第172話 迫る自由の終わり
廊下の床が裂ける。壁に穴が開き、部屋の扉が砕け散る。
「逃げないでよ、お兄様」
穏やかな口調とは裏腹に、一瞬で間合いを詰めて来て剣を振るうレーナ。それを解析による先読みでギリギリ回避する。その度に建物に傷が増える。
レーナの狙いは手足だ。俺を殺さない程度に傷つけ、行動を封じようとしている。手ならともかく、足に攻撃を受ければ動きが鈍る。その瞬間、捕まるだろう。
捕まったらどうなるのかは分からない。だが、レーナの口ぶりからして、一生部屋に閉じ込められるのだろう。俺が求める自由とは正反対の束縛。そんなものは、到底受け入れられない。
「落ち着け! お前は何か誤解している! 俺の話に嘘はない! いじめられてなどいないし、学園生活を楽しめている!」
「嘘! だったらどうしてこんなに強くなってるの! この家であんなにボロボロになるまで鍛練しても強くなれなかったお兄様がこんなに強くなってるなんて、酷い目に遭ってるとしか考えられない!」
「環境の変化が良い方向に働いただけだ!」
「嘘! あの父さんが用意した環境より強くなるのに良い環境なんてある訳ない!」
駄目だ、完全に思考が固まっている。何を言っても聞く気がない。仕方がないな。
「転写!」
「疾風!」
周囲の壁や床に魔法陣をばら撒く。その内のいくつかはレーナの剣に破壊されたものの、それも見越して設置していた魔法陣全ての起動を阻止されるようなことはない。
魔法陣から煙幕が噴き出し、俺とレーナの視界を埋め尽くす。その煙幕の中で実体のある分身を作り、レーナに向けて射出する。
これを囮にしてレーナの気を引いている間に逃げよう。
「お兄様ぁっ!!」
「っ!?」
分身には見向きもせず、一直線にこちらに飛びかかってくるレーナの振るう剣が腕を掠める。保険として用意していた魔法陣から鎖を伸ばし、それを避けられたところを石弾で撃ち抜く。
石弾は弾かれたが、一時的に足を止めさせることには成功したので距離を取った。
「煙幕なんかでお兄様を見失ったりしないよ。レーナがお兄様の匂いを間違える訳ないもん」
本当に人間か。そんな獣じみた嗅覚を持っているとは。
それなら直接攻撃して足止めしてみるか。レーナの背後に魔法陣を設置し、鎖を放つ。
「お兄様の魔力を感じる」
見もせずに避けられた。俺の魔力を感じるってどういうことだ。そんなまるで理解出来ない理屈で避けられてはどうしようもない。
こうなったら、天井を破壊して……!
「疾風!」
高速で距離を詰めてくるレーナの剣を、先読みを駆使してギリギリ避ける。ここまで接近された状態で天井を崩したら自分まで巻き込まれる。まずは距離を取らなければ。
「逃がさない!」
「くっ……!」
距離を取るどころか、避けるだけで精一杯。疾風の型による高速連撃に対し、少しずつ回避が間に合わなくなっていく。
「転写!」
「効かない!」
魔法陣からいくつもの魔法を撃ち込むが、その全てを弾かれる。わずかな時間稼ぎにはなるが、それだけ。状況の打開にはつながらない。
仕方がない。あまりこういう賭けのような作戦は使いたくないんだが……。
まずは靴裏の魔法陣を起動、風に乗って吹き飛ぶようにレーナから距離を取る。
「遅いよ!」
この程度では完全に逃げることは出来ない。一瞬離れたものの、すぐに追いついてくる。
これに対し、逆足の魔法陣も起動。再び風に乗って、
追いついてくるレーナに向けて距離を詰める。
「っ! 豪炎!」
ナイフを構えた俺に対して、咄嗟に弾こうと豪炎の型をとるレーナ。こうなることは分かり切っていた。
だから、その叩き付けられる豪炎の一撃を、
真正面から受け止める。
「えっ!?」
