第174話 呼び出しの手紙
――クレイ、ゴメンね
懐かしい声が聞こえる。
――もっと強く生んであげられたら良かったのにね
止めてくれ。俺は感謝しているんだ。地獄のような家の中で唯一、俺に優しく接してくれる存在に。
――お父さんを憎まないであげて。あの人なりの考えがあるの。
そんなことは知っている。あいつは意味のないことをする人間じゃない。
だが、それでも……
「何をしている。鍛練の時間だ」
「何言ってるんだ!? 母さんが死んだんだぞ!? 悲しくないのかよ!!」
「悲しんでいる時間などない。お前には足りない物が多すぎる」
「グレグ!」
「……鍛練に行くよ、クレイ」
「こっの……クソ野郎がっ!!」
言葉を話すことすら出来ないほど幼い妹の泣き続ける大声が、やけに耳に響いていたのを覚えている。
あの時、思った。きっとこいつらは人間ではなく、人間に似たモンスターか何かなのだろうと。人間らしい感情など持ち合わせていないに違いないと。
だから、妹だけは。母がいなくなって、唯一の俺が恐怖しなくても良い存在になった、母によく似た妹だけは。俺にも家族の愛情というものがあったのか、何となく可愛く思える妹だけは。
あんな化け物にならないように、俺が人間らしくしてやらないとって。
そう、思っていたのに。
お兄様は何も出来ないのだから
「――――っ」
目を覚まして最初に感じたのは、不快感だった。冬だというのに、流れるほど汗をかいている。先ほどまで見ていた夢のせいだろう。
周囲を見回すと、俺の部屋と似た、しかし所どころが暖色系になっている部屋が目に入る。レーナの部屋だ。どうやら意識を失っている間に運ばれたようだ。
違和感を覚え目を下に向けると、何故か服を着ていない。全裸にされている。眼鏡だけはそのまま残されているようだが、これは……レーナがやったのか? 暖房が利いているのか寒さを感じないのは幸いだが。
立ち上がると、じゃら、という音がした。足から聞こえたその音の方へ目を向けてみれば、右足首に鉄製と思われる輪が嵌められていて、そこから鎖が伸びている。鎖の先は壁に繋がっていて、引っ張ってみるが外れる気配はない。これ、作ったのだろうか……。
「解析」
解析魔法を使おうとしてみるが、やはり発動しない。魔力が散らされる感覚がある。予想通り、罪人拘束用の器具だ。犯罪者を拘束した時、魔法を使って暴れたりしないように、魔法使用を妨害する枷を使う。それと同じ物だろう。
当然俺の力で破壊出来るような脆い物ではない。このまま一生俺を拘束しておくつもりだろうか。レーナはともかく、父や兄がそんなことをする意味が分からないんだが、何故父はレーナに協力したりしたのだろうか。
部屋の扉が開き、レーナが入ってくる。
「あ、お兄様! 目が覚めたんだ!」
俺の姿を見るなり、跳ねるように近づいて来て頭をこすりつけてくる。服を着ていないため、髪が直接触れてくすぐったい。
「レーナ、俺をどうするつもりだ?」
「どうもしないよ? 言ったじゃん、一生傍にって。それだけ」
「拘束されていては、この部屋でしか傍にいられないぞ。解放してくれれば、どこでも一緒にいてやる」
「ダメ。そんなこと言って、お兄様は学園に戻ろうとしてるんでしょ。絶対ダメ」
流石に分かっているか。しかしこうなると、脱出方法がない。俺自身が拘束を破壊出来ない以上、誰かに外してもらうしかないのだが。
「えーっと、紙は、まあこれで良いかな」
机に向かって何かを書き始めるレーナ。あれは……手紙か?
「ん? ふふー、そんなに覗き込んで、気になる? レーナが何してるのか、気になる?」
「まあな。誰かへ手紙を書いているのか?」
「せいかーい! 誰に書いてると思う?」
その手紙の書き出しを見てみると、お兄様に群がる害虫共、と書かれている。これは……
「お兄様の班の女共をこの家に呼び出すの! 父さんも協力してくれるし……うふふ、これでお兄様が学園に戻る理由もなくなるよね?」
「待て! 呼び出して何をするつもりだ!」
「どーしよっかなー。お兄様の苦しみを分からせてあげないといけないし、とりあえずボコボコにしてから考えることにするね」
「何度も言っているだろう! 俺は学園で苦しい思いなどしていない!」
「父さんと戦えるほど強くなってるのに、そんな嘘に騙される訳ないもん」
だからそれは環境が、と言いかけて、口を閉じる。父に言われた言葉が、頭から離れない。
弱くなったな
「……レーナ。俺は、本当に強くなったと思うか?」
「え? うん、強くなってると思うよ?」
本当にそうだろうか。結局は以前と変わらず、父に傷一つ付けることすら叶わない。多少強くなったと言ってもそんなものは誤差でしかなく、俺が学園で勝てていたのは所詮仲間の力に頼り切っていただけのことなのではないのか。
俺はレーナの言う通り、一人では何も出来ない無能なのではないのか。
恐怖に負けて最善手を選び損ねた無能。剣を一合交えることすら叶わない雑魚。
学園最高峰の実力を持つ仲間たちと肩を並べることが出来るだけの能力も持たず、ただスゴイスゴイと持ち上げられて調子に乗っていただけの道化。
それが俺なのではないか?
