよ」
駄目か。意外と冷静だ。先ほどの、輝きを消し去りたい、と言っていた様子から、もっと興奮して攻める気持ちが高まっているかと思ったのに。
なら、実力で勝つしかない。
「行きますっ!!」
全力で床を蹴り、正面から突撃、
剣の間合いに入る瞬間、急激に方向転換。背後へと回り込む。
「無駄だよ」
背中に打ち込む拳も反射されるが、予想していたので全力では打ち込んでいない。吹き飛ばされることなく、そのまま高速で周囲を動きながら何度も攻撃を仕掛ける。
右から拳、反射される
上から足、反射
しゃがんで蹴り上げ、と見せかけた払い、避けられる
背後からの拳、を反射された瞬間に正面に回り込んで追撃、を更に反射される
前後左右上下、あらゆる方向から緩急をつけて何度も何度も仕掛けるが、そのことごとくが跳ね返され、少しずつこちらにダメージが蓄積していく。
突破口を……!
「大地・堅陣」
「かはっ!?」
こちらの攻撃を反射させていた2本の剣が交差させられ、そこにわたしの拳が当たった瞬間、物凄い衝撃に吹き飛ばされた。
油断した。反射しか使ってきていなかったから、そのまま戦うものだと思ってしまった。状況に合わせて型を切り替えるのがティクライズの剣だと知っていたはずなのに。
何度も反射されたせいで、腕に力が入り辛くなってきている。軽めの攻撃しかしていなかったとはいえ、全身のダメージも段々無視できないくらいになり始めた。
このまま続けても、わたしが倒れるのは時間の問題。
だから、そろそろ打開しよう。
床に敷かれている絨毯。それを足で蹴り飛ばす。捲れ上がった絨毯が広がり、互いの姿が見えなくなる。
「無駄だよ」
それも一瞬だけ。気がつけば剣が振り抜かれ、絨毯が斬られている。浮いている絨毯を斬り裂くことが出来るのは高い技術の証だが、その程度の芸当が可能なのは分かっている。
狙いはもちろん、視界を一瞬でも遮ること。
その一瞬があれば充分。
後ろに回り込み、
背後から彼の足元を蹴り抜く。
先ほどの攻防で、唯一反射されなかった攻撃、足払い。そこから、彼の流水の型の弱点が見えた。どんな攻撃でも軽々と反射してくるので忘れそうになるが、あの技は結局剣を用いていることに違いはない。
つまり、剣が届かない、届きづらい場所への攻撃は反射出来ない。
この足元への攻撃はかなり対応し辛いはず。その上、一瞬とはいえ視界が封じられたことで、わたしを見失っている。
「知ってるよ」
目の前には、既に振り向いて体勢を低くしているグレグ・ティクライズ。足元への攻撃を警戒し、低い位置へ剣を振るうことが出来る体勢をとっていた。
自分の弱点など知り尽くしているのだろう。やられたら困る攻撃への対応が可能な体勢をとる。それが身に染みついている。
「そうでしょうね」
そのまま床を蹴り抜く。足を狙っていると思わせて、最初から狙いは床だった。破壊された床の破片が散らばって彼を傷つけると同時、足元の床が壊れて体勢が崩れる。
「なっ!?」
「さあ、お覚悟を」
魔力を込めた拳が、輝きを放つ。
目の前で輝きを放つ彼女の拳。この技は先ほど見た。その威力は理解している。こんな物を無防備に受ければ、間違いなく死に至る。
だが、防御が出来る状態じゃない。流水も大地も、どちらもしっかり自分の体勢が整っていることが前提の技術。辛うじて剣を掲げて盾にするが、そんな防御では何の意味もないだろう。
死を目の前にして、懐かしい記憶が蘇ってくる。
クレイが生まれた頃にはもうかなり弱ってしまっていたから、クレイもレーナも恐らく知らないだろうが、母は元々活発な人だった。
僕と父の鍛練に混ざって剣を振るい、僕の模擬戦の相手をしていたこともある。
母もティクライズの血を引く人間だったらしく、型を扱っていた。特に流水と大地の守勢二型が得意で、父が仕事で忙しくしている時には、母が型を教えてくれた。
地獄のような日々を耐えられたのは、母の存在があったからだ。母が元気だった頃は、よく厳し過ぎる父から僕を庇ってくれていた。
ああ、そういえば、僕が剣を愛していると言って現実逃避をするようになったのは、母が病気になってからだったっけ。
グレグ、ちゃんと守ってあげられなくて、ゴメンね。頑張ってね。
そうか……僕は、ただ……!
パンっ!
「っ!?」
掲げた剣をすり抜けて、光を放つのとは逆の手で頬を叩かれた。そのあまりにも意外な行動に、思わず動きを止めて彼女の顔をまじまじと見つめてしまう。
「思い出せましたか? あなた自身の意思を」
「な、何を……」
パンっ!
「痛っ!?」
「思い出せましたか?」
「いや、だから……待って待って待って!! 分かった! 分かったから!」
再び戸惑いの声を上げると、彼女も再び平手打ちのために手を振りかぶるので、慌てて返事をする。
「そうですか。ではもう一度、質問させてもらいます。あなたの、本当にやりたいことは何ですか?」
病気で寝たきりになってから、ずっと心配そうに僕を見ていた母の顔を覚えている。僕は弱くて、父の課す鍛練に耐えられるとは思えなかったのだろう。
母はよく僕を庇ってくれたが、父の行動を止めようとはしなかった。きっと、あの厳し過ぎる鍛練が必要なことだと思っていたんだ。それが何故なのかは、僕には分からないけど、父が無駄なことをする訳がないというのは、何となく僕にも理解出来る。
そして、母の思った通り、僕は鍛練に耐えられず、現実逃避の世界に逃げ込んだ。自分の本当の思いを封じて、剣が守ってくれるから大丈夫だと言い聞かせて。
今なら分かる。僕が、僕自身が、本当にやりたいことは
「母さんが安心できるように、強くなりたいんだ」
きっと見守ってくれているだろう母さん。僕はもう大丈夫だから、安心して見ていて欲しい。
もっと、強くなるから。
何故父さんが僕たちを鍛えているのか分からないけど、その原因に打ち勝つことが出来るくらい、強くなるから。
ゆっくり、休んでいて欲しい。