両手のナイフで受け、その腕ごと引き千切られそうな衝撃を無理矢理受け止める。勢い良く距離を詰めていた分、それが反射された時により大きく吹き飛ばされることになる。
両腕の痺れという代償を払い、大きくレーナから距離を取ることに成功した。そしてレーナの上の天井を魔法陣で崩し更に足を止めさせる。そんなものは本当にわずかな足止めにしかならないが、その時間を使ってこのまま玄関まで走り抜ければ、ギリギリ建物の外に出るのが間に合うはず。
外にさえ出てしまえば、どうとでもなる。貴族街の門番に助けを求めても良いし、そうでなくても貴族街で争い事はご法度だ。貴族街の美しい景観を保つために、表の見える場所での争いは暗黙の了解ではあるが禁止されている。
特に貴族でもないティクライズの人間が貴族街の平和を荒らすようなことをしたら絶対に許されないため、訓練場以外での戦闘行為は父から固く禁止されている。
流石にレーナも、外に出さえすれば暴れるのを止めるはずだ。
「待って!」
背後からレーナが必死に追いかけてきているのを感じるが、振り返っている余裕はない。このまま全速力で駆け抜ける。
玄関の扉が見えてきた。あと少し……!
「こうなったら……! 死なないでね、お兄様! 疾風・」
「何の騒ぎだ」
聞こえた声に、思わず足を止めていた。そんなことをすればすぐにでもレーナに追い付かれるはずだが、レーナの足も同様に止まっているのか、足音が止んでいた。
玄関の扉が開いていく。何者かがこの家に入ってこようとしている。
いや、何者か、ではない。声でそれが誰なのかは分かっているし、解析でも見えている。ただ、信じたくないだけだ。
何故よりにもよって、今なんだ。仕事で忙しいだろうに、何故今帰ってくるんだ。
開いた扉の先に、父が、レイド・ティクライズが、いた。
「と、父さん……なんで……」
家に入ってきた父は、レーナの問には答えず、周囲を見回す。俺を見て、レーナを見て、少し考えた後、
「理解した」
そう呟く。今何が起きているのか、どんな状況なのか、一切の説明なしに理解したというのか。
いや、それよりも、この状況はまずい。訓練場以外での戦闘行為は禁止されている。今まさに戦闘と呼ぶことが出来る行為をしていたところだ。ここに父が帰ってきたということは、何らかの罰が科されることが予想される。
「レーナ、協力してやろう」
「…………は?」
「……え?」
今、こいつは何を言った? レーナに協力すると言ったのか? 何故? いや、今は理由などどうでも良い。ここで父が敵に回ったりしたら……!
「え、あ、お、お願い父さん! 協力して! お兄様を捕まえて!」
父が、剣を抜く。瞬間、無意識に一歩、後ずさっていた。
戦うのか? 父と? 負けたら俺の自由が完全に奪われるという、この絶対に負けられない状況で?
冗談じゃない。
今までの人生で、数えきれないほど父と戦ってきた。条件は様々だ。2本の剣を使って一切手抜きのない戦いはもちろんのこと、剣1本、その場から動かない、一度も俺の方を見ない、果ては剣を使わないというものまで。そんな様々なハンデありでも、幾度となく戦ってきた。
そして、その全てで、俺は父に一度も傷を付けたことがない。
酷い時には、俺の剣を2本の指でつまんで止められることすらあった。俺と父の間には、隔絶した実力差がある。奇跡が起きても覆らない、圧倒的な差が。
それなのに、ルール無用の真剣勝負? 負けたら人生の終わり? 父だけでなくレーナも敵?
ふざけてる。こんな戦い、俺に勝ち目などある訳が……。
「構えろ、クレイ。諦めるのなら、お前の自由はここまでだ」
……クソ。最悪だ。やっと多少痺れが抜けてきた両手に、ナイフを構える。
そして、駆け出した。
「クソがあああああぁぁぁぁぁぁっ!!」




