第176話 現実逃避
自己命令
部屋の床を踏み抜く勢いで距離を詰め、拳を撃ち出す。
「流水の型」
ふわり、と。まるで綿でも殴っているかのように柔らかく受け流される。これがティクライズの剣か。拳も受け流すとは、何という繊細な技術だろうか。
まずは、目の前の相手の能力を見定める。
「へえ、速いね」
足を止めて何度も、何度も、何度も拳を叩き込む。その全てがふわりふわりと流されていく。木剣を短く持って拳の間合いに対応しているようだが、短く持っても問題なく扱うことが出来るその能力は驚くべきものだ。
ずっと拳で攻撃していたところに、不意に足を混ぜる。
「おっと」
駄目か。クレイさんのように先読みされているという訳ではなさそうだが、完璧に対応されている。このまま足を止めて殴っていても、一生崩すことは出来なさそうだ。
バックステップ、ジャンプ、天井を蹴って、
「芯破・坤鎚!」
かかと落としで強襲。受け流され、床を打つ。
「旋打・円剣!」
その場で回転し蹴りを放つ。が、受け流される。
「はい、隙あり」
「ぐっ!」
回転蹴りを受け流されて背を向けたところへ、木剣による一撃が叩き込まれる。咄嗟に跳んで衝撃を逃がしたものの、体の芯に響く重い衝撃が走り抜けた。
彼の戦闘スタイルは大体理解した。流水の型による受け流しを主体とし、相手が隙を晒すまでひたすら耐え続ける。そして隙を逃さず重い一撃を叩き込む。
防御を主体とする彼のスタイルは、非常に隙が少ない。正直なところ、ここまでの戦闘で彼に攻撃を当てられるイメージが湧かない。
ならば、狙うべきは
一撃を受けて離れた間合いをそのままに、拳に魔力を込めていく。
「おっと、それはマズそうだ。疾風の型」
「くっ!」
流石に防御しか出来ないということはないか!
攻撃に転じてきた彼の剣を左手と足で防御しながら、右拳に更に魔力を込めていく。
片手が使えない状態で受けきれるほど軽い剣ではない。何度もその剣を身に受ける。だが、先ほど受けた剣ほど重くはない。恐らく、疾風の型があまり得意ではないのだろう。
これなら、耐えられる。
何度も剣を受けながら、魔力を集めて、集めて、集めて。
大きくなっていく輝きが、少しずつ部屋を照らしていく。
「マズッ!」
「葬送・幽玄冥王!!」
「大地の型!」
瞬間、音が消え、空気が爆ぜた。
掲げられた両の剣に、全力の一撃を叩き込む。狙いは最初から、彼ではなく剣の方。
受けた一撃でそれを悟ったのか、驚いたように見開く彼の目がこちらを見ている。
拮抗したのは、ほんの数瞬。
バキリと音を立ててへし折れた剣を貫いて、
その身へと、拳が突き刺さる。
吹き飛んだ彼は、部屋の奥の壁にぶつかって止まる。ガラガラと飾られていた剣が床に落ち、彼の姿が見えなくなる。
「はぁ……はぁ……これで倒れてくれれば、楽なんですが」
彼を隠していた剣の山が崩れていく。そして、その中からしっかりとした足取りで彼が現れた。
頭から血を流し、落ちてきた剣で斬ったのかその他にも体の数箇所に傷が見えるが、その目はしっかりとこちらを見据えている。
「なるほどなるほど。確かに、強い」
全くダメージがないという訳ではなさそうなのを幸いと言うべきか、大きなダメージにはなっていない様子なのを嘆くべきか。
まだまだ戦闘を続行できそうな彼は、しかし足を止めて口を開いた。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「はい、何でしょうか」
「君は、何のために戦っているんだい?」
「愚問ですね。クレイさんを助けるためです」
「それは今回の戦いの話だろう? そうじゃなくてさ。ディルガドールにいるってことは、何か戦う理由があるんじゃないかなと思ってね」
そういうことか。何故そんなことを聞きたがるのかは分からないが、答えははっきりしている。