「よし、書けた! じゃあ手紙出してくるね!」
笑顔で部屋を飛び出して行くレーナ。あの手紙を見れば、仲間たちは俺を助けに来るだろう。それは間違いない。
俺なんかのために、仲間たちが危険に飛び込んで来てしまう。
しかし、今の俺にレーナを止めることは出来ない。俺に出来るのは、仲間たちの無事を祈ることだけだった。
「うーん……」
何やらうなっている寮の管理人を見つけた。いつもお世話になっているのだし、何か困っているのなら助けてあげたい。
「どうしたの?」
「あら、アイリスさん、クルさん。ちょうど今、あなたたち宛の手紙が届いたのですけど……」
「手紙? 誰から?」
「内容が少し……いえ、お渡ししておきましょう。あなたたちなら、ご自分で判断できると思いますから」
そんな不穏な前置きをして、手紙を渡してくる管理人。その手紙は、封筒にも入れられていない紙で、よくこの寮まで届いたものだと感心してしまうような物だった。
「差出人は、レーナ・ティクライズ。クレイさんの妹です」
クレイの妹? 城で遠目に見かけたことはあったと思うけれど、実際に話したことはない。面識はなかったはず。
不思議に思いつつも、二つ折りにされた手紙を開いてみる。
お兄様に群がる害虫共
ティール・ロウリューゼ
フォン・リークライト
カレン・ファレイオル
アイリス・ヴォルスグラン
クル・サーヴ
お兄様は返してもらう。
お前たちのようなお兄様の優しさに甘えるだけの
醜い女にお兄様は絶対に渡さない。
お前たちがお兄様に与えた苦しみを何倍にもして
返すことで、お前たちの罪の重さを教えてやる。
ティクライズの家まで来い。
来ないのなら、お兄様は二度とお前たちの前に
現れることはないから、そのつもりで。
来ても会わせないけど。
絶対に許さない。
レーナ・ティクライズ
一通り読み終えた。正直なところ、困惑しかない。
「何よこれ。わたしたちがクレイを苦しめているって言いたいの?」
「そう読み取れますが……分かりませんね。とりあえず、全員で集まりませんか」
「そうね。わたしたちだけで考えても仕方がないわ」
カレン、ティール、フォンを呼んで、わたしの部屋に集合する。そして全員で手紙を読み、真っ先に立ち上がったのはやはりカレンだった。
「わたしたちへの嫌がらせか誤解があるのか、何にせよ行かねば始まらんだろう。行く以外にあるのか?」
「あたしも、クレイさんのお家に行ってみるべきだと思います!」
「ん」
それは分かっている。もちろんティクライズの家には行かなくてはならない。
もしクレイが苦しんでいてそれを妹に相談したのだとしたら謝らなければならないし、誤解で怒らせてしまったなら説明しに行くべきだ。
しかし、最悪の想定はしなければならない。
「ティクライズの家に行ったとして、妹が話を聞いてくれない可能性は高いと思うわ。きっと攻撃してくる」
「だから何だ! まさか怖気づいて行かないなどと言い出すのではあるまいな!」
「あんたもクレイの姿を見てきたなら少しは考えなさい! 最悪を想定するのよ」
「ん。レーナだけじゃなくて、レイド、あとは兄のグレグ。もしかしたら使用人も攻撃してくるかも」
「よく知ってるわね。そういうことよ」
「使用人がどれだけいるのかは知らんが、我々5人がいればどうにでもなるだろう」
「目標をはっきりさせてから向かいましょうと言っているのよ」
「目標は、クレイさんと会うこと、ですかね?」
「ええ、そういうこと。ティクライズ家を潰しに行く訳じゃないんだから」
それに、正直なところ、ティクライズ3人と戦うのはかなりキツイと思う。特にレイド・ティクライズは、わたしとカレンの2人掛かりでも抑えきることが出来るか怪しい。
妹レーナと兄グレグは、どれだけの能力があるのか知らないけれど、弱いということはないはず。
「ティクライズ家についたら、全員でバラバラにクレイを捜索するのが良いと思うわ。出来るだけ戦闘は避ける方向で行きたいけれど、やむを得ない場合は仕方がない。自分が戦って足止めしていれば、他がクレイを探しやすくなると考えましょう」
「了解した。では行くぞ!」
準備を整え、ティクライズ家へ向けて出発した。