「自分の意思で、大切な方を守るためです」
最初はアイリス様を。今ではクレイさんや、班の皆さんを。自分の意思で守りたいと思える相手が増える度、わたしは改めて、取り戻した自己を強く実感出来る。
誰よりも前に出て、大切な人たちを守る。わたしの拳は、そのために。
「ああ、良い答えだ。君は、美しい」
何だ。雰囲気が……
「少し、僕の話を聞いてくれるかな。君がどれだけこの家について知っているか分からないけど……率直に言って、ここは地獄だよ」
クレイやレーナはきっと僕のことを父の言いなりの人形か何かだと思っているだろうけど、僕だって最初からそうだった訳じゃない。
最初は僕だって辛かった。いや、むしろ父の注目を一身に受けていただけ、僕の方がクレイやレーナよりも辛かったんじゃないかな。そんなのは、主観でしかないけどね。
だから、僕は逃げ場を求めた。
辛い鍛練の中でも、心を癒す場所を。いつでも傍にある、自分を助けてくれる物を。
そうして僕は、剣を愛するようになった。
剣は良いよ。僕を守ってくれるし、その輝きは美しい。見ているだけでも、吸い込まれそうな、目を引く力があるよね。
でも、剣は結局、人殺しの道具なのさ
最も美しく輝くのは、目の前の敵を斬り、敵の輝きを消し去る瞬間なんだよ。
「君は美しい。その精神は崇高で、その身体は強靭で、その存在は輝いている」
手に持っていた、砕けた木剣を捨て、足元の剣を拾い上げるグレグ・ティクライズ。
瞬間、今までとは比較にならないほどの圧が叩き付けられる。
「だからこそ、その輝きを消し去りたくてたまらない」
無意識に、一歩後退していた。冷や汗が止まらない。次の瞬間には死んでいるのではないかという、命の危機に直面した恐怖。
ここまで純粋な殺意は、流石に初めて受ける。
しかし、それでも
「哀れな人ですね」
「……何?」
思わず、口に出していた。あまりにも哀れに思えて。
「あなたが剣を愛するのは、辛い現実からの逃避でしかない。それは確かにあなたにとって必要なことだったのかもしれないけど、でもそれはあなたがやりたいことではない」
「何が言いたい?」
「まるで以前のわたしを見ているようです。自分の意思もなく、ただ命令されたからそれをしているだけ」
「誰にも命令などされていないよ。僕は僕の意思で、剣を」
「命令されているんですよ。あなた自身の恐怖心に」
それが本当に自分がやりたいことなら良いと思う。剣が美しい物であるというのは否定しないし、それを愛するのはそこまで不自然だとは思わない。
でも、彼がやっているのはただの現実逃避。辛い現実から逃げて、美しい剣を愛しているフリをして、それに癒されたつもりになっているだけ。
「逃げた先に、自分の意思はないんですよ」
わたしが自分の力の責任から逃げて自分の意思を封じていたように、彼が辛い現実から逃げて剣を愛している気になってこの家に留まり続けているように。
「あなたの、本当にやりたいことは何ですか?」
「僕の、本当にやりたいこと……?」
動きを止めた彼が、その場で俯く。何を考えているのか、その長い髪に隠された顔からでは読み取ることは出来ない。
「僕のやりたいことは、一つだけさ。ああ、たった一つだ」
その両手に持った剣を交差させて、
「君の輝きを、消し去りたいだけだ!!」
斬り払う。そこから発せられる衝撃が、床に転がる大量の剣たちを壁際まで吹き飛ばした。離れて立っているわたしのところまで衝撃が走り、暴風を叩きつけられているかのように髪や服が暴れている。
でも、そんなものはもう、全く怖くない。
嫌だ嫌だと駄々をこねる、子供のようにしか見えないから。
だから、アイリス様が、クレイさんが、わたしにしてくれたように、
今度はわたしが、
「分かりました。わたしが、あなたの意思を叩き起こして差し上げます!」




